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第二章 雪けぶる町
予期せぬ再会
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行方不明のシャハルを探し、使用人のアナンはその日、ポンチェト=プリューリ郊外の倡店街を彷徨い歩いていた。そこで目にしたのは、間違いなく、夢にまで見たその姿だった。
「待てっ、俺だ。シャハル…やっと見つけた」
「うわっ、何だお前は。先客はこっちだぞ」
「シャハルから離れろエフェボ野郎、この子は俺の身内だ。行方知れずで届けも出している。何なら一緒に来るか? 行き先は連れ込み宿じゃなく、警察署だがな」
客の男は手を振り払い、舌打ちして足早に去っていった。
「ああーっ、待ってよお客さんっ。もうっ、どうしてくれるのさ。全部アナンのせいだからねっ」
その不機嫌な表情は、亡きトビラスそっくりだった。シャハルとは年の頃も近く、そして何より、まだ名乗っていないのにアナンの名を知っている。やはりこの子がそうなのか。説得してスミドへ連れ戻さなくては。そう考えたアナンは、日がな一日中付き纏いを開始した。
「アナン邪魔。客引きにまで着いて来ないでよ 、ボクの商売上がったりになるじゃん」
「良いじゃないか、そのまま辞めちまえよ。今のお前の商売は、客の罪悪感から成り立っているだけだ」
「超ウケる。あんな奴らに罪悪感なんてあると思うの。大体昔と今でそんな変わらなくない、ただ自分でお金が取れるようになったってだけ」
「昼間働いて稼ごうって気は無いのか……考えてみろ、お前はいざって時に自分で身を守れんのか。金で揉めりゃあタダ働き、どんなヤバイ奴や病気に出くわすかも分かったもんじゃねえ。そんなの割に合わないと思うがな、俺は」
彼はアナンの話を聞いているのかいないのか、良く分からない表情で自身の髪をくるくると指で弄んだ。
「スミドに帰って、落ち着いたら勉強し直せば良い。知識は一生の財産だ。トビラスさんの遺産もあることだし、学費には困らない」
「アナンってさあ…マジメだよねー。ベンキョーなんかしたくないよ、つまんないし。遊ぶ金は欲しいけど、先の事なんかどうでもいい。ボク別に長生きなんて求めてないから。あちこち出稼ぎして食べ歩くのも楽しいよー、細かい事は気にせず遊んで暮らすのも。若いうちに肉体労働で稼いで、さっさと死んじゃえばいいじゃん。どうせ頑張ったって、皆いつかは死ぬんだから。オトーサンって可哀想。あれじゃ何のための人生だったんだか……」
✳
ソピリヤは、ある危機に直面していた。彼女は授業の合間時間を縫って、硬貨式のダイヤル電話の前に居たのだが、ここ首都教学院では、来客用の名目で置かれているこの電話が、忘れ物をした生徒達にとっては最後の頼みであり、大事な命綱となっていた。
「しかしこの電話、一体どうやって使うんだ」
その後、通り掛かった上級生による説明を受け、ソピリヤはまず電話に硬貨を投入すると、電話番号を入力するため、各数字が振られたダイヤルの穴に指を差し込み、引っ掛かりまで回す動作を繰り返した。
ロンシュク家の電話が鳴った。電話番の女中から取り次がれ、創立記念日を謳歌していたクサンナは受話器に耳を当てた。
「はい、クサンナです」
クサンナは、学校から電話を掛けてきたソピリヤとしばらく話した後、受話器を返しながら言った。
「ソピリヤ様、学内の水泳大会で使われる水着をお忘れになったそうです。大至急お届けに上がりませんと」
クサンナはソピリヤの部屋から水泳道具一式を見繕うと、ロンシュク家の車に飛び乗った。やがて車が学校前まで到着すると、運転手は守衛に事情を話した上でクサンナを降ろし、クサンナは守衛の指示に従って校内で来客手続きを済ませた後、意気揚々とソピリヤが待つ中等部の校舎まで歩いて行った――つもりが、高等部に入り込んでしまった。
「おかしいですね、ソピリヤ様のお姿が見当たらない。ハルシヤもアマンさんも居ないようだし…」
「やあ、君も見学かい」
声を掛けられ振り向くと、クサンナと同じ年頃の少年が立っていた。
「いえ。わたくしは忘れ物をお届けに…」
「片っ端から教室を覗いていた様だけど。ひょっとして君、ここは高等部の校舎だぞ」
お昼休憩に入り、駐車場にロンシュク家の車が停まっているのが見えたから、もうクサンナは来ているはずなのに教室へ現れない。迷うとしたら何処だろうか――私は彼女を探しに校舎を出た。
「ああ良かった、探しに来てくれたんですね」
程なくして、私は高等部の方から歩いて来たクサンナと合流し、無事ソピリヤ様の忘れ物を受け取った。
「まあそれとして。貴方いったいどちら様ですか、クサンナがお世話になったみたいですけど」
「へえ。君、クサンナっていうのか」
何だこいつ、私が聞いてるのに無視しやがって。しかも初対面だろうに、随分馴れ馴れしいな…クサンナに対して。
「はい、クサンナ・コシヌと申します。こちらはハルシヤ=イェノイェです。わたくし達二人共、スミドはヨウゼン家のソピリヤ様にお仕えしております」
「ハルシヤだと、まさかお前…いや、スミドのヨウゼンならもう確定か」
「だから何がですか。…あっ」
――おい貴様、ハルシヤとかいったな。まったく酷い目に遭った。もう二度とそなた等に会うのは御免だ。お前の主人にも然と伝えておけ
そうだ、私と彼は以前に一度だけ会った事がある。その後に色々とあり過ぎて、完全に記憶の彼方だったけど――彼はナルメの太守サペリ家の息子、ジズ・サペリだ。
「今の所、高等部からの編入学を予定しているが…最悪だ」
ジズ・サペリは今後の進路に頭を悩ませながら帰って行った。ざまあみろ。
なおソピリヤ様のお着替えは、無事学内水泳大会に間に合った。健康作りの一環として、地区の水泳倶楽部に所属されているソピリヤ様は、それに相応しい御活躍を披露した。
そしてちなみに本日は、私が楽しみにしている週一回の無料教室の日だ。私はここで外国人布教師のネイティブ会話に触れることで、辞書やテキスト偏重になりがちな、外国語表現を改善している。
一応そういうことになっている。
ボランティア講師を務める布教師の名前は、Ms. Marie=Luisa Birmingham.澄んだグレーの瞳が美しく、フォーマルドレスを身に纏い、いつも綺麗に結い上げられた彼女の髪は、まるで上質な絹糸の様だ。
「これ、染めてます。私の髪、元々ブルネットだから。でも、似合うでしょ?」
「Yeah, your hair is so cool.」
他にも社交倶楽部やら 写真愛好会、チェス愛好会や、各種競技の倶楽部などが、ポンチェト=プリューリの閑静な住宅地区ごとに点在しており、各学校の時間と金に余裕のある生徒達は、各々好き勝手所属していた。
「待てっ、俺だ。シャハル…やっと見つけた」
「うわっ、何だお前は。先客はこっちだぞ」
「シャハルから離れろエフェボ野郎、この子は俺の身内だ。行方知れずで届けも出している。何なら一緒に来るか? 行き先は連れ込み宿じゃなく、警察署だがな」
客の男は手を振り払い、舌打ちして足早に去っていった。
「ああーっ、待ってよお客さんっ。もうっ、どうしてくれるのさ。全部アナンのせいだからねっ」
その不機嫌な表情は、亡きトビラスそっくりだった。シャハルとは年の頃も近く、そして何より、まだ名乗っていないのにアナンの名を知っている。やはりこの子がそうなのか。説得してスミドへ連れ戻さなくては。そう考えたアナンは、日がな一日中付き纏いを開始した。
「アナン邪魔。客引きにまで着いて来ないでよ 、ボクの商売上がったりになるじゃん」
「良いじゃないか、そのまま辞めちまえよ。今のお前の商売は、客の罪悪感から成り立っているだけだ」
「超ウケる。あんな奴らに罪悪感なんてあると思うの。大体昔と今でそんな変わらなくない、ただ自分でお金が取れるようになったってだけ」
「昼間働いて稼ごうって気は無いのか……考えてみろ、お前はいざって時に自分で身を守れんのか。金で揉めりゃあタダ働き、どんなヤバイ奴や病気に出くわすかも分かったもんじゃねえ。そんなの割に合わないと思うがな、俺は」
彼はアナンの話を聞いているのかいないのか、良く分からない表情で自身の髪をくるくると指で弄んだ。
「スミドに帰って、落ち着いたら勉強し直せば良い。知識は一生の財産だ。トビラスさんの遺産もあることだし、学費には困らない」
「アナンってさあ…マジメだよねー。ベンキョーなんかしたくないよ、つまんないし。遊ぶ金は欲しいけど、先の事なんかどうでもいい。ボク別に長生きなんて求めてないから。あちこち出稼ぎして食べ歩くのも楽しいよー、細かい事は気にせず遊んで暮らすのも。若いうちに肉体労働で稼いで、さっさと死んじゃえばいいじゃん。どうせ頑張ったって、皆いつかは死ぬんだから。オトーサンって可哀想。あれじゃ何のための人生だったんだか……」
✳
ソピリヤは、ある危機に直面していた。彼女は授業の合間時間を縫って、硬貨式のダイヤル電話の前に居たのだが、ここ首都教学院では、来客用の名目で置かれているこの電話が、忘れ物をした生徒達にとっては最後の頼みであり、大事な命綱となっていた。
「しかしこの電話、一体どうやって使うんだ」
その後、通り掛かった上級生による説明を受け、ソピリヤはまず電話に硬貨を投入すると、電話番号を入力するため、各数字が振られたダイヤルの穴に指を差し込み、引っ掛かりまで回す動作を繰り返した。
ロンシュク家の電話が鳴った。電話番の女中から取り次がれ、創立記念日を謳歌していたクサンナは受話器に耳を当てた。
「はい、クサンナです」
クサンナは、学校から電話を掛けてきたソピリヤとしばらく話した後、受話器を返しながら言った。
「ソピリヤ様、学内の水泳大会で使われる水着をお忘れになったそうです。大至急お届けに上がりませんと」
クサンナはソピリヤの部屋から水泳道具一式を見繕うと、ロンシュク家の車に飛び乗った。やがて車が学校前まで到着すると、運転手は守衛に事情を話した上でクサンナを降ろし、クサンナは守衛の指示に従って校内で来客手続きを済ませた後、意気揚々とソピリヤが待つ中等部の校舎まで歩いて行った――つもりが、高等部に入り込んでしまった。
「おかしいですね、ソピリヤ様のお姿が見当たらない。ハルシヤもアマンさんも居ないようだし…」
「やあ、君も見学かい」
声を掛けられ振り向くと、クサンナと同じ年頃の少年が立っていた。
「いえ。わたくしは忘れ物をお届けに…」
「片っ端から教室を覗いていた様だけど。ひょっとして君、ここは高等部の校舎だぞ」
お昼休憩に入り、駐車場にロンシュク家の車が停まっているのが見えたから、もうクサンナは来ているはずなのに教室へ現れない。迷うとしたら何処だろうか――私は彼女を探しに校舎を出た。
「ああ良かった、探しに来てくれたんですね」
程なくして、私は高等部の方から歩いて来たクサンナと合流し、無事ソピリヤ様の忘れ物を受け取った。
「まあそれとして。貴方いったいどちら様ですか、クサンナがお世話になったみたいですけど」
「へえ。君、クサンナっていうのか」
何だこいつ、私が聞いてるのに無視しやがって。しかも初対面だろうに、随分馴れ馴れしいな…クサンナに対して。
「はい、クサンナ・コシヌと申します。こちらはハルシヤ=イェノイェです。わたくし達二人共、スミドはヨウゼン家のソピリヤ様にお仕えしております」
「ハルシヤだと、まさかお前…いや、スミドのヨウゼンならもう確定か」
「だから何がですか。…あっ」
――おい貴様、ハルシヤとかいったな。まったく酷い目に遭った。もう二度とそなた等に会うのは御免だ。お前の主人にも然と伝えておけ
そうだ、私と彼は以前に一度だけ会った事がある。その後に色々とあり過ぎて、完全に記憶の彼方だったけど――彼はナルメの太守サペリ家の息子、ジズ・サペリだ。
「今の所、高等部からの編入学を予定しているが…最悪だ」
ジズ・サペリは今後の進路に頭を悩ませながら帰って行った。ざまあみろ。
なおソピリヤ様のお着替えは、無事学内水泳大会に間に合った。健康作りの一環として、地区の水泳倶楽部に所属されているソピリヤ様は、それに相応しい御活躍を披露した。
そしてちなみに本日は、私が楽しみにしている週一回の無料教室の日だ。私はここで外国人布教師のネイティブ会話に触れることで、辞書やテキスト偏重になりがちな、外国語表現を改善している。
一応そういうことになっている。
ボランティア講師を務める布教師の名前は、Ms. Marie=Luisa Birmingham.澄んだグレーの瞳が美しく、フォーマルドレスを身に纏い、いつも綺麗に結い上げられた彼女の髪は、まるで上質な絹糸の様だ。
「これ、染めてます。私の髪、元々ブルネットだから。でも、似合うでしょ?」
「Yeah, your hair is so cool.」
他にも社交倶楽部やら 写真愛好会、チェス愛好会や、各種競技の倶楽部などが、ポンチェト=プリューリの閑静な住宅地区ごとに点在しており、各学校の時間と金に余裕のある生徒達は、各々好き勝手所属していた。
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