上 下
512 / 674
うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

カナールの民。

しおりを挟む
 男は、生まれながらにして蔑まれ呪われた一族だった。
 エスパーニャ王国とトラス王国の国境にそびえる、ヒゲワシが生息する高い山々。その中に隠れるように住み、僅かな恵みでやっと生かされているような貧しき人々。

 自分達の一族の来歴は分からない。
 父が言うには、男の亡き祖父は足が三本あり、赤ん坊の頃に山に捨てられていたのだという。
 男は長じるにつれ、そうした普通ではない赤ん坊や子供や、神に見放され、病に冒された者達が山に打ち捨てられているのを知る。生きのびた者は一族に外部からの新たな血、そして労働力として受け入れられてきた。

 「そろそろお前も教会に連れて行かねばな」

 ある日そう言った父親に、一族の証として赤い水鳥の脚を象った紋章付きの服を着せられた。

 「俺達カナールの民は町の人々とは違う。町や教会での決まりごとを幾つか守らねばならない」

 曰く、町で何を見聞きしても決して怒らず、目を閉じて余計な口を利かぬこと。
 教会に入る時は普通の扉ではなく、脇にある小さな専用の扉から入ること。むやみやたらに聖具に触れないこと。

 「何で?」

 「穢れている呪われた一族だからだ。俺達が町の『清浄な』――普通の人々のように振舞ったり聖具を触ったりすれば、袋叩きにされたり手を切り落とされたりしてしまう。これは昔実際にあったことだ、無事に帰りたくば言う通りにしろ」

 「……分かった」

 そうして連れられて行った町では、父は人目につかぬように道の端や人気のない裏通りを選んでいた。しかしそれでも父子を見た人々から心無い言葉を浴びせ掛けられる。

 「まあ、汚らわしいこと」

 「異教徒の呪われた混血だよ」

 「こっちに来るな、しっしっ!」

 ――怖い。どうして皆そんな酷いことを言うの。僕達は、何もしていないというのに。

 まだ幼かった男の心は冷えて行く。
 教会に辿り着くと、予め言われていた通りに脇にある小さな扉から入った。
 長椅子の一つに座ろうとした男を父が制止し、隅にあるボロボロの椅子に座るように促される。
 やがて面倒臭そうにやってきた司祭が、直接男に触れないようにしておざなりに儀式を行った。

 「……こちらをお納め下さい」

 父が金の入った革袋を取り出すと、司祭は「その椅子に」と尊大に顎でしゃくった。
 男は腹が立ったが、ぐっと堪えるしかない。

 その帰り道。
 父子は裏路地で酔っ払いに絡まれてしまった。酔っ払いは虫の居所が悪かったのか、父が殴られる。
 父は反抗せず殴られるがまま。
 男が幾ら止めてと泣き叫んでも、誰も助けてくれなかった。

 酔っ払いは父の懐を探ると金を奪い、気が済んだのか鼻歌を歌いながら去って行く。
 やがて、よろよろと立ち上がった父に、男は泣きながら訊ねた。

 「何でやり返さないの!?」

 「……やり返せば皆殺しになるからだ」

 たとえ、一族のうら若き乙女が凌辱され自殺しても。
 『清浄な』人々の気まぐれで暴力を受けて障がいが残っても。
 いきなり謂れなき罪に問われたとしても。

 その理不尽が許される――それが呪われし民カナールなのだと。
 男の心に、炎が燃え上がった。

 『清浄な』人々、そしてそれを許している聖なる教会。

 男はそれらを激しく憎悪した。

 如何にして理不尽から身を守るべきか。

 男が選んだのは――権力者の庇護を得ること、だった。
 気持ちを同じくする仲間を募り、力を磨き蓄える。
 権力者――エスパーニャ王家の為に汚れ仕事をこなす。

 命懸けで何でもやった。
 故郷の一族を人質として王家に差し出してでも足掻いた。

 その甲斐あって、男は王家の影として一定の立場を得ることとなる。


***


 「お前は戻り、グレイ・ダージリン伯爵を殺せ――何としてでも、だ」

 その日、主である王太子レアンドロの命を受けた男は、無言で頷いた。
 カナールの民にも赤毛は多い。山に捨てられた子供に赤毛も多かったからだ。
 しかし、グレイ・ダージリン伯爵は男が憎んで来た教会そのものである聖女の夫。それを知った時、どこか裏切られたような気持ちを抱いた。
 自分達と同じ蔑まれる身でありながら、神の恩恵を受けているグレイ・ダージリン伯爵。

 妬ましかった。
 許せる筈もなかった。

 グレイ・ダージリン伯爵を殺せば、聖女はどんな顔をするのだろう?

 私怨も手伝って、男は計画を練る。
 グレイ・ダージリン伯爵が滞在しているのは、聖女の実家であるキャンディ伯爵家。敵情視察に向かうと、流石に警備が厳重だった。
 多くの警備兵に加え、影であろう庭師達は恐らくいずれも相当の手練れ。
 忍び込んで暗殺は難しい。

 そんな折、近々聖女の誕生日の宴が催されるという情報が入った。
 暗殺するならば、その時を置いて他にないだろう。
 誕生日に夫を殺される聖女に対しても、より深い絶望を味あわせることができる。
 男はエスパーニャ大使を訪ね、レアンドロ王子の命令をちらつかせて協力を求めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。