★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【第4話 執念の行方】2037.07

② フォーム改造の秘策

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茉莉先輩がまず指摘したのは、かなり序盤。
楓がエリカさんと一緒に走り始めたあたりのランニングフォームだった。

「バンビ殿は、おそらく重心が低すぎるのだと思います」

(え、そうなんだ)

スポーツ全般、重心が低いほうが安定して良いイメージがあった。陸上は違うんだ。

「ラギ殿、重心が低いと?」
「まぁ、背中が丸まったり、膝が曲がったり、ですかね」

博士からの急な質問にも、優秀な助手はすぐに答えた。
打てば響くとはまさにこのことだろう。

「どちらも正解。いわゆる『腰が落ちている』状態ですな」

楓の前方を走るエリカさんと比べると、その差は明らかだった。
エリカさんは雲の上を飛んでいくように軽やかに走っている。対して楓は、手足を伸ばして目一杯で低空飛行している感じだ。

楓の頭の中では、エリカさんのランニングフォームをピッタリ真似して走っているつもりだったのだ。
それが実際に見てみると、こんなにも違う。

「私たち長距離選手は、普段からなどをこなすことで、重心の高いフォームを作り上げています」

ドリル、という言葉がピンと来なくて首を傾げていると、ラギちゃんがこっそり「練習前にやってるハードル跨ぐやつとかだよ」と教えてくれた。
あぁ、と楓もそれで納得する。

「バンビ殿は、その体格差を補おうとするかのように、全身のバネを使って走っています。しかし、そうしたフォームは爆発力がある反面、身体の軸がブレやすい。軸がブレていると、周回を重ねるごとに足腰への負担が増大してしまいます」

茉莉先輩はそう言いながら、映像を一気にレース終盤まで進めた。
カメラは「天使の翼」で楓を引き離した直後のエリカさんの様子をメインに追っているが、時折、二位を走る楓の映像も挟まれる。

終盤の楓は、腰が落ちているのは言うまでもない。
両肩が左右に触れ、全然進んでいない。とても不格好だ。

「序盤こそ身体のバネでカバーできていましたが、終盤に疲れてくるとそれもできなくなって、大幅なスピードダウンが起こっています。きっとバンビ殿は、これを見て『溺れている』と表現したのでしょうな」
「はい……」

このあたりはもうフットギアの接地感がだいぶ粘ついてしまっていて、どれだけもがこうとも駄目だった。
身体も熱くなって、鉛のように重たかった。

立花監督いわく、あれはフットギアが限界を感知した時に作動するセーフティーブレーキという機能なのだという。

冗談じゃない。一番良いところだったのに。

「バンビ殿。確か中学・高校とバスケ部でしたな」
「はい」
「ほら。バスケってディフェンスの時、前後左右に瞬時に動けるよう、少し腰を落として構えるでしょう?」
「あぁ、言われてみれば。癖になってるかもしれないです」
「そう。だから無理もないんです」

多くの陸上選手は、小さい頃から「腰を高くしろ」と耳にタコができるほど言われていて、腰高のフォームが身に付いているのだという。しかし楓は、ハードルを使った動き作りを取り入れ始めたのもつい最近のことである。

「これを克服するには日々の反復練習と、あとはストライドや腕振りを工夫したり、それから……」

(ハンプクレンシュー、ストライド、ウデフリ……)

「あの、茉莉先輩。バンビがそろそろパンクしそうです」

楓のキャパシティが限界寸前と見て、ラギちゃんのストップがかかった。

「ありゃま。少々詰め込み過ぎましたかな。申し訳ない、語り出すと止まらない悪い癖でして。ハンプクレンシュウが必要なのは、私のほうでしたかな」
「おあとがよろしいようで」

ラギちゃんが上手くまとめてくれたところで、その日はお開きになった。

「今日はありがとうございました」



数日後、他のメンバーが練習を始める中で、楓は立花監督から呼び止められた。

「楓はちょっとついて来てくれ。別メニューだ」

あれから茉莉先輩からの助言で、立花監督にも同じ相談をしていたのだった。

連れられたのは、体育準備室だった。
中央棟のお向かいにさりげなくたたずんでいるから、なんの部屋なのか知らないままでいつも素通りしていた。
当然、入るのは初めてだ。

ついさっき大学の体育教師専用の職員室のようなところで借りてきた鍵を、扉に差し込んで回す。
すると、なんと金属製の重々しい扉が、むくむくと自動で横にスライドしたではないか。ハイテクだ。

部屋に入る。中は、ひんやりとした冷たい空気が充満していた。
監督が何か久しぶりに思い出すかのような手つきで、しかし手際良くライトを点けた。

小中学校の体育倉庫みたいな粉っぽい場所を想像していたけど、どちらかというとジムの用具室とか、スポーツ用品店のバックヤードとか言われたほうがしっくり来る雰囲気だった。

棚と棚の間にできている通路を進んでいく。

「予選会までは、とにかく完走できるスタミナをつけるのが最優先だったからな。正直、フォームをいじっている暇がなかったんだ」

突き当たりまで来ると、立花監督が背の高いロッカーを次々と開け閉めしだした。
何を探しているのかは、特に説明がない。

楓はだんだん、これから自分がどんなハイテクマシーンで魔改造されてしまうのか心配になってきた。

「でも、楓のダイナミックな走りは長所でもあるんだ。だから何でもかんでも直すんじゃなくて。良さは残したまま、ブレない軸を身につけるのと、走りの意識を変えたい。わかるね?」

楓はひとつひとつに頷きながら返事をした。

「……はい!」
「うん。素直でよろしい」

自分だけ、駅伝ランナーになるための通過儀礼をちゃんと通れていない。そんなふうに感じていたから、長所だって言われて、少し気持ちが浮かばれた。

「俺が中距離ブロックのほうのコーチをしていた頃に使っていたものがあるはずなんだが……、おう、あったあった」

監督が手に持ったのは、細長い二本の棒であった。
想定外にシンプルなその棒の下部には、よく見るとそれぞれ踏み台のようなものが取り付けられていた。

「それ……、竹ですか?」

ほのかに漂ってきたたたみのようなニオイから推測する。
楓が不思議そうに首を伸ばして見ていると、監督は少し驚いて答えた。

「ん、竹っていうか、竹馬たけうまだ。知らない?」

ああ、名前くらいは知っているけれど。実際に目の前にしたのは初めてだった。

(なんで竹馬?)

別メニューと聞かされて出てきたのが子どものおもちゃって……。少々意外だった。

「そっか。イマドキの子は、竹馬なんかで遊ばないのか。いやあ、俺の大学時代の後輩で、大学から陸上始めたのに、なんと箱根駅伝を走ったやつがいてな。そいつがやっていた秘密のトレーニング方法だ」

中庭まで来ると、さっそく監督が竹馬の乗り方を実践してくれた。
楓の前で行ったり来たり、八の字型に歩いている。

「おー、すごいすごい。上手ですね」

お見事なデモンストレーションを見て、それこそ体育の授業を受けている気分になった。
駅伝部の監督も、ある意味体育教師のようなものか。

「楓もやってみ?」

やってみ、と言われても。どうやって乗るんだろう。
監督は何か「楓の運動神経なら一発で乗れるだろう」みたいな、行き過ぎた期待のまなざしで見てくる。

竹馬を受け取り、見様見真似みようみまねで乗ってみるのだが。

「よい、しょ、おわわわっ!」

あれ。意外に難しい。
監督が押さえてくれてなんとか維持しているが、手足がブルブル震えている。これじゃ乗っているんじゃなくて、しがみついているだけだ。
程なくして、無事に落っこちた。

「そうだなー。難しいようなら、最初は壁に寄りかかりながら練習しよう」

校舎裏の壁に竹を押し付けるようにして、片足ずつ動かしてお手本を見せてくれた。

これなら楓でもできそうだと思ったのだけど、高所恐怖症のせいか、そもそも宙に浮いている足場が怖くて、またすぐにへっぴり腰になってしまった。

「コイツはな、腰が落ちていると上手く立てないんだ。目線は前。おへそで背骨を持ち上げる。みぞおちのあたりから足が伸びているイメージで。行くぞ、ほれ足踏み、1、2、1、2——」

1、2、1、2。
教わったコツを意識すると、なんとか少しずつ足踏みできるようになってきた。

最初に渡された時は困惑したが、楓はピンと来た。
竹馬の乗り方のコツは、普段監督が走り方の指導でよく口にするフレーズとどこか似ていた。

「これをやったら、エリカさんみたいになれますか」

一瞬、それまで竹をガッチリ支えていた立花監督の手が緩みそうになった。
突然途方もないことを言い出した教え子に、呆れたのかもしれない。

竹馬に乗れて気が大きくなったというわけではない。
この間の予選会から、道場破り事件から、日本選手権を見てから。ずっと煮込まれていた行き場のない気持ちが、ふきこぼれたのだと思う。

監督は二本の竹から視線を外さないままで答えた。

「……わからない。けど、腰高のフォームを作るのには役立つはずだよ」

そうか。あの飛ぶようなフォームで走るのは、きっとこういう感覚なんだ。

早く知りたかった。
今までこれを知らずに練習していたのが無性にもったいなく感じた。
毎日少しでもエリカさんに近づかないと、秋のみなと駅伝までに間に合わない。

「お、おい、楓。一人で大丈夫か」

目線は前。おへそで背骨を持ち上げる。みぞおちのあたりから足が伸びているイメージで。

楓は壁を離れ、一歩、二歩と進み出す。
いつもより遠くまで視界が見渡せた。
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