貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

玉突き誘拐。

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 目を開けると、知らない天井だった。
 しかも武骨な木造りで、薄暗い。木の軋む音。寝ていても分かる、揺られている感覚。
 まるで、船室のような――

 「目覚めたか、我が聖女よ」

 低い男の声にぎょっとして顔を動かすと、そこに立っていたのは何と、あの糞ゴリラ――アーダム皇子だった。

 「ぎゃあああああああっっ!!」

 悲鳴を上げてベッドの上を後退る。背中がドン、と壁にぶつかった。
 に、逃げられない!

 「な、何であんたがここに!」

 パニックになって叫ぶように言いながらもシュミーズ一枚な事に気付いて、慌てて寝具をかき集める。
 そんな私の様子にアーダム皇子は腕を組み、眉を片方上げた。

 「随分な挨拶だな、折角助けてやったというのに」

 「……助けた、ですって?」

 助けたとはどういうことなのか。眉を顰めて鸚鵡返しに問いかけると、糞ゴリラは「そなたは眠っていたから気付いていなかっただろうが……」と言いながらベッドサイドに腰掛ける。ギシリとベッドが悲鳴を上げた。
 背中を向けたままアーダム皇子は語り出す。

 「聖女よ、そなたはかのアヤスラニ帝国のオスマン皇太子に拐かされていたのだ」

 「……何ですって? それは本当なの?」

 オス麿が私を誘拐した?
 愕然としていると、アーダム皇子はそうだと頷いた。
 アルバート王子に見送られ、ナヴィガポールの港を出航した後。アーダム皇子はどうしても諦めきれずジュリヴァの港へ舞い戻ったそうだ。
 私と再び会う算段をしていたところ、人目を忍ぶように行動するオス麿一行を見たとのこと。

 「これは好機だと思ってな。意趣返しも含めて襲撃したところ、そなたが運良く我が手の内に転がり込んできたのだ。かの男は討ち漏らしたが……そなたを追って来た者共は間抜けにも奴らに気を取られ、こちらをまんまと見逃した。私は実に幸運に恵まれている」

 こちらを振り向き、不敵な笑みを浮かべるアーダム皇子。
 玉突き事故ならぬ玉突き誘拐って奴か……やっぱりこいつは糞ゴリラだ。

 「助けたって……よくもそんな恥知らずな事を言えるわね!」

 要は漁夫の利とばかりに攫った癖に!
 怒ると、何だか頭がくらくらする。
 よろめいてベッドに手をついた私に、糞ゴリラは助けたのは事実だ、と肩を竦める。

 「聞け。そなたの着ていた衣からはうっすらとではあるが独特の香りがした。アヤスラニ帝国の呪術師が作ると言われている麻痺香――かつて我が国とかの国の大戦でも使われた記録がある。
 大方おおかたそなたはその香の煙を吸わされたのだろう。あの香は何度も吸えば精神がやられる。一歩間違えれば廃人にされていたかも知れぬところを救ったのだ、一言礼を言っても然るべきではないか?」

 言われて、先程眩暈を感じたのは薬の所為かと合点する。
 と、私ははっと我に返った。

 「ま、まさかこれ……あんたが着替えさせて……」

 知らず、震える声。意識が無いのを良いことに好き勝手されていたら。
 ガクガクしている私に、アーダム皇子は鼻で笑った。

 「ふっ、残念だがやったのはトラス王国人の侍女だ。それに、私は意識の無い女を抱く趣味は無い。安心するがいい」

 「……トラス王国人の侍女?」

 内心安堵しながらも、『トラス王国人の侍女』という言葉が嫌に気になった。
 まさかサリーナ?
 いや、彼女は大人しく従うようなタイプではないと思い直す。

 「確かフレールと言ったか、リプトン伯爵夫人と名乗った女とその侍女を拾ったのだ。丁度ジュリヴァの港で出くわしてな。
 私がそなたを手に入れる手伝いをすれば、爵位とよい夫を世話してやると言えば喜んで協力してきたぞ」

 「はああっ!?」

 思いがけない名前を聞いて、私は素っ頓狂な声を上げた。

 と、ぼんやりした記憶が蘇る。
 あの夢現に聞いたあの時の言葉――あれは、現実のものだったんだ。
 しかし何故フレールが。
 彼女はリプトン伯爵領に居るはず。何故ジュリヴァの港に居たのだろうか。

 疑問がぐるぐると脳裏を回る。兎に角このまま大人しく攫われている訳にはいかない。
 まずは体調を整えて、情報収集をしなければ。

 「……お礼は言っておきますわ。オスマr……ン皇太子の魔の手から救って下さり感謝致しますわアーダム皇子」

 私は居住まいを正し、下手に出て糞ゴリラに頭を下げた。
 行動するには少しずつ相手の油断を誘わないと。
 丁寧に礼をした私に、アーダム皇子は満足そうに頷く。

 「うむ、女は素直になるのが一番だな。体に不調は無いか?」

 「ええ、少し頭痛と眩暈がする以外はありませんわ。ところで、この船は今どこに居て、どこへ向かっておりますの?」

 「今はガリア王国の西方沖だ。このまま南下し、ガリア王国をぐるりと回って行く形で、東方小国群の港へ向かっている」

 「そう……私をトラス王国へ戻して下さる気はありますの?」

 「聖女よ、先に言っておこう。聖地に向かうまでにはそなたを我が妻にするつもりだ」

 「なっ……私に何かするなら!」

 生理的な嫌悪感に背筋がぞわぞわする。
 しかし発火能力を発動する寸前、私の首はアーダム皇子の右手に捉えられていた。
 力は入れられていないが、何時でも私を縊り殺すことが出来るだろう。

 「おっと、妙な真似はせぬことだ聖女。この船が燃えればそなた諸共海の藻屑となるであろう」

 燃えるような覇気の籠った目で見詰められ、私は呻くことしか出来ない。
 目を閉じると、アーダム皇子は「観念したか」と呟いて、そっと右手を外した。

 「……安心するがいい、そなたが従順でいるのならば無理強いはせぬ。無理強いしたところで逆効果なようだからな。
 どうせここは洋上、そなたは我が手の内からは逃げられぬ。聖地に着くまでに覚悟を決めることだ」

 「……」

 私はあまりの事に言葉を紡げなかった。
 強い眩暈に襲われてそれ以上身を起こしていられず、ベッドに倒れ込み屈辱に打ち震える。

 「無理はせぬように……薬の影響が完全に抜け切るまでは安静にしているがいい」

 後で食事を運ばせよう、と言って、アーダム皇子は私の髪を一房取って口付けた。
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