竜が守護せし黄昏の園の木に咲く花は

譚音アルン

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【0】愚かなる旅人達

20.変容

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 それは一瞬の事だった。

 波動を近くで浴びた赤黒の獅子は、シュウシュウと音を立てながら溶け始めた。
 苦しみを感じているのか、暴れ、もがき苦しんでいる。
 化け物は、自分を傷つけた元凶があたしだと分かっているのだろう。
 苦しみながらも暴れるままの勢いで、ゼーウェン諸共あたしを爪で弾いた。

 「きゃあああああッ!!」

 あたしは激しい痛みで絶叫した。
 爪で抉るように掠った腕から血が大量に出る。
 こんな激しい痛みは今まで経験した事が無い。全身の神経で痛みを感じているようだった。
 腕を押さえてのた打ち回った。到底正気ではいられないほどの痛み。

 その時だった。

 誰かの声が降ってきて、不意に空中の空間が奇妙に歪んだ。
 目に見えない扉から出てくるように、一人の男が姿を現す。
 その男は全身白いローブのような服を着ていたが、更にその上からフードを目深に被っていた為、その顔は見えない。

 ――誰?

 痛みを堪えながら、あたしは意識を必死に保ってその男を見詰める。
 その男は化け物に警戒する事も無く、倒れているゼーウェンに近づいた。
 彼の体をつま先で少し蹴り、つまらなさそうに何かを言う。
 
 何の感情も篭らない言葉。
 只の無機物を見るような目、だった。

 ――何て、冷たい目……。

 あたしはフードの奥から冷たく光る目を垣間見てぞっとした。
 まるで、人間じゃ無いみたいだ、と思う。人としての、心が無い。
 男はそのまま傍らのあたしへと視線をずらして残念そうに言葉を吐いた。

 視線が交錯した。
 あたしは冷えた眼差しをまともに見てしまい、ぞくりとする。

 言葉の意味は分からないが、まるで機械のような声だと思う。
 そうしてその冷酷な男はあたし達の前に屈み込むと、傷口に手をかざして何やら唱え始めた。
 淡い光が零れ、傷の辺りに儚く夢のように纏わりつく。

 光が消えてゆくと同時に、傷口がビデオを巻き戻していくかのように見る見る塞がって行った。
 先程受けた痛みが溶けるように消えていくのを感じる。
 あたしは目を見張った。

 ――これ、もしかして治癒の魔法――!?

 表面に見える傷が全て塞がってから、男はフードを取った。
 栗色の髪がこぼれる。
 人形のような無表情の顔、ブラウンの氷のような印象の瞳。

 男は一度目を瞬かせる。
 そしてあたし達を見下ろすと、審判を下すように何事かを告げた。


***


 全身白い服を纏ったその死神の使いのような男はこちらに手を伸ばすと手首を掴んできた。

 「な、何!?」

 相手の意図が判らず、不安になる。

 何かを言いながら男は鼻を鳴らした。
 流石に馬鹿にされてる事はあたしにでも分かった。腹が立って反抗心が湧き上がってくる。

 ――この男が、化け物を使って皆を、ゼーウェンを襲わせたんだ。

 直感的にそう思う。
 でなければ、あれだけ獰猛だった化け物が大人しくしている訳が無い。
 この男は少なくとも、敵だ。

 「離して!!」

 あたしは自分に手首を掴んでいるその手を振り払おうとした――が、それは失敗に終わる。
 男は反動を上手く利用してあたしの腕を瞬きの間に後に回してキリキリと締め上げた。

 「あああああ――ッ!!」

 余りの痛みにあたしは悲鳴を上げた。
 獅子に受けた場所が筆舌に尽くしがたい程痛む。
 恐らく男が癒したのは表面だけで、内部までは治っていなかったのだ。



***



 ふと、あたしの腕を締め上げる力が緩んだ。
 男は何かを見ているようだった。
 痛みを堪えながらそちらを振り向くと、ゼーウェンが立っていてこちらを見ていた。

 苦しみのたうっていた赤黒の獅子が、牙を剥き出しにしてゼーウェンを食らおうと飛び掛った。
 あっ、と思った瞬間、視界が眩く染まりあがり、あたしは思わず目を閉じる。
 凄まじい熱気が、風となって吹き付けた。それが通り過ぎると、あたしの全身から汗が噴出し始める。

 男が、戸惑ったような声を発した。
 ゼーウェンがそれに答えた、しかし、それはまるで別人の声のように聞こえた。

 あたしがそっと目を開けると、ゼーウェンが掲げた右手をゆっくりと下げるところだった。
 ゼーウェンの体全体から、湯気が出ているように見えた。

 それは蜃気楼のように空気を滲ませて立ち上っていた。
 あの化け物は居なくなっている。ゼーウェンが倒したのだとあたしは思うも、何か様子が変だと感じていた。

 ゼーウェンの怪我は大丈夫だろうか。そう思ってあたしは我に返る。
 あたしの腕を捉まえていた男の手は、緩んでいた。逃げるなら、今だ。

 「ッ――離して!!」

 出来た僅かな隙を突いて、あたしは痛みを堪えながら手を振り解き、そのままゼーウェンの許へと駆け寄った。

 「ゼーウェン! ――大丈夫、怪我は、」

 ゼーウェンが怪訝そうにこちらを見る、あたしを見つめる眼差し。
 まるで、見ず知らずの人間を見るかのような。

 「ゼー……ウェン?」

 ゼーウェンが、おかしい。

 あたしはこの時異常をハッキリと確信した。
 彼の顔に浮かぶ表情は、これまであたしが知っていたそれではなかったからだ。

 その瞳の奥に潜む狂気に本能的に粟立って、あたしは数歩後ろに下がった。
 その『ゼーウェン』は、あたしから興味を無くしたかのように呟いて、白服の男に向き直る。

 白服の男はゼーウェンを警戒した様だった。
 あたしは白服が人を見下した態度を取っていると感じていたが、今のゼーウェンもまた、白服と同じような言い方をしている。
 
 ゼーウェンが、両手を不思議な形で組んでいるのが見えた。

 白服がナイフを投げる。
 しかしそれはゼーウェンの体に届くか届かないかというところでピタリと止まり、銃声のような音を立てて砕けてしまった。

 忌々しそうに白服が何かを言うと、ゼーウェンが暗く陰気な笑みを浮かべた。
 白服が驚愕の表情を浮かべる。ゼーウェンが何事かを叫んだ瞬間、白服はまるで見えない縄に縛られている様にその動きを止めた。



***



 ――誰? これは、誰!?

 白服の男の悲鳴が耳を刺す。
 先程からゼーウェンが呪文らしきものを唱える度、白服に光のナイフが突き刺さったり紫電が走ったりして苦痛を与えている為だった。
 ゼーウェンの顔に浮かぶ表情は、嬉々とした狂気を伴ったもの。

 あたしは『ゼーウェン』から目を逸らす事が出来なかった。
 そうこうしている内に、男の体表の彼方此方あちらこちらから、内出血でもしたように紅い痣のような斑点が浮かび上がってくる。

 これは、ゼーウェンじゃ、無い。
 少なくともその表情は、彼が浮かべるに相応しくないものだったのだ。
 でも、その姿は間違いなく彼のもので。

 もしゼーウェンが正気を失っている、としたら。
 あたしは自分の恐怖を無理やり押さえ込んで彼に歩み寄る。
 何とか彼に元に戻って欲しかった。

 「ねえ、ゼーウェン、もういいよ」

 おそるおそる、勇気を振り絞って怪我をしていない方の手で、その服の端を握る。

 「止めて――お願いだから!」

 その時、振り返った『ゼーウェン』の目とあたしの目が合わさった。
 ゼーウェンは鬱陶しそうな表情を浮かべ、あたしを突き飛ばす。
 あたしは悲鳴を上げ、体が激しく地面に叩きつけられた。

 「う……」

 怪我をした方から背中を酷く打ちつけられた衝撃で、内部の傷が更に広がったらしい。
 あたしは呼吸が一瞬止まった。体中が痛くて動けない。
 涙が流れる。痛みに耐えながら仰向けの状態になり空を振り仰ぐ。

 傷があった場所の皮膚が青じんで、内出血でもしたようにそれがゆっくりと広がって行っているのが目に入った。
 思ったより大量に失血していたのか、あたしの視界は霞んで来ていた。

 体に――痛みと痺れを覚える。
 もう一度起き上がって彼を止めることは出来そうにも無かった。

 ぼんやりと目に映る世界。
 心なしか空が明るくなってきたような気がする。

 確かにゼーウェンのものではあるが、別人の声のようにも聞こえる声が耳から入っては木霊する。
 その声はまるでトンネルの中にいる時みたいに響いていた。

 暁の時を過ぎたのか、空には朝焼けのグラデーション。
 やがて日の出を迎えたのだろう、横から差し込んできた鋭い光が辺りを照らし出す。

 あたしは意識を保ち続ける事すら億劫になってきて、静かに目を閉じた。
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