406 / 690
うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】
グレイ・ダージリン(56)
しおりを挟む
明くる日の朝――牛ノ庄から迎えが来たんだけれど。
「これは……何かあったのですか?」
挨拶もそこそこに、屋敷の広間を見た牛ノ庄の隠密騎士ウルリアン・ナグリの開口一番。
無理もない、と思う。獅子ノ庄では宴の後の惨状が広がっていたのだから。
酔っぱらい達は宴に参加しなかった男達により城へと運ばれ、そのまま屍のように広間に転がされていたのだ。
「実は昨日、グレイの護衛をして貰っているカールと私の侍女サリーナの婚約がハンス卿に認められたのよ。それで蛍鑑賞も兼ねて祝宴になって、皆こんな風に酔いつぶれてしまって……」
マリーが苦笑いをしながら説明する。
サリーナは平気そうに控えているけれど、カールは流石に飲み過ぎたのか顔色を悪くして立っているのがやっとみたいだ。無理しないで休んでいれば良いのに。
「皆が動けるようになるまで……申し訳ないけれどウルリアン、暫く獅子ノ庄で待っていてくれるかしら?」
「何と、」
ウルリアンは驚き、カールとサリーナにおめでとうと祝いの言葉を述べている。
ここまで酒を呑んだのは初めてだというカール。彼はどうもサリーナに勧められた分の酒まで飲み干したようだ。
……僕もいつかマリーを庇って酒を代わりに呑むことがあるかも知れない。
人並み以上に呑めるようになっておくべきだろうか、と考えていると、マリーが時間が出来たので蒸気機関車の図面を引く手伝って欲しいと言って来た。
聖女の能力で見せられた図面は精緻であり、確かに一人の手には余りそうな時間がかかるものだった。
限られた時間――マリーは立っているものは親でも使うわ、とサイモン様やハンス卿にも声を掛ける。職人達で酔いが覚めている面子をかき集めて皆で手分けして図面を引いた。
昼過ぎになって、漸く僕達はサイモン様達と共に獅子ノ庄を出た。
獅子ノ庄の湧水湖から流れる川を下る。鳥ノ庄の方から流れる川との合流地点。アルジャヴリヨンへ戻るサイモン様達とはそこで一旦お別れだ。
マリーがそろそろ跡取り息子であるディックゴルトを助けに来るだろうと、アレマニアの大富豪ヴァッガー家の動向を探ると、何と当主本人が偽名を名乗って城へ乗り込んで来ていることは分かった。
蒸気機関を動かす為の燃料は、石炭だそうだ。そして神聖アレマニア帝国に大規模な炭鉱があるのだとか。
石炭――炭鉱を確保する手段としてディックゴルトを上手く利用しよう、という流れだったのだけれど……まさか当主本人が蜘蛛の巣にのこのこ掛かりにやって来るなんて。
石炭は確保されたも同然と言えるだろう。それ以上に彼らは色々吐き出させられることになるかも。
まだ見ぬヴァッガー家の当主はご愁傷様だ。
ディックゴルトの父親への対応をサイモン様に託し、僕達は一路東へ。
熊ノ庄、鹿ノ庄と回って饗応を受けた後は、何事もなく無事に領都の城へと戻ったのだった。
***
……流石に疲れた。
皆の賑やかな出迎えの後。
僕もマリーも、湯浴みをして着替えると、物凄い眠気に襲われベッドへ倒れ込む。
旅の緊張感が緩んで安堵したのと長旅の疲れで、夕食も取らずに半日近く眠り続けた。
目が覚めると、既に次の朝。
商会の跡取りでもある僕は、旅なんてしょっちゅうで慣れている。まだ少しばかり疲労は残っているけど、休息と睡眠を取った今は問題無く活動出来る。
半身を起こして隣のマリーを見ると、彼女はまだ夢の中。
聖地への旅の時もそうだったように、旅慣れていない彼女にとってはまだ休息が必要なのだろう。
眠り続ける姫が王子の口づけで目を覚ます物語を思い出しながらじっとマリーの美貌を見つめていると、不意にその顔が苦悶に歪んだ。
「うぅ……全ては人口削減と監視社会のため……豚共を恐怖で支配し、自ら破滅を選ぶよう仕向け……」
「……」
悪夢を見ているんだろうけれど、言っている意味がよく分からない。異世界での夢を見ているのかも知れない。
「ヴァクーにこの夢をあげる、ヴァクーにこの夢をあげる、ヴァクーにこの夢をあげる……」
遥か彼方の異国には、夢を食べるヴァクーという生き物がいるという。悪夢を見た時はその夢をヴァクーにやると唱えると、ヴァクーがやってきて悪夢を食べてくれるそうだ。
そっと髪を撫でながら小声で唱えていると、マリーの表情がだんだん穏やかに戻って行く。
おまじないが効いたのか、もう大丈夫みたいだ。
ホッとした僕は、彼女の頬に唇を落とした。
「……良い夢を、マリー」
小さく囁いて、僕はそっとベッドから降りる。
物音を立てないよう、隣の部屋に移動する。
着替えている最中に猫が喉を鳴らすような音――ああ、お腹が空いたなぁ。
極力静かに外に出ると、カールとサリーナの姿。
朝の挨拶をされたので、会釈を返した。
「おはよう、二人共。マリーはまだ眠ってる。起きたら何かすぐに摘まめるように軽食を用意してあげて欲しい」
僕もお腹ペコペコだよ、とおどけて言うと、サリーナは「かしこまりました」とクスリと笑った。
「おはようございます、遅れて申し訳ありません」
朝食に途中からの参加になったことを詫びながら食堂に入ると、「疲れは大丈夫なの?」とラトゥ様。
「マリーちゃんは?」
「まだぐっすり眠っています。起こすのも忍びないのでそのままにして来ました」
ラトゥ様にはいと頷き、ティヴィーナ様にそう答えて席に着く。
旅の話に花を咲かせつつ手早く朝食を終えた後、僕は早速ヤンとシャルマンを呼び出した。
「これは……何かあったのですか?」
挨拶もそこそこに、屋敷の広間を見た牛ノ庄の隠密騎士ウルリアン・ナグリの開口一番。
無理もない、と思う。獅子ノ庄では宴の後の惨状が広がっていたのだから。
酔っぱらい達は宴に参加しなかった男達により城へと運ばれ、そのまま屍のように広間に転がされていたのだ。
「実は昨日、グレイの護衛をして貰っているカールと私の侍女サリーナの婚約がハンス卿に認められたのよ。それで蛍鑑賞も兼ねて祝宴になって、皆こんな風に酔いつぶれてしまって……」
マリーが苦笑いをしながら説明する。
サリーナは平気そうに控えているけれど、カールは流石に飲み過ぎたのか顔色を悪くして立っているのがやっとみたいだ。無理しないで休んでいれば良いのに。
「皆が動けるようになるまで……申し訳ないけれどウルリアン、暫く獅子ノ庄で待っていてくれるかしら?」
「何と、」
ウルリアンは驚き、カールとサリーナにおめでとうと祝いの言葉を述べている。
ここまで酒を呑んだのは初めてだというカール。彼はどうもサリーナに勧められた分の酒まで飲み干したようだ。
……僕もいつかマリーを庇って酒を代わりに呑むことがあるかも知れない。
人並み以上に呑めるようになっておくべきだろうか、と考えていると、マリーが時間が出来たので蒸気機関車の図面を引く手伝って欲しいと言って来た。
聖女の能力で見せられた図面は精緻であり、確かに一人の手には余りそうな時間がかかるものだった。
限られた時間――マリーは立っているものは親でも使うわ、とサイモン様やハンス卿にも声を掛ける。職人達で酔いが覚めている面子をかき集めて皆で手分けして図面を引いた。
昼過ぎになって、漸く僕達はサイモン様達と共に獅子ノ庄を出た。
獅子ノ庄の湧水湖から流れる川を下る。鳥ノ庄の方から流れる川との合流地点。アルジャヴリヨンへ戻るサイモン様達とはそこで一旦お別れだ。
マリーがそろそろ跡取り息子であるディックゴルトを助けに来るだろうと、アレマニアの大富豪ヴァッガー家の動向を探ると、何と当主本人が偽名を名乗って城へ乗り込んで来ていることは分かった。
蒸気機関を動かす為の燃料は、石炭だそうだ。そして神聖アレマニア帝国に大規模な炭鉱があるのだとか。
石炭――炭鉱を確保する手段としてディックゴルトを上手く利用しよう、という流れだったのだけれど……まさか当主本人が蜘蛛の巣にのこのこ掛かりにやって来るなんて。
石炭は確保されたも同然と言えるだろう。それ以上に彼らは色々吐き出させられることになるかも。
まだ見ぬヴァッガー家の当主はご愁傷様だ。
ディックゴルトの父親への対応をサイモン様に託し、僕達は一路東へ。
熊ノ庄、鹿ノ庄と回って饗応を受けた後は、何事もなく無事に領都の城へと戻ったのだった。
***
……流石に疲れた。
皆の賑やかな出迎えの後。
僕もマリーも、湯浴みをして着替えると、物凄い眠気に襲われベッドへ倒れ込む。
旅の緊張感が緩んで安堵したのと長旅の疲れで、夕食も取らずに半日近く眠り続けた。
目が覚めると、既に次の朝。
商会の跡取りでもある僕は、旅なんてしょっちゅうで慣れている。まだ少しばかり疲労は残っているけど、休息と睡眠を取った今は問題無く活動出来る。
半身を起こして隣のマリーを見ると、彼女はまだ夢の中。
聖地への旅の時もそうだったように、旅慣れていない彼女にとってはまだ休息が必要なのだろう。
眠り続ける姫が王子の口づけで目を覚ます物語を思い出しながらじっとマリーの美貌を見つめていると、不意にその顔が苦悶に歪んだ。
「うぅ……全ては人口削減と監視社会のため……豚共を恐怖で支配し、自ら破滅を選ぶよう仕向け……」
「……」
悪夢を見ているんだろうけれど、言っている意味がよく分からない。異世界での夢を見ているのかも知れない。
「ヴァクーにこの夢をあげる、ヴァクーにこの夢をあげる、ヴァクーにこの夢をあげる……」
遥か彼方の異国には、夢を食べるヴァクーという生き物がいるという。悪夢を見た時はその夢をヴァクーにやると唱えると、ヴァクーがやってきて悪夢を食べてくれるそうだ。
そっと髪を撫でながら小声で唱えていると、マリーの表情がだんだん穏やかに戻って行く。
おまじないが効いたのか、もう大丈夫みたいだ。
ホッとした僕は、彼女の頬に唇を落とした。
「……良い夢を、マリー」
小さく囁いて、僕はそっとベッドから降りる。
物音を立てないよう、隣の部屋に移動する。
着替えている最中に猫が喉を鳴らすような音――ああ、お腹が空いたなぁ。
極力静かに外に出ると、カールとサリーナの姿。
朝の挨拶をされたので、会釈を返した。
「おはよう、二人共。マリーはまだ眠ってる。起きたら何かすぐに摘まめるように軽食を用意してあげて欲しい」
僕もお腹ペコペコだよ、とおどけて言うと、サリーナは「かしこまりました」とクスリと笑った。
「おはようございます、遅れて申し訳ありません」
朝食に途中からの参加になったことを詫びながら食堂に入ると、「疲れは大丈夫なの?」とラトゥ様。
「マリーちゃんは?」
「まだぐっすり眠っています。起こすのも忍びないのでそのままにして来ました」
ラトゥ様にはいと頷き、ティヴィーナ様にそう答えて席に着く。
旅の話に花を咲かせつつ手早く朝食を終えた後、僕は早速ヤンとシャルマンを呼び出した。
100
お気に入りに追加
5,814
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。

ここは私の邸です。そろそろ出て行ってくれます?
藍川みいな
恋愛
「マリッサ、すまないが婚約は破棄させてもらう。俺は、運命の人を見つけたんだ!」
9年間婚約していた、デリオル様に婚約を破棄されました。運命の人とは、私の義妹のロクサーヌのようです。
そもそもデリオル様に好意を持っていないので、婚約破棄はかまいませんが、あなたには莫大な慰謝料を請求させていただきますし、借金の全額返済もしていただきます。それに、あなたが選んだロクサーヌは、令嬢ではありません。
幼い頃に両親を亡くした私は、8歳で侯爵になった。この国では、爵位を継いだ者には18歳まで後見人が必要で、ロクサーヌの父で私の叔父ドナルドが後見人として侯爵代理になった。
叔父は私を冷遇し、自分が侯爵のように振る舞って来ましたが、もうすぐ私は18歳。全てを返していただきます!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。