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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(58)

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 アーダム皇子が兄妹水入らずで話をしたいと願うと、「ごゆっくりどうぞ」と礼儀正しく挨拶をして去って行くアルバート王子。
 部屋にはアーダム皇子と側近のダンカンが残される。
 ダンカンとも再会の挨拶を交わすと、アーダム皇子はエリーザベトを見据えた。

 「『……妹よ、アルバート第一王子のことは気に入らなかったか?』」

 「『いいえ、気に入る気に入らないではなく、当たり前の礼儀としてご挨拶しただけですわ。お会いしたばかりではしたなくは振る舞えませんもの。
 それに、お忘れですかアーダム兄上様。私にはレアンドロ様という方がいらっしゃるということを――』」

 言外に責めるエリーザベトに、アーダム皇子は面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 「『勿論知っているとも、婚約者候補に過ぎぬことをな。ふん、別に気に入らなくとも構わぬが、お前にはこの兄の為、あの王子に取り入って貰いたいのだ』」

 「『……どういうおつもりですの?』」

 「『聖女だ。私が皇帝になる為には、聖女が必要なのだ』」

 「『聖女様……?』」

 訝しんだエリーザベトは鸚鵡返しに問い返す。
 兄が皇帝になる為に聖女を必要としていることと、自分がアルバート王子に取り入ることと何の関係があるのか。
 そう問いかけると、ダンカンが経緯を話し始めた。



 「『兄上様がアルバート王子の監視から抜け出す為の囮、それが叶わずとも将来トラス王国の王妃となることで伯爵夫人でもある聖女様に命令を……何と大それたこと』」

 しかし皇女として、国の為にやらねばならない。
 アレマニア皇女歓迎の夜会――エリーザベトは広げた扇の内側で溜息を吐いた。

 ダンカンの言う通り、確かに神聖アレマニア帝国は不寛容派が強い。前教皇亡き後に就任した寛容派の教皇をどうにかしようとしていた矢先、現れた聖女。
 聖女が本物であれば、その後ろ盾になっている教皇を始め、寛容派は勢いづいてしまう。
 気が逸ったのか、偽物だと聖女に無礼を働いた不寛容派筆頭のアブラーモ大司教が聖地で獄に繋がれてしまった。不寛容派教皇を排除した後に教皇となるべく送り込まれた男が人質として捕まってしまったのだ。
 その場に居合わせた聖職者や信者達はこぞって聖女の奇跡を見たと諸国に喧伝する。捕まった大司教は他ならぬ神聖アレマニア帝国人。
 神の娘たる聖女に無礼を働いたとして、不寛容派勢力ひいては代々不寛容派の教皇に戴冠されてきた皇帝は人々の批判に晒された。
 更には皇帝選挙を数年後に控えた神聖アレマニア帝国は揺れている。
 不寛容派皇帝の息子であるアーダム皇子は次の皇位に相応しくない、と活動する貴族もいる。

 ――国の分裂、崩壊の危機でございますぞ。

 厳めしい表情でダンカンはそう告げた。

 「エリーザベト殿下、トラス王国の食事はお口に合いますか?」

 「ええ、お気遣いありがとうございますアルバート殿下。とても美味しゅうございますわ」

 「アルバート殿、宜しければ妹をダンスに誘って頂けませんか。アレマニアの皇宮は窮屈で人の目がある。皇女が誰かと踊っただけであれこれと言われるのです。だが、他国の宮殿であれば、余人の目を気にせず純粋に楽しめると思うのですが?」

 「あら、アーダム皇子殿下。他国だからこそ気を付けないとなりませんわ。エリーザベト殿下はエスパーニャ王国のレアンドロ第一王子殿下と想いを交わしていらっしゃると聞いておりますもの。
 アルバート殿下と皇女殿下の間に妙な噂が立てば、エスパーニャ王国との外交問題にもなりかねないのではございませんこと?」

 エリーザベトをダンスに誘わせようとするアーダム皇子に、それまで黙っていた貴婦人――ガリア王国からの客人であるというメテオーラ・ピロス公爵令嬢が笑顔を崩さぬまま口を挟む。侍女ヘルミーネが言うには、メテオーラは聖女の友人であるとのこと。
 アーダム皇子はメテオーラの言葉に肩を竦めた。

 「大袈裟では? エスパーニャ王国のレアンドロ殿下はあくまでも妹の婚約者候補の一人に過ぎません。この程度のことで目くじらを立てるような男ではないと思いますが? ガリア王国の方であるメテオーラ・ピロス公爵令嬢が気になさることでもありますまい」

 「差し出口でしたかしら? 私は一般論を申し上げただけですわ。エリーザベト殿下はお美しい方ですもの、人々の注目を集める故に様々な噂をされやすいかと存じます」

 こちらに顔を向けて微笑むメテオーラ。エリーザベトは内心、彼女の方がすらりとしているし洗練されたドレスも相まって美しいと感じていたので困惑を覚える。

 「まあ、メテオーラ様。そのような……」

 「確かにそうですね。神聖アレマニア帝国の美しい姫と踊りたがっている者もここには大勢いることでしょう」

 そう言ってアルバート第一王子はしばらく思案気にした後、傍に控えていた侍従に耳打ちする。侍従は頷き、楽団の方へ向かった。
 アルバート王子は立ち上がると、エリーザベトの前に立った。左手を胸に、右手をこちらに差し出してくる。顔を上げると、にこりと微笑まれた。

 「メヌエットムニュエを頼みました。美しい神聖アレマニア帝国の姫、私と一曲踊って頂けますか?」

 「喜んで」

 エリーザベトは内心安堵する。次々に相手を変えていくダンスという訳だ。

 ダンスが終わった頃には、エリーザベトはすっかりへとへとになっていた。何人と踊ったのかは途中で数えるのを放棄したし、何を話したのかもあまり覚えていない。
 侍女のヘルミーネ渡してくれた飲み物を片手に休息をとる。アルバート第一王子を探して視線を巡らせると、ガリアの公爵令嬢メテオーラと共に貴族達とにこやかに挨拶を交わしているのが見えた。

 それを見てエリーザベトは先刻のメテオーラの言葉の意味を知る。自分は牽制されていたのだと悟った。
 聖女を生み出したトラス王国と寛容派の聖地を擁するガリア王国。
 アーダム皇子のいうことを訊くならば、メテオーラをアルバート王子から引き剝がさねばならない。
 それが出来ずともアルバート王子の傍に自分も張り付いておくべきだろう。

 エリーザベトが重い腰を上げかけたその時、貴族達が騒めいた。
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