竜が守護せし黄昏の園の木に咲く花は

譚音アルン

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【0】愚かなる旅人達

15.処刑

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 名残惜しくウズナを出て五日。

 あたし達は特に問題も無く旅を続けていた。
 周りの景色は緑一面で吹く風も穏やかになっている。あたしは新鮮な空気を肺いっぱい吸い込んで、日本がいかに空気が汚れているかを実感した。
 もともと少し喘息気味だったのが今ではすっかり鳴りを潜めている。この世界に来てから凄く健康になったと思う。

 ゼーウェンは旅の途中よった町や村で病気の人を診たり薬を売ったりしていた。
 きっと彼はお医者さんか薬屋さんあたりなんだろうと思う。
 旅の途中休むときとか時折本を片手に熱心に読んでいる。何を読んでいるんだろうと思ってあたしが横から覗いてみると、様々な植物の挿絵が描かれてあった。

 この世界において、本を――文字を読んだり書いたりすることは凄い事らしいとあたしが気付いたのは、ゼーウェンが時たま人に頼まれて手紙を読んであげたり書いてあげたりしていた時だった。

 識字率は限りなく低いらしく、それが出来るのは限られた階級の人間なのだと思う。ペンや紙(羊皮紙)をゼーウェンが買っているのを見たけど値段が相対的に言えば高い。

 店の看板も主にイラストが使われている。
 文字が読めなかったり書けなかったりする不便さとかそういうことは想像するしかないけど、あちらの世界で、自分は本当に恵まれていたんだとあたしは思った。

 色々観察した結果、更にカルチャーショックを受けたことは身分の差というものが歴然としている事だった。

 金持ちは金持ち、貴族は貴族、平民は平民で、奴隷は奴隷。区別がはっきりしている。
 世界史の授業とかで習った通り、それらは大抵世襲制だから生まれつきの身分というのが殆どなんだろうと思う。
 あたしはそういう知識は習ったことはあっても実際にはどんなものか分からなかった。この世界で目の当たりにして相当ショックだった。

 町を歩いていていきなり服を掴まれた。
 ゼーウェンが引き剥がしてくれたけれど、身なりがぼろぼろの物乞いをしてくる小さな子どもや老人。
 障害者を平気ではやし立てる人々。

 ある時なんか大きな町で鞭を打たれている人を見た。主人がその奴隷に罰を与えているんだろうけど、もちろん誰も何も言わない。
 当たり前のことのように行われている。

 ――一歩間違っていたら、自分もああなっていたんだ。

 あたしはゼーウェンに拾われた幸運を心から感謝した。

 着るものでもその身分によって区別が歴然となされていた。
 日本でも貧富の差はあるけれども、ここまでの格差はなかったと思う。少なくとも、あたしの生活圏内では。
 この世界で目にしたのは、今までの価値観が崩れて行くような光景だった。

 どこの町も雑然としていて、更にどこからか肥溜めや家畜の糞等の臭いが漂ってくる。
 宿屋のトイレとか入ったときはもう、汚すぎて気が遠くなりそうだった。
 これではいつペストとかの伝染病が出てきてもおかしくないとさえ感じる。臭いが無い分、自然の中でやる方がまだマシだった。
 穴が掘ってあるだけでそこにするぼっとん形式なのだけれども、溜めるばかりの構造は汚れていくばかりで蝿が多く飛び交う。
 あたしが大嫌いな蛾や足の多い気持ち悪い虫が、壁にへばり付いていることもあった。

 宿屋のトイレは男女こそは別れているものの扉さえ無い。トイレ待ちをするとしている人と顔を合わせた状態で甚だ気まずい。
 しかしそのお陰で判明したのは、小をした時はそのままで、大をした場合は木で出来た使い捨ての平たい棒でこそぎ落とすように使うという事。
 清潔なトイレとトイレットペーパーが激しく恋しくて、あたしは内心涙を流した。

 唯一の救いだったのは、ゼーウェンがお風呂に連れて行ってくれている事だ。
 髪に使う、良い香りのする油と櫛ももらった。
 あたしは癖毛である。髪を触りながら寝癖と乾燥とぱさつきを気にしていたら、ゼーウェンがお店に入って買ってくれたのだ。
 宿屋で彼はあたしを座らせ背後に回って、油の使い方を実演で教えながら髪を梳かしてくれた。
 髪がしっとりとして良い匂いがすると、それだけでいい気持ちになった。

 自分の事を良く見てくれていて、こうして気を使ってくれている。ゼーウェンはやっぱり優しくて良い人だったんだ。
 荒野の一件で持ってしまったわだかまりはほぼ消え、あたしはゼーウェンに全面的な信頼を寄せ始めていた。


***


 ある日、とても大きな町に着いた。
 町の広場の小さな泉の傍を通りかかったとき、人だかりが見える。その中央で誰かが叫んでいるようだった。時折歓声が上がる。

 「ゼーウェン、Yaff?」

 お祭りがあってるのだろうか。大道芸人か何かだったら見たい、とあたしは思った。見に行こう、とゼーウェンの手を引く。
 彼は暫く目を閉じると首を振ってあたしの手を強引に引っ張リ返した。
 あたしは少しむっとする。

 ――ちょっと位、いいじゃないの。

 ゼーウェンの手が緩んだ一瞬。あたしはするりと抜けるやいなや、その人だかりに向かって駆け出した。
 人だかりの隙間を掻き分けて進み、覗いたそこ。

 ――嫌……何、これ……。

 あたしは恐怖に青ざめ、その光景に思わず口に手を当てた。
 今正に処刑が行われようとしていたのだ。

 白い服を着た、でっぷり太った男が何かを読み上げている。
 時折、群集から合いの手のような歓声が入っていた。
 殺せ、殺せ、とでも言っているのだろうか。

 一人の男が十字架に磔にされていた。その下には薪が積んであって、これからその人が火刑に処せられるのが分かった。
 壷を持った男が薪に何か液体をかけている。油だ、とあたしは思った。
 磔にされている男は、殴り続けられていたのか原型を留めていないほど顔が腫れ上がっていた。体も痛々しい傷や痣が襤褸服の隙間から見えている。

 「……酷い」

 あたしが呟いたとき、ゼーウェンが追いついてきた。
 彼は群集とは違い、この光景を見て唇を噛み締めて何かを耐えているようだった。

 とうとう、哀れな男の肉体が槍で貫かれ、同時に足元に火がつけられた。血を流しながら男がもがいている。
 苦しめるためにわざと致命傷にしなかったんだ、とあたしは感じた。
 でっぷり太った男が何かを叫ぶと、群集は一斉に石を十字架へ投げ始める。
 あたしは処刑される男を憐れむ余り、涙を流した。
 男が何の罪を犯したのかは知らないが、ここまでする必要があったのだろうか。

 ゼーウェンがあたしの手を強く引いた。
 我に返ると、でっぷり太ったあの男がこちらを指差してヒステリックに騒いでいる。
 もしかして処刑された男の仲間かと思われたのだろうか。
 身の危険を感じたあたしはゼーウェンに引かれるまま走り出した。

 群集の内、数人があたし達を捕まえようと手を伸ばしてきた。
 ゼーウェンが掌をばっと向けると、彼らが怯んだので無事に人だかりを抜ける。
 しかしあの白い服の男が命じたのか、後ろから何人かの足音がバタバタと追ってきていた。


***


 町の小さな路地をすり抜けるようにあたし達は逃げた。何とか撒いたと思った時はもう、二人とも息が上がっていた。
 しかし、どこからか鐘を鳴らすような音が響いてくる。あたしはそれが自分達に対する警鐘だと直感した。
 残酷な方法で処刑された男の姿が脳裏に去来する。恐怖に怯えながらあたしはゼーウェンと共に街の外へと向かった。
 あたしは街から出るまで生きた心地がしなかった。
 ゼーウェンは街から出るなり笛を吹いた。ドラゴンを呼ぶ笛だ。
 グルガンさえくればこんな怖い所から逃げられる――あたしが少しだけほっとしかけた時。
 突然背後から声がした。


 振り向くと、そこには山のように大きな、筋骨隆々とした男が立っていた。
 服を着ていても分かる、まるでプロレスラーのような筋肉。
 大きな剣を持ち、顔を布で覆っていて目だけを出している。辛うじてその髪と目が青い事が分かった。

 追いつかれてしまった――あたしは恐怖にゼーウェンに寄り添った。
ゼーウェンは無言で大きな光の玉を生み出すと青髪の男にぶつけた。しかし男がその大きな剣でなぎ払うと吸い込まれたように消えてしまう。
 ゼーウェンが舌打ちをすると、青髪はニヤリと笑って何かを言っている。恐らく「お前の攻撃は俺には効かない」というような内容なのだろう。
 
 ゼーウェンはグルガンが来るまでの時間稼ぎをするつもりなのか、男と言葉を交わしだした。
 ふと翳った視界。あたしは視界の端にグルガンを捉える。
 ゼーウェンは言葉を切るやいなや、あたしを抱え上げて何かをブツブツと唱えながら駆け出した。
 ふわり、と浮き上がる感触がしたかと思った、その時。

 青髪の男の声が追いかけてくると、矢がグルガンに向かって放たれた。グルガンは抗議の鳴き声を上げ、空高く舞い上がって行ってしまう。
 ゼーウェンがグルガンの名を叫ぶのも空しく、あたし達は気がつくと周囲を武器を持った男達に囲まれてしまっていた。
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