竜が守護せし黄昏の園の木に咲く花は

譚音アルン

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【0】愚かなる旅人達

8.フォー

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 目を開けると、あの悪夢でみた最初の洞窟の壁だった。

 ――此処は――また、あの夢の世界? いや、今はこっちが現実なんだっけ……。

 暫く放心状態で横たわっていると、意識がハッキリしてきた。同時に頭痛も。
 起き上がると同時に激しい眩暈がしてまた倒れこもうとする。
 その時、誰かがあたしの腕を掴んで支えてくれた。

 ――ゼーウェン?

 助けに来てくれたのだろうか、と振り向く。
 しかしそこに居たのは彼ではなかった。

 「あ、あ、あの変態殺人鬼! ――あたしに近寄らないで!!」

 突き飛ばそうとするが、いかんせん思うように体が動いてくれない。
 再び倒れそうになったあたしをまたそいつ――先日襲ってきた黒装束の男が支えてくれた。

 「うぅ……」

 一気に興奮して頭が……。

 眩暈を覚えて再び倒れそうになるあたしに、黒装束は穏やかに何かを問いかけて来た。
 口調は気遣うようなものの何か疑問調もはいってたような感じだろうか。
 心配してくれている心だけは分かって、あたしは警戒を、ほんの少しだけ緩めた。

 ――もしかするとそんなに悪い奴ではないかもしれない。

 自分に対してはとりあえず殺そうとはしてこないみたいだった。そうするなら意識がない時にしてる筈だし。

 完全に、信用できるわけではないけど。
 ゼーウェンに置いていかれ、死にかけた事で前より用心深く、そして疑り深くなった、と思う。

 「すいません、分かりません」

 なげやりに言うと、相手が苦笑して何かを呟いた。やっぱり分からないか、という感じである。
 それに構わずあたしは自己紹介から始める事にした。助けてもらった事だし、相手の名前ぐらいは知っておかなければ。
 あの簡単な情報の遣り取り。全てはここから始まる。
 あたしは自分の胸に手を当てた。今度は自分が先にコンタクトを取るんだ。

 「マナ。あたしはマナっていうの。マナ、マナ」

 かつてゼーウェンがやって見せたのを思い出しながらやってみた。危うく涙が出そうになったけれど。
 そして相手の胸にそっと手を当てた。

 「あなたは?」

 分かりやすく語尾を上げて。

 男は身じろぎをした。一瞬、驚きに戸惑ったようだった――ややあって、あたしから見えていたその唇が弧を描く。

 「フォー」

 男は名乗り、顔を覆う黒いベールをばさりと落とした。
 刹那――あたしは心臓が跳ね上がる。

 煌く金色の髪。翡翠の眼差し。
 怪しげな黒装束の男は、あたしが今まで見た事がないほどの、綺麗な男の人――つまりは美男子、だったのである。


***


 あたしは凄く居たたまれなかった。

 考えても見て欲しい。人生の中で一番汚くて惨めな状態なのに、人生で出会うだろう一番格好いい人と一緒にいるという最悪なこの状況。

 ――かのシンデレラだってここまで惨めじゃ無かったよ!

 唯一の救いはこの人が殺人鬼だったってことか。でもあまりフォローになっていないような気がする。
 ゼーウェンといる時はまだあたしの状況が彼も責任の一環をになっているということもあって開き直っていたけれど、今回は違う。
 恥ずかしいやら惨めやら、半分泣きそうなあたしの気持ちを知ってか知らずか、黒装束の男、フォーは優しく微笑んでこちらを見ていた。
 それがあたしにとって更なる追い討ちをかけている事をきっと彼は知らないだろう。

 そして、駄目押しの音が鳴った。
 グウゥ、とお腹から響いてくる。それはフォーにもばっちり聞こえたらしく、彼はプッと噴出した。
 何やら可笑しげに言いながら声を押し殺して笑っている。

 ――ゼーウェンは笑わなかったのに。失礼な奴!!

 あたしは恥ずかしさのあまり、奴を睨み付けた。ゼーウェンの時といい、なんで自分はこんなのばっかりなんだろうか。顔から火が出そうである。

 ――……いっそこのまま死んでしまいたい。

 フォーはひとしきり笑ったあと、まだくすくすしながらカバンから何か取り出すとあたしに渡してきた。
 取り合えず御礼を言って受け取る。それは薄っぺらいクラッカーのようなものと陶器のビンだった。

 クラッカーは塩味すら付いていなくてすこし齧ってみるともさもさした。味が無い。ビンには何か梅干に似たものが入っていた。ビンを逆さにして一つ取り出す。つん、と酸味を帯びた果物のような、独特の匂いがした。舐めてみると甘かった。砂糖漬けなのだろう。

 砂糖漬けをジャムに見立ててクラッカーを齧った。以外に2,3枚で足りた。お腹で膨らむのだろうか。フォーはと言うと、小型のヤカンみたいなのでお湯を沸かしていた。
 お湯が沸くと、金属の筒状のものを取り出す。それには蓋がついていて、それを開けて中のザリザリいう何かを摘んで入れている。お茶――やがて、馥郁としたハーブティーみたいな匂いがあたりに漂ってきた。

 フォーはコップを取り出してお茶を注ぐとあたしに渡した。
 熱いよ、とでも言うように取っ手を掴ませてくれる。
 あたしがコップのぬくもりを包み込むようにして冷めるのを待っていると、奴はまた何かあたしに差し出した。ジェスチャーで、飲む仕草。
 黒い粘土のような親指ぐらいの塊。変な臭いがする。
 しかも強烈な。薬のようだ。
 
 ――あっ、『このお茶で薬を飲め』なんだ。でも――毒なんて入っていないでしょうね?

 ええい、ままよ。お茶が丁度いいぐらいに冷めたので、あたしは意を決して飲んだ。

 「――ッ!?」

 あたしは言葉にならない悲鳴を上げた。無理やり一気に飲み下す。
 毒は……無かった。ただ、もんの凄く苦くて不味かったのだ。鼻をつまんでも効果は無いほど。
 味覚がおかしくなりそうだった。毒より性質が悪かったかもしれない。

 唐突に上がる笑い声。あたしはたまらず速攻でビンから砂糖漬けを取り出して口に放り込む。フォーはそれを大笑いしながら見ていた。
 あんたがこんな目にあわしたんでしょう! と涙目で睨みつけた瞬間、フォーは見計らったかのように又お茶をついで渡してきた。毒気を一瞬で抜かれる。絶妙のタイミングだ。
 それから残ったお茶を二人で飲んだ。飲みながら、フォーは考えているようだったけど、突然何か思いついたように棒を取り出した。
 あたしの傍まで移動してくると何かグルグルと地面に書き出す。こちらをちらりと見やるとその渦巻きを指さした。

 「何?」

 「ナニ?」

 ――えっ?

 驚いた事にフォーはそれをリピートした。その目が悪戯するときに似たような光をたたえている。
 今度は自分を指差して「ナニ」と言う。あたしは「フォー」と彼の名前を答えた。それで「ナニ」が意味するところを知ったらしく、次々に「ナニ」で会話が進んだ。

 そうしてあたしもこの世界の色々な物の名前を――限られたものだけど――学んだ。
 新たな言葉遊びゲームが出来たようで、それはあたしにとって楽しい作業だった。

 そんなこんなで暫く経つと嘘のように気分が良くなってくる。あの強烈な薬は効果も強烈だったのだ。良薬口に苦し。

 指差しゲームの中で、あたしは自分の指に指輪が二つ嵌められているのに気付いた。一つは左の薬指、ゼーウェンがくれたものだから、分かる。
 もう一つは右手の薬指に嵌められていた。ゼーウェンのくれた指輪とデザインも石も凄くよく似ている。

 ――右手の、これはフォーのものだよね。返した方が。

 あたしは左手で右手の指輪を指差すと、フォーに問いかけた。

 「フォー、Runje指輪?」

 フォーはどう解釈したのか、そうだよというように頷いた。しかしあたしが右手の指輪を抜こうとすると、さっと慌てたように押しとどめてくる。

 「フォー、Runje指輪。マナ」

 フォーは、「フォー、Runje指輪」のところで自分の胸に手を当て、指輪を抜き取る仕草をする。そして、その抜き取ったと仮定した見えない指輪を両手で包み込むようにすると、はいどうぞと言う様に「マナ」のところであたしに差し出す真似をした。
 どうやら、フォーは、この指輪をあたしにくれるらしい。ゼーウェンも指輪をくれたことだし、この世界では指輪を贈るのが流行っているのだろうか。
 ジェスチャーでの押し問答の末、あたしはしぶしぶ指輪を受け取ることにした。

 それからフォーは着物を何枚か取り出すと、あたしに渡してくれた。ゼーウェンのとはまた違った匂いがする。ムスクのそれに似ていた。

 着替えを受け取ったあたしは喜び勇んで影を探すと着替えた。今度は下着らしいものまであった。男物の下着に近く、ショートパンツで紐で縛るタイプだった。ないよりまし。
 それからパジャマを脱いで直接服を着る。襟なしの、白っぽい服だった。布地も前と比べて柔らかくてきめ細かい。和服っぽくボタンはなく前でクロスさせて紐で括る。後はもと来ていたのと同じだった。
 やっと衛生的な生活に一歩近づいたような気がする。

 脱いだ服を抱えてあたしが戻るとフォーも着替えていたらしく、服装が変わっていた。ゼーウェンが着ていたのとあんまり大差ない格好になっている。
 「前の黒尽くめよりその方がいいよ、怪しさも無いしね」と言う意味をこめて精一杯嫌味っぽくフン、としてやる。
 彼はどう解釈したのか、優雅に笑い返してきた。負けたような気がするのは何故だろう。

 一段落経つと、フォーは荷物をまとめ始めた。
 あたしも自分の服を横からねじ込んでやる。
 それが終わるとフォーは荷物を片手にあたしの手を引いて外へ出た。

 ドラゴンがいた。出発するようだ。
 荷物を括りつけ、鞍に上がったフォーは手を差し伸べてくる。その手を取ると一瞬の間で自分も鞍の上の人になっていた。
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