貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

レアンドロ王子の苦悩。

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 ――聖女とは、慈悲だけの存在では無いのだな。

 頭が冷静さを取り戻す。
 即決を躊躇ったレアンドロとエリーザベトには考える猶予が与えられた。
 聖女との対面の場はそこで一旦お開きになった。
 聖女達が友人であるガリアの公爵令嬢メテオーラ・ピロスに乞われて庭園に向かうのに途中まで同行する。
 エリーザベトが、聖女にカレル卿が『種痘』を受けたのかどうかと訊ねた。
 先程聖女は家族も受けたと言っていたのに、何故わざわざあの男個人のことを訊き直すのか。
 エリーザベトに問いただせば、つらつら言い訳をして取り繕うだろうが――その答えは明白だ。

 案の定、聖女が訝し気な表情を一瞬浮かべながらも頷く。
 カレル卿のことは心底気に食わないが、何故妹がいるこの場に居ないのだろうと気になった。神の刻印を受けたというのならば丁度良い。
 レアンドロは一度咳払いをし、カレル卿が体調を崩しているのかと聖女に訊ねてみる。

 「いいえ、兄は――」

 しかし、聖女が答える前にそこを通りかかったトラス王国の貴族令嬢達の一団に絡まれた。
 彼女達はレアンドロとエリーザベトが並ぶと似合いだと持て囃してくる。
 作り笑いをしながらレアンドロは内心毒づいた。

 ――心にも無いことを。

 令嬢達はカレル卿の信奉者だ。カレル卿が皇女エリーザベトに付きっ切りなのが気に食わないのだろう。
 それに、つい先程偶然姿見の前を通りかかった折に見た――長身の皇女エリーザベトと並んだ自分の姿は随分と貧相に思えた。

 エリーザベトが、令嬢達に宮殿には慣れたかと問われ、カレル卿には世話になっていると切り返す。
 目元を険しくする令嬢達。

 と、聖女が兄は十分にもてなせているかどうか、と思い出しようにエリーザベトに訊ねている。
 分かりやすく頬を染めて恥じらっているのが苛立たしい。
 聖女がじっと皇女を見ながら、レアンドロが居るのでカレル卿のエスコート役はお役御免だと続けると、エリーザベトの表情が暗くなった。
 そこで、レアンドロはある可能性に気付く。

 ――聖女は皇女の反応を見ているのか?

 皇女エリーザベトの婚約者としてのレアンドロを立てる発言。
 もしや聖女もカレル卿とエリーザベト皇女が仲良くなることを警戒しているのだろうか。
 そんなことを考えていると、

 「……もしかして、聖女様でいらっしゃいますか」

 一人の令嬢が恐る恐るした質問。
 聖女が諾と答えると、令嬢達全員にビシリと緊張感が走ったように思えた。
 その様子にレアンドロは王妃である母や王太后である祖母を思い出す。
 如何なるご令嬢も貴婦人も、彼女らの前にあっては同じように緊張感を纏い、恐れ敬う姿勢になるものだった。
 目の前の聖女もまた、年若いにも関わらず、王妃や王太后にも負けない程の威厳と気品がある――レアンドロにはそう感じられた。

 「聖女様、カレル卿はご一緒にはいらっしゃらなかったのですか?」

 令嬢の声に我に返るレアンドロ。聖女は、今日は兄達の休暇なのだと答えた。聖女達が王都に戻って来たことで気が緩んだのだろう、と。

 「それはようございましたわ」

 エリーザベトの所為でカレル卿が気を張っていたのだろう、と揶揄する令嬢。エリーザベトは言い返すことも出来ずに俯くばかりである。

 ――神聖アレマニア帝国の第一皇女ともあろう者が!

 この時、レアンドロはある決断を下していた。


***


 聖女達と別れた後、レアンドロは皇女エリーザベトの手を引っ張りぐんぐんと歩を進めていた。

 「い、痛いですわレアンドロ様!」

 人気のない場所まで来たところで、レアンドロは振り向いて手を離す。
 侍女に気遣われながら手を擦るエリーザベトに、強い視線を投げかけた。念の為、アレマニア語での会話に切り替える。

 「『リシィ、貴女はやはり……』」

 カレル卿のことを好いているのだな、という言葉を飲み込む。
 代わりに出たのは自身の王太子という立場となけなしの矜持を守るための無自覚な言い訳だったのかも知れない。
 皇女エリーザベトにエスパーニャ王妃は務まらない――それが、レアンドロの下した結論だった。

 「『いや……貴女には、エスパーニャの王妃は難しいのかも知れぬ』」

 重々しく告げた言葉に、エリーザベトの侍女が「『何ということを仰せになるのです!』」と金切声を上げる。
 エリーザベトもまた、顔を青褪めさせていた。

 「『そ、そんな。レアンドロ様は先程のことを誤解しておられます! 人としてお世話になった方を気に掛けるのは当然のことです。私には何のやましいこともないと先日も申し上げたではありませんか!』」

 しかしレアンドロは首を横に振った。

 「『そういうことではない。私の妻としてエスパーニャの王妃になれば、先程の貴族令嬢達以上に癖の多い女達を相手にせねばならなくなる。貴女にそれを御し、王妃として君臨出来るとは私には到底思えない』」

 「『……!』」

 勿論カレル卿に心奪われ、それを他者に見透かされていることも問題だった。それでは容易く他者に付け入る隙を与えてしまう。
 レアンドロは手が白くなるほど握りしめ、歯を食いしばる。口の中に苦みが広がって行くように感じた。

 「『……私が国を発つ前、神聖アレマニア帝国からはリシィ以外の皇族の令嬢の釣り書きが届けられた』」

 エリーザベトが瞠目し、口元に手を当てた。

 「『それは本当ですか!?』」

 レアンドロは瞑目し頷く。一度認めてしまうと、激情が無力感に取って代わられていった。

 「『神聖皇帝陛下は私とリシィの婚姻に関して方針を変えられたのだ、と私は判断した。恐らく聖女を引き込む為だろうが――人の気持ちなど置き去りにしたということ。
 王侯貴族の婚姻はそうしたものだと理解はしていたが、これまで貴女と育んできた想いが無下にされるのかと思うと。
 それでも私は貴女を想うがゆえにこうしてトラス王国まで追ってきたというのに。
 こうして突き付けられた現実は、今ここにある通りだ』」

 「『ですから、それは誤解と! それに父皇様が方針を変えられたのかどうかは分かりませんわ!』」

 エリーザベトは慌てた様に言い募る。しかし、レアンドロは悄然と肩を落とした。

 「『……この話はもうよそう。不毛であり、辛くなるだけだ。私達ではなく、父エスパーニャ王と神聖皇帝陛下との間で決められること』」

 「『レアンドロ様……』」

 王族として生まれた宿命――自分は夢を見過ぎていたのだ。自身に言い聞かせるように吐き捨てると、重い沈黙が下りた。
 しかし一国の王子として落ち込んでばかりもいられない。
 レアンドロは先程聖女に突き付けられた選択を選び取らなければならないのだ。
 一つ大きく息を吐くと、レアンドロはエリーザベトに問いかけた。

 「『それよりも、貴女はかの刻印を受けるおつもりか?』」

 エリーザベトは物言いたげに口を開きかけ、また閉じた。しばしの沈黙の後、きっぱりと顔を上げる。

 「『……受けますわ。アーダム兄上様は聖女様に嫌われておいでのようですもの。ここは私がアレマニアの為に頑張らねばなりません。それに、聖女様のご家族も全員受けておられるようですし、私が受けても問題はないでしょう。レアンドロ様は?』」

 「『私はまだ、決めかねている』」

 「『そうですか。私、聖女様達が庭園におられるうちに伝えに行こうと存じます』」

 「『ああ……』」

 エリーザベトを見送った後、レアンドロは自室へ戻った。
 父エスパーニャ王に宛てた報告の手紙を書いていると、側近の男が祖国より使いがやってきたことを告げる。

 ――聖女の為人ひととなりを見極め、本物ならば取り入るように。『神の刻印』についても知り得たことを報告すべし。

 「『刻印についてもう父王陛下はご存知なのか?』」

 「『はい、影の者が情報を持ち帰ってございます』」

 「『分かった。この手紙を父王陛下へ。きっとお心に叶うように致します、と伝えてくれ』」

 使いが立ち去ると、レアンドロは立ち上がった。
 まだ聖女は宮廷に滞在しているだろうか。
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