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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(96)

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 「『あ、悪魔だ! 悪魔に違いない! その娘が悪魔の力で私に火を! 夫であるというあの男を見るが良い、悪魔の赤毛ではないか!』」

 その言葉に僕は凍り付いた。大聖堂に集った人々の疑念の視線が痛い程僕達に突き刺さる。

 やっぱり、と思った。

 マリーが聖女だと教皇猊下が認めても、赤毛の僕が隣にいる限り、このように悪し様に言われてしまう。
 懸念が現実のものとなってしまって、僕は唇を噛み締めた。


***


 「枢機卿、の心得――ですか」

 次の日、僕は着替えたところでサリューン枢機卿猊下の訪問を受けていた。話があるとの事で迎え入れ、お茶をお出しする。エヴァン修道士の姿が見えないと思ったら、彼は初めて聖地に来たので色々見て回っているらしい。
 僕の鸚鵡返しにサリューン枢機卿猊下はお茶を啜り、ええと頷かれている。

 「本来ならサングマ教皇猊下が貴方に説かれる筈だったのですが、今猊下は聖女様と明日の段取りをお話されておいでです。
 その後は初代聖女様のお使いになられた言葉も学ばれたいという事なので、私が僭越ながら代理となりました」

 勿論心得のみならず、儀式の段取りもご説明しますね、と続ける枢機卿猊下。
 教皇猊下直々よりもまだこちらの方が気が楽かも知れない――僕は分かりましたと頷いた。

 「枢機卿とは、私のような国ごとにいる教会の統括者という面もありますが、本来は教皇猊下の側近としての地位なのですよ。
 グレイの場合は聖女様の配偶者として名誉という言葉が付くので、どちらかと言えば後者に近いですね。
 勿論、普段は教皇猊下の直属としての実務はありませんし、権力も然りです。
 ただ、万が一の時には教皇猊下の御下命がある場合があるかも知れない、という程度ですが、基本は無いと思って大丈夫です。
 教皇猊下の特別な庇護を受けるという意味で、権威は普通の枢機卿と同等にありますよ」

 本来は、問題があったり年老いたりして出家した王族や高位貴族を教会に引き取る際に与えたりする肩書だそうで。
 マリーの夫となる僕を、権力を与えず、当たり障りなく教会の紐付きにするにはうってつけの地位という訳だ。

 「成る程、教皇猊下からの庇護を意味するだけのお飾りの地位なのですね、それを聞いて安心しました」

 「儀式もただ簡単な口上と所作を覚えて、基本立っているだけで大丈夫です」

 僕はサリューン枢機卿猊下に口上と所作を教わった。儀式の流れ等も忘れないように紙に書き留めて練習する。

 「その様子なら明日本番も大丈夫そうですね」

 「いえ、でも当日とんでもない失敗をしてしまうかも知れません」

 明日は恐らく大勢の人々が集まる事だろう。大きな商談とは違った意味で緊張する。

 「ああ、それでしたら丁度、今中央大聖堂が使える筈なので、予行演習しに行きましょうか」

 サリューン枢機卿猊下の提案を僕は有難く受け入れる事にした。部屋を出て、中央大聖堂に向かう。

 丁度掃除の時間なのか、修道士や修道女達以外の人は居なかった。僕達は壇上に移動、サリューン枢機卿猊下を教皇猊下役にして儀式の流れを実演付きで教わる。
 その時だった。

 「『あの赤毛が名誉枢機卿? 嘘だろう!?』」

 「『アブラーモ大司教が仰っていたのを小耳に挟んだんだが、貴族を気取ってはいるが、本性は卑しい商人らしいぞ。聖女様と婚約しているそうだが、相応しくないのではないか?』」

 ひそひそ、ぼそぼそ。

 そんな悪意の囁きが、僕の耳朶を打った。
 サリューン枢機卿が厳しい視線を投げかけると、彼らは慌てて逃げるように去って行く。

 「すみません、猊下」

 「貴方は悪くありません。何を謝るのです? グレイ、あのような修行の足りない小者の言葉など、気にしないように」

 「しかし、明日の儀式に僕が参加して、マリーの夫だとお披露目して、本当に良いのでしょうか。僕だけが言われるのならまだしも、マリーまであんな風に言われたら……」

 そうなったら、きっと僕はいたたまれない。ましてや、ここは教会の中枢だ。その分、赤毛に対する風当たりもいっそ厳しい事になるだろう。マリーを守りたいのに、僕の所為で彼女が傷付いてしまったらと思うと。
 そっと、サリューン枢機卿猊下の手が僕の肩に置かれた。

 「グレイ、お聞きなさい。共に旅をしてきて、私は貴方がどんな人か知っています。
 そして、マリー様がどんなに貴方を愛し、大切に思っているのかも見ていれば分かります。
 だからこそ、先程のような上っ面の無責任な言葉に負けないで欲しいのです。今後、ああいう事は度々起こるでしょう」

 私自身、王宮の中で表面しか見ていない心無い言葉を幾度となく聞いて来ました。だから分かるのです、と独り言の様に零す猊下。その水色の瞳には複雑な苦悩が渦巻いているように感じた。
 そう言えば猊下は王弟でいらっしゃったな、と思い出す。色々とあったのだろう。

 「しかし、あのような人々が貴方の何を知っているというのでしょうか。そのような輩は恐れるに足りません。委縮して負けてしまうとそれこそ相手の思うツボ。
 大丈夫、私達もついていますし、聖女様は心の強い方です。貴方は彼女を信じ、卑屈になる事無く堂々としていなさい」

 「そう、ですね。ありがとうございます、猊下……」

 お礼を言いながらも、僕は心がすっきりせず不安が拭えないでいた。


***


 サングマ教皇猊下とマリーに続いて僕も祭壇に向かう。信徒席に向き直ると、所狭しと大勢の信者や巡礼者達が見えた。
 カレル様、サリューン枢機卿猊下、エヴァン修道士、前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファン、サリーナは祭壇に近い席に座っている。
 鶏蛇竜コカトリスのカールには、申し訳ないけれど部屋にいるスレイマンとイドゥリースについていて貰っていた。

 人々はざわざわと囁きながら壇上の僕達――恐らくは聖女の衣装を身に纏ったマリー――を見詰めている。
 真新しい枢機卿の法衣を着ている事も相まって、緊張が高まる。僕は昨日感じた不安を胸に押し込めながら、じっとりと手に汗を握っていた。

 「『皆、静粛に願います! これよりサングマ教皇猊下よりお言葉を頂きます』」

 「『この聖女降誕節という良き日を迎えられた事を大いなる太陽神に感謝を捧げん。
 また、この日にこの場に集いし者達は幸いである。
 これより、こちらの御方の事を神の恩寵、福音として世に知らせ伝えよう』」

 ガリア語で語られる、教皇猊下の朗々としたお言葉が大聖堂に響いていく。と、大聖堂の入り口の方から何人かの聖職者の姿が見えた。何かあったのだろうか。

 「『皆、心して聞くが良い。神は再びこの世に聖女様をお遣わしなされた――』」

 「『お待ちください、教皇猊下!』」

 しかし、彼らはあろう事かサングマ教皇猊下の言葉を遮った。そしてマリーが本当に聖女なのかと疑念を真っ向から口にする。
 信徒席を抜けて祭壇から少し離れた所に立つと、僕達に厳しい視線を投げかけて来た。

 筆頭と思われる聖職者を、教皇猊下はアブラーモ大司教と呼んだ。それは確かに昨日耳にした名前だった。
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