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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(63)

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 僕の予想に反して、マリーはあちこちを物珍しそうにきょろきょろしながらもしっかりとした足取りで歩いていた。
 勿論護衛達が周囲を固めているというのもあるけれど、どことなくこういう人混みを歩きなれているような……気のせいだろうか。
 唐突にぱっと繋いでいた手が放されぎょっとした瞬間、マリーは僕の腕に絡みつくようにくっついてくる。柔らかいぬくもりと感触に慌てて彼女を見ると、「今日はお忍びなんだし、良いでしょう?」と悪戯っぽく笑っていた。
 通行人に囃し立てられ、顔から火が出そうだ。マリーは気にしていないようで、お礼さえ言いながらにこやかに手を振っている。

 「スリだ!」

 その叫び声にはっと顔を上げた。女性が財布を盗まれたようで、誰か捕まえてと悲鳴を上げている。前方からそれらしき男がこちらへ向かって走ってきていた。
 僕はマリーを抱きしめるように庇う。前に出た護衛の男がそいつの手を掴んで地面に転がした。
 バザールでは石を投げれば当たる程スリが多い。女性に財布を返している護衛を見ていると、背後でも呻き声。振り向くと、案の定別のスリが僕を狙っていたようで。
 捕まえたスリをどうしようかと思っていると、丁度良く自警団が駆けつけてくれていた。きっと、隠れている護衛の誰かが連れて来てくれたのだろう。市井の治安の要である彼らと何かと悪人に狙われやすい我が家は祖父の代から昵懇にしており、顔馴染みだ。勿論資金援助もしている。僕はスリを引き渡すと彼らの労をねぎらっておいた。後で酒でも届けさせよう。
 そんなことを思っていると、腕が軽く引かれた。

 「グレイ、あの方たちは?」

 「ああ、彼らは自警団で――」

 マリーは興味深そうに彼らについての説明を聞いていた。まあ貴族の令嬢と自警団は万が一の時でもない限り関わることはないのだろうな。

 「お、俺は盗んでいない! 未遂だ!」と叫びながら、僕を狙っていた方のスリがしょっ引かれていく。
 しかし自警団は容赦無い。「言い訳は詰め所で聞こうか」と引き立てていった。
 ほんの少しだけ、気の毒な気がしないでもない。何故なら今日の僕は万全を期して大金は持ってきていないからだ。

 そういうと、マリーは買い物はどうするのかと目を丸くしている。商会の名でツケで買うか、銀行の預かり証――最近は『銀行券』と呼ばれ始めているけれど――を使う予定だと話す。
 「まさか『銀行券』と呼ばれ始めただなんて!」とマリーは顔を輝かせていた。銀行の発案者である彼女にとって嬉しい事なのだろう。

 それにしてもさっきから美味しそうな匂いが漂っている。マリーも気になっているようで、もじもじとしながら行儀が悪いけど買い食いしてみたいと可愛いおねだりをした。仰せのままに、聖女様。
 ささやかすぎる願いに他には無いかと聞くと、御家族へのお土産、それにもうすぐ輿入れのアン様への贈り物を買いたいそうだ。高い買い物ならばアールの宝飾店が良いだろう。
 僕の提案にマリーは楽しみだと花が咲いたように笑った。

 予定が決まったので早速買い食いをする。偶然にもその屋台は実はうちの系列の出店だった。庶民相手にしては少々値は張るが、牛や豚、鶏の肉に塩やハーブ、香辛料、ソヤで味付けしたものを串焼きにして炭火で焼くというもの。護衛もこの店なら毒見は特に必要ないと安心している様子。
 串焼きを渡されたマリー。侍女のサリーナがカトラリーを取り出しているが、マリーはそれを制してそのままかぶりついていた。

 「んー、美味しい!」

 少し……いやかなり驚いたけれど、口に合ったようで良かった。
 行儀悪くしていても、上品に見えるのはやはり生まれが違うのだろうな、と思う。気品は誤魔化せないものだ。

 「酒が飲みたくなりますね」とは護衛の言。僕も同感だ。

 少し腹ごなしをしたところで僕達は店をあちこちと見て回った。
 中でもマリーが興奮していたのは浅黒い肌の異国の商人の露店。薬という触れ込みで売られている香辛料の数々に嬉しそうな声を上げている。

 「オジョウサン、コレハクスリネ」

 「これは薬というよりも調味料よ。マリー、知ってるんだから! おじさん、ちょっと味見してみたいんだけれど」

 上客と見たのか、商人は怪しげな王国語で味見に許可を出す。勿論それには毒味してからが前提になり、侍女サリーナが大変な目に遭っていた。マリーはどこから仕入れて来た知識なのか、味見をしつつ「これはクミン」「これはターメリック、あっコリアンダーにカルダモンもあるじゃないの!」等と頷いている。
 果ては店主に「貴方の国ではこれを料理に使っているのは知っているわ。予め配合されたものはあるかしら?」と訊ね、「ヨクシッテルネ」と驚かれていた。高い買い物だったとは言え、商会で扱っていない珍しいものもあった。彼女が買ったものは僕としてもチェックしておかねばと思う。

 色々な香辛料を始め、料理用と飲み物用に配合されたものをマリーは上機嫌に購入していた。値引き交渉は僕の役目だ。どうせ知られなければ売れないのをこれだけまとめて買うのだから勉強して欲しい、と商会の名を出して交渉する。商人はうちを知っていたらしく、今後のお付き合いをよろしくしてくれるならと条件を出した。
 少し考えてマリーの様子からしてこれは悪くないかも知れないと思案するも、念の為あくまでもお試しで買ったという事を念押しする。香辛料を使った料理を味見してから改めて、と伝えた。それでも良いと相手が了承したので、キーマン商会へ人をやって代金を受け取るようにと僕の印章付きの書付に金額を記載の上で渡す。
 香辛料そのものは重くなかったので護衛に託す事に。その内隠れている手の者に渡され、馬車に積まれる事だろう。

 そんな風に買い物を楽しんでいると、僕達は中央広場の方にやってきていた。そこでは楽団が呼ばれ、豊穣を祝うダンスが行われる。広場の周囲を囲むように酒とつまみを出す店が軒を連ね、祭りの浮かれた気分を更に盛り上げていた。
 丁度曲が変わり、人々が輪になって並び手を繋ぎ始めていた。単純なものなので大丈夫だろう。僕はマリーをダンスに誘った。

 異変に気付いたのは曲が変わりペアになってからだった。踊りながらも僕はマリーの後方に常に陣取る男達に気付いたのだ。見間違えでなければ――前脚ヨハン後ろ脚シュテファン
 変装すらしていない彼らは僕と目が合うと会釈をし、踊り続ける。僕は平静を保つので精一杯だった。
 マリーはダンスに夢中で気付いてすらいない。曲が終わりに近づくと、彼らはそそくさと人混みに紛れて遠ざかっていく。数人ばかり男が倒れていたが、周囲の人々は皆酔いどれだと笑っている。気のいい男衆が担いで運んで行った。


***


 「ふう、疲れたね」

 ちょっとしたハプニングはあったが、散々踊って流石に僕も疲れた。マリーのダンスは初めてにしてはなかなかのものだった。庶民のダンスはかなり激しい動きを伴っていたのに、少しコツを掴んだ彼女は迷いなく踊っている。僕も負けじと頑張って、すっかり汗だくだ。
 飲み物が欲しいというマリー。気の利く侍女サリーナがワインの水割りを買ってきてくれていた。それで喉を潤す。果物やナッツもあったので、しばらく休憩。
 酒が入れば気が大きくなる。出来上がったであろうあまり性質の良くなさそうな男が遠くからこちらを不穏な目付きで見ているのに気付いた。立ち上がってこちらに歩きかけたところで誰か――おそらく影の護衛だろうけど――に足を引っかけられて転んでいる。そろそろ移動した方が良いのかもしれない。護衛に目配せして立ち上がる。

 「そろそろアールの店に行こうか、マリー。大丈夫、歩けそう?」

 「ええ、すっかり元気になったわ」

 普段からあの広いお屋敷やお庭を歩き回ってるから体力には少し自信があるの、とマリー。違いない、と僕は笑った。
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