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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】

グレイ・ダージリン(174)

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 コロンボ子爵の声色に混じる、少し相手を小馬鹿にするかのような感情。
 そういえばこの男は教会の説くところの奇跡や伝説・迷信めいたことには懐疑的な奴だったな、とルイージは思う。
 しかしエリザベルは気を悪くした様子もなく、淡々としていた。

 「普通はそう思われますわよね。勿論、我が国の貴族達でそう考える者も少なからずおりましたわ。
 けれど、違ったのです。最近ではラブリアン辺境伯領で野生のカラスまでも意のままに操った、と。私の父が裏を取りましたが、誇張でも何でもなかったそうですわ」

 「ふむ……『マンデーズ教会の神託』にも、確かにそのように書かれておりましたなぁ。あれは真実であった、と?」

 コロンボ子爵の言葉にエリザベルは頷いた。

 「ええ、聖女の力は本物ですわ。実は……元々私は、ジェレミー様の妃になる筈でしたの」

 「彼女のムーランス伯爵家は、元々聖女のキャンディ伯爵家と敵対しておりました」

 ネマランシが続けて説明する。エリザベルは目を閉じた。

 「あの女――マリアージュ・キャンディが聖女となって王宮にやってきたあの日を忘れもしませんわ。
 あの女はジェレミー様に色目を使ったばかりか、オディロン陛下に取り入って、中立派以外の貴族達が陛下の死を願っていると言いがかりをつけたんですのよ!」

 話している内に気が昂ったのか、目を見開きわなわなと震え息を喘がせるエリザベス。その肩を抱くように「落ち着いて、」とラヴィンヌが宥めにかかった。

 「私もエリザベルも親戚同士、同じくジェレミー殿下を支持しておりました。
 あの日、聖女に無礼を働いたという罪が私達のお父様に被せられ……心優しいエリザベルは父親を庇ったばかりに共に連行されてしまいましたわ」

 それでネマランシ家が存続を危ぶまれるのは勿論、エリザベルもまたジェレミー第二王子の妃になる道が閉ざされてしまったという。ネマランシ伯爵家も領地替えとなり、元の領地は今やダージリン伯爵領となったのだ、とラヴィンヌは苦々し気に語った。

 「ジェレミー様と王妃様のお慈悲がなければ、我が家は今頃……」

 よよ、と泣き崩れるエリザベル。それに寄り添い、背を撫でるラヴィンヌ。話を聞けば聖女は随分酷い人間のようだ。
 「よもやそのような事が……」と眉を顰めるルイージに、「それだけではありませんわ」とラヴィンヌが柳眉を逆立てた。

 「ムーランス伯爵やエリザベル達が王命によって連行された後……開かれた祝宴の場で、聖女はアルバート殿下に毒が盛られたと騒ぎ立て、王妃様が真犯人だと示唆するような真似をしましたの。
 その時も、あの女の傍にはカラスが居て――あれで王妃様は蟄居を命じられ、ジェレミー殿下のお立場も悪くなってしまいましたわ!」

 その時の感情が蘇って来たのか、「私は認めませんわ!」とエリザベルが激昂し叫び出す。

 「あんな女が聖女だなんて! やっている事を見れば、魔女ではありませんの!」

 「僭越ながら私ネマランシ伯爵家ラヴィンヌがご忠告を……ガリア王国ルイージ王太子殿下、どうかゆめゆめあの魔女にはお近づきになりませんよう。本当に危険なのです」

 「しかし」

 ルイージは逡巡する。そうは言っても金鉱山の事を放置する訳にはいかないのだ。
 何としてでも聖女に近付き、兄シルヴィオから勝ち取らねばならないのに。
 そんなルイージの迷いを感じ取ったのか、ラヴィンヌは大きく溜息を吐いて続ける。

 「既に前例がございますの。エスパーニャのレアンドロ・フェリペ第一王子殿下に対しても、聖アレマニア皇女殿下という婚約者がいらっしゃるにも関わらず、あの女は恥知らずな約束をしておりましたわ」

 「……確か、条件付きでダージリン伯爵と離縁して結婚する、ということでしたな」

 「な、何だと!?」

 コロンボ子爵の言葉にルイージは仰天した。
 それが本当なら、ルイージとて聖女の夫になり代わる可能性が――。
 しかしそんなルイージに、コロンボ子爵は冷や水を浴びせる。

 「落ち着いて下さい。条件付き、でございますよ殿下。
 ダージリン伯爵以上の功績を立て、神の難問を解くことで晴れて聖女様との婚姻が太陽神に認められるとか……その内の一つが、大陸銀と砂糖の取引だそうで、しかも、相場より二割も安いと」

 「……どういうことだ? それでは功績とは言えぬ。レアンドロ・フェリペの方に利がある」

 それが条件ならガリアが取引しても良い位だ。首を傾げるルイージに、ラヴィンヌが口を開いた。

 「効率の良い常識外れな砂糖の製法、もしくは秘密の輸入経路――相場より二割安く売っても利が出る何らかのカラクリがある、と私達は見ておりますの」

 その時にはもう、落ち着きを取り戻したエリザベルが「そうですわ」と相槌を打つ。

 「その砂糖の出所が一体どこなのか。私の父も密かに探っておりますが、少なくともダージリン伯爵擁するキーマン商会の商船ではなさそうでした。
 後は、ヘルヴェティアの傭兵――彼らがキャンディ伯爵家に頻繁に出入りし始めている事に関係があるのでは、と」

 コロンボ子爵の目が鋭くなった。

 「ヘルヴェティアか。もしかして砂糖の製法は彼らからもたらされた? いや、ならば彼ら自身で作る筈ですなぁ」

 「待て、何らかの理由があれば――例えば、原材料が雪山では得られない、とか」

 そして、砂糖の秘密の製法を土産に雪山の傭兵達はキャンディ伯爵の――聖女を選び、その懐へ潜り込んだ。
 狙いは――聖女を担ぎ出しての山岳国家ヘルヴェティアの主権強化あたりか。あの国は昔から貧しく、傭兵業で成り立っている以上は周辺国家の綱引きで揺れ動く。

 ――もし、その元首が王よりも権威を持ち、また国としても傭兵以外で金を稼ぐ手段があれば?

 そう考えれば辻褄は合う。ルイージの考察を聞いたコロンボ子爵は、大きく溜息を吐いた。

 「いずれにせよ、キャンディ伯爵家や聖女様が雪山の民を傭兵として雇うではなく配下として取り込んだとなれば厄介な事です。
 今後傭兵をを使う者達の情報は、当然そちらに漏れる可能性を考えねばなりますまい」
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