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【1】大魔術師
7.亀裂
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謎の黒衣の魔術師の男が去った後、ゼーウェンは試しに指輪をマナに嵌めてみた。
すると、彼女の指に嵌められた指輪の石は血のように深い赤から真っ青へと色を変え――その体に眠る膨大な力を石が吸い込んでいっているのが分かった。それぞれの力が剣と鞘のように合わさって、平衡を生み出している。
確かに彼女の気配が普通の人間並になった。
男は嘘は吐かなかったようだ。
彼女といえば女性の典型にもれず、角度を変える毎に微妙に光を反射させる美しいその指輪を気に入ったようで、指輪の石を撫でると、何か一言言ってこちらをみてにっこりと笑った。
そういえば、初めて彼女の笑顔を見たように思う。
黒曜石のような煌く瞳と同じ色の短いが真っ直ぐな髪。
聖典に歌われている夜の女神のようだ――そう思った瞬間、ゼーウェンは何となく気恥ずかしくてそれ以上彼女を見ていることが出来なくなり、洞窟へとマナを促した。
――明日は朝一番に発とう。
こんなところにぐずぐずしていれば何時第二の黒衣の魔術師が現れるとも限らない。その晩、ゼーウェン達は色々な事があった所為ですぐ眠りについた。
***
マナがここの所機嫌が悪くなってきているのは解っていたつもりだった。
ゼーウェンに会う前まで、彼女が一体どんなふうに生きてきたのかは分からない。ただ、彼女の警戒心のなさ、一寸した仕草から察するに何不自由ない安穏とした生活をしていたのだろうと思う。
ゼーウェンは自分の食べる分を極力彼女に回して来たつもりだった。それでも彼女にとって足りうる量でななく、またその内容も満足のいく物でないだろうということも承知していた。
きっと、自分も精神的にも肉体的にも疲れていたのだ。
食料の問題に加え、彼女の精神・肉体的忍耐力がどれだけ環境についていけるかということ、今自分達が置かれている状況を総合判断した結果――ゼーウェンがしなければならなかったことは、旅を急ぐこと、彼女を狙って来るであろう存在への危機管理、彼女とグルガンの健康管理、だった。
グルガンも乗せる人間が一人増えた事で負担となっているのだろう。眠りが深くなり、飛行が緩やかになってきた。
一人の気ままな旅と違って、毎日気を張り続けることは至極大変なものだった。
そんな日々、今朝になってとうとうマナが肉を残した。膝を抱えて頭を下げている。
ゼーウェンは気が気ではなかった。気分が悪くなったのか、もしや病気にでもなったのだろうか。
とりあえず、いつもしているように彼女に水をコップに注ぐと彼女に差し出した。肩を叩いて注意を促す。
彼女は顔を上げてコップをしばし見つめると、何事かを言った。
相変わらず何を言っているのか理解できなかったが、水分は採らねば脱水症状になってしまう。
ゼーウェンは更に飲むようにと差し出した。
彼女は同じ音を今度は強く大きく発音した。眉間に皺を寄せ、そっぽを向く。表情が硬い。
そこに読み取れるのは、『拒否』。
ゼーウェンはそれでも彼女に少しでも水と栄養を取らせなければならなかった。皿の上にもまだ肉がだいぶ残っている。彼女にも判るように肉を指差した。
「まだ残っているじゃないか。食べなさい、マナ。この『死の大地』はそんな我侭を言っていられる所じゃないんだ!」
更にコップを押し付けるようにした。ところが。
彼女は一言鋭く叫んだかと思うとゼーウェンの手からコップを叩き落としたのだ。流石にこれにはゼーウェンも堪忍袋の緒が切れてしまった。
ゼーウェンは恐ろしい勢いで立ち上がった。自分でも驚くほど冷ややかな声が出た。
「そうか、君は私と違ってこんな状況下でもそんな贅沢を言っていられる程良い家に育ったんだろうね。分かったよ」
自分の燃え盛るような心のどこかで冷静になれ、と声がする。
魔術師としての自分が、感情の暴走を食い止めようと高速で理屈を組み立てているのを感じた。
しかしこの時のゼーウェンは見過ごしていた――いくら冷静になったとて、それは大抵感情に付随する行動への理屈付けに過ぎない、と。
「でもね、マナ」
ゼーウェンは彼女を見下ろす。
彼女は再び己の膝にある暗黒に逃避して、こちらを見ようともしなかったが、かまわず続けた。
「ここは一滴の水、一欠けらの肉でさえ手に入れるのに黄金を積むような所だ。私は君に、その大切さを分かって欲しい……それも、魔法のまやかし抜きでね」
深呼吸を一つ。
「今は私も君も、お互い一緒に居たくはないだろうと思うよ。少なくとも私はそうだ。私は君がその肉を残さず食べ終えるまで此処を離れていようと思う。そう……1、2クロー程もあれば十分だろう」
――少しだけ、なら。
マナも此処から遠く離れることは先ず無いだろう。
周りに怪しい気配もないことだし。
ゼーウェンはそこで踵を返すと、風穴から出てグルガンの背に飛び乗った。
何処までも続く青い空と風が、心の中に生まれた澱みを吹き飛ばしてくれるよう祈りながら。
すると、彼女の指に嵌められた指輪の石は血のように深い赤から真っ青へと色を変え――その体に眠る膨大な力を石が吸い込んでいっているのが分かった。それぞれの力が剣と鞘のように合わさって、平衡を生み出している。
確かに彼女の気配が普通の人間並になった。
男は嘘は吐かなかったようだ。
彼女といえば女性の典型にもれず、角度を変える毎に微妙に光を反射させる美しいその指輪を気に入ったようで、指輪の石を撫でると、何か一言言ってこちらをみてにっこりと笑った。
そういえば、初めて彼女の笑顔を見たように思う。
黒曜石のような煌く瞳と同じ色の短いが真っ直ぐな髪。
聖典に歌われている夜の女神のようだ――そう思った瞬間、ゼーウェンは何となく気恥ずかしくてそれ以上彼女を見ていることが出来なくなり、洞窟へとマナを促した。
――明日は朝一番に発とう。
こんなところにぐずぐずしていれば何時第二の黒衣の魔術師が現れるとも限らない。その晩、ゼーウェン達は色々な事があった所為ですぐ眠りについた。
***
マナがここの所機嫌が悪くなってきているのは解っていたつもりだった。
ゼーウェンに会う前まで、彼女が一体どんなふうに生きてきたのかは分からない。ただ、彼女の警戒心のなさ、一寸した仕草から察するに何不自由ない安穏とした生活をしていたのだろうと思う。
ゼーウェンは自分の食べる分を極力彼女に回して来たつもりだった。それでも彼女にとって足りうる量でななく、またその内容も満足のいく物でないだろうということも承知していた。
きっと、自分も精神的にも肉体的にも疲れていたのだ。
食料の問題に加え、彼女の精神・肉体的忍耐力がどれだけ環境についていけるかということ、今自分達が置かれている状況を総合判断した結果――ゼーウェンがしなければならなかったことは、旅を急ぐこと、彼女を狙って来るであろう存在への危機管理、彼女とグルガンの健康管理、だった。
グルガンも乗せる人間が一人増えた事で負担となっているのだろう。眠りが深くなり、飛行が緩やかになってきた。
一人の気ままな旅と違って、毎日気を張り続けることは至極大変なものだった。
そんな日々、今朝になってとうとうマナが肉を残した。膝を抱えて頭を下げている。
ゼーウェンは気が気ではなかった。気分が悪くなったのか、もしや病気にでもなったのだろうか。
とりあえず、いつもしているように彼女に水をコップに注ぐと彼女に差し出した。肩を叩いて注意を促す。
彼女は顔を上げてコップをしばし見つめると、何事かを言った。
相変わらず何を言っているのか理解できなかったが、水分は採らねば脱水症状になってしまう。
ゼーウェンは更に飲むようにと差し出した。
彼女は同じ音を今度は強く大きく発音した。眉間に皺を寄せ、そっぽを向く。表情が硬い。
そこに読み取れるのは、『拒否』。
ゼーウェンはそれでも彼女に少しでも水と栄養を取らせなければならなかった。皿の上にもまだ肉がだいぶ残っている。彼女にも判るように肉を指差した。
「まだ残っているじゃないか。食べなさい、マナ。この『死の大地』はそんな我侭を言っていられる所じゃないんだ!」
更にコップを押し付けるようにした。ところが。
彼女は一言鋭く叫んだかと思うとゼーウェンの手からコップを叩き落としたのだ。流石にこれにはゼーウェンも堪忍袋の緒が切れてしまった。
ゼーウェンは恐ろしい勢いで立ち上がった。自分でも驚くほど冷ややかな声が出た。
「そうか、君は私と違ってこんな状況下でもそんな贅沢を言っていられる程良い家に育ったんだろうね。分かったよ」
自分の燃え盛るような心のどこかで冷静になれ、と声がする。
魔術師としての自分が、感情の暴走を食い止めようと高速で理屈を組み立てているのを感じた。
しかしこの時のゼーウェンは見過ごしていた――いくら冷静になったとて、それは大抵感情に付随する行動への理屈付けに過ぎない、と。
「でもね、マナ」
ゼーウェンは彼女を見下ろす。
彼女は再び己の膝にある暗黒に逃避して、こちらを見ようともしなかったが、かまわず続けた。
「ここは一滴の水、一欠けらの肉でさえ手に入れるのに黄金を積むような所だ。私は君に、その大切さを分かって欲しい……それも、魔法のまやかし抜きでね」
深呼吸を一つ。
「今は私も君も、お互い一緒に居たくはないだろうと思うよ。少なくとも私はそうだ。私は君がその肉を残さず食べ終えるまで此処を離れていようと思う。そう……1、2クロー程もあれば十分だろう」
――少しだけ、なら。
マナも此処から遠く離れることは先ず無いだろう。
周りに怪しい気配もないことだし。
ゼーウェンはそこで踵を返すと、風穴から出てグルガンの背に飛び乗った。
何処までも続く青い空と風が、心の中に生まれた澱みを吹き飛ばしてくれるよう祈りながら。
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