貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(50)

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 熊ノ庄の町から少し馬を走らせると、川沿いに建物が集まっている場所が見えた。
 水力を利用した製材所、そして工房群だそうだ。

 「切り出して来た木を水運で運び、乾燥させて製材し、直ぐに工房で加工するのでございます」

 と、説明を聞いていたマリーが声を上げて山の方を指差す。
 僕もつられて彼女の指の先を見ると、何か丸い物が浮かんでいるのが見えた。

 「あれ……もしかして、気球?」

 「はい。そちらを先にご案内致しましょう」

 山と山の間をすり抜けるようにして向かった先には、平らな草原が広がっていた。そう大きいものではないけれど、周囲をぐるりと山で囲まれているような地形だ。その中に見える建物、そして何人かの人の姿。

 「光栄な事に実験場に選んで頂きました。あちらの奥まった山に囲まれている狭い土地は風も穏やか。余人の目も届きにくいので実験には打ってつけなのですわ」

 ナーテによると山の向こうには龍ノ庄があり、気球に使う材料物資はジュリヴァ経由でそこから調達しているという。
 建物に近付くと、男達がヘルベルト卿とナーテの姿を認めたのか会釈してくる。訝し気に僕達を見て来る彼らにそれぞれ自己紹介と挨拶をした後、気球を降下させる実験を見学した。
 気球が地上に到着すると、一人の若い男が降りて来てこちらに一礼する。僕も何となくそれに返礼した。

 「結婚式で見た時よりも随分大きくなっているのね!」

 マリーが気球を見上げ、驚きと感心の声を上げている。ナーテがはい、と嬉しそうに微笑んだ。

 「日々、工夫に工夫を重ねておりますの。絹――タフタ生地に一手間加えて強化しているのですわ。あの通りロープ付きではございますが、最初は鶏や羊に始まり、今ではこのように人を乗せて飛ぶにまで至っております」

 「熊ノ庄の皆様の努力の賜物ね。ありがたい事だわ。でも、くれぐれも命を落とすような無茶はしないで」

 「もう上昇や降下は自由自在に操れる段階だったり?」

 「はい、火の勢いを調節する事で何とか……しかしロープ無しではまだまだ厳しゅうございますので試行錯誤中ですわ」

 「それならいいんだけれど。万が一の場合の事も考えておかなくちゃ」

 マリーは『パラシュート』なるものの話をした。薄く風を通しにくい絹で風受けを作り、それで速度を緩めて落ちる仕掛けだそうだ。
 聖女の能力で実際それが使われている幻影を見せて貰ったけれど、キノコの傘のように膨らんだ布が風を受けて人がゆっくりと下降して行っている。
 マリーは絹地を手に入れてイサーク様達と遊びがてら実験してみるとの事。それが上手く行けば『パラシュート』に関する資料を作成して熊ノ庄に話が行くように取り計らうそうだ。


 気球の実験場の男達に別れを告げた後、案内された先の工房にて。

 「あ」

 僕は見てしまった……アルジャヴリヨンのキーマン商会に持ち込まれた、かの天馬仕様の木馬を。

 「あれって……」

 僕の小さな声にそちらを向いたマリーもそれを見るなり絶句している。
 それもその筈、一つや二つではない。ずらり翼の生えた木馬が並んでいるからだ。
 工房の責任者だという、恰幅のいい中年の職人が「ああ、こちらですか」とにこやかに説明を始める。

 「何でも、子供達に非常に人気が出ているようで。工房を挙げての増産体制に入っております。親も聖女様にあやかろうと買い求めているようで。これほどの売れ行きは滅多に無く、皆喜んでおりますよ」

 僕の視界の隅で、ヘルベルト卿と工房責任者、ヨハン・シュテファン兄弟がこっそり親指を立て合っているのが見えた。
 その事に僕はマリーに少し同情を覚える。
 笑顔でこぞって木馬の事をマリーに説明する職人達。女の子も男の子も一緒に仲良く遊べる画期的なものなのだと。

 「マリー様、ご覧ください! 翼が外れてこのように!」

 「女の子が木馬に乗り聖女ごっこを、男の子は玩具の盾と剣で聖騎士ごっこが出来るのでございます!」

 「おお、素晴らしい! 子供の内から聖女様に親しみを覚える事が出来る玩具なのですね!」

 「ほう、よく出来ておるわ」

 子供のように嬉しそうにはしゃいで、マリーに木馬の仕掛けを見せているヨハンとシュテファン。
 エヴァン修道士が感動したようにそれを見つめ、アルトガルは感心している。

 「……貴方達、随分楽しそうね」

 低く抑えられたマリーの声。どうやらご機嫌は斜めのようだ。

 これは……売り上げの一割を彼女に行くようにしているとはいえ、キーマン商会で販売されている事は言わない方がいいな。

 そんな事を考えていると、

 「……元になった本体を作る時も、ナシアダン・マカイバリを始めとする熊ノ庄の手が入ったと聞いておりますわ」

 サリーナがぼそりと僕の耳元で呟いた。ああ、そういう関係だったのか。
 マリーは長い事黙って木馬を見つめていたが、やがて諦めたように大きく息を吐いた。

 「ふぅ……仕事が増えて皆が喜んでいるのなら良かったわ。売り上げでご家族に良い物を食べさせてあげて頂戴ね」

 「おお、ありがとうございます!」

 「仕方が無いわ、彼らだって食べて行かなきゃ……」

 自分に言い聞かせているようなマリーの背中がどことなく煤けている。
 販売元がバレた時どうしようと思いながら、僕は彼女の肩を慰めるようにポン、と叩いたのだった。
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