上 下
567 / 687
うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】

グレイ・ダージリン(132)

しおりを挟む
 カーフィが行方不明である事やカレドニア王位がどうなるかは気になる所だけれど、僕は目の前のイドゥリースとメリー様の婚約式準備でそれどころではなくなっていた。
 アヤスラニ風料理を作る為の香辛料や上質な羊肉、そしてオコノミといった珍しい食材。他は招待客に渡す礼品や余興に使う品々等――キーマン商会が用意する品物は枚挙に暇がない。
 ジャン・バティストが突き刺さってくる笑顔を向けて来たあたり、後でこってり絞られそうだなと思う。

 キャンディ伯爵邸と大分形が出来て来たダージリン伯爵邸を繋ぐように鉄を使った道が敷設される。作業は真夜中を通して少しずつ進められた。蒸気機関車がその上を走るそうで、『線路』というらしい。
 主役の二人は当然それに乗るとして――誰が機関車を走らせるかという事になり。それに立候補したのはイサーク様だった。

 「僕がやりたい! 面白そうだし、それに大事な妹の婚約式だからね!」

 「まあ小型で極力単純化している奴だから大丈夫だとは思うけど……やっぱり無理そうってなったらちゃんと言うのよ? 操作は別の人にやってもらって、イサークが車掌さんをするのでも構わないんだから」

 しかしマリーのそんな心配をよそに、イサーク様はたった一度の練習だけで、見事に婚約式当日蒸気機関車を動かす事に成功したのだった。

 婚約する二人に祝福をする役目を負っていた僕とマリー。
 出番が来るまで僕達はお腹が空いて堪らなかったけれど、居並ぶ貴族、オディロン陛下、アルバート殿下、アヤスラニ皇帝イブラヒーム陛下といったそうそうたる顔ぶれを前に何とか大役をこなせたと思う。


***


 着替えて席に戻り、やっと食事にありつけると思ったのも束の間。アルバート第一王子殿下とガリアのメテオーラ公爵令嬢、カレドニア女王リュサイ陛下、アレマニア皇女エリーザベト殿下といった顔ぶれが挨拶にやって来た。

 「度肝を抜かれましたよ。まさか、あのような隠し玉を持っていたとはね。馬も無しに煙を吐いて走る不思議なからくり。マリーもグレイも人が悪い」

 「ええ、不思議ですわよね。あれ、どうやって動いていますの?」

 アルバート殿下とメテオーラ嬢の問いに、周囲のテーブルの耳目が何となくこちらへ集中したのが分かった。
 マリーが扇をパラリと広げてこちらに流し目をする。開示する程度は任せるということだ。
 僕は小さく頷いて口を開いた。

 「実はお湯を沸かす時の力なんだそうです。面白いですよね」

 アルバート殿下は片眉を上げた。

 「やはり詳しい仕組みは秘密、ですか」

 少し不満げな声。当たり前だろう、異世界からの貴重な最新技術だ。僕達が優位性を持つ為にそうやすやすと明かす訳がない。マリーが肩を竦める。

 「本当はまだあのようなおもちゃでの実験段階。お披露目するつもりはありませんでしたわ。けれど、妹達の門出は盛大に祝ってあげたいと少々無理をしましたの」

 ちらり、とアヤスラニ帝国特使達のテーブルを見遣る。

 「確かに特使殿達にお見せするにはこれ以上効果的なものは無いでしょうね」

 「キャンディ伯爵家は一貴族ですが、アヤスラニ帝国の皇子殿下を婿にする以上、国威を背負っているようなものですから」

 僕がそう言うと、エリーザベト皇女が顔を輝かせてこちらを見た。

 「さぞや度肝を抜かれたことかと存じますわ。珍しいものは見慣れている筈の私ですら、あれは大層驚きましたもの!」

 「ええ、本当に!」

 リュサイ女王陛下も同意する。しかしアルバート殿下は首を傾げてマリーを見た。

 「でも良かったのですか? 彼らは絶対この技術を欲しがりますよ?」

 「でしょうね。ただ本格的な実用化まではまだ時間がかかりますし、全て織り込み済みですわ」

 そうマリーが答えた時、やっと僕達の食事が運ばれて来る。
 腹を満たした後僕は客席を回って挨拶に向かった。


***


 挨拶回りが終わり、最後に祖父エディアールや父ブルック達の居る家族の席に向かう。アールとアナベラ様はマリーの方に居るのが見える。どうも入れ違いになったようだ。
 僕が近付くと、強引に座らされる。

 「グレイ、馬も無しに走るあの黒いのは何だ!? どういう仕組みで走っているのだ、何とも凄いではないか!」

 「流石に度肝を抜かれたのう。時代が変わるのを肌で感じてまだ背筋がゾクゾクしておる」

 案の定、散々訊かれた質問を再びされる羽目に。ほとんどが蒸気機関車の事だったけど、中にはマセガ……少年音楽家ヴォルフガングが弾いている曲について訊かれる事も。
 目敏い貴族等はしつこく食い下がってきたので振り切るのが全く大変だった。
 僕はやれやれと手を上げる。

 「色んな人に訊かれたよ。どういう構造なのか、とかどうやって走っているのかって。僕も良く分かっていないんだ。ただマリーが言うにはお湯を沸かす時の力なんだって」

 「あら、ではあの煙は湯気かしら?」

 祖母パレディーテの問いに僕はうんと頷く。

 「湯を沸かす時の煙も混じっているとは思うけどね」

 その時、司会が「これより蒸気機関車試乗体験を行います! 婚約式の終わりまで乗れますので希望される方は焦らずお並び下さい!」と声を張り上げるのが聞こえ、招待客が一斉に騒めいた。
 母レピーシェがはちきれんばかりの期待を顔に浮かべ、浮足立った。

 「ねぇ、グレイ。お母様もあれ、乗せて頂く事は出来るかしら?」

 「ああ、うん。小さいけど何人か一度に乗せられるみたい」

 「何!? 俺達も行くぞ!」

 結局、家族全員連れ立って蒸気機関車の方に行ってしまった。
 仕方ない、とマリーの所へ戻る。アール達は既にそこにはおらず、蒸気機関車に並ぶ列で父達と合流しているのが見えた。
 結局話せなかったなぁ。


 その後――
 鳥が落とす贈り物を捕まえる催しでオディロン陛下がアヤスラニ帝国特使皇帝イブラヒームと争うのを見て、アルバート殿下が「……我が父王陛下は何をやっているのだか」と頭を抱えたり。
 婚約式が終わった直後にヴォルフガングに呼び止められ、「グレイ猊下、聖女様から教えて頂いた曲の数々……僕は天才少年だと持て囃されてきましたが、それは過大評価だったのだと今では思います。きっと、あれは神々からの天籟の音楽なのでしょう。叶うならば聖女様のお傍でもっと学びたいと考えているのですが、ご助力願えませんか?」等と懇願されたり。
 色々あったけれど、婚約式は概ね恙無つつがなく終えられたと思う。
しおりを挟む
感想 922

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。