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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】

希望と策謀。

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 「『我が女王モ・バウンリ!』」

 ふらつきかけたリュサイの腕を騎士ドナルドが咄嗟に支える。一瞬遅れた後にタイグもそれに加わった。大事無いかと身を案じる臣下達の言葉を聞きながら、リュサイは何とか精神を立て直す。

 ――私、カレル様に謝らなければ。

 今更謝って済む事ではないかも知れない。たとえカレルが許さなくとも、それでもリュサイは誠意を見せなければと思う。

 震える足を叱咤してカレルを探すと、彼は話しかけてくる周囲の貴族達をあしらいながら、視線だけは油断なく大広間の扉をじっと見つめていた。
 一歩一歩そちらへ近付くリュサイの様子にただならぬ何かを感じ取ったのか、人々は道を開けていく。カレルがふとリュサイ達に顔を向けた。彼は少し驚いたように目を見開いた後、大広間の扉の方を気にしながらもこちらへと足早に歩いて来る。

 「これはリュサイ様。どうかなさいましたか、顔色が優れないご様子ですが」

 「いえ、あの……私、カレル様にお話ししたいことが……」

 紳士の礼を取るカレルにリュサイは床に視線を落とした。歯切れ悪くもごもごと言葉を紡ぐ。自分自身への怒りとカレルへの申し訳なさに、顔をまともに見れない。

 「……場所を移しましょうか」

 落とした視線の前に、カレルの手が差し出された。


***



 沈鬱な沈黙のまま廊下を進む。
 何時の間にか、侍女ララが合流して背後を歩いていた。カレルに案内エスコートされた先は宮殿の庭園の一角。
 外へ出ると同時にドレスと揃いの格子模様ブレアカンのマントを身に纏ってはいるが、冬の寒さは呼吸を通じてリュサイの心臓にまで染み込んで来るようだった。

 「あの場は熱気が籠っておりましたし、恐らく人に酔われたのでしょう。夏に盛りを迎えるこの庭園なら、あまり人は来ないかと。時折外へ出て、冷たい外気に触れると幾分かすっきり致しますよ――それで、お話とは?」

 「あ、あの……先程は、助けて頂きありがとうございました」

 一旦口籠った後、リュサイは一先ず感謝の言葉を絞り出した。カレルは熱の無い瞳で微笑むと、紳士の礼を取る。

 「いえ、お気になさらず。お役に立てたのならば光栄です」

 「そ、それで……」

 「……」

 「その……」

 沈黙。

 謝罪をしなければいけないのに、嫌われる事が怖くて言葉が出て来ない。
 自己嫌悪に吐き気を覚え、泣きそうになったリュサイ。カレルは困ったように首を傾げた。

 「リュサイ様、あまりご無理をなさらないで大丈夫です。お話は、また改めてでも。ご気分も優れないご様子ですし、今日は先に戻って休まれた方が宜しいかと」

 カレルの言葉を受け、騎士ドナルドが馬車の手配を申し出る。しかしカレルは首を横に振った。

 「リュサイ様には気心の知れた卿らがついていて差し上げて下さい。準備が出来次第我が家の御者に呼びに来させます。リュサイ様、くれぐれもご無理なさいませんよう」

 「あっ……」

 去るカレルに切なく手を伸ばすリュサイ。遠ざかって行くその背中に届かない手を力無く降ろしたところで、誰かの足音が近付いて来る。
 リュサイが振り向くと、男が二人こちらへ向かってくるところだった。
 一人は若く、もう一人は年老いている。身に纏う雰囲気や佇まいから、リュサイには彼らが只者ではないように思えた。
 騎士ドナルドが「何者か、名を名乗られよ」と鋭く誰何する。数メートル離れたところで立ち止まった彼らは、紳士の礼を取った。

 「失礼を致しました。カレドニアの女王、リュサイ陛下とお見受け致しますが……」

 「貴方がたは……」

 「ルーシ帝国より参りました。私はイワン・セメノビッチ・ティンコフ、そしてこちらはステパン・ティーノビッチ・シコルスキーと申します」

 様々な国と友誼を結び、交易の繋がりを求めている、とイワンは語った。大広間でリュサイへの求婚が殺到した話を耳に挟んだが、自分達に他意はない、警戒させてしまい申し訳ないと謝罪する。

 「我が国は、この機会に出来るだけ多くの国と交流を持ちたいと考えているのです。カレドニア王国の方々とはお話ししそびれたものですから」

 トラス王国は文化の中心地。格子模様ブレアカンの毛織物が流行しているのならば、いずれ他国でも持て囃される事になるだろうという。

 「我が国の厳しい冬にも耐えうる貴国の美しい毛織物は魅力的なのです。是非とも我が国にも」

 そこへタイグが如才なく名乗り、交易の話し合いの約束が交わされた。
 リュサイが聖女の屋敷に滞在しているのであれば、どの道聖女を訪ねる予定であるとイワンは話し、その時に交渉をと提案する。リュサイとタイグがそれに同意すると、イワン達はリュサイが何か困った事があればルーシ帝国がお力になりますと笑顔で礼を述べた。

 「ところで、実は先程陛下をエスコートする黒髪の紳士をお見掛け致していたのですが……あの方はもしや王配でいらっしゃるのでしょうか?」

 「いえ……そうであれば良かったのですが、残念ながらあの方は聖女様の兄君カレル卿でいらっしゃいますの」

 内心ドキリとしながらリュサイは答える。タイグが「陛下の王配選定は協議中でして」と牽制すると、イワンは慌てたように首を横に振った。

 「ああ、早とちりして申し訳ございません。あまりにお似合いでしたので、てっきり」

 「……あの方には私などより、もっと似合いの方がいらっしゃることでしょう」

 自嘲するリュサイの脳裏に浮かぶのは、麗しきアレマニア皇女エリーザベトの姿。

 「それにしても、あの方がカレル卿だったのですね。カレル卿と神聖アレマニア帝国のエリーザベト皇女殿下との婚約があちこちで噂されていましたが……私共は、神聖アレマニア皇帝陛下のご意向により、エリーザベト皇女殿下と我が国の皇太子殿下との縁談が進んでいると聞き及んでおります……」

 困惑の表情でイワンが言った言葉に、リュサイは目を見開いた。

 驚愕を覚えながらも、リュサイの冷え切った心にじわり希望と喜びの温もりが生まれて広がり始める。

 ――では、私は。カレル様を諦めずとも、良いのかしら?

 「まあ、それは……本当、ですか?」

 震える唇で訊ねたリュサイに、イワンは眉を顰めて頷く。

 「はい。それなのに何故、皇女殿下とカレル卿との婚約の噂が……これは私共としては真偽を確かめねばならなくなりました。
 本日はリュサイ陛下とお話出来、大変光栄であり喜ばしき事にございました。タイグ殿、また後日に改めて。
 それではリュサイ陛下、皆様方――御前、失礼致します」

 厳しい表情でそう言って、ルーシ帝国の男達は足早に去っていった。
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