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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】
グレイ・ダージリン(2)
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叙爵式から数日後――僕と兄はサイモン様の執務室へ呼び出される事となった。
以前、サイモン様は「うちはただの伯爵家じゃない。それが明かされるのは結婚後だ」と仰っていたが、きっとその事だろうと思う。
執務室には僕とマリー、アールとアナベラ様の他、トーマス様とカレル様、侍女のサリーナ、前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファン、カール他庭師達が勢揃いしている。
そこで初めて明かされたキャンディ伯爵家の秘密に、僕は内心驚きを禁じ得なかった。
庭師達が影の者であろう事は知っていたけど、騎士だったなんて。そしてそれ以上に――キャンディ伯爵家が裏王家ともいえる存在だったとは。
確かに秘密を守れる年齢になるまでは教えて貰えない筈だ。キャンディ伯爵家が侯爵並の財を持ちながらも伯爵家で居続けている謎も解けた。
***
「もう、皆酷いったらないわ! グレイの裏切り者!」
明くる日の薔薇園。夫婦水入らずのお茶会の中、マリーが刺繍をしながら頬を膨らませている。
僕は新聞から目を離してマリーを見つめた。八つ当たりのように針を刺しているにも関わらず、天馬と帆船、薔薇をあしらったダージリン伯爵家の紋章が鮮やかに縫い取られている。彼女の刺繍は相変わらず上手だった。
「ごめんって。いい加減機嫌を直してよ、マリー」
彼女が僕を詰っているのはサイモン様を始め、兄君達にくれぐれも家の秘密を余人に漏らさぬよう念押しされていたことだ。
マリーは滅多に出掛けず他人と話す事なんてあまりないと思うけど、弟妹君達にはポロっと言ってしまうかも知れない。
その事も含めて言うと、前世でも秘密が多い仕事しており、秘密も守っていたのにとぼやいている。
マリーが秘密を守れない訳じゃないけど、情報の重大さを理解せず気安く話す節がある。彼女の前世の世界を垣間見せて貰ったから分かる。これは常識が違い過ぎるんだって。
この世界で例えるなら火薬を知らない人々に火薬の知識を話すようなものだ。
マリーは危なっかしい。だからサイモン様達も口を酸っぱくしてあんな風に言ったのだと思う。
ましてやマリーは聖女だ。その言動は否が応でも世の注目が集まる。
それに――裏王家の血筋という事が知られれば。最悪、他国がマリーを手に入れてこの王国を乗っ取ろうとするかも知れない。
そう、神聖アレマニア帝国とかが。
――そうはさせない。
その思いを込めて彼女を見つめると、マリーは白皙の頬を染めて「ずるいわ、グレイ」と言った。
「そう言われたら怒るに怒れないじゃない」
「うん、僕はずるい男だよ」
何としてでも、どんな手を使ってでもマリーを守りぬいてみせる。
僕は彼女を引き寄せて、桜桃のような瑞々しい唇に口付けを落としたのだった。
***
その温かく柔らかい唇と薔薇の香りを十分堪能した後、ゆっくりと身を離す。
顔を真っ赤にしたマリーは恥ずかしそうに俯いた。口付けの間中、そっぽを向いていてくれたんだろうけど、サリーナの視線が痛い。
羞恥心を誤魔化すように、何か面白い記事でもあったのかと新聞の事を訊かれたので、僕は注意喚起も含めてマリーに話す事にした。
記事の内容はアレマニアの次期皇帝選挙の話だった。地続きである隣国の情勢が揺らぐと貿易や国防にも影響する。
特にアレマニアの皇族はトラス王国南西部と国境を接するエスパーニャ王国と姻戚関係にある。トラス王国は両国に挟み撃ちされている状態にあった。
皇帝選挙で国が荒れれば、エスパーニャ王国は神聖アレマニア帝国を助ける為にトラス王国を牽制にかかるだろう。
俗物化した教会が生み出した、金を払いさえすれば罪を減じるという『太陽神の恩赦状』から始まり、不寛容派、寛容派、聖典派という現在の教会派閥について話していく。
ちなみに聖典派は北西の海を隔てた島国アルビオン王国や北方諸国に広まっている。アルビオン王国は前教皇によって破門状態にあった。
サングマ教皇が取り成そうとしているけど、アルビオン王は破門の際に国庫に接収した教会の税を返還する事及び聖地からの聖職者を受け入れる事を拒んでいるそうだ。
僕としてはアルビオン王国も多少気になっている。
というのも、大陸側の国々が反目し合っていればいる程アルビオン王国は安全だからだ。
神聖アレマニア帝国の皇帝選挙に乗じて、戦争になるように何らかの手出しをしてくるかもしれない。
皇帝選挙までの猶予は数年。
以前、サイモン様は「うちはただの伯爵家じゃない。それが明かされるのは結婚後だ」と仰っていたが、きっとその事だろうと思う。
執務室には僕とマリー、アールとアナベラ様の他、トーマス様とカレル様、侍女のサリーナ、前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファン、カール他庭師達が勢揃いしている。
そこで初めて明かされたキャンディ伯爵家の秘密に、僕は内心驚きを禁じ得なかった。
庭師達が影の者であろう事は知っていたけど、騎士だったなんて。そしてそれ以上に――キャンディ伯爵家が裏王家ともいえる存在だったとは。
確かに秘密を守れる年齢になるまでは教えて貰えない筈だ。キャンディ伯爵家が侯爵並の財を持ちながらも伯爵家で居続けている謎も解けた。
***
「もう、皆酷いったらないわ! グレイの裏切り者!」
明くる日の薔薇園。夫婦水入らずのお茶会の中、マリーが刺繍をしながら頬を膨らませている。
僕は新聞から目を離してマリーを見つめた。八つ当たりのように針を刺しているにも関わらず、天馬と帆船、薔薇をあしらったダージリン伯爵家の紋章が鮮やかに縫い取られている。彼女の刺繍は相変わらず上手だった。
「ごめんって。いい加減機嫌を直してよ、マリー」
彼女が僕を詰っているのはサイモン様を始め、兄君達にくれぐれも家の秘密を余人に漏らさぬよう念押しされていたことだ。
マリーは滅多に出掛けず他人と話す事なんてあまりないと思うけど、弟妹君達にはポロっと言ってしまうかも知れない。
その事も含めて言うと、前世でも秘密が多い仕事しており、秘密も守っていたのにとぼやいている。
マリーが秘密を守れない訳じゃないけど、情報の重大さを理解せず気安く話す節がある。彼女の前世の世界を垣間見せて貰ったから分かる。これは常識が違い過ぎるんだって。
この世界で例えるなら火薬を知らない人々に火薬の知識を話すようなものだ。
マリーは危なっかしい。だからサイモン様達も口を酸っぱくしてあんな風に言ったのだと思う。
ましてやマリーは聖女だ。その言動は否が応でも世の注目が集まる。
それに――裏王家の血筋という事が知られれば。最悪、他国がマリーを手に入れてこの王国を乗っ取ろうとするかも知れない。
そう、神聖アレマニア帝国とかが。
――そうはさせない。
その思いを込めて彼女を見つめると、マリーは白皙の頬を染めて「ずるいわ、グレイ」と言った。
「そう言われたら怒るに怒れないじゃない」
「うん、僕はずるい男だよ」
何としてでも、どんな手を使ってでもマリーを守りぬいてみせる。
僕は彼女を引き寄せて、桜桃のような瑞々しい唇に口付けを落としたのだった。
***
その温かく柔らかい唇と薔薇の香りを十分堪能した後、ゆっくりと身を離す。
顔を真っ赤にしたマリーは恥ずかしそうに俯いた。口付けの間中、そっぽを向いていてくれたんだろうけど、サリーナの視線が痛い。
羞恥心を誤魔化すように、何か面白い記事でもあったのかと新聞の事を訊かれたので、僕は注意喚起も含めてマリーに話す事にした。
記事の内容はアレマニアの次期皇帝選挙の話だった。地続きである隣国の情勢が揺らぐと貿易や国防にも影響する。
特にアレマニアの皇族はトラス王国南西部と国境を接するエスパーニャ王国と姻戚関係にある。トラス王国は両国に挟み撃ちされている状態にあった。
皇帝選挙で国が荒れれば、エスパーニャ王国は神聖アレマニア帝国を助ける為にトラス王国を牽制にかかるだろう。
俗物化した教会が生み出した、金を払いさえすれば罪を減じるという『太陽神の恩赦状』から始まり、不寛容派、寛容派、聖典派という現在の教会派閥について話していく。
ちなみに聖典派は北西の海を隔てた島国アルビオン王国や北方諸国に広まっている。アルビオン王国は前教皇によって破門状態にあった。
サングマ教皇が取り成そうとしているけど、アルビオン王は破門の際に国庫に接収した教会の税を返還する事及び聖地からの聖職者を受け入れる事を拒んでいるそうだ。
僕としてはアルビオン王国も多少気になっている。
というのも、大陸側の国々が反目し合っていればいる程アルビオン王国は安全だからだ。
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