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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】
グレイ・ダージリン(156)
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自己紹介したばかりだし、先ずは世間話から始めてみるのが妥当だろう。
ルハウゼン子爵領からここへ来るまでの道筋を頭の中に思い描きながら僕は口を開いた。
「長旅を遥々してこられた上、昨日の今日で大変お疲れでしょう。食事はお口に合いましたか? また、昨晩はよくお休みになれたのでしょうか?」
そう訊ねると、先代ルハウゼン子爵は少し恥ずかしそうに俯いた。
「正直に申せば眠れておりませぬ。孫と積もる話がありまして。しかしこれは嬉しい寝不足でございます」
じっと彼を観察する。
実直で、曲がった事が嫌いな頑固で情の熱い老人。となると、こちらも信用を得る為に誠実さを心がけるべきだろう。
そう判断した僕は、先代ルハウゼン子爵に頭を下げた。自分が彼だとして、気持ち的に引っかかるとしたら――
「……ヴェスカル殿下の事は、教皇猊下の許可があったとはいえ、私達が聖地から勝手に連れて来たようになってしまっていました。
アレマニア帝国の皇族である事を知った後も、権力争いに巻き込ませない為とは言えご家族に連絡もせずに……さぞや気を揉まれた事でしょう」
「あっ……私も、気が回らなくてごめんなさい」
僕に続いてマリーも頭を下げる。
先ずはそこのところの謝罪をしておかないと。ここに連れ帰って来た当初、僕達もヴェスカルの事を知らなかったとは言え、多少わだかまりが残るだろう。
「猊下、聖女様、どうか頭をお上げ下さい……! 心配ではありましたが、サングマ教皇猊下直々に事情を知らせる手紙を頂いておりましたし、アルトガルにも聞いておりましたので。
昨日今日、あの子と話をして……アレマニアの皇族ではなく、ただのヴェスカルとして助けて頂いた事、今ではそのご采配に感謝致しております」
しかし、先代ルハウゼン子爵は慌てたようにそう言って頭を下げ返して来た。
顔を上げた僕は許して貰えた事に内心ホッとする。
「そう言って頂けて良かった。殿下がかのアブラーモの下で望ましくない状況にあったという事は妻に聞いておりましたので。
そんな辛い状況の中でも心を歪ませず強く保ち、優しい人間であり続ける事は殿下のお強さに他なりません。きっと、殿下の御母君やその周囲の方々が良き方ばかりだったのでしょう。
今では僭越ながら……妻共々、殿下の事は弟の様に大切に思っております」
だからこそ、偽教皇の居る神聖アレマニア帝国に帰したくない。
ヴェスカルは本当に強い子供だ。年の割に大人びているが、そうならざるを得なかった背景を思わせるからこそ、僕は出来る限り彼の力になれればと思う。もっと甘えて良いんだよ、と。
嘘偽りのない気持ちを伝えると、先代ルハウゼン子爵ルードヴィッヒ卿の目が潤むのが見えた。
「……あの子もそう申しておりました。聖女様に姉と呼ぶことを許され、猊下にも大変よくして頂いている。温かい寝床に美味しい食事、不思議な物や珍しい動物が居て、キャンディ伯爵家の方々も優しくて、許されるならずっと聖女様のお傍に侍りたいのだ、と」
「……アレマニアでアブラーモ兄弟が共謀し、教皇を僭称しておりますが――それでも殿下を、連れ戻されますか?」
静かに問いかけると、先代ルハウゼン子爵は被りを振った。
「いいえ、今連れ戻したところで政治利用されるだけでしょう。ここがヴェスカルにとって一番安全な場所です」
「私もそう思います。少なくとも偽教皇に見つかれば、前よりももっと酷い目に遭わされるのは必定でしょう。殿下も自分を苦しめた相手には会いたくない筈です」
「……ありがとうございます。せめて、あの子の滞在に掛かる費用等、こちらで出させて頂きたいと考えているのですが」
その申し出に、僕は考えた。
孫が世話になってばかりいるのも心苦しい。さりとて国の事情が連れ帰る事を許さない。せめてお金を出す、といったところか。
「……ヴェスカル殿下は侍童として、聖女の身の回りの世話という仕事を立派になさっておられます。それに、殿下一人位養うだけの甲斐性は僕にもマリーにもあるつもりですよ」
しかし先代ルハウゼン子爵は「そう言うつもりで言ったのではないのです」と首を横に振った。
「これは、あの子の苦境に何も出来なかった――私の罪滅ぼしのようなもの。出させて頂けませんか?」
僕はちらりとマリーを見た。
ルハウゼン子爵領からここへ来るまでの道筋を頭の中に思い描きながら僕は口を開いた。
「長旅を遥々してこられた上、昨日の今日で大変お疲れでしょう。食事はお口に合いましたか? また、昨晩はよくお休みになれたのでしょうか?」
そう訊ねると、先代ルハウゼン子爵は少し恥ずかしそうに俯いた。
「正直に申せば眠れておりませぬ。孫と積もる話がありまして。しかしこれは嬉しい寝不足でございます」
じっと彼を観察する。
実直で、曲がった事が嫌いな頑固で情の熱い老人。となると、こちらも信用を得る為に誠実さを心がけるべきだろう。
そう判断した僕は、先代ルハウゼン子爵に頭を下げた。自分が彼だとして、気持ち的に引っかかるとしたら――
「……ヴェスカル殿下の事は、教皇猊下の許可があったとはいえ、私達が聖地から勝手に連れて来たようになってしまっていました。
アレマニア帝国の皇族である事を知った後も、権力争いに巻き込ませない為とは言えご家族に連絡もせずに……さぞや気を揉まれた事でしょう」
「あっ……私も、気が回らなくてごめんなさい」
僕に続いてマリーも頭を下げる。
先ずはそこのところの謝罪をしておかないと。ここに連れ帰って来た当初、僕達もヴェスカルの事を知らなかったとは言え、多少わだかまりが残るだろう。
「猊下、聖女様、どうか頭をお上げ下さい……! 心配ではありましたが、サングマ教皇猊下直々に事情を知らせる手紙を頂いておりましたし、アルトガルにも聞いておりましたので。
昨日今日、あの子と話をして……アレマニアの皇族ではなく、ただのヴェスカルとして助けて頂いた事、今ではそのご采配に感謝致しております」
しかし、先代ルハウゼン子爵は慌てたようにそう言って頭を下げ返して来た。
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「そう言って頂けて良かった。殿下がかのアブラーモの下で望ましくない状況にあったという事は妻に聞いておりましたので。
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今では僭越ながら……妻共々、殿下の事は弟の様に大切に思っております」
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「……あの子もそう申しておりました。聖女様に姉と呼ぶことを許され、猊下にも大変よくして頂いている。温かい寝床に美味しい食事、不思議な物や珍しい動物が居て、キャンディ伯爵家の方々も優しくて、許されるならずっと聖女様のお傍に侍りたいのだ、と」
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しかし先代ルハウゼン子爵は「そう言うつもりで言ったのではないのです」と首を横に振った。
「これは、あの子の苦境に何も出来なかった――私の罪滅ぼしのようなもの。出させて頂けませんか?」
僕はちらりとマリーを見た。
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