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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】

弟王子。

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 「はぁ……」

 その夜――ガリア王太子ルイージはベッドサイドに座り、ワインの入ったグラスを揺らしながらそっと溜息を吐いていた。
 自分を追いかけて来た人物、同腹の弟王子が何か仕出かさないかと気が気ではなかったからだ。

 ルイージから見た弟王子は少々足りない人間だった。
 これまでもルイージを幾度となく苛つかせてきた生来の愚鈍さと吃音どもり癖。丸々と肥えた見るに堪えないあの姿。

 「全く、不出来な子供程憐れに思うのだろうが。母上が甘やかして育てるから、こうして俺が迷惑を被るのだ」

 立場上口にこそは出さないが、弟王子はガリア王家の恥とさえ思っている。

 それでもルイージは表面上は弟王子を可愛がっていた。弟王子が我儘を言って問題を起こせば、窘めて尻拭いに動きさえした。
 そうする事で「何とお優しく出来た王太子殿下だ」とルイージの株が上がったからだ。
 しかしそれが良くなかったのだろう。馬鹿な弟王子はルイージの後をついて回りたがるようになった。
 せめて人目のない所で懐かれないように躾けることぐらいはしておくべきだったとルイージは思う――こんな事になる前に。

 兄上ルイージばかり狡い、自分も聖女様を見たい――それだけの理由で考え無し且つ衝動的に追いかけて来た問題児。

 ――これでは聖女様に近付く所ではなくなるかも知れない。

 ルイージはワインを一気に呷る。
 ここはトラス王国外国だ。
 あれが何か問題を起こせば身内の自分が責任を問われる。更に弟だと知られたら自分も同列に見られて笑い者になってしまうかも知れない。
 ガリアとは違うのだ。

 さりとて、ルイージが「帰れ」と言ったところで素直に聞く相手でもなかった。
 「ひ、ひ、酷いんだな!」とべそをかき駄々を捏ねた挙句、本国に帰って母である王妃に泣きつき騒ぎ、後々面倒くさい事になるに決まっている。

 変な真似はするな、問題を起こすな、聖女様を一目見たらさっさと宿へ戻れ、何より俺の邪魔をするな。

 ルイージはそう口を酸っぱくして言い聞かせ、トゥラントゥール宮殿への同行を許すほか無かった。


***


 ルイージ達一行がガリア大使に先導される形でトゥラントゥール宮殿で到着すると、第一王子の側近だという男に迎え入れられた。
 メテオーラは迎えに出てさえ来ぬのか、と内心不快を覚えるも努めて顔に出さぬようにするルイージ。
 お互い名乗り合った後、ルイージ達は宮殿内の豪奢な一室に通された。
 そこにはトラス王国風の豪奢なドレスで着飾ったメテオーラの姿。
 彼女はルイージ達の姿を認めると、ソファーから立ち上がって淑女の礼を取った。

 「マリー……聖女様が中央大聖堂から宮殿にいらした後、アルバート殿下と私との婚約を祝福して下さる事になっておりますの。お迎えに出られなかった非礼をお許しくださいまし」

 「構わぬ。大事な晴れ舞台を前にしてドレスを汚してはいけないだろう?」

 ――ふん、そう言う事ならば仕方ない。

 嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたが、聖女の愛称を口にしたメテオーラをわざわざ敵に回す事も無いだろうと考え直すルイージ。

 「メ、メ、メテオーラ! とととっても綺麗なんだな!」

 「えっ、何故ここに……」

 招かれざる弟王子を見て目を丸くするメテオーラに、ピロス公爵が事情を説明する。

 「大人しくするようによく言い聞かせはしたが……」

 ルイージも懸念を表明する。メテオーラは暫し考えた後、「ウエッジウッド子爵、どうしましょう?」と第一王子の側近の男を見た。

 「突拍子もない事をなさる時もありますが、子供の様に純粋で裏表の無いお方なんですの。
 貴族的な駆け引きをしたり、言葉の裏の意味を読んだり、流暢に言葉のやりとりをするのはあまりお得意ではないのですわ」

 「成程、社交が苦手でいらっしゃると」

 「せせせ聖女様にお会い出来たら大人しくしてるんだな!」

 「これまで大人しくしていると言ってどれだけ守られた事があったのか。それだけで済む筈がないだろう?
 ウエッジウッド卿、大変ご迷惑をお掛けする。ピロス公爵はメテオーラの父として、私はガリア王国の代表として社交をせねばならない。申し訳ないが、弟王子の面倒を見る余裕は無いのだ」

 連れて来た者達も社交で情報収集という任務があり、弟王子に人員を割ける余裕は無い。
 ビアッジョでは御しきれないのは分かっている。何なら宮殿の一室に閉じ込めておいて欲しい位だ。
 出来た兄王子の仮面を被り、申し訳なさそうに頭を下げるルイージ。
 ルイージが他者に頭を下げる所など初めて見たのだろうメテオーラが、目を丸くして口に手を当てている。他の者も同様だ。

 ――第一王子の側近とはいえ、子爵如きに。だが、金鉱山の為だ。

 『何でも、聖女様の夫であるダージリン伯爵は穏やかな人物とか。聖女様がそのような男性を好まれるのであれば、殿下は少々矜持が高く威圧感がございますな。
 ご自分を抑え、多少の屈辱は敢えて甘んじるお覚悟をなさいませ。穏やかな人物を演じるのでございます』

 宰相ファブリスの言葉を思い出しながら、ルイージは奥歯を噛み締める。
 弟王子を大人しくさせられるかどうかが計画の要となってしまった以上、ルイージはトラス王国側の協力者を喉から手が出る程必要としていた。

 「そうですね……ジェレミー殿下に事情をお話してみましょう」

 「まあ、それは良い考えですわ!」

 それでは御前失礼致します、とウエッジウッド子爵は出て行った。
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