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【1】大魔術師
10.戦い
しおりを挟む ――……如何したものか……。
ゼーウェンは途方にくれていた。
頂にいた人物は、膝下まですっぽり覆うような簡素な白い衣を着ていた。
衣を風にはためかせながら立っているその姿を瞬間的に見た時、神の御使いかと思った。
その直後、その人物が頂から落ちるとは流石に予想がつかなかったのだが。
咄嗟に落下を食い止める呪文を唱えた。焦燥感でいっぱいだったあの時、自分でもよく出来たと思う。
落ちていくのが緩やかになったその人に追いつき、受け止める。それは小柄な少女だった。
気を失っている彼女は艶のある黒髪をしていた。少年のように短く肩の上の長さで切りそろえられている。
神の御使いではなく、かといって魔物でもなかった。生きている人間だと分かった――しかし同時に、彼女のその体内に膨大な力がうごめいている事も。
ゼーウェンの魔術師としての目には、その力があの頂に見た光と同質に映った。
『死の大地』の中心部に居たこの娘は、一体何者なのだろう、とゼーウェンは思った。
何処から来て、あのような所で何をしていたのか。
『花』が現れた正にその時、彼女は頂に立っていた。そして、『花』はもはや、そこには無い。
グルガンで頂の周りを回りながら何度頂を見ても、あれ程眩く感じた光の渦は、最初から無かったかのように雲散霧消していた。
試練は、失敗したのだ。
その事に落胆しつつも、ゼーウェンははとりあえずそこを離れ、少女が目を覚ますのを待つことにした。
前に野営した洞窟に戻り、とりあえず暖を取る事にした。特別に作られた石を円状に何層か並べる。点火すると小さな焚き火が出来上がった。
そして改めて少女を検分する。少女は普通に見えてこの世の者ではないような異常さがあった。
最初にゼーウェンが着目したのはその着ている服。
それは細か過ぎる織目に伸び縮みするもので、これまで見たことが無かった。
胸元に何かの文様、文字のようなものが描かれており、袖口の縫い目は恐ろしく整っている。
人ならざる者の手によって作られたもののようだとゼーウェンは感じた。
次に気になったのが手足だ。足の裏と手を見る。
足の裏は少し砂で汚れていたが、土の上を裸足で歩いてきたような皮膚ではなかった。
彼女の足の裏は柔らかく、何処にも胼胝が無かった。庶民は多かれ少なかれ足の裏が硬くなる。少なくとも庶民ではない印象を受け、また彼女は歩いてあの頂に辿りついた訳では無いだろうとゼーウェンは思った。寧ろ、突然『死の大地』に放り出されたような印象を受ける。
ならば転移魔法か、と思う。
しかし遠く離れた場所へは精神体を飛ばす事は可能だが、形ある物質としての存在を転移させるというのは、ゼーウェンの常識からすれば不可能である。
離れた場所を物質として移動するのは召喚魔法なら有り得るが、何の召喚陣も痕跡も無かった。第一、近い場所で召喚魔法が使われれば自分に知覚できる筈である。それに人間を召喚するなど聞いた事もない。
他の手段では飛竜か。
だが、少女の二の腕を見ても飛竜を御せる筋肉には思えなかった。
手を見ると、それはすべらかで、汚れ一つない。
爪も綺麗に整えられている。庶民の女では先ずありえない。しかし上流階級の出であると結論付けるとするならば、今度は少年のように髪を短く切りそろえているのに違和感を覚える。
長かった髪を無理やり切られた、とかではなく、きちんと揃えられている事ぐらいは分かる。
では、誰かが飛竜でここまで連れてきて放り出した? そして彼女が『死の大地の頂』まで登った?
もしそうなら手にその形跡がある筈である。
どう考えても、ゼーウェンには、彼女が忽然とそこに現れたとしか思えなかった。
――あの時見た、奇妙な靄。あれが何らかの関係があることは確かだろう。
あれこれ常識的な推測を考えても、ゼーウェンは結局は認めざるを得なかった。
人知を超えた現象が目の前で起きたのだと。そして、少女はその結果なのだと。
少女を見詰めると、彼女は少し震えた。寒いのだろう。
確かにこのような薄手半袖の少女の服は、寒い荒野の夜には甚だ心許ない。しかしそう思っても意識を失っている少女の服を着替えさせるのはゼーウェンには出来なかった。
そこで暫し考えて、少女を寝かせ、毛布を掛けてやる。念のため、体を保温する魔法も一緒に。
一旦飛竜の様子を見に外へ出、戻ってきた時彼女は目を覚ましていた。
黒い闇のような瞳でじっと見つめられ、一瞬声をかけることを忘れてしまう。
気を取り直し、ゼーウェンは話し掛けた。
「君、気分はどうだい? 怪我は?」
彼女は早口に何か異国の言葉を喋った。
「何だって……? あ……!」
その時初めて言葉が通じない事が分かって、今に至る。
言葉の通じない相手。
どうするべきか悩んだ末、ゼーウェンは一つの事を思いついた。
ややあって、少々不躾だとは思いながらも彼女の目の前に近づく。黒い瞳は怪訝そうな感情を浮かべていた。
ゼーウェンは、自分の胸に手を当て、それから自分の名前をゆっくり繰り返した。
「私はゼーウェン、ゼーウェンというんだ。ゼーウェン。分かるかい?」
穏やかに言いながら少女を見詰めるゼーウェン。自分が言わんとしている事が分かったのだろう、彼女も同じようにしてハッキリと言った。
「マナ!」
***
少女は名をマナといった。
本当は『花』のことや彼女自身の事をいろいろ聞き出そうと思ったのだが、言葉の壁にぶち当たってそれも侭ならない。
まして気になるのはその体に潜む力――かの花と同質の――もしマナが魔術師ならば、大変な事だと思う。
それはゼーウェンの今まで見てきたどんな魔術師達よりも遥かに凌駕していたからだ。
桁外れ、といっても過言ではないだろう。
どこから来たにせよ、何者であるかにせよ、彼女が何らかの形で花に関わりがあるということは否めない。
ゼーウェンは、残念ながら人の心術(心に関する術)は初歩しか教わっていない。
神官が学ぶ神聖術の内の一つが心術だが、簡単なもので心話など、少し難しくなると物質に込められた思念を読むことなどがあり、更に高度なものになると相手の心に入り込んでその者が経験してきた事柄を疑似体験出来るらしい。
ただ、高度になればなるほど術に伴う危険度も高くなるが。
例えば、他人の心に入り込み記憶を辿ることは相手に同調しなければならず、自己と他者の区別がつかなくなってしまう。
失敗すれば、自分も相手も精神に異常をきたし、そのあまり死に至る事もある。
――セルヴェイ師ならば。
心術もある程度通じておられた、とゼーウェンは考える。
――とりあえずマナを庵に連れて帰って師に見せてみよう。何か分かるかもしれない。
旅立つに当たってやはり彼女を飛竜グルガンに慣れさせる必要があった。
ひとまず着替えさせねばと自分の服を渡し、先に外へを出る。
飛竜は希少で乗った事が無い人間がほとんどである。ましてや女性なら、飛竜の姿に恐れもするだろう。
案の定、着替えて出てきたマナは飛竜を見るなり悲鳴を上げて怯えてしまった。
精神を安定させる術まで使って慣れさせる。試行錯誤の末、一時はどうなる事かと思ったが、何とか慣れてくれたようで本当に良かった。
ゼーウェンはマナの手を引くと指先に漂わせていた無数の光を集め、それを仕舞いこむと洞窟へと彼女を促した。
彼女はじっとこちらを見詰めていた。その瞳には驚愕の色が浮かんんでおり、呆然として何かを呟いている。
――まさか、魔法を知らないのか?
彼女は目を丸くしているだけで怯えもしない。
ウルグ教の影響で、普通の人間ならば魔術の行使は何であれ怯えたり嫌悪したりするものだ。恐らくは、マナは魔法という存在そのものを知らないのだろう。
そう思った時、猫が喉を鳴らした時のような音が何処からか聞こえてきた。
「……食事にしようか、マナ」
ゼーウェンがそう言った瞬間にはもう、マナは顔を真っ赤に染めて暗がりの中に駆け出して行っていた。
ゼーウェンは途方にくれていた。
頂にいた人物は、膝下まですっぽり覆うような簡素な白い衣を着ていた。
衣を風にはためかせながら立っているその姿を瞬間的に見た時、神の御使いかと思った。
その直後、その人物が頂から落ちるとは流石に予想がつかなかったのだが。
咄嗟に落下を食い止める呪文を唱えた。焦燥感でいっぱいだったあの時、自分でもよく出来たと思う。
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気を失っている彼女は艶のある黒髪をしていた。少年のように短く肩の上の長さで切りそろえられている。
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『死の大地』の中心部に居たこの娘は、一体何者なのだろう、とゼーウェンは思った。
何処から来て、あのような所で何をしていたのか。
『花』が現れた正にその時、彼女は頂に立っていた。そして、『花』はもはや、そこには無い。
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試練は、失敗したのだ。
その事に落胆しつつも、ゼーウェンははとりあえずそこを離れ、少女が目を覚ますのを待つことにした。
前に野営した洞窟に戻り、とりあえず暖を取る事にした。特別に作られた石を円状に何層か並べる。点火すると小さな焚き火が出来上がった。
そして改めて少女を検分する。少女は普通に見えてこの世の者ではないような異常さがあった。
最初にゼーウェンが着目したのはその着ている服。
それは細か過ぎる織目に伸び縮みするもので、これまで見たことが無かった。
胸元に何かの文様、文字のようなものが描かれており、袖口の縫い目は恐ろしく整っている。
人ならざる者の手によって作られたもののようだとゼーウェンは感じた。
次に気になったのが手足だ。足の裏と手を見る。
足の裏は少し砂で汚れていたが、土の上を裸足で歩いてきたような皮膚ではなかった。
彼女の足の裏は柔らかく、何処にも胼胝が無かった。庶民は多かれ少なかれ足の裏が硬くなる。少なくとも庶民ではない印象を受け、また彼女は歩いてあの頂に辿りついた訳では無いだろうとゼーウェンは思った。寧ろ、突然『死の大地』に放り出されたような印象を受ける。
ならば転移魔法か、と思う。
しかし遠く離れた場所へは精神体を飛ばす事は可能だが、形ある物質としての存在を転移させるというのは、ゼーウェンの常識からすれば不可能である。
離れた場所を物質として移動するのは召喚魔法なら有り得るが、何の召喚陣も痕跡も無かった。第一、近い場所で召喚魔法が使われれば自分に知覚できる筈である。それに人間を召喚するなど聞いた事もない。
他の手段では飛竜か。
だが、少女の二の腕を見ても飛竜を御せる筋肉には思えなかった。
手を見ると、それはすべらかで、汚れ一つない。
爪も綺麗に整えられている。庶民の女では先ずありえない。しかし上流階級の出であると結論付けるとするならば、今度は少年のように髪を短く切りそろえているのに違和感を覚える。
長かった髪を無理やり切られた、とかではなく、きちんと揃えられている事ぐらいは分かる。
では、誰かが飛竜でここまで連れてきて放り出した? そして彼女が『死の大地の頂』まで登った?
もしそうなら手にその形跡がある筈である。
どう考えても、ゼーウェンには、彼女が忽然とそこに現れたとしか思えなかった。
――あの時見た、奇妙な靄。あれが何らかの関係があることは確かだろう。
あれこれ常識的な推測を考えても、ゼーウェンは結局は認めざるを得なかった。
人知を超えた現象が目の前で起きたのだと。そして、少女はその結果なのだと。
少女を見詰めると、彼女は少し震えた。寒いのだろう。
確かにこのような薄手半袖の少女の服は、寒い荒野の夜には甚だ心許ない。しかしそう思っても意識を失っている少女の服を着替えさせるのはゼーウェンには出来なかった。
そこで暫し考えて、少女を寝かせ、毛布を掛けてやる。念のため、体を保温する魔法も一緒に。
一旦飛竜の様子を見に外へ出、戻ってきた時彼女は目を覚ましていた。
黒い闇のような瞳でじっと見つめられ、一瞬声をかけることを忘れてしまう。
気を取り直し、ゼーウェンは話し掛けた。
「君、気分はどうだい? 怪我は?」
彼女は早口に何か異国の言葉を喋った。
「何だって……? あ……!」
その時初めて言葉が通じない事が分かって、今に至る。
言葉の通じない相手。
どうするべきか悩んだ末、ゼーウェンは一つの事を思いついた。
ややあって、少々不躾だとは思いながらも彼女の目の前に近づく。黒い瞳は怪訝そうな感情を浮かべていた。
ゼーウェンは、自分の胸に手を当て、それから自分の名前をゆっくり繰り返した。
「私はゼーウェン、ゼーウェンというんだ。ゼーウェン。分かるかい?」
穏やかに言いながら少女を見詰めるゼーウェン。自分が言わんとしている事が分かったのだろう、彼女も同じようにしてハッキリと言った。
「マナ!」
***
少女は名をマナといった。
本当は『花』のことや彼女自身の事をいろいろ聞き出そうと思ったのだが、言葉の壁にぶち当たってそれも侭ならない。
まして気になるのはその体に潜む力――かの花と同質の――もしマナが魔術師ならば、大変な事だと思う。
それはゼーウェンの今まで見てきたどんな魔術師達よりも遥かに凌駕していたからだ。
桁外れ、といっても過言ではないだろう。
どこから来たにせよ、何者であるかにせよ、彼女が何らかの形で花に関わりがあるということは否めない。
ゼーウェンは、残念ながら人の心術(心に関する術)は初歩しか教わっていない。
神官が学ぶ神聖術の内の一つが心術だが、簡単なもので心話など、少し難しくなると物質に込められた思念を読むことなどがあり、更に高度なものになると相手の心に入り込んでその者が経験してきた事柄を疑似体験出来るらしい。
ただ、高度になればなるほど術に伴う危険度も高くなるが。
例えば、他人の心に入り込み記憶を辿ることは相手に同調しなければならず、自己と他者の区別がつかなくなってしまう。
失敗すれば、自分も相手も精神に異常をきたし、そのあまり死に至る事もある。
――セルヴェイ師ならば。
心術もある程度通じておられた、とゼーウェンは考える。
――とりあえずマナを庵に連れて帰って師に見せてみよう。何か分かるかもしれない。
旅立つに当たってやはり彼女を飛竜グルガンに慣れさせる必要があった。
ひとまず着替えさせねばと自分の服を渡し、先に外へを出る。
飛竜は希少で乗った事が無い人間がほとんどである。ましてや女性なら、飛竜の姿に恐れもするだろう。
案の定、着替えて出てきたマナは飛竜を見るなり悲鳴を上げて怯えてしまった。
精神を安定させる術まで使って慣れさせる。試行錯誤の末、一時はどうなる事かと思ったが、何とか慣れてくれたようで本当に良かった。
ゼーウェンはマナの手を引くと指先に漂わせていた無数の光を集め、それを仕舞いこむと洞窟へと彼女を促した。
彼女はじっとこちらを見詰めていた。その瞳には驚愕の色が浮かんんでおり、呆然として何かを呟いている。
――まさか、魔法を知らないのか?
彼女は目を丸くしているだけで怯えもしない。
ウルグ教の影響で、普通の人間ならば魔術の行使は何であれ怯えたり嫌悪したりするものだ。恐らくは、マナは魔法という存在そのものを知らないのだろう。
そう思った時、猫が喉を鳴らした時のような音が何処からか聞こえてきた。
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