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【第4話 執念の行方】2037.07
⑥ 黒田涼子、お気に召すまま
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「よし、荷物は全部積んだな?」
アイリス女学院大学の駅伝部は、これから合宿地の長野へと向かう。
朝の七時に出発して、お昼頃には到着する予定だ。
楓は特訓用の竹馬を慎重に持ちながら、立花監督が運転するバンへ、朝陽先輩、柚希先輩とともに乗り込む。
後部座席のスペースはすでに荷物でぎゅうぎゅうになっていた。
残りのメンバーは、後続の寮母の咲月さんが運転している車に乗っている。
「え? 工事中ですか?」
監督が運転席の窓を開け、道路整備の警備員さんと何やら話をしている。
「仕方ない、迂回して行くしかないか」
なんだろう。ここ最近、予定変更が相次いでいる気がする。
◇
数日前の全体ミーティング。配られたスケジュールを見て、ヘレナちゃんの手が挙がった。
「スミマセン、ボス。合宿中、トラック練習はないのデスカ」
(ホントだ、言われてみれば……)
楓はそれを聞いて、改めて最初のページから予定を見返してみた。
練習メニューは10キロとか15キロとか、どれも道を走る練習ばっかり。トラックを走る練習だったら、普通は200とか400とか、メートル単位で表記されているはずなのだ。
「あぁ、そうそう。そのことなんだがな」
何かしらの意図があっての練習スタイルなのかと思いきや、監督は何やら渋い表情で白状を始めた。
「実は合宿地近くの競技場が、この時期はどこも予約が埋まっているみたいで。トラックが借りられなかった……すまない!」
「オー、ノン! 本当ですか、それは?」
ヘレナちゃんが頭を抱えた。そこに加えて、すかさず柚希先輩のムチも炸裂した。
「私たちはともかく、九月に入ってすぐ日本インカレでトラックの試合がある蓮李先輩は、どうしろって言うんですか!?」
柚希先輩は、キャプテンである蓮李先輩の信奉者という点に関しては楓と気が合う。
蓮李先輩のこととなると、いつもの強い口調がさらに厳しい。ただ、言い方がキツいだけで、言っている事自体は的を射ていることが多いのだ。
「当初の計画とは変わってしまうけど、八月後半からの岐阜合宿のほうではちゃんと予約できているから、その前の長野では、ロードとクロカンコースで足作りに重点を置くことにしよう」
陸上競技で使われるトラックは、表面がゴムのような材質になっていて弾むような走り方になる。
ロード(道路のアスファルトやコンクリート)やクロスカントリーコース(デコボコした土やウッドチップのクッションが敷かれたコース)ではそれがない。
約一ヶ月ものあいだ本番と同じ環境で練習できないというのは痛手なのだろう。
監督の言葉に、チームメンバーたちは頷くしかなかったが、試合を控えている当の蓮李先輩の表情はやはり曇ったままだった。
◇
黒田涼子は、合宿地で一人、ジョギングをしていた。
フットギアは、適性表の右上——情熱と活発を司る、黄色のエトワールを履いている。
しかし、ここで問題が発生した。今、果たして自分がどこらへんにいるのか、どうやったら宿舎に帰れるのか、全くわからない。
まぁ、つまり、なんだ。
認めたくはないものだが、世間でいうところの、いわゆる「迷子」である。だはは。
でも、きっとなんとかなる。前向き、前向き。
駅伝だって、前に向かって走るスポーツだ。そう、人生はアドベンチャー。
なぁに、そのうち一台くらい車が通るだろうから、道を聞いたらいいのさ。
こうしてコソ練(コッソリ練習)しているのは、今年こそ、みなと駅伝の1区で区間賞を獲るために他ならない。
(はぁ、私ってば、なんて健気なんだろうか)
ところで、涼子は小さくて可愛いおにゃのこが大好きだ。まぁ、身長175センチの涼子からすれば、たいていの女の子は小さいのだけれど。
人間は、自分には無いものを求めるっていうか。とにかく、小さくて一生懸命頑張っている子を見ると、無性に抱きしめてあげたくなるんだよね。特に、陸上競技にはそういう子が多いんだ。
その点では、1区っていうのはいわば涼子の特等席。だって大集団で一斉にスタートして、可愛い女の子たちに囲まれながら走れるんだもの。
そうそう、囲まれるのもいいけど、一騎打ちのデッドヒートっていうのもまた燃えるんだな、これが。
こう見えて記憶力には自信がない涼子だが、忘れられない試合がある。高三の時の東海地区高校駅伝の1区。名前はなんていったかな。ええと、そうだそうだ、静岡・掛川商業の池田朝陽ちゃん。
高校の地区大会というのは、1区は誰も涼子についてこないのが常で、それがすごくつまらなかった。けど、彼女だけは違った。確か一学年下なのにさ、本当に一生懸命、歯を食いしばって食らいついてくるんだよね。あれにはゾクゾクした。
走り終わった後は、ヨシヨシしてあげたい衝動に駆られたけど、彼女はなぜか大泣きしたままチームメイトにすぐ抱えられていっちゃったから、遠慮したんだったっけかな。
秋のみなと駅伝でも、あんな対決がしたいよね。いっつも1区区間賞を取っているローズ大学の姫路さんとだったら、絶対熱い走りができるはずなんだ。そのためにも、今年の夏合宿はマジで頑張りたい。
フラフラしていると、ほら来た。車が一台。
(いや本当は、そろそろ来なかったらヤバいなと思い始めていたところだったんだけど)
「あのー、すみません! 地元の方ですか?」
長い手をいっぱいに伸ばして振ってみたら、止まってくれた。
「まぁ、地元といえば地元だけど、どうしたんですか?」
「あの、私、蓼科なんちゃら研修センターって場所に戻りたいんですけど、ランニングしていたら道に迷っちゃって」
「ええ? 蓼科から走ってここまで来たんですか。ずいぶん距離ありますよ?」
「あははは」
「僕らもちょうどそのへんに向かうところですよ」
「本当ですか!」
親切なことに、運転手のお兄さんはスマホでその建物を入力して調べてくれたのだった。しかし。
「蓼科、研修……って、あれ? なんか同じような名前の施設がいっぱい出てきたぞ」
「あれま。これじゃ、どれだかわからないですね」
そっか、あのへんって似たような合宿所がいっぱいあるんだったっけか。困ったな。
けど、たった今、良いことを思いついた。
「近くまで一緒に乗せてもらってもいいですか?」
「え? それは構わないけど、場所がわからないんじゃないの?」
「近くの景色を見たら、道も思い出せると思うんで」
「ああ、そういうことなら。みんなもいいよね?」
後部座席に座っている三人のうち、一番元気そうな女子から「もちろん!」とOKの返事がもらえた。他の一人は節目がちで、もう一人は寝てしまっているようだった。
知らない人の車になんか乗ったら、とある同級生から「危ないじゃないの! どこかに連れて行かれたらどうするつもりなの!?」なんてガミガミ怒られそうだ。
けれど、この車は安全だと確信している。絶対悪い人たちじゃない。
なぜかって。その後部座席には、池田朝陽ちゃんが乗っていたのだ。
【第4話 執念の行方】おわり
アイリス女学院大学の駅伝部は、これから合宿地の長野へと向かう。
朝の七時に出発して、お昼頃には到着する予定だ。
楓は特訓用の竹馬を慎重に持ちながら、立花監督が運転するバンへ、朝陽先輩、柚希先輩とともに乗り込む。
後部座席のスペースはすでに荷物でぎゅうぎゅうになっていた。
残りのメンバーは、後続の寮母の咲月さんが運転している車に乗っている。
「え? 工事中ですか?」
監督が運転席の窓を開け、道路整備の警備員さんと何やら話をしている。
「仕方ない、迂回して行くしかないか」
なんだろう。ここ最近、予定変更が相次いでいる気がする。
◇
数日前の全体ミーティング。配られたスケジュールを見て、ヘレナちゃんの手が挙がった。
「スミマセン、ボス。合宿中、トラック練習はないのデスカ」
(ホントだ、言われてみれば……)
楓はそれを聞いて、改めて最初のページから予定を見返してみた。
練習メニューは10キロとか15キロとか、どれも道を走る練習ばっかり。トラックを走る練習だったら、普通は200とか400とか、メートル単位で表記されているはずなのだ。
「あぁ、そうそう。そのことなんだがな」
何かしらの意図があっての練習スタイルなのかと思いきや、監督は何やら渋い表情で白状を始めた。
「実は合宿地近くの競技場が、この時期はどこも予約が埋まっているみたいで。トラックが借りられなかった……すまない!」
「オー、ノン! 本当ですか、それは?」
ヘレナちゃんが頭を抱えた。そこに加えて、すかさず柚希先輩のムチも炸裂した。
「私たちはともかく、九月に入ってすぐ日本インカレでトラックの試合がある蓮李先輩は、どうしろって言うんですか!?」
柚希先輩は、キャプテンである蓮李先輩の信奉者という点に関しては楓と気が合う。
蓮李先輩のこととなると、いつもの強い口調がさらに厳しい。ただ、言い方がキツいだけで、言っている事自体は的を射ていることが多いのだ。
「当初の計画とは変わってしまうけど、八月後半からの岐阜合宿のほうではちゃんと予約できているから、その前の長野では、ロードとクロカンコースで足作りに重点を置くことにしよう」
陸上競技で使われるトラックは、表面がゴムのような材質になっていて弾むような走り方になる。
ロード(道路のアスファルトやコンクリート)やクロスカントリーコース(デコボコした土やウッドチップのクッションが敷かれたコース)ではそれがない。
約一ヶ月ものあいだ本番と同じ環境で練習できないというのは痛手なのだろう。
監督の言葉に、チームメンバーたちは頷くしかなかったが、試合を控えている当の蓮李先輩の表情はやはり曇ったままだった。
◇
黒田涼子は、合宿地で一人、ジョギングをしていた。
フットギアは、適性表の右上——情熱と活発を司る、黄色のエトワールを履いている。
しかし、ここで問題が発生した。今、果たして自分がどこらへんにいるのか、どうやったら宿舎に帰れるのか、全くわからない。
まぁ、つまり、なんだ。
認めたくはないものだが、世間でいうところの、いわゆる「迷子」である。だはは。
でも、きっとなんとかなる。前向き、前向き。
駅伝だって、前に向かって走るスポーツだ。そう、人生はアドベンチャー。
なぁに、そのうち一台くらい車が通るだろうから、道を聞いたらいいのさ。
こうしてコソ練(コッソリ練習)しているのは、今年こそ、みなと駅伝の1区で区間賞を獲るために他ならない。
(はぁ、私ってば、なんて健気なんだろうか)
ところで、涼子は小さくて可愛いおにゃのこが大好きだ。まぁ、身長175センチの涼子からすれば、たいていの女の子は小さいのだけれど。
人間は、自分には無いものを求めるっていうか。とにかく、小さくて一生懸命頑張っている子を見ると、無性に抱きしめてあげたくなるんだよね。特に、陸上競技にはそういう子が多いんだ。
その点では、1区っていうのはいわば涼子の特等席。だって大集団で一斉にスタートして、可愛い女の子たちに囲まれながら走れるんだもの。
そうそう、囲まれるのもいいけど、一騎打ちのデッドヒートっていうのもまた燃えるんだな、これが。
こう見えて記憶力には自信がない涼子だが、忘れられない試合がある。高三の時の東海地区高校駅伝の1区。名前はなんていったかな。ええと、そうだそうだ、静岡・掛川商業の池田朝陽ちゃん。
高校の地区大会というのは、1区は誰も涼子についてこないのが常で、それがすごくつまらなかった。けど、彼女だけは違った。確か一学年下なのにさ、本当に一生懸命、歯を食いしばって食らいついてくるんだよね。あれにはゾクゾクした。
走り終わった後は、ヨシヨシしてあげたい衝動に駆られたけど、彼女はなぜか大泣きしたままチームメイトにすぐ抱えられていっちゃったから、遠慮したんだったっけかな。
秋のみなと駅伝でも、あんな対決がしたいよね。いっつも1区区間賞を取っているローズ大学の姫路さんとだったら、絶対熱い走りができるはずなんだ。そのためにも、今年の夏合宿はマジで頑張りたい。
フラフラしていると、ほら来た。車が一台。
(いや本当は、そろそろ来なかったらヤバいなと思い始めていたところだったんだけど)
「あのー、すみません! 地元の方ですか?」
長い手をいっぱいに伸ばして振ってみたら、止まってくれた。
「まぁ、地元といえば地元だけど、どうしたんですか?」
「あの、私、蓼科なんちゃら研修センターって場所に戻りたいんですけど、ランニングしていたら道に迷っちゃって」
「ええ? 蓼科から走ってここまで来たんですか。ずいぶん距離ありますよ?」
「あははは」
「僕らもちょうどそのへんに向かうところですよ」
「本当ですか!」
親切なことに、運転手のお兄さんはスマホでその建物を入力して調べてくれたのだった。しかし。
「蓼科、研修……って、あれ? なんか同じような名前の施設がいっぱい出てきたぞ」
「あれま。これじゃ、どれだかわからないですね」
そっか、あのへんって似たような合宿所がいっぱいあるんだったっけか。困ったな。
けど、たった今、良いことを思いついた。
「近くまで一緒に乗せてもらってもいいですか?」
「え? それは構わないけど、場所がわからないんじゃないの?」
「近くの景色を見たら、道も思い出せると思うんで」
「ああ、そういうことなら。みんなもいいよね?」
後部座席に座っている三人のうち、一番元気そうな女子から「もちろん!」とOKの返事がもらえた。他の一人は節目がちで、もう一人は寝てしまっているようだった。
知らない人の車になんか乗ったら、とある同級生から「危ないじゃないの! どこかに連れて行かれたらどうするつもりなの!?」なんてガミガミ怒られそうだ。
けれど、この車は安全だと確信している。絶対悪い人たちじゃない。
なぜかって。その後部座席には、池田朝陽ちゃんが乗っていたのだ。
【第4話 執念の行方】おわり
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