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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(76)

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 大きな戦争も無い今の時代、リプトン伯爵家のように没落していく貴族が出る一方で、僕のように庶民から成り上がって貴族になる者も少なからず居る。成り上がる者は大抵金持ち――成功し、財を成した商人や事業主が多い。
 アルバート殿下の目的が、王権の強化。そこから考えれば、先程言われた政策は国政へ対する諸貴族の影響力を徐々に削いでいく目的なのだろう。

 そんな事をつらつらと考えていたら、何時の間にかマリーの所まで戻って来ていた。

 「お、俺はそっちの世界には行かないぞ! 絶対にだ」

 「……認めた方が楽になるわ。さあ……」

 カレル様が青褪めて首を横に振っていて、マリーが女神のような慈悲深い微笑みを浮かべて両手を広げている。

 一体何が。

 「ごめん、待たせたね」

 ひとまずそう声を掛けると、「おお、勇者よ!」とカレル様に救世主を見るような眼差しを向けられた。そのままじゃあ、と逃げるようにその場を離れて行く。

 だからいったい何が。

 訊けば、マリーは僕も襟を借りてくれば良かったのに、と言う。『そっちの世界』の意味を察して、僕はどんよりとした。そんな反応がお気に召さなかったのか、彼女は「もう! どうして皆襟の素晴らしさが分からないの」とブツブツ言いながらワインをあおっている。
 僕の君への愛は本物だけれど、何事にも限度っていうものがあるんだよ、マリー。

 と。

 「まあ、こちらの一角だけ時の流れが違うようですわ。百年前かしら?」

 玉を転がすような少女の声で悪意の籠った台詞が耳に飛び込んで来た。それに追随するような忍び笑い。
 そこには煌びやかなドレスの令嬢達に囲まれた第二王子ジェレミー殿下の姿。その傍に侍っている銀髪でぱっちりとした団栗眼どんぐりまなこをした、愛らしい顔の令嬢が顔をツンと上げ、マリーを小馬鹿にするような眼差しをしている。

 「あのような古臭くってみすぼらしい襟――まるで喜劇役者のようでしてよ? ああでも商人上がりにはとってもお似合いですわね」

 ジェレミー様もそうお思いになるでしょう、と殿下の肩に手を這わせ身を寄せる令嬢。聞いていた特徴と合致するし、恐らく彼女がムーランス伯爵の娘エリザベル嬢なのだろう。
 マリーは、と見た僕はその物騒な表情にぎょっとする。諸貴族が揃う社交界で揉め事になってはと、慌てて相手の情報とあまり刺激しない方が良い事を伝えるも、マリーは「そう……」とだけ、底冷えのする一言。

 ――そうだ、カレル様!

 僕は助けを求めるようにカレル様を見た。しかし彼は何やら御友人らしき人と歓談中。御友人がこちらに気付いて下さって、やっと目が合う。目で訴え、助けを求めたその時。

 「ああ~ら、あらあらあら! 見て見てぇ、エピテュミア夫人、ホルメー夫人!」

 ばっと振り返ると、令嬢の集団を吹き飛ばす勢いでやって来る赤いドレスが目に入った。その様はさながら大きな帆船が密集する小舟を物ともせず押し退けるが如くであり、押された令嬢達は小さな悲鳴を上げ、中央に居たジェレミー殿下やムーランス伯爵令嬢は人に揉まれ、よろめいている。

 「げっ……」

 思わず喉の奥で小さな声が出てしまった。
 僕はおろか、これはカレル様にも荷が重いかも知れない。ある意味、ジェレミー殿下やムーランス伯爵令嬢以上に厄介な存在なのだから。
 一様にギラギラした派手な装飾品に厚化粧の三人の年配の夫人達――よりにもよって、社交界で一番近づいてはいけない事で有名な三魔女がマリーの前に集結してしまっていた。


***


 彼女達の目的はマリーの着けている襟のようだった。「ラトゥお姉様の襟に間違いありませんわ」という言葉と襟を口々に懐かしみ褒めたたえているので、もしかすると三魔女はマリーの祖母ラトゥ様と面識があったのだろうか。
 カレル様をちらりと見ると、こちらに向かおうとしたままの姿勢で不自然な表情のまま固まっていたので当てにならないだろう。
 我に返ったエリザベル嬢がこちらを凄い形相で睨み付け、あろう事か三魔女に食って掛かっている。しかし相手が三魔女だと理解した瞬間、悲鳴を上げて口を覆っていた。
 振り向いた赤いドレスのピュシス夫人を始め、三魔女はあれよあれよという間に赤子の手を捻るが如くエリザベル嬢をやり込めた。集団から逃げ出す令嬢も出る始末。小生意気なだけの小娘にとっては年季の入った彼女らには到底太刀打ち出来ない。
 そこへムーランス伯爵がやってきて頭を下げ、娘を回収して行く。如何なムーランス伯爵であっても三魔女にとっては『マクシム坊や』に過ぎないのだ。もしかしてサイモン様であっても――そう考えれば僕なんか路傍の石。貴族達が三魔女と呼んで恐れる訳だ。心底おっかない。

 カレル様はと見れば、その傍にサイモン様が立っていた。僕の必死の視線に『様子を見ろ』と口パクで言われたので、泣く泣くそれに従う。いざとなれば助けに入ってくれると思いたい。
 マリーは三魔女等知る由もないのだろう、普通に淑女の礼を取ると挨拶を述べる。先程の礼と祖母譲りの襟が宝物なのだとの言葉に、三魔女の眼差しが優しく緩んでいた。

 「実は、夏の蛍の頃に我が家でお三方をお見掛けしていて。その時から是非お近づきになりたいと思っておりましたの! 祖母からも、経験豊富で素敵な頼れる御婦人達だと伺っておりまして――」

 顔を輝かせながら熱烈に会えて嬉しいと訴えるマリー。彼女は本当にそう思っているのだろうが、『素敵な頼れる御婦人達』という所で周囲が騒めく。「本気か!?」という囁き声も聞こえて来て、『知らない事は幸せ』『無知は怖い』という言葉の意味を僕は心底噛み締めていた。
 三魔女はと言えば、マリーの裏の無い好意的な言葉に悪い気はしなかったらしい。笑顔のマリーに少女のような恥じらいを見せている。

 「私、お三方のような素敵な女性になりたいと思っておりますの。襟の事等お話したいですし、色々とお話も聞いてみたいですわ。物知らずで社交界には不慣れな身の若輩者ですが、是非是非仲良くして頂けますようお願い申し上げます」

 深々と頭を下げるマリー。三魔女は今や飛びつかんばかりに喜んでいた。マリーの世代の令嬢は、どちらかと言えばエリザベル嬢のような反応を示す事が普通なのだろう。

 「まあ、まあぁ! こちらこそぉ」

 「ラトゥお姉様のお孫さんなら私達の孫も同然ですわね、うふふ」

 「何と今時珍しい殊勝な心掛けざます。流石はラトゥお姉様のお孫さんざます。ところで、そちらの方は?」

 ホルメー夫人が訝し気にこちらを向く。残り二人視線も突き刺さって来た。

 「はい、こちらは私の婚約者のグレイ・ルフナーですわ」

 嬉しそうに弾んだ声のマリー。僕は覚悟を決めて笑顔を作った。

 「お初にお目に掛かります、グレイ・ルフナーと申します。どうぞお見知りおきを」
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