貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(48)

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 「まあ、青カビが生えているわ」

 マリーが目を丸くしている。
 チーズを作っているという工房は、山羊小屋の近くにあった。搾りたての山羊乳をすぐに運んで加工出来るようにする為だろう。
 熟成させたというチーズは所謂青カビチーズだった。

 「山羊乳でここまで熟成させているチーズは珍しいものですよね」

 普通、馬ノ庄で作られていたチーズのように牛乳が使われる事が多い。
 僕の言葉にメルヒオール卿は嬉しそうに頷いた。

 「若いチーズも作っておりまするが、こちらの青カビチーズが目新しいかと存じまして。甘いワインと共に召し上がると格別の味わいにございまする。そしてこちらは羊乳のもの」

 卿の言葉に侍女ヴェローナが切り分けたチーズとワインをお盆に乗せて差し出してくる。味見してワインも飲んでみると、成る程。

 「程良い甘味と辛味の調和。確かに合いますね」

 これは良いものだ。数が少なく珍しいという事も良い。
 商人の癖で、どう売りさばくかと考えていると、

 「青カビ……青カビか」

 マリーが思案気にチーズの刺さったフォークを持ったままの手を顎に当てている。

 「どうしたの、マリー?」

 青カビが何かあるのだろうか?
 しかし彼女は僕の問いかけに首を横に振った。

 「いえ、ちょっと考え事なの。メルヒオール卿、青カビのチーズってきついイメージだったのですけれど、思ったより食べやすいし美味しいですわね」

 「病みつきになりそうな味ですね。私は牛乳のものよりもこちらが好きです」

 「恐れ多い事にございまする」

 マリーやエヴァン修道士の言葉にメルヒオール卿は嬉しそうに頭を垂れる。

 「雪山でも山羊を放牧しておりますが、青カビチーズまでには致しません。しかしこういうのも悪くないお味ですな」

 チーズをじっくり味わうように咀嚼していたアルトガルが感心したように頷く。マリーが興味を引かれたらしくそちらを見た。

 「雪山のチーズには何か特色があるのかしら?」

 「雪山のチーズは、洞窟で熟成させております。あの、お土産に持参したあれも洞窟熟成のもので。あれが一般的ですな。癖のない味が好まれます故、あまりカビが生える程の熟成は致しません」

 「ああ、火で炙ったあのチーズとパンね! 最高に美味しかったわ!」

 「宜しければ、若いチーズをそのように料理させましょう。蜂蜜やジャムと言った甘味の他、腸詰と合わせても美味にございます」

 目の色を変えた彼女に、メルヒオール卿が雪山のチーズに負けて堪るかとばかりにすかさず声を掛ける。

 「まあ、それも美味しそうね! 宜しいの?」

 「はい」

 「嬉しいわ。ありがとうございます、メルヒオール卿!」

 マリーは嬉しそうにしてお礼を言っている。僕も楽しみだ。
 隣の山羊小屋で今日生まれたという子ヤギを見せて貰った後は、山羊ノ庄へ戻って羊毛製品の工房を見学した。
 その際メルヒオール卿にキーマン商会で開発した飛び杼による機織り機について訊かれる。機織り機の供給と羊毛やその製品について僕と商談する事は既にサイモン様からの許しを得ているらしい。
 メルヒオール卿の希望を訊き出していると、マリーが今なら梳綿カーディング機や紡績機、縫製機も出来そうだと口を挟んだ。

 「縫製機――ミシンは兎も角、梳綿カーディング機と紡績機は水力か蒸気機関が必要になるわ。水車が回せる程の川がある場所が望ましいわね」

 マリーがそう言うと、メルヒオール卿は目に見えて落胆した。

 「生憎井戸か小川しかございませぬ。となれば、猿か馬……いや、鳥か」

 「獅子ノ庄で蒸気機関の実験をする予定です。その時サイモン様とも落ち合いますので、僕からご相談してみましょう」

 「労力はかかりますけれど、人力の手回しでも宜しければ作れると思いますわ。後、糸だけ別の庄に作って貰ったらどうかしら。機織り工場や縫製工場なら出来そうですもの。後、猿ノ庄では鍛冶をやっていると聞いております。スプリングマットレスの工場も出来ますわね」

 「資金的な問題があれば、出資しますよ。もっとも、サイモン様も出資して下さるでしょうが」

 「かたじけのうございまする、マリー様! グレイ様!」

 メルヒオール卿と新式機織り機やその他諸々の商談をした後。僕達は山羊ノ庄産のチーズ料理や羊肉料理をご馳走になった。
 その後は蒸し風呂に案内されて、汗を流し体を洗う。ヴェローナが説明するところによると、水源に乏しい庄は蒸し風呂だそうだ。
 羊毛がふんだんに使われているベッドはとても柔らかく、僕達は横たわってそう時間を置かずに夢の世界に誘われて行ったのだった。


***


 侍女ヴェローナと交代する形で猿ノ庄から迎えに来てくれたのは、若い隠密騎士だった。

 「お迎えに参上いたしました。私はジークラス・ヴァトゥクバー。『魔猿』の二つ名を頂いております」

 彼の案内で、僕達は一路猿ノ庄へ向かって南下していた。
 ジークラスによれば、山羊ノ庄から猿ノ庄へは四日かかるそうだ。不幸中の幸いとしては、起伏が左程激しくない道だという事か。
 道中、何となくサリーナとジークラスがバチバチ視線を飛ばし合っている気がする。たぶん気のせいじゃない。ちらりとカールを見ると、「以前、二人はちょっとやり合った事があるんですよー」と囁いて教えてくれた。
 前々から思っていたけれど、サリーナは負けず嫌いな性格をしているようだ。

 道は川に出た後、川沿いに伸びている。広がる畑を横目に下流へ向かうと、猿ノ庄へ辿り着く。そこはあちこちに鍛冶のものであろう、煙が立ち上る町だった。

 猿ノ庄の当主ラーデウス・ヴァトゥクバーが出迎えて、城でもてなしをしてくれる。昼食時だったので、兎肉のワイン煮込みを饗された。その後案内された猿ノ庄の城は、山肌に聳え立ち、道と川を下に見渡せるかなり立派な要塞だった。
 要塞の高い塔からは他貴族の領地である西方に広がる平地が遥か遠くまで望む事が出来る。
 戦乱の時代、山羊ノ庄と西方の守護を分担していたという。

 次の日、鍛冶工房を見学させて貰った。職人が打っていたのは剣で、見事な出来栄えだ。
 ラーデウスが「本来ならば隠密騎士の武器製造を担っておりますが、差し障りがございますので」と耳打ちしてくる。
 剣程度なら構わないという判断なのだろう。
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