★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【1区 9.0km 池田 朝陽(2年)】

④ ラスト1キロの横槍

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こんな時だが、いや、こんな時だからこそ、立花は電話をかけ始めた。歓声が飛んでくる窓側の左耳に小指を突っ込んで塞ぎ、スマホをあてた右耳に神経を集中しながら、大きく息を吐いて平常心を保とうとした。

状況が変わったタイミングで、次のランナーへ指示を送る。大丈夫。脚にどこか異変があるなら、意地を張らず早めにペースを落としたのは賢明な判断だ。まだまだ冷静だよ、朝陽アイツは。

咲月さつきさん、お疲れ様です。心枝このえって今話せますか。えぇ。お願いします」

もし次の2区の心枝がこの状況を見て不安がっていたら、そっちのほうがマズい。ウチとしたら、ここまで十分すぎるぐらいの展開で来ているんだ。これに怯まず、ガンガン攻めていかないと。

「あっ、心枝、ちょうどいいところに帰ってきた。監督から電話だよ」

少し間が空いた後、電話を手渡される様子が聞こえてきた。

「……もしもし心枝です」
「もしもし。いま放送見ていたか」
「はい。中継所に大きいテレビがあるので」
「おう、それなら話が早い。それで朝陽なんだけど、これ、後ろの集団に抜かれそうだから」
「はい……」

心枝の声はかすかに震え、言葉を詰まらせていた。彼女の不安な表情が電話越しにも伝わってくる。しかし、実は立花は全7区間の中でも2区には自信を持っているほうだった。

夏合宿を通じて、心枝の可能性と成長ぶりを目の当たりにしてきた。今の力なら、2区のスピードランナーの中に混じっても渡り合えると信じている。この自信を少しでも本人に分け与えられるよう、立花は慎重に言葉を選んで続けた。

「うん、でも大丈夫。心枝にとってはかえって走りやすい位置になりそうなんだ。スタートしたらなるべく早く集団に追いついて、周りをペースメーカーに利用して、ラストまで力を温存しよう」
「わかりました」
「あとはコースの下見の時に話した作戦通りだ。覚えているね?」
「はい」
「よし、オッケー。今年は夏合宿、ちゃんと継続して練習積めたんだから、自信持って行こうよ」
「はいっ」

心枝の最後の返事には、静かながらも覚悟を感じた。先月の5000メートルの記録会で15分33秒を出せたことで、最近ようやく自信が芽生えつつあるようだ。本当はもっとポジティブになってくれていいくらいなのだが。

放送では、1区のランナーを待ち受ける本牧中継所の様子が伝えられている。1区もいよいよクライマックスというわけだ。嵐の前の静けさとはいうが、かなりシーンとしている様子だ。

「はい。こちら、本牧中継所です。2区のランナーたちが、刻々と迫るタスキリレーの瞬間を静かに待っています。現在トップを行きます、青色のユニフォーム、デルフィ大学の2区は1年生の西出にいで玲奈れいな

2区は西出さんか。夏合宿の練習試合でのあのスタートダッシュは見事だった。

「続いて2位を行きます、白地に藍色のユニフォーム、初出場のアイリス女学院大学。2区は2年生、二神心枝が走ります。このあとの5区には、姉の蓮李《れんり》さんもエントリーされています」

うん、良い顔している。さっき電話越しに想像していた通り、心枝はすっかり覚悟の決まった表情になっていた。

「みなと駅伝六連覇がかかるクリムゾンレッドのユニフォーム、ローズ大学。こちらは、いよいよ最終学年を迎えましたダブルエースの一人、姫路ひめじかおるが出番を待っています。さすが落ち着いた表情で、一番最後に中継所に姿を現しました。そしてその隣、緑のユニフォーム、ジャスミン大学は3年生藤井ふじい実咲みさきを配置しています。副将として、エース神宮寺とともにチームを牽引してきました。各校、実力のあるランナーが揃っています」

【さて、いったん画面は3号車です】

「はい。こちら3号車、バイクは3位集団の姿をとらえていますが、6キロの看板を通過してからこの数百メートルの間にペースが上がりました。前方に目を向けますと、2位を走るアイリスの池田の背中がどんどんと大きくなっています!」

序盤に二人が飛び出した時には反応してこなかった後ろの集団が、今度は思ったよりも早く追い上げてきた。後ろからすれば、落ちてきた朝陽がちょうどいい標的ターゲットとなっているのかもしれない。

「再び3号車です、3号車です。デイジーの中村、ジャスミンの月澤、ネモフィラの市川がスパートをかけ、集団を抜け出しました。3位から5位までが今後、2位のアイリスをとらえそうな勢いで上がっています。そしてなんと集団から遅れ始めたのは……」



(あぁ、もう、なんでこんな時に。この日の為に頑張ってきたのに……)

勢いよく先頭に出た黒田さんのペースに、最初は難なくついていけていた。しかし、6キロ手前で太ももの裏の筋肉がピキッと痙攣を起こし、脚に力が入らなくなった。序盤スローペースだった分、まだまだ余裕だと油断していたのが甘かった。急なペースアップは、想像以上に脚へダメージを与えていた。

黒田さんはやっぱり強かった。長い手足に物を言わせ、ストライド走法でぐいぐい進んでいく。こっちが利用していると思っていたけど、よく考えれば、この長身で風避けにされるのなんてきっと慣れているに違いない。

さっきまで後ろの集団にいたはずのデイジー大の選手に、センターライン寄りからあっという間に抜かれた。

(私は馬鹿だ……!)

思い上がって、黒田さんについて行った結果がこれだ。最後まで走りきれなかったらどうしよう。タスキ、渡せなかったら、大学に入ってここまで続けてきた意味がない……。

「おい、朝陽ー、監督車が後ろについたぞ。とりあえず落ち着きなさい。いつか、心理的安全性の話をしたのを覚えているか。一緒に頑張ってきたのを知っている仲間は、誰も責めないさ。ここまでよくやってる。だから絶対に、自分で自分を責めるな。まだ気持ち切らさない。止まったっていいくらいのゆとりを持って、力の入る部分を探しながら、なんとか中継所までタスキを持っていこう」

そうだよ。パニックになるぐらいなら、一度冷静になろう。止まっちゃいけないという焦りが、さらなるパニックを呼んでしまう。

追ってくる監督車を手で制して立ち止まり、その場で屈伸する。朝陽を先導していた白バイだけでなく、横につけていたバイクカメラも停止した。「アイリスの池田が止まりました!」という実況が聞こえる。テレビ的にオイシイ場面なのか、心なしか嬉しそうに言うのがムカついた。

また走り出してからは、一歩ずつ、歩幅を小さくしてもいいから、足が攣らない最低限の走りをなんとか続けた。しかし今度はジャスミン大とネモフィラ大に抜かれた。

(今、何位だ? あと何人に抜かれるんだろう? 中継所までは、あとどれくらいだ?)

いつの間にか、周りに観光地の光景はなく、倉庫が立ち並ぶエリアへやってきていた。街の中心部から外れ、近くに駅もないことから、沿道の観客が露骨に少なくなった。左頭上には高速道路が見え、コンテナを背負った大型のトラックが轟音を立てて通り過ぎていく。

そんな中、歩道に観客が一人、こちらに合わせて走っている人がいる。テレビで駅伝を観ているとたまに見るよな、こういう人。

「ハイ、選手と並走しないで。危ないですよ」

言わんこっちゃない。白バイに注意された。

それでも、目つきの悪い男は走るのをやめない。こっちを睨み、無造作ヘアーをブンブン振りながら、怒鳴るような口調で何か言ってくる。

「そんなもんか、お前の走りは!」

うるさいな。こっちだって精一杯なんだよ。そんなこと言うなら自分で走ってみろ。それに、私はお前じゃなくて池田朝陽だ。

「副キャプテンの意地見せろ、アサヒ!」

心の中を読まれたみたいに、名前を呼ばれた。どこまでついてくる気なんだろう。普通の人は、1キロ3分20秒なんかで走れない。自転車でやっと追いつけるくらいだろう。そんなことを思っていたら、ついてくるどころか、追い抜かれ、こちらを振り返ってきた。その顔に、やはり朝陽は見覚えがあった。

(なんでいんの!?)

立花監督の同級生であり、夏合宿で朝陽と大喧嘩したエアコン男、望月コーチであった。

かと思えば、今度は突然姿が見えなくなった。見れば、恰幅かっぷくのいい警備員さんに掴まれ、羽交はがめにされて止められている。こうなると、限界まで脂肪を削ぎ落とした痩躯そうくは完全に無力であった。

(まったく、何やってるんだか)

後方から叫び声が聞こえてきた。

「あと1キロだぞ、シャキッと走れぇ!」

(わかっとるわ、言われなくても!)

心枝に渡さなきゃ。私が駅伝でやりたかったこと、まだできてないじゃんか。繋ぐんだよ、このタスキを。これは私ひとりのレースじゃない。みんなで目指してきた、みんなの「みなと駅伝」なんだ。
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