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【第1話 運命のライバル】2037.06
④ 人さし指の魔法
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なんと、先頭を走っていたはずのエリカさんが、コーナーで大きく外側に寄り、今にも止まりそうなほどスピードを落としていた。会場の歓声が、一気に失われ、ざわめきに変わる。楓の心境も、スタンドで騒然としている観衆たちとまったく同じだった。
(エリカさん、どうしちゃったの!?)
誰かをペースメーカーにしようと、戦略的に先頭を譲った様子でもない。ラギちゃんの話でも、エリカさんほどの実力者を引っ張れるような選手は、ここにいないはずだ。
ジャスミン大学のもう片方の選手が、すかさず代わりに先頭へ出る。一方でエリカさんは、外側を大回りしながら、他のランナーに次々と内側から追い抜かれ、ズルズルと後退していく。そしてついには、楓のところまで。
するとエリカさんは突然、予想もつかない行動に出た。
(お、おわっ)
驚いた。彼女は強引に集団の中へ入り込み、楓の目の前を陣取った。なんて大胆な。何を考えているのか、まったく読めない。お店の行列だって、自分より前にいた人が割り込んでくるなんて見たことがない。
ただ、突如乱入してきたエリカさんの背中を見つめるうちに、楓はあることに気がついた。アタックが止んでいる。
さっき肘打ちをしてきた選手たちは、急に窮屈で遠慮がちな走り方になっていた。
(そうか……! 誰もエリカさんには強く当たれないんだ)
楓と同じく小柄なのに、その凄みとオーラがまるで違う。ただそこにいるだけで、自然と道が開く。本当に何から何まで、スゴいとしか言いようがない。
え、これって、ひょっとして。
(……助けてくれたってこと?)
彼女もそれをわかっていて、集団に割り込み、楓への攻撃をやめさせたのではないか?
いやいや、ありえない。だって、チームメイトでもない無関係な選手を、どうしてわざわざ助ける必要があるのだ。
しかし、コーナーで左に体を傾けるエリカさんは、チラリと斜め後ろを振り向く。そして、楓と視線が交わる。
その瞳は、明らかに何かメッセージを持っていた。「ついてきなさい」なのか、「ここにいれば安全だ」と言っているのか。どちらにせよ——。
(やっぱり、助けてくれたんだ!)
今の彼女は、スタート前に話しかけてくれた時の穏やかな表情とは一変して、レースを支配する鋭い眼差しに切り替わっていた。楓は、そのどちらの姿にも翻弄され続けている。そして、それはまだ終わらなかった。
第4コーナーを回り、ホームストレートへと戻ってくるときだった。
「ここへ来なさい」
エリカさんの人さし指が右側のスペースを指し示した。
(え、どういうこと……?)
考えてもわからない疑問の泡が、膨らんでは弾けてを繰り返す。楓が戸惑っていると、エリカさんはそれを見透かしたように、さらに鋭く指先を突き出す。あまりの気迫に、気づけばその指示に従ってしまっていた。
(あれ、私……敵チームの選手の言うこと聞いちゃってる!?)
見えない糸に引っ張られる。エリカさんはそのまま手をこまねきながら、さらに「こっち、こっち」と手を煽る。バスケのスクリーンプレイみたいに、エリカさんが壁になって、楓とともに前へ。さっきまで自分を囲んでいた集団の選手たちが、ごそっと後方へ流れていく。そして、その先は——。
(あれれ!? 私たち、先頭に出ちゃったんですけど!)
どうしよう。どうしよう。攻撃は止んだ。楓を囲んでいた集団の圧迫感も消えた。エリカさんと一緒にいれば安全。それは間違いない。でも、これで合っているの?
一周目が終わる。各大学の監督たちが、ハードルを寄せ集めた仕切りの向こうから、声を張り上げる。その中から、ひときわ大きな怒声が飛んできた。
「84秒かかってんだ、このタコ! 後ろさっさと引き離さんか!」
エリカさんのお父さんであり、ジャスミン大学の監督、神宮寺監督だ。しかし、当のエリカさんはその言葉をまったく気にする様子もなく、涼しい顔でスルーしている。
(あのー、いいんですか。お父様、めっちゃお怒りになられていますけど……)
その隣に辛うじてアイリスの立花監督の姿を見つけた。しかし、指示は口(くち)パクだった。額に血管を浮き出しながら叫んでいる神宮寺監督が、それを綺麗サッパリかき消してしまっているのだ。
(げっ、何も聞こえない)
けど、一周目のラップだけは把握した——84秒。エリカさんが84秒ということは、自分もほぼ同じペースだったことになる。信じられないことだけど、今、自分はエリカさんと並んで走っているのだ。
(練習してきたのは80秒ペース……これならついていけそう?)
そう思った矢先、エリカさんが徐々にペースを上げ始めた。楓が遅れそうになると、エリカさんは振り返り、軽く手をひらひらと動かして合図を送る。「もっと上げるわよ」とでも言いたげな仕草だった。
(いやいや、ダメですそれは!!)
このままだと、予定の80秒ペースを切ってしまう。自分一人のレースならまだしも、今日は合計タイムで競うチーム戦。勝手なことをするわけにはいかない。
(監督の指示は、誰かの後ろについてスタミナを温存するように、って。でも、まさかエリカさんの後ろにつくとは誰も思ってないよね!?)
これじゃ、スタミナを温存するどころじゃない。
後ろの方から、他校の監督たちの声が結構遅れて聞こえてきた。つまり、すでに後ろの集団は思った以上に離れてしまっているらしい。
(どうしよう……)
自分から減速して、またあの集団に戻る? いや、それじゃ、さっきの攻撃をまた受けに行くようなものだ。かといって、このままエリカさんについていけば、確実にオーバーペースになる。
最悪なのは、そのどちらも選ばず、中途半端に単独走を始めてしまうことだ。自分ひとりでペースを作るなんて、そんな技量は持ち合わせていない。
楓は決断を迫られている。前へついていくのか、後ろへ戻るのか——。
(エリカさん、どうしちゃったの!?)
誰かをペースメーカーにしようと、戦略的に先頭を譲った様子でもない。ラギちゃんの話でも、エリカさんほどの実力者を引っ張れるような選手は、ここにいないはずだ。
ジャスミン大学のもう片方の選手が、すかさず代わりに先頭へ出る。一方でエリカさんは、外側を大回りしながら、他のランナーに次々と内側から追い抜かれ、ズルズルと後退していく。そしてついには、楓のところまで。
するとエリカさんは突然、予想もつかない行動に出た。
(お、おわっ)
驚いた。彼女は強引に集団の中へ入り込み、楓の目の前を陣取った。なんて大胆な。何を考えているのか、まったく読めない。お店の行列だって、自分より前にいた人が割り込んでくるなんて見たことがない。
ただ、突如乱入してきたエリカさんの背中を見つめるうちに、楓はあることに気がついた。アタックが止んでいる。
さっき肘打ちをしてきた選手たちは、急に窮屈で遠慮がちな走り方になっていた。
(そうか……! 誰もエリカさんには強く当たれないんだ)
楓と同じく小柄なのに、その凄みとオーラがまるで違う。ただそこにいるだけで、自然と道が開く。本当に何から何まで、スゴいとしか言いようがない。
え、これって、ひょっとして。
(……助けてくれたってこと?)
彼女もそれをわかっていて、集団に割り込み、楓への攻撃をやめさせたのではないか?
いやいや、ありえない。だって、チームメイトでもない無関係な選手を、どうしてわざわざ助ける必要があるのだ。
しかし、コーナーで左に体を傾けるエリカさんは、チラリと斜め後ろを振り向く。そして、楓と視線が交わる。
その瞳は、明らかに何かメッセージを持っていた。「ついてきなさい」なのか、「ここにいれば安全だ」と言っているのか。どちらにせよ——。
(やっぱり、助けてくれたんだ!)
今の彼女は、スタート前に話しかけてくれた時の穏やかな表情とは一変して、レースを支配する鋭い眼差しに切り替わっていた。楓は、そのどちらの姿にも翻弄され続けている。そして、それはまだ終わらなかった。
第4コーナーを回り、ホームストレートへと戻ってくるときだった。
「ここへ来なさい」
エリカさんの人さし指が右側のスペースを指し示した。
(え、どういうこと……?)
考えてもわからない疑問の泡が、膨らんでは弾けてを繰り返す。楓が戸惑っていると、エリカさんはそれを見透かしたように、さらに鋭く指先を突き出す。あまりの気迫に、気づけばその指示に従ってしまっていた。
(あれ、私……敵チームの選手の言うこと聞いちゃってる!?)
見えない糸に引っ張られる。エリカさんはそのまま手をこまねきながら、さらに「こっち、こっち」と手を煽る。バスケのスクリーンプレイみたいに、エリカさんが壁になって、楓とともに前へ。さっきまで自分を囲んでいた集団の選手たちが、ごそっと後方へ流れていく。そして、その先は——。
(あれれ!? 私たち、先頭に出ちゃったんですけど!)
どうしよう。どうしよう。攻撃は止んだ。楓を囲んでいた集団の圧迫感も消えた。エリカさんと一緒にいれば安全。それは間違いない。でも、これで合っているの?
一周目が終わる。各大学の監督たちが、ハードルを寄せ集めた仕切りの向こうから、声を張り上げる。その中から、ひときわ大きな怒声が飛んできた。
「84秒かかってんだ、このタコ! 後ろさっさと引き離さんか!」
エリカさんのお父さんであり、ジャスミン大学の監督、神宮寺監督だ。しかし、当のエリカさんはその言葉をまったく気にする様子もなく、涼しい顔でスルーしている。
(あのー、いいんですか。お父様、めっちゃお怒りになられていますけど……)
その隣に辛うじてアイリスの立花監督の姿を見つけた。しかし、指示は口(くち)パクだった。額に血管を浮き出しながら叫んでいる神宮寺監督が、それを綺麗サッパリかき消してしまっているのだ。
(げっ、何も聞こえない)
けど、一周目のラップだけは把握した——84秒。エリカさんが84秒ということは、自分もほぼ同じペースだったことになる。信じられないことだけど、今、自分はエリカさんと並んで走っているのだ。
(練習してきたのは80秒ペース……これならついていけそう?)
そう思った矢先、エリカさんが徐々にペースを上げ始めた。楓が遅れそうになると、エリカさんは振り返り、軽く手をひらひらと動かして合図を送る。「もっと上げるわよ」とでも言いたげな仕草だった。
(いやいや、ダメですそれは!!)
このままだと、予定の80秒ペースを切ってしまう。自分一人のレースならまだしも、今日は合計タイムで競うチーム戦。勝手なことをするわけにはいかない。
(監督の指示は、誰かの後ろについてスタミナを温存するように、って。でも、まさかエリカさんの後ろにつくとは誰も思ってないよね!?)
これじゃ、スタミナを温存するどころじゃない。
後ろの方から、他校の監督たちの声が結構遅れて聞こえてきた。つまり、すでに後ろの集団は思った以上に離れてしまっているらしい。
(どうしよう……)
自分から減速して、またあの集団に戻る? いや、それじゃ、さっきの攻撃をまた受けに行くようなものだ。かといって、このままエリカさんについていけば、確実にオーバーペースになる。
最悪なのは、そのどちらも選ばず、中途半端に単独走を始めてしまうことだ。自分ひとりでペースを作るなんて、そんな技量は持ち合わせていない。
楓は決断を迫られている。前へついていくのか、後ろへ戻るのか——。
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