貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

文字の大きさ
上 下
306 / 692
うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(10)

しおりを挟む
 ふわり、とバンカムの良い香りが漂って来た。振り向くと、イドゥリースとスレイマンの姿。
 二人共部屋に入って来るなり、疲れた様子でソファーに座り込む。
 旅に出る事が決まってからというもの、彼らはカフェカーヴェハーネの為に手伝いに出ていたのだ。

 「『お帰り。二人共、バンカムのお仕事お疲れ様』」

 二人の全身に染み付いているバンカムの香りに大変さを感じ取った僕は、侍女にお茶を用意して貰う。暫くして温かいお茶を受け取った二人は、一口啜って大きく呼吸をした。

 「『本当に大変でした。旅の間はゆっくり眠りたいものです』」

 「『相当な量を焙煎してきたから、道具の癖とか慣れて来て、コツは掴んだと思う。これで向こう数ヶ月はバン豆も大丈夫。後はハヤトやセナ達が頑張ってくれれば』」

 ハヤトというのはスレイマンの実家であるヒラール商会が寄越してくれた者で、セナはバン豆焙煎職人の一人。
 カフェカーヴェハーネの仕事の事を知ったスレイマンの両親が、地揺れと大波で家無しになった職人達に新天地で働かないかと声を掛けてくれていたのだ。

 そうして数日前やってきたのがトラス語を解するヒラール商会のハヤトとセナ他数人の職人達。
 彼らの住まいはキーマン商会が世話をしている。ハヤトはセナ達の世話と通訳の他、キーマン商会でヒラール商会関係の仕事に携わる事になっていた。

 「『暫くバン豆は見たくない……』」

 「『同感だよ、イドゥリース』」

 ぐったりとしている彼ら。こういう時は何も考えずさっさと体を横たえて休むに限る。

 「『二人共、暫く仮眠を取ると良いよ。食事の時間になったら呼びに来るから』」

 そう言って、彼らの世話を侍女に頼むと僕は部屋を後にしたのだった。


***


 その情報が知らされたのは、その次の日の事。まるで神が見計らったかのようなタイミングだった。
 カフェも引継ぎが無事に終わり、僕達の荷造りと引継ぎはほぼ整っていて何時でも出発出来る。
 その日――サイモン様は朝早くからトラス王オディロン陛下に神聖アレマニア帝国からの使節団の件や領地へ行く件について、不在の間の諸々の根回しをする為に宮中へ参内されたのだけれど。
 サイモン様は帰宅した後、僕とマリーを執務室へ呼び出した。準備に早めに取り掛かっておいて正解だったと言われ、マリーがその意味を問いかける。

 「ああ、実は使節団の先触れの使者がやってきたそうだ。受け入れ承諾の返事をしてからまだ二週間も経過していないというのに」

 早すぎる、と僕は内心驚く。
 使節団の代表もデブランツ大司教であり、アーダム第一皇子ではないとの事だった。
 マリーはデブランツ大司教ならば王都を離れなくても良いのでは、と言うが、僕はどうにも嫌な予感がしている。それはサイモン様も同じようで、やはり王都は離れるべきだという結論だった。

 二週間もしない内に返事が来たという事は、少なくとも使節団は国境付近に居ると考える方が妥当。
 そこで疑問が一つ。皇帝選挙があると言っても、それはまだ数年先の話。少なくとも二年の猶予がある。それなのに何故彼らはそこまで急ぐ必要があるのか。

 ――急がせる何か。誰かと競争でもしている?

 そこまで考えて僕ははっとした。
 デブランツ大司教は求心力を失いつつあり、不寛容派は前教皇派と皇帝派に分かれている。であれば、デブランツ大司教の競争相手は一人しかいない。
 サイモン様は「何事にも抜け穴はある」と仰った。
 もし僕がアーダム第一皇子でマリーを狙うとしたら、マリーを守る人達や寛容派勢力以外にもデブランツ大司教を出し抜かなければならない。
 それには、身分を隠し、お忍びで秘密裏に動くのが手っ取り早い。

 顔を上げると、マリーがいつの間にかトラス王国の地図を広げた前でじっと目を閉じていた。何らかの力を使っているのだろう。
 サイモン様と僕が邪魔をしないように固唾を呑んで見守る中、時折顔を顰めたりしていたマリー。暫くの後、その蜜色の双眼を開けると、体を抱きしめてぶるりと震えた。

 「大丈夫、マリー?」

 慌てて近付いて抱きしめる。「何を見た?」とサイモン様の問いに、マリーは青褪めた顔をゆるゆると上げた。

 「神聖アレマニア帝国のアーダム第一皇子は……既にトラス王国内に、モンブローという町に居るわ。……ごめんなさい、ちょっと未確認生物UMAというか、ゴリラ変異種というか。そういうのを見てしまって、キモ過ぎて気分が……」

 そこまで言って、マリーは僕の胸に顔を埋める。後半部分の良く分からない単語は後で訊くとして。

 モンブローだって!?

 その町は王都から早馬で三、四日の距離。
 デブランツ大司教率いる使節団よりも大分先んじて王都に迫っている事になる。僕とサイモン様は思わず顔を見合わせた。
しおりを挟む
感想 927

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。