シャハルとハルシヤ

テジリ

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最終章 ヘイサラバサラ

あの山越えて

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 海沿いの冬営地に向かう放牧家達と家畜の群れは、スミドの街中を通って行く。これはある種のお祭りで、街道沿いには有象無象の屋台も立ち並ぶ。

 その中には放牧家達の料理や民芸品を扱う屋台も少なからずあり、それらの屋台の中には、いくつか赤い布が掛かっている店があった。

 その屋台裏まで手を引かれて行く、貧しい家庭から口減らしされる幼妻ようさい候補の娘と、シャハルは昔、街中ですれ違ったことがあったらしく、その後もずっと憶えていたのだという。それが今回のドキュメンタリー、“ヘイサラバサラ”の制作に繋がったのだと、彼は私に話していた。

 今思えば、それはスミドの私達にとっては余りにも有り触れた社会のことわりであり、何ら疑問を挟む余地は存在しなかった。でもだからこそ、ああして彼を怒らせたのかも知れない。



 これは私ハルシヤが、後から聞いた話なのだが――
 木影で1人黙々と針仕事をしていたタンタルは、インタビューを承諾し、シャハルからカメラを向けられて話し出した。

「あの屋台裏で、私の人生の全てが終わった。将来の夢は可愛いお嫁さんなんて、言わなきゃ良かった。その後にはまだ続きがあったのに」

 タンタルは折角の男を産み損ない、しかも失禁症になったことで、夫とその家族から蛇蝎の如く嫌われ罵られた。だが彼女はそれと引き換えに、夜安心して眠る事が出来る。そこだけはほっとしているのだと、タンタルは微笑んだ。

「だからあれで良かったの。大嫌いな奴の赤ん坊なんて、わざわざ産まれて来る方が不幸でしょ」

 シャハルがタンタルに、インタビュー協力への感謝を伝えていると、遠くに集まるイレンカ達の方から悲鳴が上がった。チシャが流産したのだ。シャハルは人命救助の為に取材を中止し、イレンカも呼んで車に乗せると、驚いて放心状態のタンタルも連れて、私達の祖父で医者のエラヒム宅へ急行した。

 堕胎薬を投与され、チシャの身体は無事だった。祖父はタンタルも診察して言った。

「フィスチュラじゃないか、これは長くかかるぞ。お前の領収書の宛名は、シャハルだかサワだか訳分からんが、治療費はもちろん前払いして貰うからな」

「分かってるよ、僕が全部払うから。ちゃんと治してあげてよね、お祖父さん」

「嫌っ、治ったら私また……何で私まで連れて来たの、治さなくっていいから。このまま帰してよサワっ」

「帰る必要なんかどこにも無い。本当なら、タンタルもチシャも他の娘達も、まだ結婚させてはいけない年齢だ。おかしいのは君達の夫とその家族、そして君達をこんな手段で口減らしした、君らの家族だ。このイレンカの父親は、スミド太守の秘書をしているから、彼を通じて太守に頼もう。必ず君達2人を保護してくれる」

 これは私の事である。シャハルの発言を聞いたチシャに泣きながら抱き着かれ、イレンカはチシャの背中に手を回すと、優しくトントンと叩きながら、エラヒム、つまりは彼女にとっての曽祖父に言った。

「ひいお祖父ちゃん。私も将来お医者さんになりたい」

 我らが祖父殿は、後継者不在に悩んでいたこともあって、感激のあまり曾孫の発言で号泣した。ただし治療費はビタ一文負けてはくれなかった。

 こうしてスミド太守であるソピリヤ様の手配で、2人の身柄は、尼寺で無事保護されることになった。しかし2人の夫達は、無理矢理金で黙らせるしか無かった。



 取材が頓挫したシャハルは、それでも撮った限りの映像でドキュメンタリーを制作することを決め、スミドからの出立前夜、街をぶらぶらしていると恋人からの電話が鳴った。

 彼が通話を終えた瞬間、背後から引ったくりにあってしまったが、首紐で繋げていたために犯行は失敗した。

 それよりシャハルが気になったのは、引ったくり犯の顔にどこか見覚えがあったことだった。それで酒を奢りながら色々と訊ねてみると、何と引ったくり犯は、シャハルが一時期通っていたクルガノイの学校での同級生の1人だったというから驚きだ。

 聞くところによると、優等生だったというスラー以外のクルガノイ生達は、今や全員クルガノイの下っ端となっており、昔は彼等にあれこれと啖呵を切ったものの、厳密に言うと自身もイェノイェでは無かったことに罰が悪いなと感じたシャハルは、引ったくり犯を通じて下っ端となった同級生達を呼び出し、全員分奢ったのだという。

 あり得ないくらいの気前の良さだが、これは最近店を開いたという従弟のツリムの応援も兼ねていたらしい。

 元クルガノイ生で現在クルガノイの下っ端連中を引き連れ、シャハルが向かったのは、ツリムことツーラの店だった。

 彼というか彼女というか、実は元々女になりたかったらしいツリムは、成長すると彼の父や祖父と同じ医者になることを拒んで出奔し、各地の呑み屋で働きながら転々とした後、ようやくスミドへ帰って来た。

 かと思ったら、普段から女装を始めた。それではどこの店も雇入れてはくれなかった為、自分で店を開いたようだ。シャハルが店に入ると、先客でラフェンドゥ・タワ様が居た。彼は、ソピリヤ様の元ご学友方の1人だ。

「おおっ、いつの間に帰ってたんだシャハル。随分と懐かしいな」

「そうだね、ちょっと失礼。電話を掛けてくるよ」

 シャハルは長い事戻って来なかったので、その間に意外と気さくなラフェンドゥ様は、シャハルが引き連れて来た元クルガノイ生達と強かに酔っ払いながら意気投合した。ようやくシャハルが戻ったら、すぐラフェンドゥ様から次の店に誘われた。シャハルが元クルガノイ生達と付いて行った先は、廃びれたシャッター街だった。ラフェンドゥ様がその内一軒のシャッターを開くと、中には他の元ご学友方や客達が集まって、違法な賭け事に興じていた。


 もはや明け方近くなり、真夜中にそんな事が起きていたとは夢にも思わず、私とソピリヤ様は、前スミド太守の法事の為カルクール寺に向かう、ロミネ様とザビネ様母娘の見送りに出ていた。

「行ってらっしゃいませ。お義母様もザビネ姉様も、どうぞお気を付けて」

「いい加減意地をはらずに、一回ぐらい来たらどうなの」

 いかにロミネ様と言えども、聞き捨てならない台詞だった。大体私もソピリヤ様も、もし行ったところでハンムラビ・ヨウゼンの冥福など祈れるものか。とうとう直接手を下せなかった分、奴にはせめて地獄に落ちていて欲しかった。



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