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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(111)

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 家族にあの姿を見られることに溜息を吐きつつドナルド卿を訪ねる。
 昨晩庇って貰ったお礼を兼ねてのお見舞いの為だ。
 ドナルド卿の部屋をノックして入り、挨拶をした矢先。

 「浮かない表情をされていますが、大丈夫ですか?」

 と逆に心配されてしまった。
 それほど憂鬱そうな顔をしていたらしい。
 背後のカールが忍び笑いをし、我に返った僕は慌てて問い返す。

 「ああ、私事での悩みなのでお気になさらず。それより、ドナルド卿。昨夜は庇って頂いてありがとうございました。お怪我をさせてしまって申し訳ありません」

 ナーテによれば、ドナルド卿は足を捻った他、擦り傷を負っていたらしい。
 僕が謝ると、ドナルド卿は微笑んで首を横に振った。

 「これは怪我とも言えぬようなかすり傷程度です。グレイ猊下にこそ、お怪我が無くて何よりでした」

 騎士はこの程度日常茶飯事ですのでお気になさらず、というドナルド卿に僕は安堵の息を吐く。
 昨夜こそは護衛を買って出てくれたけれど、彼は他国の女王の騎士だ。
 いくら聖女の夫とはいえ、トラス王国人の僕を庇っては色々差しさわりがあるだろう。

 「それなら良いのです。卿がお怪我でもされたらリュサイ様に申し訳なくなるところでした」

 暗に今後は自分の事は気にしないで本当の主を守ることに専念して欲しいと言えば、騎士ドナルドは奇妙な眼光を浮かべてこちらを見つめた。

 「……リュサイ様が大切な主君なのは確かです。しかし猊下、貴方様も我らにとっては大切なお方。そのようなお気遣いは無用にございます」

 『我ら』という言葉に引っ掛かりを覚えた。
 まるで、僕が聖女の夫であること以上の意味を含んでいるような。
 もしかして、とある予感がする。

 「……それは、あの指輪が関係しているんでしょうか? 『マク・ラセフ』と貴方が言っているのを祖父が聞いていたのですが、どういう意味があるのか訊いても宜しいでしょうか?」

 昨夜訊ね損ねた問いかけをすると、騎士ドナルドは真剣な面持ちで「アイはい」と頷いた。足を引きずりながらも片膝をついて僕を見つめる。

 「大分悩んだのですが、やはりお伝えしておこうと思います。『マク・ラセフ』――トラス語に直すならば『炎の息子』とでも申しましょうか。カレドニア王国の王族は、火の神を始祖に持つという言い伝えがあります。
 実は、かの指輪は、オブライエン王家の失われた指輪に他なりませぬ。グレイ猊下、貴方様はまごうかた無くオブライエン王家の青き血を引いていらっしゃるのです」

 重々しく語られた言葉に僕は目を瞬かせた。
 背後のカールが息を呑む気配。
 一瞬、部屋の音という音が消えたかのように感じられた。

 「僕が、リュサイ女王陛下と同じ血筋……?」

 騎士ドナルドの言葉を理解してやっと絞り出した声は震えてしまっている。
 荒唐無稽だ、と切り捨てることも出来なかった。思ったよりも僕は動揺しているようだ。
 騎士ドナルドは静かに頷き、こちらをじっと見つめている。

 「初代王家の当主は、炎のような燃える髪に緑柱石の如く煌めく新緑の瞳をしていたと伝わっております。丁度、猊下のように」

 「……赤毛に緑の目は少ないけれど、珍しくはないと思うのですが?」

 「しかし、かの指輪を伝え持つ家にお生まれになった、という条件下では限られましょう。そしてあの指輪こそが、カレドニアの王たる者の証――」

 騎士ドナルドは歴史の中で印章が失われた経緯を語り出した。
 カレドニア王国に教会の教えが伝わってきた頃の古き時代――火の神を始祖に持つオブライエン王家は教会派と反教会派の真っ二つに分かれたという。
 教会派はアルビオン王国が背後におり、赤毛ではない王子を担ぎ出して政略結婚を推し進めた。アルビオン王国もまた、カレドニア王国を乗っ取ろうと画策。
 それはやがて王位継承争いに発展し――教会派が勝利を収めることとなったが、反教会派の王子が王の印章を持ったまま姿を消したのだと。
 その後、アルビオン王国から王女を妃に迎えたカレドニア王国は一時アルビオン王国に併合され、再び独立するまで苦難の道を歩むこととなった。
 王の血筋も混血が進み、かつての王のような鮮やかな色を纏って生まれることがなくなったという。

 「指輪と共に姿を消した王子も、初代と同じ鮮やかな赤毛と新緑の瞳をしていた、と。古き火の神の血は今の王家を残して全て絶えてしまったのだ、と思っておりました。ですが――」

 語り終わったドナルド卿の眼差しには、憧憬のような光が浮かんでいる。
 そうか、と思う。あの恭しい態度にも納得してしまった。
 彼は僕に、この髪と瞳に失われたカレドニア王の姿を見い出していたのだ。
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