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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】
二虎競食の計――政治権力はバランスが大事なのです。
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※二虎競食の計:二匹の虎を争わせ、潰し合いをさせる。
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「……本当にアーダムがしでかしたというのか。ダンカンもついていたというのに。濡れ衣ではないのか?」
「陛下、殿下のことを信じたいお気持ちは真に尊きお心ですが、ここだけの話……実は、トラス王国へ向かわせた私めの倅が聖女様の下へおりまする。上手く取り入ることに成功しまして。
別口で届いた倅の手紙に書かれていた詳細には、最初は弟皇子であった賢者を訪ねてきたアレマニア帝国の皇太子が聖女様に麻痺香を嗅がせて攫い、そこにアーダム殿下が出くわして好機と見て横取りしたと。どうも殿下は功を急がれたようでございますな。ダンカン様では止められなかったのでございましょう」
そこでアーダム殿下が聖女様をダージリン伯爵にお返ししていれば良かったのですが……と言葉を濁すアントン。
皇帝ルードルフは溜息を吐いて瞑目した。
「成程……好戦的な性格は皇帝に相応しいものだと買っていたが、慢心であろうな。聖女の夫を侮ったのが仇となったのだ。大方、アヤスラニ帝国の皇太子に聖女を渡してはならぬという気持ちも働いたのであろう。運の悪いことだ、失敗した挙句に虜囚となってしまうとは」
「はい。聖女様は神の娘――もしかすると何か不思議な神の采配があったのかも知れません。助けられた聖女様ご本人はお怒りのご様子で。アヤスラニ皇太子は勿論、アーダム殿下も許しがたし、解放して欲しくば謝罪と賠償をせよ、と」
「謝罪と賠償……それがこの手紙ということか」
「アーダム殿下の命と引き換えならば安いものかと。聖女様はアヤスラニ帝国へも同様の内容を要求しているそうです」
そうであろうな、と思いながら、皇帝ルードルフは列挙された賠償の内容を読み上げた。
「……商船五十隻分の建造費、キーマン商会の商売に対する関税撤廃措置、お前の息子を代表とした『銀行』の営業許可、皇帝は教会(寛容派)の天然痘予防対策に協力すること、石炭鉱と鉄鉱の採掘権を二百年間ヴァッガー家に渡すこと――この、『銀行』とは如何なるものか?」
「お答えします。こちらは良心的な金貸しとでも申しましょうか。『銀行』とは金や銀を預かったり、商売取引に便利な『銀行券』なるものを発行したりする事業とのことだと倅が申しておりました。
キーマン商会の商売拡大に関連しての要求でございましょうが、これにはこちらにも悪徳金貸し共が駆逐されるという利がございます。
陛下がこれを行おうとすれば、金貸し達からは恨まれましょう。しかし、寛容派――聖女様が行うので怨嗟はそちらに向かいます。そこで不寛容派が金貸し達を保護する動きを見せれば、金貸し達は陛下を頼るようになります」
そう言って、ニヤリと卑屈に見える笑みを浮かべるアントン・ヴァッガー。
神聖アレマニア帝国皇帝は、鼻を鳴らして冷ややかに一瞥した。
「お前の小倅がずる賢く聖女に囁き、晴れてその『銀行』の代表として関わるようになった、と――抜け目のないことだ」
「陛下のご慧眼の前には卑しき企みは全てお見通しでございます。我らは商人にて、利を求める者。更にこうして一枚咬むことにて相手側を牽制し、帝国を守る楔ともなれると愚考致しました。私共とて、他国の商会が大きな顔をするのは避けたいところにございます。
ヴァッガ―家は金貸し業も行っておりますし、聖女様にも倅という人質を差し出し信頼を得ております故……当初、聖女様の下にいらっしゃるヴェスカル殿下やエトムント枢機卿猊下に銀行の代表や採掘権を、という話がございましたが、倅が上手く食い止めたのでございます。
つきましては陛下。聖女様の求められた銀行業及び石炭と鉄鉱の採掘権に関して、私共に一任しては頂けないでしょうか」
ヴェスカル――今は亡き身分の低い側室から生まれた、あの覇気の無い子供。もう一人の息子が聖女に召し上げられたことを皇帝は知っていた。
寛容派諸侯はヴェスカルを担ごうとしているという。到底皇帝になれる器ではないが、帝国を牛耳る為の傀儡としてならばさぞかし優秀だろう。
皇帝はじっとアントンを見た。
強欲で小者、利に流され信用出来る人物ではないが、使いどころさえ誤らなければ便利な男である。
「ふん、口の上手いことだ……帝国の為に働くのであれば任せてもよい。商船の建造費や関税撤廃権は理解出来るが、石炭と鉄鉱はよく分からぬな。石炭は用途が限られているし、大砲の鋳造は青銅が主。刀剣でも作るつもりなのか」
「石炭はレンガを焼いたり、塩や石鹸等を作る燃料にも使われております。また、倅によれば聖女の父キャンディ伯爵家の領地は山地が多く、夫のダージリン伯爵も新たな領地を拝領したばかり。建物や橋などを作る建材として必要としているのだろうということにございました」
「成程……採掘権をお前達に渡すようにと聖女が要求したのは何故だ」
「恐らくですが管理の問題でございましょう。ヴァッガー家とキーマン商会との間で販売契約を結ぶ。帝国を拠点とする当家が採掘権を持つことで調整し、適切な価格で販売するのです。民達にも不足の無きよう取り計らうことが出来ます」
「まあ、よい。ところで、アーダムに同行していたデブランツ大司教も捕まったのか?」
「残念ながら。大司教様は聖地に送られたそうにございます」
ということは、大司教代わりにアレマニアの教会を纏める為、にサングマ教皇の息がかかったエトムント・サラトガル枢機卿が派遣されてくるだろう。
そうなればアレマニア全体が寛容派に塗り替えられる。寛容派の影響が強くなり過ぎるのは好ましくなかった。外部、聖女が生まれたトラス王国や聖地の教皇からの内政干渉がされれば目も当てられない。
理想は不寛容派と寛容派が程よく対立する状況である。不寛容派を削り皇帝の権威を盤石にする為、寛容派が台頭するよう手助けしていたのが先皇、そして皇子時代のルードルフであった。
ルードルフの父の先皇が読んでいた東方にある異国の兵法書にある『二頭の虎を争わせて利を得る計略』。
それは功を奏したものの、後に寛容派勢力が強まり過ぎて教皇まで誕生するとは思わなかった。故に帝国内では皇帝は不寛容派寄りとなって均衡を保っている状況である。
神聖皇帝としての権威が強まってきたというのに、この状況は宜しくない――そのように考えを巡らせ、皇帝は口を開く。
「……アーダムの外、聖地に捕らわれているデブランツ、アブラーモ大司教両名を含む全員の釈放。それを条件に聖女の求める謝罪と賠償を呑むこととしよう」
これを機に不寛容派に恩を売っておくのも良い。それに、選帝侯でもあるデブランツ大司教は皇帝選挙にも関わってくる。
一商会の関税撤廃措置に金貸し業の許可、石炭、教会主導の天然痘対策はどうでも良いが、商船五十隻と鉄鉱の採掘権はかなりの痛手だ。
皇帝ルードルフとしては、息子アーダム達に加え、二人の大司教の釈放を求めないと割に合わなかった。
「返事を書くので託ける。暫し待つように」
「かしこまりました」
首を垂れて下がるアントン。皇帝は執務室へ向かうと羽ペンを手に取った。手紙を二通書き上げると侍従を二人呼び、一人に一通を渡してアントンに届けるように命じる。
そして、もう一通を残った一人に渡した。
「トラス王国に居る娘宛だ。早馬を飛ばせ」
「かしこまりました」
侍従が慌ただしく辞して執務室を出ていく。
それはアーダムの妹、皇女エリーザベトに兄の失態を詫びさせ、何としてでも聖女に取り入るようにと命じた手紙であった。
アーダムが聖女に敵視された分、保険としてエリーザベトに頑張って貰わねばならない。
――場合によってはどちらかを切り捨てることもあり得る。
皇帝ルードルフはその覚悟を決めた。
後日――アントン・ヴァッガーより、聖女がこちらの要求を飲んだとの報告があった。
商船の建造費やキーマン商会への関税撤廃を始めとする聖女の要求に対して裁可が下された後、最後にアントンが差し出した銀行の許可申請。神聖アレマニア皇帝はそれに目を通した後流れるようにサインをし、印章を押印して正式に営業許可を出した。
営業形態が小さな文字で長々と書かれてある中にひっそりと記された、銀行券の発行権と管理権を定めた項目の重要性にはアントン以外誰も気付くことはなかった。
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「……本当にアーダムがしでかしたというのか。ダンカンもついていたというのに。濡れ衣ではないのか?」
「陛下、殿下のことを信じたいお気持ちは真に尊きお心ですが、ここだけの話……実は、トラス王国へ向かわせた私めの倅が聖女様の下へおりまする。上手く取り入ることに成功しまして。
別口で届いた倅の手紙に書かれていた詳細には、最初は弟皇子であった賢者を訪ねてきたアレマニア帝国の皇太子が聖女様に麻痺香を嗅がせて攫い、そこにアーダム殿下が出くわして好機と見て横取りしたと。どうも殿下は功を急がれたようでございますな。ダンカン様では止められなかったのでございましょう」
そこでアーダム殿下が聖女様をダージリン伯爵にお返ししていれば良かったのですが……と言葉を濁すアントン。
皇帝ルードルフは溜息を吐いて瞑目した。
「成程……好戦的な性格は皇帝に相応しいものだと買っていたが、慢心であろうな。聖女の夫を侮ったのが仇となったのだ。大方、アヤスラニ帝国の皇太子に聖女を渡してはならぬという気持ちも働いたのであろう。運の悪いことだ、失敗した挙句に虜囚となってしまうとは」
「はい。聖女様は神の娘――もしかすると何か不思議な神の采配があったのかも知れません。助けられた聖女様ご本人はお怒りのご様子で。アヤスラニ皇太子は勿論、アーダム殿下も許しがたし、解放して欲しくば謝罪と賠償をせよ、と」
「謝罪と賠償……それがこの手紙ということか」
「アーダム殿下の命と引き換えならば安いものかと。聖女様はアヤスラニ帝国へも同様の内容を要求しているそうです」
そうであろうな、と思いながら、皇帝ルードルフは列挙された賠償の内容を読み上げた。
「……商船五十隻分の建造費、キーマン商会の商売に対する関税撤廃措置、お前の息子を代表とした『銀行』の営業許可、皇帝は教会(寛容派)の天然痘予防対策に協力すること、石炭鉱と鉄鉱の採掘権を二百年間ヴァッガー家に渡すこと――この、『銀行』とは如何なるものか?」
「お答えします。こちらは良心的な金貸しとでも申しましょうか。『銀行』とは金や銀を預かったり、商売取引に便利な『銀行券』なるものを発行したりする事業とのことだと倅が申しておりました。
キーマン商会の商売拡大に関連しての要求でございましょうが、これにはこちらにも悪徳金貸し共が駆逐されるという利がございます。
陛下がこれを行おうとすれば、金貸し達からは恨まれましょう。しかし、寛容派――聖女様が行うので怨嗟はそちらに向かいます。そこで不寛容派が金貸し達を保護する動きを見せれば、金貸し達は陛下を頼るようになります」
そう言って、ニヤリと卑屈に見える笑みを浮かべるアントン・ヴァッガー。
神聖アレマニア帝国皇帝は、鼻を鳴らして冷ややかに一瞥した。
「お前の小倅がずる賢く聖女に囁き、晴れてその『銀行』の代表として関わるようになった、と――抜け目のないことだ」
「陛下のご慧眼の前には卑しき企みは全てお見通しでございます。我らは商人にて、利を求める者。更にこうして一枚咬むことにて相手側を牽制し、帝国を守る楔ともなれると愚考致しました。私共とて、他国の商会が大きな顔をするのは避けたいところにございます。
ヴァッガ―家は金貸し業も行っておりますし、聖女様にも倅という人質を差し出し信頼を得ております故……当初、聖女様の下にいらっしゃるヴェスカル殿下やエトムント枢機卿猊下に銀行の代表や採掘権を、という話がございましたが、倅が上手く食い止めたのでございます。
つきましては陛下。聖女様の求められた銀行業及び石炭と鉄鉱の採掘権に関して、私共に一任しては頂けないでしょうか」
ヴェスカル――今は亡き身分の低い側室から生まれた、あの覇気の無い子供。もう一人の息子が聖女に召し上げられたことを皇帝は知っていた。
寛容派諸侯はヴェスカルを担ごうとしているという。到底皇帝になれる器ではないが、帝国を牛耳る為の傀儡としてならばさぞかし優秀だろう。
皇帝はじっとアントンを見た。
強欲で小者、利に流され信用出来る人物ではないが、使いどころさえ誤らなければ便利な男である。
「ふん、口の上手いことだ……帝国の為に働くのであれば任せてもよい。商船の建造費や関税撤廃権は理解出来るが、石炭と鉄鉱はよく分からぬな。石炭は用途が限られているし、大砲の鋳造は青銅が主。刀剣でも作るつもりなのか」
「石炭はレンガを焼いたり、塩や石鹸等を作る燃料にも使われております。また、倅によれば聖女の父キャンディ伯爵家の領地は山地が多く、夫のダージリン伯爵も新たな領地を拝領したばかり。建物や橋などを作る建材として必要としているのだろうということにございました」
「成程……採掘権をお前達に渡すようにと聖女が要求したのは何故だ」
「恐らくですが管理の問題でございましょう。ヴァッガー家とキーマン商会との間で販売契約を結ぶ。帝国を拠点とする当家が採掘権を持つことで調整し、適切な価格で販売するのです。民達にも不足の無きよう取り計らうことが出来ます」
「まあ、よい。ところで、アーダムに同行していたデブランツ大司教も捕まったのか?」
「残念ながら。大司教様は聖地に送られたそうにございます」
ということは、大司教代わりにアレマニアの教会を纏める為、にサングマ教皇の息がかかったエトムント・サラトガル枢機卿が派遣されてくるだろう。
そうなればアレマニア全体が寛容派に塗り替えられる。寛容派の影響が強くなり過ぎるのは好ましくなかった。外部、聖女が生まれたトラス王国や聖地の教皇からの内政干渉がされれば目も当てられない。
理想は不寛容派と寛容派が程よく対立する状況である。不寛容派を削り皇帝の権威を盤石にする為、寛容派が台頭するよう手助けしていたのが先皇、そして皇子時代のルードルフであった。
ルードルフの父の先皇が読んでいた東方にある異国の兵法書にある『二頭の虎を争わせて利を得る計略』。
それは功を奏したものの、後に寛容派勢力が強まり過ぎて教皇まで誕生するとは思わなかった。故に帝国内では皇帝は不寛容派寄りとなって均衡を保っている状況である。
神聖皇帝としての権威が強まってきたというのに、この状況は宜しくない――そのように考えを巡らせ、皇帝は口を開く。
「……アーダムの外、聖地に捕らわれているデブランツ、アブラーモ大司教両名を含む全員の釈放。それを条件に聖女の求める謝罪と賠償を呑むこととしよう」
これを機に不寛容派に恩を売っておくのも良い。それに、選帝侯でもあるデブランツ大司教は皇帝選挙にも関わってくる。
一商会の関税撤廃措置に金貸し業の許可、石炭、教会主導の天然痘対策はどうでも良いが、商船五十隻と鉄鉱の採掘権はかなりの痛手だ。
皇帝ルードルフとしては、息子アーダム達に加え、二人の大司教の釈放を求めないと割に合わなかった。
「返事を書くので託ける。暫し待つように」
「かしこまりました」
首を垂れて下がるアントン。皇帝は執務室へ向かうと羽ペンを手に取った。手紙を二通書き上げると侍従を二人呼び、一人に一通を渡してアントンに届けるように命じる。
そして、もう一通を残った一人に渡した。
「トラス王国に居る娘宛だ。早馬を飛ばせ」
「かしこまりました」
侍従が慌ただしく辞して執務室を出ていく。
それはアーダムの妹、皇女エリーザベトに兄の失態を詫びさせ、何としてでも聖女に取り入るようにと命じた手紙であった。
アーダムが聖女に敵視された分、保険としてエリーザベトに頑張って貰わねばならない。
――場合によってはどちらかを切り捨てることもあり得る。
皇帝ルードルフはその覚悟を決めた。
後日――アントン・ヴァッガーより、聖女がこちらの要求を飲んだとの報告があった。
商船の建造費やキーマン商会への関税撤廃を始めとする聖女の要求に対して裁可が下された後、最後にアントンが差し出した銀行の許可申請。神聖アレマニア皇帝はそれに目を通した後流れるようにサインをし、印章を押印して正式に営業許可を出した。
営業形態が小さな文字で長々と書かれてある中にひっそりと記された、銀行券の発行権と管理権を定めた項目の重要性にはアントン以外誰も気付くことはなかった。
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「番外編 相変わらずな日常」
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