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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

貴族令嬢は舐められたら終わりなのよ。

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 「どうして……」

 叫び声の後の静けさの中。グレイが呆然として理由を問うた時、外が何やら騒がしくなっていた。
 トリスタンが「失礼、」と言って席を立ち、扉を出て行く。イズーが「何やら役人が来たようです」と緊張の面持ちになる。

 「アヤスラニ帝国で大罪を犯した帝国人が密航してコリピサに逃げ込んだそうだ、この辺りでそれらしき目撃証言があった、何か知っている事は無いかと申しております。こちらへやって来るかも知れません」

 皆、息を飲んでスレイマンとイドゥリースを見た。二人共顔を険しくして固まっている。
 私はさっと部屋を見回す。黙って分厚いカーテンを指さした。グレイが意図を察して頷き、一人ずつ隠れるように誘導する。
 更にカーテンの前に馬の脚共と中脚に移動して貰った。私は皆を見渡す。

 「……ここは任せて頂戴。イズーさん、扇を開いたら扉を開けて下さいね」

 イズーは頷いて扉の傍に行く。何やらガリア王国語で言い合いながら近づいて来る足音。

 ――よし、私は女優。ガラスで出来た仮面を被るのよ!

 サリーナから受け取った扇を顔の前でパラリと開くと、扉が開かれた。

 「――まあ、騒々しい。一体何事ですの? 私達の優雅なお茶会の一時を邪魔するなんて」

 入って来た役人――強欲そうな中年男だった――はいきなり浴びせられた不機嫌そうなトラス王国語と明らかに身分の高そうな面々の冷ややかな視線に一瞬怯んだようだった。後ろには身形の良いアヤスラニ帝国人らしき者を連れている。
 扇をゆったりと仰ぐ私の姿を見て取ると、その役人は貴人への礼儀の教育は受けているのか紳士の礼を取った。

 「こ、これは失礼を。貴女様方はトラス王国からの客人…でお間違いないでしょうか」

 訛りのあるトラス王国語。私はつんと顔を逸らし、傲慢な我儘令嬢に見えるように尊大な態度を取る。

 「ええ、我が国の枢機卿猊下と共に巡礼の旅で遥々やって来ましたの。私はトラス王国のキャンディ伯爵家の娘、マリアージュ。何か問題でもおありかしら。
 折角皆で楽しくお茶会をしていたというのにこのように不躾に邪魔をされて興覚めですわ。一体何の御用ですの? 返答次第によっては正式に抗議させて頂きますことよ」

 扇を閉じて相手の顔に突き付ける。外交問題になればお前さんの身代で責任とれるんか、ああん?
 視線に圧を込めると、役人の顔が分かりやすく引き攣った。

 「だから申し上げたのです、トラス王国からの貴人をおもてなししていると。仰るような、怪しいアヤスラニ帝国人など居りませんよ」

 トリスタンが追い打ちを掛ける。役人はハンカチを取り出し、汗を拭き始めた。

 「そ……そのようですな。念の為、ここはキーマン商会の建物だったと思うのですが、何故伯爵家のご令嬢が?」

 それでも職務を果たそうとする役人。

 ――おい、おっさん。私、名乗ったよな?

 舐められてるな、これは。演技ではなくイラっとした。

 「……その前に、この私が名乗って差し上げたと言うのに名乗らない、自称コリピサの『役人』と仰る貴方にお名前を訊いても宜しいかしら? ああ、名無しでいらしたのならごめんなさいねぇ?」

 ご令嬢の笑みで言うと、役人は慌てて「失礼しましたっ! チッチョ・ペスクッチと申します!」と直立不動になる。
 私はママンティヴィーナが怒った時の様に目をすぅっと細めた。

 「そう、チッチョ・ペスクッチさんと仰るのね。ようく覚えておきますわ。詮索好きのチッチョさんの為に教えて差し上げますが、キーマン商会の跡取りであるこちらのトラス王国ルフナー子爵家のグレイは私の婚約者。私が婚約者と共に居てはいけませんの?」

 「いえ、そういう事でしたら。大変ご無礼を致しまして――」

 その時、外から何やらガリア王国語で叫び声が聞こえた。『浜辺』とか『死体』とかいう単語――どうも何かを触れ回っているようだ。
 チッチョが連れていたアヤスラニ帝国人が駆け出して行く。
 置いて行かれた役人はぎょっとして、彼らを引き留めるようと声を上げたが、ハッとしたように慌ててこちらに向き直ると「浜辺で帝国人の死体が見つかったようです、お邪魔してしまい大変申し訳ありませんでした、何卒何卒穏便に! 失礼致します!」と頭を深々と下げ、逃げるように去って行った。肝っ玉がチッチョ!



***



 耳を澄ませて暫く。

 「ふん、行ったようね」

 静けさが戻って来ていた。もう大丈夫だろう。カレル兄がくつくつと笑った。

 「あの男は出世出来ないな。恐らくだが、後ろにいたアヤスラニ帝国人に賄賂でも掴まされていたのだろう。それも相当な額を」

 トリスタンもはい、と頷く。

 「情報提供があったとしても、役人が外国人を連れて歩いたりはしませんからね。それに、アヤスラニ帝国で罪を犯したとしても、コリピサでは帝国の法は通用しない。つまり、罪を犯していなければ捕まる事はないのです」

 密航したとしても、この町から出ない限りは特に入国審査も不要ですしね、と続ける。ふむ。

 チッチョ、やっぱり通報しておこう。

 ああいう男はいつか取り返しの付かないポカをやりそうだ。ガリア王国の為にもならないだろうし、私はシルに手紙を書くことに決めた。

 「二人共、もう出てきていいよ」

 グレイが声を掛けると、スレイマンとイドゥリースがそっとカーテンから出て来る。顔色は悪かったが、危機を乗り越えたからかホッとした表情になっていた。
 彼ら二人がソファーに座ると、サリーナが紅茶を淹れてあげている。

 「先程、浜辺にアヤスラニ帝国人の首なし死体が打ち上げられていたと街の者が触れ回っていました。着ている物から高貴な身分だろうと」

 イズーの言葉に合点がいった。

 「ああ、それで慌てて帝国人が走って行ったのね」

 私はスレイマンを見た。ちらりと、その隣のイドゥリースに視線を滑らせる。

 「――命を、狙われているのね?」

 ティーカップの温もりを確かめるように両手で持ったスレイマンはこくりと頷いた。

 「はい、イドゥリースはアヤスラニに居たら命が危ないデス。私達は貴方達からすれば異教徒、デスね。だから聖地に近いこの町を選んで逃げ込みマシタ。簡単に追いかけられないようにデス」

 それでも追って来ていたのだから、イドゥリースという人は相当な人物なのだろう。
 カレル兄も同じことを思ったようで、

 「というか、そのイドゥリースという人は帝国でかなり身分のある人間だと推察するが――何をして国を追われるような事になったんだ?」

 と訊く。スレイマンは黙って紅茶の水面に視線を落とした。
 グレイが真剣な顔でじっと彼らを見詰める。

 「スレイマン。亡命したいというのなら、全てを話してくれないか。先程の事で彼らが信用出来るというのは分かっただろう?」

 暫しの後、スレイマンは顔を上げた。隣を見て帝国語で何事かを言うと、イドゥリースが頷く。
 こちらに視線を戻したスレイマンは喉をごくりと鳴らした。

 「スルタン・イブラヒームリ・イドゥリース――スルタンというのは皇帝の事デス。イドゥリースは、アヤスラニの皇帝、イブラヒーム陛下の十三番目の息子。
 彼は学問が好きで、星の研究してマス。星と運命の関係。それで未来に良くない事が起こると言いマシタ。でも、陛下も皇子も皆……信じナイ、嘘ダと言ってイドゥリースを殺せと言いマシタ」
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