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【第3話 エリカ】2037.07
② 10分25秒
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あれは、先月のゴールデンウィーク中の記録会。高校生のスカウト視察に帯同した際の出来事。
スタート前のウォーミングアップですぐ目の前まで走ってきた選手がいて、エリカは思わず二度振り返った。
(あれは、シルフィード……!? 今の時代に、私の他に履いている選手、初めて見た……)
その小柄な容姿から一瞬高校生かとも思ったが、そもそもフットギアを履いているのだから大学生以上のはずだ。
大会プログラムを確認し、選手を特定した。
3000メートル6組、ゼッケン12番、栗原楓、アイリス女学院大学。
全くノーマークの選手だった。
しかしながら、その大学名には見覚えがあった。
やっぱり。あの人のいるチームだ。
同じ組に、二神蓮李の名前を見つけた。
長野の佐久東高校が全国高校駅伝で優勝した時のエース。
大学生になってからはしばらく姿を見ていなかった。
ジャスミン大学が目をつけている高校生は、もっと遅い時間に登場するような、持ちタイムが速い選手たち。そのため、午前中のエントリーリストは完全に見落としていた。
それにしてもなぜこの二人の大学生は、目標タイムが10分30秒の、高校生たちが走るような組に混じってエントリーしているのだろうか。
(二神蓮李の目標が10分30秒? 何かの冗談でしょう?)
高校時代に、8分50秒台で走っていたような選手だ。彼女からすれば、調整走にしたって遅すぎるだろう。
スタート後、その二神蓮李が先頭に出てペースを作り、シルフィードを履いた例の選手を引っ張っていく。
さらに後方では、大学生のお姉さんについていこうと頑張る高校生たちがズラズラとついてきていた。
もちろんエリカは、栗原楓のことを観察していた。このへんの学生だったら、ほぼ確実にマイさんが関与しているはず。あの人がシルフィードを渡すようなランナーとは、一体どんな選手なのか。
しばらくレースを注視していると、エリカはある違和感を覚えた。周回ごとに飛び交う、アイリスのチームメイトからの声掛け。
「よし! このままなら、10分25切れるよー!」
ずいぶん中途半端な設定タイムだこと。
この子の自己ベストが大体それくらいなのだろうか。それにしても、さっきからそればっかり、何度も。
(うーん……)
栗原楓の走りは、やや腰が落ち気味で、ブレが大きく、何より全体的にフォームが固かった。あまり褒められたものではない。
しかし足の蹴り返しが強く、腕もよく振れており、呼吸にも余裕がありそうだった。
見た感じ、10分ジャストぐらいならいつでも出せそうな走りはしている。
じゃあ、10分25秒って何だ。
わざわざチームのエースにペースメーカーをさせてまで狙うようなタイムなのか。
しかし、そのタイムの意味に気づいた時、脳に閃光が走った。
(そうか、みなと駅伝の予選……!)
3000メートル・10分25秒というのは、予選会の参加標準記録、つまり出場資格を得るのに必要な最低限のタイムだ。
エリカにとっては気にしたことも気にする必要もないタイムだから、気付くのに時間がかかった。
(このチーム、今年は予選に出てくるつもりだ)
後日、エリカはアイリス女学院大学のメンバーを徹底的に調べ上げ、栗原楓の持ちタイムがチーム内で七番目であることも突き止めた。
(あとはどうやって私が予選1組に出場するか、だ)
◇
シルフィードが宝の持ち腐れになっているような光景を、これ以上黙って見てはいられない。エリカは、一日でも早く栗原楓と同じレースに出場するための方法を考えた。
それには、監督である父を説得しなければならない。
「1組だと? 何を言っている。お前には、今年もジャスミン大学のエースとして、最終組を走ってもらうぞ」
この反応は予想の範疇。エリカはよどみなく言い分を主張する。
「ですが今のチームには、私が最終組に回らずとも予選突破できるだけの力はついてきています」
「うむ。それは私も感じている。今の戦力なら、多少オーダーをいじったとて、1位通過は固いだろう」
「それなら……!」
「だが、そんなことをして何になる。そもそも、みなと駅伝の予選エントリーは原則タイム順と定められている。過去二年予選を走っているお前が、それを知らないわけではあるまい」
ここで、計画通り、しばしの沈黙。そして一気に畳み掛ける。
「まったく。珍しく相談があるというから聞いてみれば、そんなことを言いに……」
「——過去に、日本選手権に出場予定の選手が、みなと駅伝の予選でタイム順を無視して前半の組を走ったことがあると聞きました」
「ん?」
「私も、今年は予選の翌週に日本選手権を控えています。確かに予選も大事ですが、日本のトップ選手と戦える機会を万全で迎えるためにも、今回は負担の少ない1組を走らせてほしいんです!」
「はぁ。なんだ。そういうことなら始めからハッキリとそう言えばいいものを。回りくどいところは、アリアに似たな」
(あら、お父様が一本槍すぎるのではないかしら?)
「……」
「なるほど。日本選手権へかけるお前の情熱はわかった。大学陸連へは私から事情を説明しておこう。ただし、大学で競技をやっている以上、チームにはきちんと貢献してもらう。最低限、15分台と組トップでは走れ。それが監督命令だ」
「はい。流してそれくらいで走れなければ、日本選手権の表彰台なんて目指せませんから」
「フン。それもそうだな」
そして、なんとか1組エントリーにこぎつけた予選会当日。衝撃の事実を知ることになった。
『私、シルフィードしか履けなかったんです』
栗原楓は、確かにそう言った。
それではまるで、シルフィードに選ばれたランナーではないか。
信じられなかった。自分はシルフィードを「克服」して履きこなしてきた、それなのに目の前にいるこの選手は……。
そのことが、エリカの平常心を狂わせた。
予想していた通り、スタートして早速、最低のライン取り。自分のこともシルフィードのことも何もわかっていない、そんな様子だった。せめて走る位置と正しいフォームを示して、走りとして形になるようにした。
しかし不思議だったのは、彼女が神宮寺エリカという名前に臆さず、意外にも真っ正面から立ち向かってきたことだった。
レース運びはてんで素人なのに、そのアンバランスさが面白いとも怖いとも思った。
スタート前のウォーミングアップですぐ目の前まで走ってきた選手がいて、エリカは思わず二度振り返った。
(あれは、シルフィード……!? 今の時代に、私の他に履いている選手、初めて見た……)
その小柄な容姿から一瞬高校生かとも思ったが、そもそもフットギアを履いているのだから大学生以上のはずだ。
大会プログラムを確認し、選手を特定した。
3000メートル6組、ゼッケン12番、栗原楓、アイリス女学院大学。
全くノーマークの選手だった。
しかしながら、その大学名には見覚えがあった。
やっぱり。あの人のいるチームだ。
同じ組に、二神蓮李の名前を見つけた。
長野の佐久東高校が全国高校駅伝で優勝した時のエース。
大学生になってからはしばらく姿を見ていなかった。
ジャスミン大学が目をつけている高校生は、もっと遅い時間に登場するような、持ちタイムが速い選手たち。そのため、午前中のエントリーリストは完全に見落としていた。
それにしてもなぜこの二人の大学生は、目標タイムが10分30秒の、高校生たちが走るような組に混じってエントリーしているのだろうか。
(二神蓮李の目標が10分30秒? 何かの冗談でしょう?)
高校時代に、8分50秒台で走っていたような選手だ。彼女からすれば、調整走にしたって遅すぎるだろう。
スタート後、その二神蓮李が先頭に出てペースを作り、シルフィードを履いた例の選手を引っ張っていく。
さらに後方では、大学生のお姉さんについていこうと頑張る高校生たちがズラズラとついてきていた。
もちろんエリカは、栗原楓のことを観察していた。このへんの学生だったら、ほぼ確実にマイさんが関与しているはず。あの人がシルフィードを渡すようなランナーとは、一体どんな選手なのか。
しばらくレースを注視していると、エリカはある違和感を覚えた。周回ごとに飛び交う、アイリスのチームメイトからの声掛け。
「よし! このままなら、10分25切れるよー!」
ずいぶん中途半端な設定タイムだこと。
この子の自己ベストが大体それくらいなのだろうか。それにしても、さっきからそればっかり、何度も。
(うーん……)
栗原楓の走りは、やや腰が落ち気味で、ブレが大きく、何より全体的にフォームが固かった。あまり褒められたものではない。
しかし足の蹴り返しが強く、腕もよく振れており、呼吸にも余裕がありそうだった。
見た感じ、10分ジャストぐらいならいつでも出せそうな走りはしている。
じゃあ、10分25秒って何だ。
わざわざチームのエースにペースメーカーをさせてまで狙うようなタイムなのか。
しかし、そのタイムの意味に気づいた時、脳に閃光が走った。
(そうか、みなと駅伝の予選……!)
3000メートル・10分25秒というのは、予選会の参加標準記録、つまり出場資格を得るのに必要な最低限のタイムだ。
エリカにとっては気にしたことも気にする必要もないタイムだから、気付くのに時間がかかった。
(このチーム、今年は予選に出てくるつもりだ)
後日、エリカはアイリス女学院大学のメンバーを徹底的に調べ上げ、栗原楓の持ちタイムがチーム内で七番目であることも突き止めた。
(あとはどうやって私が予選1組に出場するか、だ)
◇
シルフィードが宝の持ち腐れになっているような光景を、これ以上黙って見てはいられない。エリカは、一日でも早く栗原楓と同じレースに出場するための方法を考えた。
それには、監督である父を説得しなければならない。
「1組だと? 何を言っている。お前には、今年もジャスミン大学のエースとして、最終組を走ってもらうぞ」
この反応は予想の範疇。エリカはよどみなく言い分を主張する。
「ですが今のチームには、私が最終組に回らずとも予選突破できるだけの力はついてきています」
「うむ。それは私も感じている。今の戦力なら、多少オーダーをいじったとて、1位通過は固いだろう」
「それなら……!」
「だが、そんなことをして何になる。そもそも、みなと駅伝の予選エントリーは原則タイム順と定められている。過去二年予選を走っているお前が、それを知らないわけではあるまい」
ここで、計画通り、しばしの沈黙。そして一気に畳み掛ける。
「まったく。珍しく相談があるというから聞いてみれば、そんなことを言いに……」
「——過去に、日本選手権に出場予定の選手が、みなと駅伝の予選でタイム順を無視して前半の組を走ったことがあると聞きました」
「ん?」
「私も、今年は予選の翌週に日本選手権を控えています。確かに予選も大事ですが、日本のトップ選手と戦える機会を万全で迎えるためにも、今回は負担の少ない1組を走らせてほしいんです!」
「はぁ。なんだ。そういうことなら始めからハッキリとそう言えばいいものを。回りくどいところは、アリアに似たな」
(あら、お父様が一本槍すぎるのではないかしら?)
「……」
「なるほど。日本選手権へかけるお前の情熱はわかった。大学陸連へは私から事情を説明しておこう。ただし、大学で競技をやっている以上、チームにはきちんと貢献してもらう。最低限、15分台と組トップでは走れ。それが監督命令だ」
「はい。流してそれくらいで走れなければ、日本選手権の表彰台なんて目指せませんから」
「フン。それもそうだな」
そして、なんとか1組エントリーにこぎつけた予選会当日。衝撃の事実を知ることになった。
『私、シルフィードしか履けなかったんです』
栗原楓は、確かにそう言った。
それではまるで、シルフィードに選ばれたランナーではないか。
信じられなかった。自分はシルフィードを「克服」して履きこなしてきた、それなのに目の前にいるこの選手は……。
そのことが、エリカの平常心を狂わせた。
予想していた通り、スタートして早速、最低のライン取り。自分のこともシルフィードのことも何もわかっていない、そんな様子だった。せめて走る位置と正しいフォームを示して、走りとして形になるようにした。
しかし不思議だったのは、彼女が神宮寺エリカという名前に臆さず、意外にも真っ正面から立ち向かってきたことだった。
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