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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】

グレイ・ダージリン(149)

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 朝食が終わった後。

 ジャルダン様、サイモン様、トーマス様、アールと僕、イドゥリースとスレイマン、そして特使一行が一室に集まっていた。アヤスラニ帝国との取決めに関する草案の最終確認をする為だ。
 小さな変更点や妥協点はあったものの、概ね滞りなく終わって休憩となった。

 「では、この内容が最終案ということで」

 「『うむ。宜しく頼む。それとサイモン卿、この屋敷に残る者の代表を紹介しておこう――シャーヒン、バイクシュ』」

 「『はっ』」

 「『ははっ』」

 二人の男が前へ進み出て頭を垂れる。
 一人はやや巻いた短い黒髪、意志の強そうな太い眉に鋭い瞳、髭を生やした男、もう一人は焦げ茶の髪と瞳をした柔和で整った顔立ちの男だった。
 シャーヒンは鷹、バイクシュはフクロウだったっけ。
 よく見ると、彼らのベルトの金具に鷹とフクロウの意匠が見て取れた。

 「『二人共、鳥の名前……?』」

 「『……私の一族は鳥の名を付ける習わしでございます故』」

 「『アヤスラニ帝国でも田舎の出にて、ご存知ないのも無理はありません』」

 「『そうなんですか。妻が鳥好きなものですから少し気になって』」

 てっきり、偽名か何かかと思っていたんだけど違うのか。
 その、次の瞬間。

 「『黙っていたところでどうせ聖女にはバレるであろうから言ってしまうが、実はこの者達は代々皇帝に仕える影の一族なのだ』」

 「『はぁ!?』」

 皇帝イブラヒームはあっさりと彼らの身分を暴露した。
 シャーヒンとバイクシュは勿論、アヤスラニ人全員ぎょっとしたように皇帝を振り返る。
 僕が通訳すると、サイモン様達も驚いていた。

 「そ、そのような事明かして良かったのですか?」

 「『卿の信頼を得た上で我が息子夫婦を守るためだ。卿がイドゥリースに付けてくれている護衛を信じていない訳ではないが、不埒な者が我が国から来た場合、手口を良く知る者が必要になると思ってな』」

 特に狙われるのはイドゥリースとメリー様、そしてマリーだろうという皇帝イブラヒーム。他にもアヤスラニ帝国との連絡をしやすくする為でもあるという。
 敢えて国家機密であろう影の者の身分を明かして滞在を求めるとは――皇帝も随分と思い切ったものだ。

 「『この者達は聖女が使われた例の香への対策も熟知している。きっと役に立つだろう』」

 サイモン様は暫し考えた後、「ならばこちらも信頼を以ってお応え致しましょう。イドゥリース様の護衛として、我が配下の者達とも上手くやっていけるなら」と滞在の許可を出したのだった。

 衝撃の暴露の後。
 バンカムの入ったカップを傾けていた皇帝が、不意に「聖女か?」と窓の外を指差す。
 僕も窓の外に視線を向けると、マリーとカレル様が追いかけっこしているのが見えた。ああ、やっぱり。

 「『マリーがカレル様に悪戯をしたんですよ』」

 アヤスラニ語で言って僕が肩を竦めると、皇帝は呆れたようにこちらを見た。

 「『普通あの年頃の娘……特に既婚者であれば、もっとこう、落ち着きが出るものだが。それとも聖女たる所以で子供のように振舞っているのであろうか?』」

 その時、イドゥリースに今の会話を通訳されていたサイモン様が決まり悪そうにしている。

 「私も何度か矯正を試みたのですが、あの有様で……言葉もありません」

 「まあ、無邪気でのびのびとしているのが彼女の良い所ですから」

 「あれを無邪気と言い切るなんて器が大きいなグレイ」

 フォローを入れた僕に、トーマス様が引き攣った笑みを浮かべた。
 そんな会話を交わしている内――

 「あっ」

 とうとうマリーがカレル様に捕まってしまった。マリーを担いでずんずんと歩き出すカレル様だったが――不意に立ち止まってしまう。

 「立ち止まってどうされたんでしょうかー……何だか様子がおかしいですねー」

 僕の背後に控えていたカールが訝し気な声を上げる。皇帝イブラヒームが何かに気付いて指差した。

 「『むっ、あそこを見よ!』」

 視線を向けると、何と離れた場所に居たラクダがカレル様達の方へ猛然と向かっている。
 良く見ると、その口からは何か肉のようなものがぶらぶらと垂れ下がっているような。
 その瞬間、僕の脳裏に蘇る強烈な記憶。

 ――今の季節的にも、あれは!

 マリーとカレル様の悲鳴がここまで聞こえてくるのにそう時間は掛からなかった。何故かラクダはカレル様達に狙いを定めて猛然と迫っている。カレル様の追いかけっこが始まった。
 サリーナやヨハンシュテファンが慌ててラクダを取り押さえようとしている。

 「『おお、そう言えば発情時期であったな!』」

 ポン、と拳を掌に乗せてと皇帝イブラヒームが言うと、「昔を思い出すね、グレイ」とスレイマンが忍び笑いをした。

 「口から泡を吹いて内臓をぶら下げているように見えるが、何かの病気ではないのか?」

 疑問を顔に浮かべているサイモン様達に事の次第を説明をすると、

 「は、発情期……あれが?」

 と一様に驚いている。

 「信じられないかも知れませんが、ああいう生き物なんですよ」

 僕もアレを初めて見た時は少女のように情けない悲鳴を上げて逃げ惑ったなぁ。傍に居たスレイマンが手を叩いて笑い転げて……黒歴史だ。
 封印が解かれかけている過去の記憶に僕が苛まれていると、シャーヒンとバイクシュが「『念の為見て参ります!』」と慌てて部屋を出て行った。それを見送るイドゥリースの眉が心配そうに顰められる。

 「『……大丈夫でしょうか父皇陛下。ああなったラクダは危険です』」

 「『何、聖騎士達が傍に付いている。彼らは選りすぐりの戦士なのであろう? 後はカレル卿の脚力頼みだな』」

 言って、皇帝イブラヒームは肩を竦める。
 ちらりとカールを見ると、僕の意を汲み取ったのか「遠目に手綱も付いているのが見えますしー、先輩達とサリーナがいれば大丈夫だと思いますよー」と頷いた。

 少し心配になってきたので、窓の外に視線を戻す。
 マリーを抱えたまま逃げ続けているカレル様は鍛えているだけあってかなり体力があるんだな。
 僕も万が一を考えたら同じことが出来る程度には鍛えるべきなのかも知れない。

 そんな埒も無い事を考えていると、ラクダ達はヨハンシュテファンによって取り押さえられた。
 カレル様とマリーは歩き出す。屋敷に戻るようだ。

 ほっと胸を撫でおろしていると、部屋の扉がノックされる。
 従僕が昼食の時間を知らせに来たのだ。
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