★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【第6話 誤算】2037.08

② 大器の片鱗

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中継所の手前までくると、折り返してきた次の3区のランナーと、デルフィ大学の滝野監督が乗った車とすれ違った。

「チヒロ、後ろ30秒離したから、落ち着いて入りなさいー」

もうそんなにやられたか。
デルフィはコース途中に何人もの走路員が配置されていて、ウチの選手とのタイム差が逐一報告されているようだった。

「……ゴメンッ! あと頼んだ!」
「頑張ったよ!」

姉である蓮李の背中をポンポンと触って、3区の心枝このえが走り出していく。

「はい、蓮李おつかれー! さぁ、心枝、やっと駅伝走れるぞー! お姉ちゃんからタスキ貰ったからな、頑張って行こーう」

結局、アイリスが1区で作った30秒のリードは、2区でそっくりそのまま倍返しされ、30秒のビハインドとなって3区の心枝へとタスキが渡った。

5区間のちょうど真ん中。

心枝の5000メートルの持ちタイム「16分56秒」は、6月の予選会で後輩の楓にも抜かれて、今のアイリスの七人の中では一番遅いことになる。

それに対して、デルフィ大学の3区は3年生の阪野さかの千尋ちひろさん。
エースの黒田さんに次ぐ準エースで、初日に黒田さんを送り届けた際に真っ先に迎えに出てきた子だ。そんなしっかり者の彼女なら、飛ばしすぎて自滅、なんてことはしてくれないだろう。

「心枝ー、ちょっと肩の力が入りすぎてるから、一度、手をダラーンとしてみな。そう。動きよくなってきた。こうして真後ろから見てるとー、夏の間にフォームもすごく綺麗になったな」

心枝の身長は166センチと、長距離選手としてはかなり高い部類になる。姉の蓮李も高身長だが、妹のほうが2センチ高い。
これだけ手足が長いと、体格に見合うだけの筋力がつくまで時間がかかるものだ。

ここ最近の心枝は、肘の角度を鋭角に保ちながら、肋骨を抱えるような腕振りができるようになってきた。コツコツやってきた筋トレと動き作りが実を結んできている、何よりの証拠だった。

だからといって、それですぐに他校の準エースと肩を並べられるかというと、駅伝はそこまで甘い世界じゃない。
リードは少しずつ広がり、3キロの立て看板を目印にタイム差を測ると、3区スタート時の30秒差は、41秒差にまで広がっていた。

これは4区で待つ朝陽に渡る頃には50秒、60秒あたりは覚悟しないといけないかもしれない。カーブの多いこのコースではそれだけ離れてしまうと、ターゲットが見えなくなり一気に走りづらくなる。

デッドラインは、50秒だ。それ以上離されずに朝陽へ渡すことができれば、まだなんとか試合にはなる。

最後のカーブを曲がると、正面に中継所が見えてきた。そこで、たった今タスキリレーを完了した阪野さんの姿を捉えることができた。それほど差は離れていない。でかしたぞ、心枝。

「さぁ、心枝。朝陽が見えてきたぞ、ラストスパートだ! まだ力残ってるよ、腕振って、腕振って!」

坂の下で待つ朝陽が、大きく手を振って同期の心枝を呼びこんでいる。

「よくやった、心枝!」
「……お願い!」
「まかしときっ」

頼もしい声だった。朝陽は勢いよくスタートし、上り坂へと駆け出していった。

「——朝陽、33秒!」

先ほど1区を走り終えた柚希が、機転を利かせて前とのタイム差を測ってくれていたらしい。朝陽も、それに右手の拳を二度突き上げて応えた。二年生三人の見事な連携プレーだ。

「ハイ、心枝~、よく頑張ったぞ~! 朝陽、ここから巻き返しだ!」

(……ん? 柚希はさっき、33秒って言ったか?)

「柚希、前と何秒だって?」

「33秒です!」

立花は頭の中で、念のため同じ計算を三度繰り返した。スタート時に30秒、途中で41秒だった差が、最後には33秒。ということは、心枝は最後のスパートで、前の阪野さんとの差を縮めていたことになる。危険水域だと思っていた"50秒"や"60秒"という数字は、今や杞憂に終わったのだった。

心枝は、姉の蓮李に憧れている。姉妹で骨格も似ているから、指導者としても、蓮李のような万能型のランナーになれるように鍛えていくべきだと、つい思っていた。しかし、今日の心枝が見せた、キレのあるラストスパート。その一点に関しては、蓮李が持っていないものかもしれない。

立花は発想を改めなければならないと自覚した。心枝が追いかけるべきは、姉の蓮李ではなかったのかもしれない。

心枝の性格上、この話をしたらきっと躊躇するだろう。本人が行けると思わないことには、選択肢は残ったままになるだけだ。だが監督として、後押しすることはできる。

心枝が自分のスタイルを見つけて輝くために、みなと駅伝でどの区間に使うべきか。立花の中で、一つのアイデアが浮上した瞬間だった。

* * *

時間は少しさかのぼり、合宿四日目の夜。宿舎の静かな廊下を抜け、朝陽が洗面台に向かうと、先客には柚希がいた。

隣に立って歯ブラシを濡らそうとした朝陽の手が一瞬止まった。柚希がなんの気無しに発した「行きの車で一緒になった黒田涼子さん、カッコいいよね」という一言のせいだった。

「え。私、高校の時、あの人を見たことあるんだけど、ニガテだな」
「だから車の中で喋らなかったの?」

高校時代、静岡出身の朝陽は、同じ東海地区に愛知の大谷学園という強豪チームがあった。そのチームのエースが、まさに黒田さんだったのだ。当時の黒田さんは国体にも出場していて、無名校の無名選手だった朝陽からすれば、雲の上の存在だった。

「なんか、人のことじーっと見つめてくる感じがするのさ」
「そう? そんなに見つめてたっけ」
「ま。向こうは私のことなんか、覚えていないだろうけど」

勝てないって絶対わかっていたけど、悔しかった。全く歯が立たなかった相手という、それだけでも複雑な感情なのに。あの黒目がちな目付き、今にもかぶりついてきそうな気がして、なんだか怖いと思ったのだ。

「そうだ。見つめるといえば、あの人、車の中でバンビのことをチラチラ見てたんだよ」
「へー、気づかなかった」
「とにかくあの人には気をつけたほうがいい。そうだ、今度の練習試合、バンビを守らなくっちゃ!」
「えっ、何もそこまで……。考えすぎじゃないのー?」
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