上 下
495 / 674
うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(101)

しおりを挟む
 マリーが遠ざかっていく衣擦きぬずれの音だけが耳に木霊する。
 ホセ子爵の隣に座ったレアンドロ王子は、上機嫌に語り始めた。

 「ホセよ、良き知らせがある。先刻、聖女様は私の誠心誠意と熱き想いを汲み取って下さり、太陽神にお伺いを立てて下さった。そして、私が聖女様の夫となる為の条件を提示されたのだ」

 「えっ、それは真でございますか!?」

 ガン、と頭を殴られたような感覚になった。
 あのテラスで、マリーはそんな話をしていたのか。
 いや、と思い直す。もしかすると彼女は彼女なりの考えがあってのことかも知れない。

 「恐れながら、聖女様はグレイ猊下と相思相愛だと聞いております。それがそのようなことを仰るとは俄かには信じられません」

 「聖女様がもし、私のことを憎からず思って下さったのだとしたら? そうでなければ神に認められた婚姻を覆す条件すら、教えぬ筈であろう?」

 「その、条件とは」

 「何、『グレイ卿よりも大きな功績を立て、神の出す難問を解いて見せよ』と。要は、聖女様の使命をどれだけ助けるかによるようだ。功績そのものは直ぐに立てることが出来るであろう」

 僕より大きな功績を立て、神の難問を解く――去年のメイソン事件を思い出す。メイソンは計算に弱かったから上手く引っかかったけれど、果たしてそれがレアンドロ王子に通用するのかどうか。
 万が一の場合、本当にマリーが奪われてしまう!

 「さ、左様でございますか。しかし、功績を立てたとしても、神の難問に答えなければいけないとのことですが……それは、いかなるものでしょうか」

 ホセ子爵は疑問を注意深く問いかけている。
 しかしレアンドロ王子は余裕たっぷりの態度で楽観的に構えているようだ。

 「さて……しかし、どんなに難問であろうとも、エスパーニャ王国の賢者学者を集め、総力を挙げれば解き明かすことが出来よう。こうなると、勝負は見えたも同然――ということで、卿は遠くない未来、用済みとなる」

 お気の毒に、と肩を竦め、勝ち誇ったように僕をせせら笑うレアンドロ王子。ホセ子爵がその隣で同情の眼差しを向けて来た。
 わざわざトラス王国語で会話をする二人。僕に聞かせる為なのは間違いないだろう。

 「――失礼する!」

 カッとして矢も楯も堪らず立ち上がり、テーブルを離れる。
 彼らに構っていても意味がない。マリーの真意を問いたださなければ。
 サイモン様を探して傍に行き、聞いたばかりのことを耳打ちをした。

 「そのようなことをマリーが言っていたと。エスパーニャ王国の権力と財を以ってすれば、条件を成し遂げられてしまうかも知れません。マリーが何かを考えてそう言ったのだとは思うのですが、裏目に出てしまったら――マリーは一体どうするつもりなのでしょうか」

 「あの馬鹿娘……分かった、共にどういうつもりなのか問い質しに行こう」

 サイモン様と共にマリーの元へと向かうと、彼女は何やらサラサラと紙に書いており、丁度顔を上げた所だった。
 僕達を見て首を傾げる彼女に、心と心で会話したいと頭を指差す。
 すぐに、『どうしたの?』と脳裏に響く彼女の声。

 ――どうしたも、こうしたもないよ!

 『マリー! レアンドロ王子に条件付きで結婚すると言ったんだって!?』

 サイモン様もどういうつもりなのだ、と問い質す。夫は僕の筈なのに、どういうことかと詰問すると、マリーは動揺した様子も無く『あら、嫉妬してくれたの?』等と言った。

 『――はい、こういうことよ』

 苦笑交じりに渡されたのは先程までマリーが書いていた紙。
 ざっと目を通すと砂糖の売買契約書。何故こんな時に?

 『あの男、グレイを殺して私と結婚することを企んでいたの。腹が立ったけど、逆にこの状況を利用して嵌め返そうと考えたのよ』

 それであの条件を出してレアンドロ王子を釣ったそうだ。レアンドロ王子の敵意は感じていたけれど、まさか命を狙われていたなんて。
 いや、それよりも。
 マリーが変わらず僕を想っていてくれたことに僕は安堵した。温かいものが心を満たしていく。

 それにしても、メイソンと同じで達成不可能な条件だと彼女は言うけれど……。
 そのことを訊ねようとした矢先、砂糖の銀の相場を知っているなら、と契約書の清書を頼まれた。
 そしてレアンドロ王子に今後絡まれた時は僕が負けたように適当に匂わせ話を合わせておいて欲しい――その方が僕自身の危険も減るだろうから、と。

 ――油断させろ、ということか。

 マリーはそう言うけれど……本当にその条件は達成不可能なのだろうか?

 『それは、構わないけれど……それにしては危険な賭けだよ。自分自身を餌にするなんて』

 サイモン様も、エスパーニャ王国の財力が凄まじいことに触れ、神の課す難問に関してもメイソンの時の様にはいかないのではないか、と僕を代弁するかのように懸念を示した。
 しかしマリーはあっさりといくわよ、と言い切る。余程自信があるらしい。

 『それに父、これは武器を使わない戦争よ。結果的に体張ってる状態になったけれど、それだけの価値はある――だからグレイ、清書お願いね』

 勝算があると断言され、僕はしぶしぶ清書を始めた。同時に文面を精読していく。
 今現在の相場の八割固定――成る程、一見相手に利するような奇妙な取引だけれど、砂糖が大量に生産されるようになると、相場の方が下がることになるだろう。エスパーニャはこの紙切れ一枚で安い砂糖を横目に高い値段で買わされ続ける羽目になる。
 しかしそれでも恐らくはエスパーニャ王国はそう簡単には揺らがないだろう。マリーは他にもこき使うと言っていたが……それも達成されるとすれば、達成不可能にする鍵は、神の課す難問。
 どんな内容なのだろう、と考えつつ。僕は砂糖と銀の現在の相場を思い出しながら、契約書に補填していく。

 その後、ホセ子爵が疑問を挟む一幕があったものの――トラス王陛下とサリューン枢機卿、王国の貴族達の面前で得意満面の笑みで契約を承諾したレアンドロ王子。
 マリーが大げさに感謝を示して一層調子に乗ったのか、帰り際にも「今後の身の振舞いをよくよく考えておくが良い」「エスパーニャ王国に仕えるならば伯爵位位はくれてやっても良いが?」等と寛容な振りをして僕を嘲笑ってきた。

 ――これしきのこと、これまでだって何度もあった。

 僕は俯いて歯を食いしばって耐える。マリーは僕の為に戦ってくれているのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王子様は王妃の出産後すぐ離縁するつもりです~貴方が欲しいのは私の魔力を受け継ぐ世継ぎだけですよね?~

五月ふう
恋愛
ここはロマリア国の大神殿。ロマリア歴417年。雪が降りしきる冬の夜。 「最初から……子供を奪って……離縁するつもりだったのでしょう?」  ロマリア国王子エドワーズの妃、セラ・スチュワートは無表情で言った。セラは両手両足を拘束され、王子エドワーズの前に跪いている。 「……子供をどこに隠した?!」  質問には答えず、エドワーズはセラを怒鳴りつけた。背が高く黒い髪を持つ美しい王子エドワードの顔が、醜く歪んでいる。  「教えてあげない。」  その目には何の感情も浮かんでいない。セラは魔導士達が作る魔法陣の中央に座っていた。魔法陣は少しずつセラから魔力を奪っていく。 (もう……限界ね)  セラは生まれたときから誰よりも強い魔力を持っていた。その強い魔力は彼女から大切なものを奪い、不幸をもたらすものだった。魔力が人並み外れて強くなければ、セラはエドワーズの妃に望まれることも、大切な人と引き離されることもなかったはずだ。  「ちくしょう!もういいっ!セラの魔力を奪え!」    「良いのかしら?魔力がすべて失われたら、私は死んでしまうわよ?貴方の探し物は、きっと見つからないままになるでしょう。」    「魔力を失い、死にたくなかったら、子供の居場所を教えろ!」  「嫌よ。貴方には……絶対見つけられない場所に……隠しておいたから……。」  セラの体は白く光っている。魔力は彼女の生命力を維持するものだ。魔力がなくなれば、セラは空っぽの動かない人形になってしまう。  「もういいっ!母親がいなくなれば、赤子はすぐに見つかるっ。さあ、この死にぞこないから全ての魔力を奪え!」  広い神殿にエドワーズのわめき声が響いた。耳を澄ませば、ゴゴオオオという、吹雪の音が聞こえてくる。  (ねえ、もう一度だけ……貴方に会いたかったわ。)  セラは目を閉じて、大切な元婚約者の顔を思い浮かべる。彼はセラが残したものを見つけて、幸せになってくれるだろうか。  「セラの魔力をすべて奪うまで、あと少しです!」  魔法陣は目を開けていられないほどのまばゆい光を放っている。セラに残された魔力が根こそぎ奪われていく。もはや抵抗は無意味だった。  (ああ……ついに終わるのね……。)  ついにセラは力を失い、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。  「ねえ、***…………。ずっと貴方を……愛していたわ……。」  彼の傍にいる間、一度も伝えたことのなかった想いをセラは最後にそっと呟いた。  

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。