貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(64)

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 「私には夫がいるのでお断りしたはずですわぁ~」

 マリーが我儘尊大聖女を演じながら、アレマニア帝国には人妻に求婚する恥知らずしかいないのかと当て擦る。怒ったのはアーダム皇子ではなく側近のダンカン。皇妃になるのが名誉だと、僕が相応の身分や地位と引き換えに身を引くべきだと吠えた。
 流石に僕も我慢の限界だ。一言言ってやらねば気が済まない。

 「成程、貴方は自分の妻を他国の王に王妃にしてやる、身分も地位もやるから差し出せと言われればそのようになさるのですね」

 実際にそういう状況の時にダンカンはそうするだろう。それだけの忠誠心は見上げたものだけど、僕は愛する妻を犠牲にしてまで立身出世は望んでいない。
 そう言うと、ダンカンはぐうの音も出ないようだった。代わりにアーダム皇子の視線がこちらにひたと向けられる。
 申し訳なさそうに口では詫びながらも女の背後に隠れるような臆病者だと嘲笑の視線を受けた。
 そこへマリーが何故自分が妃になる事前提なのかと冷ややかに口を挟む。アーダム皇子は同意を得られるまで口説くつもりだと不敵な笑みを浮かべた。
 気持ち悪いから国に帰れとはっきり言い渡すマリー。
 ダンカンも首を振りながら、マリーを皇妃にすると逆に皇帝選挙の足を引っ張る事になると諫言した。
 しかしその後がいけなかった。

 「このような女です、大方国内でも碌な嫁ぎ先が無く、悪魔の申し子、汚らわしい赤毛を夫にするしかなかったのでしょう」

 目の前が真っ赤に染まったような幻視。

 ――今、何て言った?

 僕のことは何とでも言うがいい。だけど、マリーの事を侮辱するのは許さない。
 怒りにかられ、マリーを庇うべく立ち上がろうとしたその時だった。

 「……何ですって? ダンカンとやら……お前、今、何を、言ったのかしら?」

 底冷えのする声に僕ははっと冷静さを取り戻す。
 マリーは僕以上に怒っていた模様。彼女の足置きになっているメイソンが痛みを覚えたのか呻いた。

 「マリー、ダメだよ」

 慌てて注意を促す。僕の怒りと彼女の怒りは訳が違う。
 聖女の力が暴走しかねない!
 それに、変にアーダム皇子の興味を引いては――

 焦る僕。しかし彼女は口出し無用とばかりにすっと腕を横に出した。先程の言葉をもう一度ハッキリ言えとダンカンに凄むマリー。
 ダンカンは多少怖気付く様子を見せるも、直ぐに威勢良く汚らわしい赤毛の夫は偽聖女に似合いだと指先を突き付けた。

 ざわり。

 全身が総毛だったかと思うと、ダンカンが一瞬にして燃え上がる。
 ああ、止められなかったか。

 案の定、アーダム皇子は側近が火だるまになったというのに神の怒りかと嬉しそうな声を上げている。
 示威の為に部屋に集めていた烏達や鷲のマイティ―も、マリーの精神状態に引っ張られたのかギャアギャアと騒ぎ始めた。
 明らかに人ならざる力を目にした他のアレマニア人達は、驚愕の表情を浮かべている。聖地でアブラーモ大司教も同じようなことになったのは耳にしていたものの、きっと話半分に思っていたのだろう。

 地を転げまわり鎮火したダンカンは、マリーのことを魔女だと言い始めた。それに乗っかるデブランツ大司教。

 マリーが微笑みながら魔女呼ばわりされたことを訴えると、それまで黙っていたアルバート殿下、サイモン様がその非を責め始めた。ヨハンとシュテファンもマリーに対する無礼を怒り、神聖アレマニア帝国は聖女の敵となったと剣の柄に手を添えている。
 マリーに会えたことに満足して城を出て帰国すれば穏便に済んだのに、神聖アレマニア帝国は自ら墓穴を掘った。

 「その命、ここで落としても構わぬという事であろうな!」

 シュテファンの言葉に今更状況を理解したのだろう、ダンカンとデブランツ大司教は青褪めた。
 自らの首と引き換えにアーダム皇子の命乞いをするダンカン。逆にデブランツ大司教は自分を殺せば不寛容派が黙っていないと逃げ腰になっている。

 トラス王国貴族でもある聖女を侮辱したということは、神聖アレマニア帝国は事実上トラス王国の敵国となったも同然。
 彼らは大人しく城を出て帰国するしかない。しかも、聖女と敵対したという実績付きで。
 この流れで上手く行くかに思えた。

 ところが。

 状況の不利にも関わらず、アーダム皇子は悠然と前へ出て二人を庇い――マリーに両膝をついて頭を垂れた。
 これには僕も驚いた。これは罪人が行うようなもの。誇り高き皇族、それもアーダム皇子のような人物がするとは思いも寄らなかった。

 マリーも流石に面食らったのか、その言葉にいかほどの価値と信頼性があるのかと言いながらも戸惑っている。
 返す言葉も無いと更に深々と頭を下げるアーダム皇子。僕は内心そのしたたかさに舌を巻いた。
 これでこちらが相手を無下に追い返す訳にもいかなくなったのだ。

 万事休すか――と思ったその時だった。
 何やら外が騒がしくなり、数人の足音がしたかと思うと謁見の間の扉が開かれる。

 「『ふん、我が弟はここか!』」

 僕には聞き慣れたアヤスラニ帝国の言葉。
 現れたのは豪奢な衣装を身に纏った青年だった。
 イドゥリースが相手の姿を認めるなり、兄上と声を上げる。
 突然の事態に混乱していると、アヤスラニ帝国人と思われるこれまた立派な身形の中年の男が物凄く古めかしい言い回しで、闖入の非礼を詫びつつ、青年がアヤスラニ帝国皇太子オスマンだと言った。

 ――そう言えば、出会ったばかりのスレイマンもこんなトラス語だったっけ。

 既視感というか、懐かしさを覚えてつつ事態をどう収拾しようかぐるぐると考えていると。

 「皇太子ですって!?」

 今度はマリーが驚きの声を上げた。
 皇太子オスマンはマリーを目にとめると、居住まいを正す。
 不敵な笑みを浮かべると、アヤスラニ帝国式の所作で名乗りを上げた。

 「麿が名はオスマン。スルタン・イブラヒームリ・オスマン・シェフザーデ。よろしゅうお願い致すでおじゃる」

 いやそれ、古典文学の中の言い回しだよ。

 僕は脱力する。
 皇太子オスマンの言葉は、中年の男やかつてのスレイマンよりも輪をかけて古めかしかった。
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