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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】
カナールの民。
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男は、生まれながらにして蔑まれ呪われた一族だった。
エスパーニャ王国とトラス王国の国境にそびえる、ヒゲワシが生息する高い山々。その中に隠れるように住み、僅かな恵みでやっと生かされているような貧しき人々。
自分達の一族の来歴は分からない。
父が言うには、男の亡き祖父は足が三本あり、赤ん坊の頃に山に捨てられていたのだという。
男は長じるにつれ、そうした普通ではない赤ん坊や子供や、神に見放され、病に冒された者達が山に打ち捨てられているのを知る。生きのびた者は一族に外部からの新たな血、そして労働力として受け入れられてきた。
「そろそろお前も教会に連れて行かねばな」
ある日そう言った父親に、一族の証として赤い水鳥の脚を象った紋章付きの服を着せられた。
「俺達カナールの民は町の人々とは違う。町や教会での決まりごとを幾つか守らねばならない」
曰く、町で何を見聞きしても決して怒らず、目を閉じて余計な口を利かぬこと。
教会に入る時は普通の扉ではなく、脇にある小さな専用の扉から入ること。むやみやたらに聖具に触れないこと。
「何で?」
「穢れている呪われた一族だからだ。俺達が町の『清浄な』――普通の人々のように振舞ったり聖具を触ったりすれば、袋叩きにされたり手を切り落とされたりしてしまう。これは昔実際にあったことだ、無事に帰りたくば言う通りにしろ」
「……分かった」
そうして連れられて行った町では、父は人目につかぬように道の端や人気のない裏通りを選んでいた。しかしそれでも父子を見た人々から心無い言葉を浴びせ掛けられる。
「まあ、汚らわしいこと」
「異教徒の呪われた混血だよ」
「こっちに来るな、しっしっ!」
――怖い。どうして皆そんな酷いことを言うの。僕達は、何もしていないというのに。
まだ幼かった男の心は冷えて行く。
教会に辿り着くと、予め言われていた通りに脇にある小さな扉から入った。
長椅子の一つに座ろうとした男を父が制止し、隅にあるボロボロの椅子に座るように促される。
やがて面倒臭そうにやってきた司祭が、直接男に触れないようにしておざなりに儀式を行った。
「……こちらをお納め下さい」
父が金の入った革袋を取り出すと、司祭は「その椅子に」と尊大に顎でしゃくった。
男は腹が立ったが、ぐっと堪えるしかない。
その帰り道。
父子は裏路地で酔っ払いに絡まれてしまった。酔っ払いは虫の居所が悪かったのか、父が殴られる。
父は反抗せず殴られるがまま。
男が幾ら止めてと泣き叫んでも、誰も助けてくれなかった。
酔っ払いは父の懐を探ると金を奪い、気が済んだのか鼻歌を歌いながら去って行く。
やがて、よろよろと立ち上がった父に、男は泣きながら訊ねた。
「何でやり返さないの!?」
「……やり返せば皆殺しになるからだ」
たとえ、一族のうら若き乙女が凌辱され自殺しても。
『清浄な』人々の気まぐれで暴力を受けて障がいが残っても。
いきなり謂れなき罪に問われたとしても。
その理不尽が許される――それが呪われし民カナールなのだと。
男の心に、炎が燃え上がった。
『清浄な』人々、そしてそれを許している聖なる教会。
男はそれらを激しく憎悪した。
如何にして理不尽から身を守るべきか。
男が選んだのは――権力者の庇護を得ること、だった。
気持ちを同じくする仲間を募り、力を磨き蓄える。
権力者――エスパーニャ王家の為に汚れ仕事をこなす。
命懸けで何でもやった。
故郷の一族を人質として王家に差し出してでも足掻いた。
その甲斐あって、男は王家の影として一定の立場を得ることとなる。
***
「お前は戻り、グレイ・ダージリン伯爵を殺せ――何としてでも、だ」
その日、主である王太子レアンドロの命を受けた男は、無言で頷いた。
カナールの民にも赤毛は多い。山に捨てられた子供に赤毛も多かったからだ。
しかし、グレイ・ダージリン伯爵は男が憎んで来た教会そのものである聖女の夫。それを知った時、どこか裏切られたような気持ちを抱いた。
自分達と同じ蔑まれる身でありながら、神の恩恵を受けているグレイ・ダージリン伯爵。
妬ましかった。
許せる筈もなかった。
グレイ・ダージリン伯爵を殺せば、聖女はどんな顔をするのだろう?
私怨も手伝って、男は計画を練る。
グレイ・ダージリン伯爵が滞在しているのは、聖女の実家であるキャンディ伯爵家。敵情視察に向かうと、流石に警備が厳重だった。
多くの警備兵に加え、影であろう庭師達は恐らくいずれも相当の手練れ。
忍び込んで暗殺は難しい。
そんな折、近々聖女の誕生日の宴が催されるという情報が入った。
暗殺するならば、その時を置いて他にないだろう。
誕生日に夫を殺される聖女に対しても、より深い絶望を味あわせることができる。
男はエスパーニャ大使を訪ね、レアンドロ王子の命令をちらつかせて協力を求めた。
エスパーニャ王国とトラス王国の国境にそびえる、ヒゲワシが生息する高い山々。その中に隠れるように住み、僅かな恵みでやっと生かされているような貧しき人々。
自分達の一族の来歴は分からない。
父が言うには、男の亡き祖父は足が三本あり、赤ん坊の頃に山に捨てられていたのだという。
男は長じるにつれ、そうした普通ではない赤ん坊や子供や、神に見放され、病に冒された者達が山に打ち捨てられているのを知る。生きのびた者は一族に外部からの新たな血、そして労働力として受け入れられてきた。
「そろそろお前も教会に連れて行かねばな」
ある日そう言った父親に、一族の証として赤い水鳥の脚を象った紋章付きの服を着せられた。
「俺達カナールの民は町の人々とは違う。町や教会での決まりごとを幾つか守らねばならない」
曰く、町で何を見聞きしても決して怒らず、目を閉じて余計な口を利かぬこと。
教会に入る時は普通の扉ではなく、脇にある小さな専用の扉から入ること。むやみやたらに聖具に触れないこと。
「何で?」
「穢れている呪われた一族だからだ。俺達が町の『清浄な』――普通の人々のように振舞ったり聖具を触ったりすれば、袋叩きにされたり手を切り落とされたりしてしまう。これは昔実際にあったことだ、無事に帰りたくば言う通りにしろ」
「……分かった」
そうして連れられて行った町では、父は人目につかぬように道の端や人気のない裏通りを選んでいた。しかしそれでも父子を見た人々から心無い言葉を浴びせ掛けられる。
「まあ、汚らわしいこと」
「異教徒の呪われた混血だよ」
「こっちに来るな、しっしっ!」
――怖い。どうして皆そんな酷いことを言うの。僕達は、何もしていないというのに。
まだ幼かった男の心は冷えて行く。
教会に辿り着くと、予め言われていた通りに脇にある小さな扉から入った。
長椅子の一つに座ろうとした男を父が制止し、隅にあるボロボロの椅子に座るように促される。
やがて面倒臭そうにやってきた司祭が、直接男に触れないようにしておざなりに儀式を行った。
「……こちらをお納め下さい」
父が金の入った革袋を取り出すと、司祭は「その椅子に」と尊大に顎でしゃくった。
男は腹が立ったが、ぐっと堪えるしかない。
その帰り道。
父子は裏路地で酔っ払いに絡まれてしまった。酔っ払いは虫の居所が悪かったのか、父が殴られる。
父は反抗せず殴られるがまま。
男が幾ら止めてと泣き叫んでも、誰も助けてくれなかった。
酔っ払いは父の懐を探ると金を奪い、気が済んだのか鼻歌を歌いながら去って行く。
やがて、よろよろと立ち上がった父に、男は泣きながら訊ねた。
「何でやり返さないの!?」
「……やり返せば皆殺しになるからだ」
たとえ、一族のうら若き乙女が凌辱され自殺しても。
『清浄な』人々の気まぐれで暴力を受けて障がいが残っても。
いきなり謂れなき罪に問われたとしても。
その理不尽が許される――それが呪われし民カナールなのだと。
男の心に、炎が燃え上がった。
『清浄な』人々、そしてそれを許している聖なる教会。
男はそれらを激しく憎悪した。
如何にして理不尽から身を守るべきか。
男が選んだのは――権力者の庇護を得ること、だった。
気持ちを同じくする仲間を募り、力を磨き蓄える。
権力者――エスパーニャ王家の為に汚れ仕事をこなす。
命懸けで何でもやった。
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その甲斐あって、男は王家の影として一定の立場を得ることとなる。
***
「お前は戻り、グレイ・ダージリン伯爵を殺せ――何としてでも、だ」
その日、主である王太子レアンドロの命を受けた男は、無言で頷いた。
カナールの民にも赤毛は多い。山に捨てられた子供に赤毛も多かったからだ。
しかし、グレイ・ダージリン伯爵は男が憎んで来た教会そのものである聖女の夫。それを知った時、どこか裏切られたような気持ちを抱いた。
自分達と同じ蔑まれる身でありながら、神の恩恵を受けているグレイ・ダージリン伯爵。
妬ましかった。
許せる筈もなかった。
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私怨も手伝って、男は計画を練る。
グレイ・ダージリン伯爵が滞在しているのは、聖女の実家であるキャンディ伯爵家。敵情視察に向かうと、流石に警備が厳重だった。
多くの警備兵に加え、影であろう庭師達は恐らくいずれも相当の手練れ。
忍び込んで暗殺は難しい。
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