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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(32)

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 賢者認定儀式当日、朝。

 「やあ、遠いところをよく来てくれたね」

 僕とマリーは朝から懐かしい顔ぶれを目にしていた。

 「聖女様、そしてグレイ坊ちゃ……いや、猊下。お久しぶりです」

 「あ、あの節は大変失礼しました! お久しぶりでございます!」

 二人共ナヴィガポールの住人で、一人は以前マリーと一緒に行ったガリア食堂の親父。そして恐縮しきりのもう一人はピエールという男だ。
 実はこの男、以前地揺れと大波の時に混乱してマリーを魔女呼ばわりした事がある。結局誤解は解けたんだけど――親父は兎も角、その人が何故ここに居るのだろうか。
 内心首を傾げていると、マリーが破願する。

 「まあ、二人共お久しぶりね! またお会い出来て嬉しいわ!」

 何故ガリア食堂の親父を呼んだかというと。
 アヤスラニ帝国出身の賢者イドゥリースに親しんで貰う為、アヤスラニの産物デーツを使った料理を振る舞う事になったからだ。
 そこでオコノミが採用された。オコノミならば、ソースにデーツを使っているし。何より聖女マリアージュの考案した料理で、最初の奇跡の象徴ともなっている。
 ちなみにガリア食堂はオコノミのレシピが提供されており、更にマリーによって投資もなされていた。

 「それにしてもかなり強行軍だったんじゃない? 夕べ遅くに到着したって聞いたけど」

 「ソヤの到着が少し遅れましてね。ギリギリ間に合って良かったですよ。早速ソースの仕込みをするつもりです」

 「まあ、それは良かった事! 実は、オコノミソースの新しいレシピがあるのよ! 『ウスターソース』というものを最近作らせたんだけど、それを使うレシピなの。きっと以前よりも美味しく出来ると思うわ。後で厨房にレシピを届けさせるわね!」

 そう言えば馬ノ庄に行く前日、新しいソースのレシピだと紙片を厨房に届けるようサリーナに渡していたっけ。
 マリーはオコノミが食べられる、とご満悦だ。僕はさっきから気になっていた事を訊ねる。

 「ところで、彼は?」

 料理人じゃなかったと思うんだけど。

 「ああ。ピエールはあの大波で文無しになったし、聖女様にもご恩返しがしたいってんで、弟子入りを志願して来たんですよ。今うちの食堂で働いておりましてね、将来的にはオコノミを焼いて売りたいって申してます」

 親父が説明を終えると同時に、ピエールは頭をぺこりと下げた。
 そしてポケットを探ると、黒い牝鶏が刺繍されたハンカチを取り出す。

 「聖女様に頂いたこの黒い牝鶏のハンカチは家宝にしております。ソースも黒いですし、将来の店の看板にもこの黒い牝鶏を使いたいと思いまして。許可を頂けますでしょうか?」

 「そ、そう……ありがとう、ピエールさん」

 マリーは少し引き攣った笑みを浮かべていた。「牝鶏の隣に卵の絵も描いて、お店は十字路に面した場所以外に建てる事を約束してくれるのなら構いませんわ。
 ああ、そうだわ! 折角ですし後で私が看板のデザインを描いてお渡ししますわね!」

 「聖女様がわざわざ……」

 ピエールは感動したように打ち震えている。
 マリーの妙な言葉と歯切れ悪そうな様子。何かあるな、これは。後で問い詰めてみよう。


***


 響く車輪の音。
 少し早い昼食を終えた後、馬車に乗ってアルジャヴリヨン中央大修道院へ向かっている馬車の中。

 「悪魔召喚て……」

 例の黒い牝鶏の刺繍されたハンカチについて訊き出した僕は、呆れていた。
 マリーの前世で悪魔召喚儀式に使うのが一度も卵を産んだ事のない黒い牝鶏だったらしい。
 普通の刺繍はしないのかい。
 そう言うと、それだとつまんないんだもの、と悪戯っぽく笑うマリー。

 「うふっ、冗談で刺繍した奴だったんだけどね。まあ看板には卵を描くし、四辻を避ければ大丈夫。普通の図案になるようにしておいたから」

 「全くそんなの刺繍して。マリーの聖女的な力が作用して、本当に悪魔が出てきたらどうするの?」

 マリーなら本当に悪魔でも呼び出せそうだ。そう思ってたしなめると、彼女はへらりと笑う。

 「ああ、それは大丈夫。それにそもそも悪魔って居ないのよ。元は全部神様なの」

 人間達の戦乱を経て、負けた側が祀っていた神々が勝者の人間達に貶められて悪魔とされたのだとマリーは言い切った。

 「太古、女性中心に血族を形成していた時代があったの。それが男性中心の社会に移り変わる時に貶められ、消された神々が悪魔の始まりなんだと思うわ。例えば、前世に『ギリシャ神話』というのがあってね――」

 マリーは前世の世界、ギリシャという異世界の国の神々の話を話し始めた。
 最高神の司るものが雷か太陽かという違いはあるけれど、どことなくこちらの神々の神話にも似ている。

 「神々の王、最高神のゼウスは原初の地母神ガイアより予言を受けるの。最初の妻、知恵の女神メティスとの間に生まれる息子によって殺され、王位を簒奪されるだろうと」

 そこでゼウスは男子を産ませまいと妻であるメティスを飲み込んでしまったという。その後ゼウスは頭痛を覚え、頭をかち割るとそこから戦女神アテナが産まれた。
 ある研究によれば、戦女神アテナが産まれたのは、大神ゼウスが太古の女神でもあるメティスの力を奪い我が物にした事を意味しているのだろうと言われているそうだ。

 「それで、髪の毛が沢山の蛇で出来ていて、目を合わせると石にされてしまうという女の怪物……まあ悪魔みたいなメデューサというのがいるんだけど」

 知恵の女神メティスと蛇髪の怪物メデューサは実は同じ存在であるという。

 「蛇は知恵の象徴でもあるの。諸説あるんだけど――」

 元はリビアという別の国の力ある古き女神だった。それを隠す為にメデューサが怪物として退治される。
 その物語がギリシャという国の神話に盛り込まれたのだと。
 戦神アテナの山羊の皮の胸当てアイギスにメデューサの顔がはめ込まれており、それは元は同一の存在である事を示しているのだそうだ。
 大神ゼウスの従順な娘、女神アテナはいわば男性中心の社会に都合良く作り替えられた存在と言える。そして、女神メティス・メデューサは無き存在・悪しき存在として貶められた。

 「同じような事がこの世界でもあったと思うわ。それを踏まえて禁忌を暴くつもりで聖典を読みこむと面白いわよ」

 「興味深いね、時間がある時にやってみるよ」

 そう頷いた時。僕はふと思い出した。
 マリーとの初めてのデートの時、ラベンダー修道院で言われた言葉。

 「……そう言えば、マリーが修道士の説教の時に聖典を読み込んでいたって以前聞いた事があったけど。それってまさか」

 「お、おほほほ~」

 図星を突かれたのか、マリーはわざとらしく笑い声を上げて目を泳がせた。
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