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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】
グレイ・ダージリン(143)
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「嘘だ。信じられない……」
僕は今しがた耳にした言葉を到底信じる事が出来ず、思わずそんな言葉が出た。うっかり手に持ったサンドイッチを取り落としそうになる程の衝撃だ。
それはマリーも同じだったようで、シチューを咽ている。
一体――誰が想像出来ただろうか。
あの、メイソンが、教師を、やっているなんて!
明日、天変地異でも起こるのだろうか、と僕は本気で心配する。
「猊下、本当ですわ」
悪戯が成功したとでも言わんばかりにクスクスと笑いながら「そろそろ午後の授業が始まるのでご覧になられますか?」と訊ねるべリーチェ修道女。
本音を言えば怖いもの見たさで見てみたい。
だけど午後の事もあるし……。
マリーもそう思ったのか、僕達はほぼ同時にちらりと修道院長達の方を見た。
「賢者様の聖句のおさらいをしたいですし、半時程度なら構いませんよ」
苦笑交じりに許可を出してくれる修道院長。
おさらいが決定したイドゥリースの恨めし気な視線を背後に受けつつ、僕らはべリーチェ修道女の先導に従って聖堂を出たのだった。
***
教室の隣の部屋、試験監督の為に開けられた穴から僕達は授業の様子を覗く。
メイソンの授業は、うん……何というか。メイソンはやっぱりメイソンであり、脱力するようなものだった。
初歩的なスペルや計算を間違うなんて……。
しかもそれを子供達に指摘されると「わざと間違えたのだ」と苦し過ぎる言い訳までしている。
「メイソン修道士には子供達に教える前にしっかり勉強させたつもりだったのですが……この分だとまだ怪しい所があるようですわね」
べリーチェ修道女の囁きに、僕の背筋がぞわっとした。
憐れメイソン、僕達が授業を見たいといったばっかりに。だけど自業自得だろう。
それでも心配になったので「ちょっと教師の能力的に……大丈夫ですか?」とべリーチェ修道女に訊ねてみると。
「別の者も教えているのですわ。後、メイソン修道士には敢えて苦手な科目を教えて貰っているんですの」
と苦笑いを浮かべていた。
不幸中の幸いとしては、子供達は正しい内容を学べているようだという事。
後、メイソンが傲慢な態度を取りながらもちゃんと子供達の名前を呼んで相手をしていたことには驚いた。
子供達の様子からそれなりに慕われてもいるようで、案外根っこのところでは面倒見がいい奴なのかも知れない。
「本来、メイソン修道士が一番得意な修辞学と音楽を教えるのが良いのでしょうが……」
べリーチェ修道女曰く。意外にも初歩的な算術や綴りを間違う一方、修辞学と音楽は目を瞠るものがあるという。
一瞬その能力の落差に首を傾げたものの、貴婦人を口説く為のものだと気付いて納得した。
授業が終わったところで、子供達が僕達の存在に気付いてしまった。
マリーを見つけて歓喜の表情を浮かべて突進してくるメイソン。前脚と後ろ脚がメイソンを床に叩きつけ、マリーがその背中を足で踏みつける見事な一連の流れは一瞬の事だった。
蛙の様に床に這い蹲るメイソン。ニナという子供がメイソンを虐めないでと健気に庇おうとするが、本人は教育にすこぶる宜しくない言葉を吐いてマリーを恍惚と見上げている。
というか、ヨハン達、「仕上がって来た」って何!?
――ああ、貝になりたい。
混沌とした狂気の状況。
考えるも聞くも見るも堪えなくて、僕は目を閉じ耳を塞いで心を無にし、現実逃避を貫く。
結局、その場を収めてくれたのはべリーチェ修道女だった。
テキパキと子供達を上手に帰し、有無を言わせぬ笑顔でメイソンを連行していく。
その後ろ姿を見送りながら、僕は内心彼女に拍手喝采をしていた。
改めて考えてみると――あの我儘放蕩三昧のメイソンを勉強に仕向け教師役をさせる経緯といい、並大抵の手腕じゃないと思う。
人を乗せてその気にさせるのが非常に上手いべリーチェ修道女は、マリーさえも利用してメイソンを上手く誘導していたのだ。
メイソンにはこのまま常識を身に着けてマリーの言う通り真人間になって欲しいと切に願う。
……休憩時間だった筈が、逆にどっと疲労感を覚えたのはきっと気のせいじゃない。
僕は今しがた耳にした言葉を到底信じる事が出来ず、思わずそんな言葉が出た。うっかり手に持ったサンドイッチを取り落としそうになる程の衝撃だ。
それはマリーも同じだったようで、シチューを咽ている。
一体――誰が想像出来ただろうか。
あの、メイソンが、教師を、やっているなんて!
明日、天変地異でも起こるのだろうか、と僕は本気で心配する。
「猊下、本当ですわ」
悪戯が成功したとでも言わんばかりにクスクスと笑いながら「そろそろ午後の授業が始まるのでご覧になられますか?」と訊ねるべリーチェ修道女。
本音を言えば怖いもの見たさで見てみたい。
だけど午後の事もあるし……。
マリーもそう思ったのか、僕達はほぼ同時にちらりと修道院長達の方を見た。
「賢者様の聖句のおさらいをしたいですし、半時程度なら構いませんよ」
苦笑交じりに許可を出してくれる修道院長。
おさらいが決定したイドゥリースの恨めし気な視線を背後に受けつつ、僕らはべリーチェ修道女の先導に従って聖堂を出たのだった。
***
教室の隣の部屋、試験監督の為に開けられた穴から僕達は授業の様子を覗く。
メイソンの授業は、うん……何というか。メイソンはやっぱりメイソンであり、脱力するようなものだった。
初歩的なスペルや計算を間違うなんて……。
しかもそれを子供達に指摘されると「わざと間違えたのだ」と苦し過ぎる言い訳までしている。
「メイソン修道士には子供達に教える前にしっかり勉強させたつもりだったのですが……この分だとまだ怪しい所があるようですわね」
べリーチェ修道女の囁きに、僕の背筋がぞわっとした。
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それでも心配になったので「ちょっと教師の能力的に……大丈夫ですか?」とべリーチェ修道女に訊ねてみると。
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子供達の様子からそれなりに慕われてもいるようで、案外根っこのところでは面倒見がいい奴なのかも知れない。
「本来、メイソン修道士が一番得意な修辞学と音楽を教えるのが良いのでしょうが……」
べリーチェ修道女曰く。意外にも初歩的な算術や綴りを間違う一方、修辞学と音楽は目を瞠るものがあるという。
一瞬その能力の落差に首を傾げたものの、貴婦人を口説く為のものだと気付いて納得した。
授業が終わったところで、子供達が僕達の存在に気付いてしまった。
マリーを見つけて歓喜の表情を浮かべて突進してくるメイソン。前脚と後ろ脚がメイソンを床に叩きつけ、マリーがその背中を足で踏みつける見事な一連の流れは一瞬の事だった。
蛙の様に床に這い蹲るメイソン。ニナという子供がメイソンを虐めないでと健気に庇おうとするが、本人は教育にすこぶる宜しくない言葉を吐いてマリーを恍惚と見上げている。
というか、ヨハン達、「仕上がって来た」って何!?
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結局、その場を収めてくれたのはべリーチェ修道女だった。
テキパキと子供達を上手に帰し、有無を言わせぬ笑顔でメイソンを連行していく。
その後ろ姿を見送りながら、僕は内心彼女に拍手喝采をしていた。
改めて考えてみると――あの我儘放蕩三昧のメイソンを勉強に仕向け教師役をさせる経緯といい、並大抵の手腕じゃないと思う。
人を乗せてその気にさせるのが非常に上手いべリーチェ修道女は、マリーさえも利用してメイソンを上手く誘導していたのだ。
メイソンにはこのまま常識を身に着けてマリーの言う通り真人間になって欲しいと切に願う。
……休憩時間だった筈が、逆にどっと疲労感を覚えたのはきっと気のせいじゃない。
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