★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【第3話 エリカ】2037.07

④ 遠くの一番星

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楓が初めてエリカさんを見たのは、ひと月前の関東インカレ。
のちのみなと駅伝予選会と同じ、相模原ヒバリスタジアムでのことだった。

各大学の陸上部のトラック種目・フィールド種目すべてひっくるめての対校戦。楓はまだ参加資格になるような記録を持っておらず、この日は選手ではなくお手伝いとして参加していた。

楓が受け持ったのは、10000メートル走のスタート後に第1コーナーの縁石を片付ける仕事だった。4年生でキャプテンの二神ふたがみ蓮李れんり先輩は、本当ならこのレースに出るはずだった。しかし体調不良で直前の練習が積めていなかったため、楓と二人でこれを任されることになった。

自分が立っているはずだった場所を遠い目で見ている蓮李先輩に気づき、楓はかける言葉がなく、どうしていいかわからなくなってしまった。

すると蓮李先輩は、楓が初仕事で緊張していると思ったのか、逆に気を遣って話しかけてくれた。

「そうだ。来月の予選会は同じ会場だから、雰囲気に慣れておいてね」 

「ええっ、そうなんですか……?」

先輩は軽い話題のつもりで言ってくれたのだろうが、近いうちにこんな立派な競技場で自分が走るのかと思うと、クラクラしてきてしまった。芝生のエリアと屋根付きの立体スタンドを合わせて、360度を観客に囲まれている。体格の小さい自分が余計ちっぽけに感じそうだなと思った。

(もし自分がグラウンドに立ったら……。そうだな、きっとあの一番小さい選手くらい)

楓は、スタートラインに立っていた一番小さい選手に自分の姿を投影してみた。ついでに、その選手をコッソリ応援することにしたのだった。

けど、スタートしたらすぐ埋もれて見えなくなっちゃいそう。一番小さいんだもの。楓は心の中で呟いた。

しかし、その予想は全く外れた。ピストルが鳴ると同時に、その選手は果敢に先頭に飛び出したのだった。

あまりのスピード感と迫力に、選手が通過したらすぐさま縁石を片付けなければならないのに、楓は瞬きも忘れてついその選手を目で追ってしまいそうになった。

女子の次には男子の10000メートルのレースがあるため、片付けが終わった後も、レース中はその場でテニスのボールガールのように待機する。

二周目。例の一番小さい選手が次に目の前を通った頃には、第二グループにかなりの差をつけていた。

楓はその選手から目が離せなくなった。足の回転がすごく綺麗で速い。力一杯走っている感じはないのに、グイグイ進んでいくのが不思議だった。

先輩に名前を聞こうかとも思った。だがその時、楓にはわかってしまった。あまりに強い、そのランナーの名前が。

(もしかして……、きっとそうだ)

楓は、マイさんにシルフィードを勧められた際、他にそれを履いているもう一人のランナーの名前を聞かされていた。そしてその選手は、いま大学生で一番強いのだと。

「凄いでしょう? あれが神宮寺エリカ。大学女子駅伝界のスーパースターだよ」

蓮李先輩が口にした名前に、鳥肌が立った。走っている最中の彼女がシルフィードを履いているかどうかなど、楓には判別できなかった。

けど、わかってしまったのだ。
それはある種の直感や閃きで、説明しようがないものだった。

レースの間、エリカさんは一瞬たりとも後ろを振り返ることはなかった。そしてそのまま最後まで誰の追撃も許さず、出場した選手全員を周回遅れにしてから、どこか余力を残したままあっさりとゴールしてしまった。

興奮がおさまらなかった。あの小さな体のどこにそんなパワーがあるのだろう。楓だったら、後ろから誰かが追いかけてきたら怖いと思ってしまうけど、エリカさんは表情ひとつ変えずにねじ伏せてしまうのだ。

(どんな気持ちなんだろうか。あんなふうに走れたら)

後日、最後に余力を残してゴールしていた理由がわかった。
エリカさんは、最終日の5000メートルにもエントリーしていたのだ。そして、そこでも優勝してしまった。

初日の半分の距離しか見られないのがたまらなく残念だった。それくらい、楓はもうすっかりエリカさんの走りに惹かれていた。

あれからひと月後、まさか二人で一緒に走ることになるなんて。その時はまだ夢にも思っていなかった。



つい数日前に一緒に走ったり話したりした人がテレビに映っているというのは、なんだか変な感じだ。

『さあ、残り2周、ここで大学生の神宮寺エリカがロングスパートで後続を引き離しにかかります! プロリーグ勢の他の選手たちはついていけないか!』

六月最終週の夜。アイリス駅伝部のメンバーは皆、寮のリビングのテレビに釘付けになっていた。
そして楓は、目撃者となる。

日本のナンバーワンを決める日本選手権。
5000メートルに出場したエリカさんが、夏の暑さをものともせず、14分48秒29の驚異的なタイムで、並みいるプロ選手たちを抑えて優勝してしまったのだ。

楓は、テレビの向こうで光り輝くその姿を見ながら、自分はこんな選手と走っていたのかと、己のあまりの無知さに恥ずかしくなった。

『放送席、そして会場の皆さん、お待たせしました。見事初優勝を果たしました、そして2025年大会の赤沢あかざわ椿つばきさん以来、実に12年ぶりとなる、学生の日本チャンピオン、神宮寺エリカ選手です。おめでとうございます』
「ありがとうございます」

会場全体が拍手と歓声に包まれた。
鼓動が速くなる。顔が熱い。
スタジアムのライトが照りつけ、エリカさんの頬に流れる汗がきらめいている。

急に遠い存在になってしまったように感じる。元から楓の近くになどいなかったのに。
素直に祝福できない自分が、嫌になる。

有り得ないことだけど。もしも今ここに映っているエリカさんが、「栗原楓さんってご存知ですか」と質問されたとしても、目を丸くしてキョトンとするような気がした。

『率直に、今の心境をお聞かせください』
「はい。今回は3位以内、表彰台、というのを目標にしていたのですが、思った以上に身体も動いてくれて、優勝を掴み取ることができ、とても嬉しいです」

楓にしてみれば、よそ行きのエリカさんである。
嬉しい表情はしているが、白い歯は見せていない。

でも、それはどうしてなのだろう。
熱狂の渦の真ん中にいながら、さっきからその瞳はどこか遠くを眼差しているように見えるのだ。

『日本の皆さんが、これからの活躍も期待しています。今後のプランをお聞かせください』
「はい。この夏はアメリカに拠点を置いて、しっかりトレーニングを積んで、現地の試合にも参加する予定です」

(アメリカか。遠いな……。伊織ちゃんが言っていた「いずれ世界に出ていく」って、このことなのだろうか)

楓がなぜエリカさんに対してこれほどまでに強い憧れを抱くのか。
考える中で、最近は少しずつ言語化できるようになってきていた。

大きい選手の中に紛れても、経験値が上のプロ選手たちの中に紛れても、ひときわ光を放つ凛々しい走り。
エリカさんの堂々たる立ち振る舞いは、まさに楓が描く理想の自分そのものなのだ。

この前一緒に走れたのは、エリカさんが手加減していたからだ。
もう憧れているだけじゃ満足できない。
早くしないと、どんどん置いていかれてしまう。

みなと駅伝の5区で、エリカさんと——。

今度は自分の力で同じ舞台へ上がりたい。



【第3話 エリカ】おわり



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ここまでがアニメでいう最初の3話分になります。

「アニメは最初の3話で切るかどうか決める」という方も多いそうです。

ですので、第3話までが主人公の「目標」が明確になるひとつの区切りとなるよう意識しました。

そして第4話からは、その目標に対する「壁」が登場していくわけですね。

どうぞおたのしみに。
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