貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

文字の大きさ
上 下
135 / 690
貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(63)

しおりを挟む
 僕の予想に反して、マリーはあちこちを物珍しそうにきょろきょろしながらもしっかりとした足取りで歩いていた。
 勿論護衛達が周囲を固めているというのもあるけれど、どことなくこういう人混みを歩きなれているような……気のせいだろうか。
 唐突にぱっと繋いでいた手が放されぎょっとした瞬間、マリーは僕の腕に絡みつくようにくっついてくる。柔らかいぬくもりと感触に慌てて彼女を見ると、「今日はお忍びなんだし、良いでしょう?」と悪戯っぽく笑っていた。
 通行人に囃し立てられ、顔から火が出そうだ。マリーは気にしていないようで、お礼さえ言いながらにこやかに手を振っている。

 「スリだ!」

 その叫び声にはっと顔を上げた。女性が財布を盗まれたようで、誰か捕まえてと悲鳴を上げている。前方からそれらしき男がこちらへ向かって走ってきていた。
 僕はマリーを抱きしめるように庇う。前に出た護衛の男がそいつの手を掴んで地面に転がした。
 バザールでは石を投げれば当たる程スリが多い。女性に財布を返している護衛を見ていると、背後でも呻き声。振り向くと、案の定別のスリが僕を狙っていたようで。
 捕まえたスリをどうしようかと思っていると、丁度良く自警団が駆けつけてくれていた。きっと、隠れている護衛の誰かが連れて来てくれたのだろう。市井の治安の要である彼らと何かと悪人に狙われやすい我が家は祖父の代から昵懇にしており、顔馴染みだ。勿論資金援助もしている。僕はスリを引き渡すと彼らの労をねぎらっておいた。後で酒でも届けさせよう。
 そんなことを思っていると、腕が軽く引かれた。

 「グレイ、あの方たちは?」

 「ああ、彼らは自警団で――」

 マリーは興味深そうに彼らについての説明を聞いていた。まあ貴族の令嬢と自警団は万が一の時でもない限り関わることはないのだろうな。

 「お、俺は盗んでいない! 未遂だ!」と叫びながら、僕を狙っていた方のスリがしょっ引かれていく。
 しかし自警団は容赦無い。「言い訳は詰め所で聞こうか」と引き立てていった。
 ほんの少しだけ、気の毒な気がしないでもない。何故なら今日の僕は万全を期して大金は持ってきていないからだ。

 そういうと、マリーは買い物はどうするのかと目を丸くしている。商会の名でツケで買うか、銀行の預かり証――最近は『銀行券』と呼ばれ始めているけれど――を使う予定だと話す。
 「まさか『銀行券』と呼ばれ始めただなんて!」とマリーは顔を輝かせていた。銀行の発案者である彼女にとって嬉しい事なのだろう。

 それにしてもさっきから美味しそうな匂いが漂っている。マリーも気になっているようで、もじもじとしながら行儀が悪いけど買い食いしてみたいと可愛いおねだりをした。仰せのままに、聖女様。
 ささやかすぎる願いに他には無いかと聞くと、御家族へのお土産、それにもうすぐ輿入れのアン様への贈り物を買いたいそうだ。高い買い物ならばアールの宝飾店が良いだろう。
 僕の提案にマリーは楽しみだと花が咲いたように笑った。

 予定が決まったので早速買い食いをする。偶然にもその屋台は実はうちの系列の出店だった。庶民相手にしては少々値は張るが、牛や豚、鶏の肉に塩やハーブ、香辛料、ソヤで味付けしたものを串焼きにして炭火で焼くというもの。護衛もこの店なら毒見は特に必要ないと安心している様子。
 串焼きを渡されたマリー。侍女のサリーナがカトラリーを取り出しているが、マリーはそれを制してそのままかぶりついていた。

 「んー、美味しい!」

 少し……いやかなり驚いたけれど、口に合ったようで良かった。
 行儀悪くしていても、上品に見えるのはやはり生まれが違うのだろうな、と思う。気品は誤魔化せないものだ。

 「酒が飲みたくなりますね」とは護衛の言。僕も同感だ。

 少し腹ごなしをしたところで僕達は店をあちこちと見て回った。
 中でもマリーが興奮していたのは浅黒い肌の異国の商人の露店。薬という触れ込みで売られている香辛料の数々に嬉しそうな声を上げている。

 「オジョウサン、コレハクスリネ」

 「これは薬というよりも調味料よ。マリー、知ってるんだから! おじさん、ちょっと味見してみたいんだけれど」

 上客と見たのか、商人は怪しげな王国語で味見に許可を出す。勿論それには毒味してからが前提になり、侍女サリーナが大変な目に遭っていた。マリーはどこから仕入れて来た知識なのか、味見をしつつ「これはクミン」「これはターメリック、あっコリアンダーにカルダモンもあるじゃないの!」等と頷いている。
 果ては店主に「貴方の国ではこれを料理に使っているのは知っているわ。予め配合されたものはあるかしら?」と訊ね、「ヨクシッテルネ」と驚かれていた。高い買い物だったとは言え、商会で扱っていない珍しいものもあった。彼女が買ったものは僕としてもチェックしておかねばと思う。

 色々な香辛料を始め、料理用と飲み物用に配合されたものをマリーは上機嫌に購入していた。値引き交渉は僕の役目だ。どうせ知られなければ売れないのをこれだけまとめて買うのだから勉強して欲しい、と商会の名を出して交渉する。商人はうちを知っていたらしく、今後のお付き合いをよろしくしてくれるならと条件を出した。
 少し考えてマリーの様子からしてこれは悪くないかも知れないと思案するも、念の為あくまでもお試しで買ったという事を念押しする。香辛料を使った料理を味見してから改めて、と伝えた。それでも良いと相手が了承したので、キーマン商会へ人をやって代金を受け取るようにと僕の印章付きの書付に金額を記載の上で渡す。
 香辛料そのものは重くなかったので護衛に託す事に。その内隠れている手の者に渡され、馬車に積まれる事だろう。

 そんな風に買い物を楽しんでいると、僕達は中央広場の方にやってきていた。そこでは楽団が呼ばれ、豊穣を祝うダンスが行われる。広場の周囲を囲むように酒とつまみを出す店が軒を連ね、祭りの浮かれた気分を更に盛り上げていた。
 丁度曲が変わり、人々が輪になって並び手を繋ぎ始めていた。単純なものなので大丈夫だろう。僕はマリーをダンスに誘った。

 異変に気付いたのは曲が変わりペアになってからだった。踊りながらも僕はマリーの後方に常に陣取る男達に気付いたのだ。見間違えでなければ――前脚ヨハン後ろ脚シュテファン
 変装すらしていない彼らは僕と目が合うと会釈をし、踊り続ける。僕は平静を保つので精一杯だった。
 マリーはダンスに夢中で気付いてすらいない。曲が終わりに近づくと、彼らはそそくさと人混みに紛れて遠ざかっていく。数人ばかり男が倒れていたが、周囲の人々は皆酔いどれだと笑っている。気のいい男衆が担いで運んで行った。


***


 「ふう、疲れたね」

 ちょっとしたハプニングはあったが、散々踊って流石に僕も疲れた。マリーのダンスは初めてにしてはなかなかのものだった。庶民のダンスはかなり激しい動きを伴っていたのに、少しコツを掴んだ彼女は迷いなく踊っている。僕も負けじと頑張って、すっかり汗だくだ。
 飲み物が欲しいというマリー。気の利く侍女サリーナがワインの水割りを買ってきてくれていた。それで喉を潤す。果物やナッツもあったので、しばらく休憩。
 酒が入れば気が大きくなる。出来上がったであろうあまり性質の良くなさそうな男が遠くからこちらを不穏な目付きで見ているのに気付いた。立ち上がってこちらに歩きかけたところで誰か――おそらく影の護衛だろうけど――に足を引っかけられて転んでいる。そろそろ移動した方が良いのかもしれない。護衛に目配せして立ち上がる。

 「そろそろアールの店に行こうか、マリー。大丈夫、歩けそう?」

 「ええ、すっかり元気になったわ」

 普段からあの広いお屋敷やお庭を歩き回ってるから体力には少し自信があるの、とマリー。違いない、と僕は笑った。
しおりを挟む
感想 925

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。