★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

文字の大きさ
上 下
29 / 80
【第6話 誤算】2037.08

③ エース・黒田涼子

しおりを挟む
人っていうのは忘れてしまう生き物だ。
だから、常に新しい刺激やスリルでワクワク感を上書きして生きていたい。

デルフィ大学の5区アンカー黒田くろだ涼子りょうこは、出番を待ちながら上機嫌に鼻歌を口ずさんだ。
テントの中に張ったシートの上で胡座をかき、小刻みに膝を上下させながら体を温めていた。

(まさかバンビちゃんと同じ区間になるなんて、ラッキー!)

彼女のチームメイトにならってそう呼ばせてもらっている。
オーダー表のアンカーの欄に記入されていた「栗原楓」という名前を見て、念ずれば叶う、というのは本当だなと涼子は思った。
確かあの運転手のお兄さんは彼女のことを「楓」と呼んでいた。だから多分チームで他に「楓」はいないはず。

テントから出てくると、坂の上の中継所はしずしずとした空気に包まれていた。
うっすらと満遍なく曇ったグレーの空のせいか、辺りは少し薄暗く感じられた。
空気はひんやりと湿り気を帯びており、肌にしっとりとまとわりついてくる。

ウォーミングアップはさっき終わっていて、体はほのかに温かいが、動かないと冷えそうだ。
雲間の切れ目のコアラのような形がなかなかに速く流れて移動していくのを眺めていた。
特にやることがないので、中継所脇の駐車場の砂利道をテキトーに走っておくことにする。

踏みしめた土から上がってきた匂いには、前の晩の土砂降りを思い出させる名残が混じっていた。どこにいるのか、木を隔てて二羽の小鳥がリズミカルにお喋りしているように聞こえる。

(風情だねぇ~)

涼子はその音に耳を傾けながら、なんの緊張感もなくリラックスしていた。

(おっ……?)

駐車場の奥にバンビちゃんを発見。
ちょうどこれからお手合わせする前に声でもかけに行こうか。と、思ったのだけど。涼子は思わず目を見張った。

(ん、なんだか、ちょっと……、アレ?)

記憶の中のバンビちゃんは、涼子の好みにどストライクなナイスおチビちゃんだったはずなのだが。
手前に停められている紺色の軽自動車から、彼女の上半身のほとんどが飛び出して見えている。
ってことは160、170、いやそれ以上あることにならないか。

(あれ、おっかしいな。この間はもっと小柄に見えたんだけど……)

ところが、バンビちゃんがその軽自動車を通り過ぎると、謎はすぐに解けた。彼女はのだ。

(ああっ、なんだ、ビックリした)

アイリスの車に乗せてもらった時、気になってしょうがなかった。
後部座席の彼女は、可愛い寝顔で、なぜか「竹馬」を大事そうに抱きかかえながら眠っていたのだ。

どうしてレース前に竹馬なんかで遊んでいるのだろうか。いくつになっても少女の童心を忘れない天然記念物なのか、はたまた涼子へのサービスショットか。
なんでもいいや。本当に何をしても可愛い。可愛すぎる。

「涼子、電話」

そんなバンビちゃんに目を奪われていると、付き添い役の先輩がスマホを掲げてやってきた。
電話の主は、滝野監督だった。

「はいはーい、もしもし」
「調子はどう?」
「どう、と言われても普通です」
「ここの下りの区間記録、1年の頃のアンタが出した14分28秒だから、それを更新するつもりで走りなさい」

それを聞いて、あれ、そんなもんだっけかと思った。涼子は電話越しに含み笑いを浮かべる。

「今なら、もう30秒は行けますね」
「ふっ。それじゃアンカー、最後しっかり頼んだよ。今3区の中間点で40秒差、だから50から60秒のリードになると思う」
「え」

そこでブツッと通話は切れた。なんだ、圧勝じゃないか。
涼子が先輩にスマホを返そうとすると、真っ暗に変わった液晶につまらなそうな顔が映った。



宿舎を出てきた時に持っていたような高揚感はすっかり切れてしまった。
テントの前に帰ってくると、ついさっき2区を走り終えたチームメイトの中川なかがわ瑠々るる、通称"ケロ子"が様子を見にやってきた。
涼子のテンションが下がった原因の一人である。

「へいへい、元気でやってる?」
「そう見える? ケロ子と千尋、頑張り過ぎ。オイシイところぜーんぶ取られちゃった」
「チームが勝っているっていうのに、まったくキミって人はね……」
「だって。こんなに大差ついちゃったら、バンビちゃんと一緒に走れんじゃんね」

そこへ、アンカー5区の選手に召集がかかった。

「5区の選手、そろそろスタンバイしてください」
「へーい」

ただ、湿気しけった着火剤になかなか火がつかないのと同じように、どうもくつろぎモードが抜けない。

(やべ。そろそろ緊張しておかないと)

リレーゾーンに向かいがてら、直線を軽くダッシュした。体というより、もうちょい心をシャキッとさせておかないと。
涼子は、たいていの日本人に備わっている「緊張しい」の遺伝子を、生来持ち合わせていない。むしろ本番前に緊張できなくて困ることのほうが多いくらいだ。
良いパフォーマンスをするには、適度な緊張が必要なのだが。

アスファルトへ踏み入れてスタートラインに顔を出すと、すでにバンビちゃんが立っていた。

「やあ、よろしくね」
「あ、はい、よろしくお願いします」

ずいぶん堅苦しい感じの挨拶が返ってきた。緊張でもしているのだろうか。

「せっかく同じ区間になったんだから、一緒に走りたかったよね~」

涼子が続けたが、バンビちゃんは目を閉じて深呼吸をしたまま、聞こえていない様子だった。それでも、後部座席に座っていたウトウトしていた彼女のイメージとはどこか違った。

突然、バンビちゃんの目がキッと開いた。そして、そのまま突然「朝陽あさひセンパーイ!!!」と叫び出した。
まさかと思って、手を振っている方向へ首を向けると、目を疑った。
中継所に先に姿を現したのは、アイリスの池田朝陽ちゃんだった。

(え。逆転されてる……!?)

一体何が起こったのか、と思った。監督から電話で聞いていた状態と全く違う。

「バンビ、楽しんでおいで!」
「行ってきます!」

まず、アイリスがタスキリレー。
涼子は駆け込んできた朝陽ちゃんに「おつかれー」と声をかけたが、聞こえていなかったらしい。

続いてデルフィのカナミ先輩も、30秒後くらいに姿が見えてきた。結構差がついている。

(キタキタキターーー!)

涼子からしてみれば、一番望んだ展開になった。念ずれば叶う、その2である。

「——涼子ゴメン、あと頼んだ!」
「むしろありがとうですよ! 任せてください!」

(バンビちゃんに、カッコイイところ見せちゃうぞ~!)

緊張できなくてどうしようと思っていたが、杞憂だった。
受け取ったタスキをすぐさま肩にひっかけ、紐を締めると、一瞬でスイッチが入った。獲物を目の前にして、無意識に舌なめずりをしている。

さあ。ショータイムの始まりだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

モブに転生したはずが、推しに熱烈に愛されています

奈織
BL
腐男子だった僕は、大好きだったBLゲームの世界に転生した。 生まれ変わったのは『王子ルートの悪役令嬢の取り巻き、の婚約者』 ゲームでは名前すら登場しない、明らかなモブである。 顔も地味な僕が主人公たちに関わることはないだろうと思ってたのに、なぜか推しだった公爵子息から熱烈に愛されてしまって…? 自分は地味モブだと思い込んでる上品お色気お兄さん(攻)×クーデレで隠れМな武闘派後輩(受)のお話。 ※エロは後半です ※ムーンライトノベルにも掲載しています

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

真実の愛ならこれくらいできますわよね?

かぜかおる
ファンタジー
フレデリクなら最後は正しい判断をすると信じていたの でもそれは裏切られてしまったわ・・・ 夜会でフレデリク第一王子は男爵令嬢サラとの真実の愛を見つけたとそう言ってわたくしとの婚約解消を宣言したの。 ねえ、真実の愛で結ばれたお二人、覚悟があるというのなら、これくらいできますわよね?

白紙にする約束だった婚約を破棄されました

あお
恋愛
幼い頃に王族の婚約者となり、人生を捧げされていたアマーリエは、白紙にすると約束されていた婚約が、婚姻予定の半年前になっても白紙にならないことに焦りを覚えていた。 その矢先、学園の卒業パーティで婚約者である第一王子から婚約破棄を宣言される。 破棄だの解消だの白紙だのは後の話し合いでどうにでもなる。まずは婚約がなくなることが先だと婚約破棄を了承したら、王子の浮気相手を虐めた罪で捕まりそうになるところを華麗に躱すアマーリエ。 恩を仇で返した第一王子には、自分の立場をよおく分かって貰わないといけないわね。

魔がさした? 私も魔をさしますのでよろしく。

ユユ
恋愛
幼い頃から築いてきた彼との関係は 愛だと思っていた。 何度も“好き”と言われ 次第に心を寄せるようになった。 だけど 彼の浮気を知ってしまった。 私の頭の中にあった愛の城は 完全に崩壊した。 彼の口にする“愛”は偽物だった。 * 作り話です * 短編で終わらせたいです * 暇つぶしにどうぞ

処理中です...