貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

文字の大きさ
上 下
127 / 693
貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(55)

しおりを挟む
 キャンディ伯爵家へと到着する。迎えてくれた侍女は、マリーは今喫茶室でアン様とお茶を飲んでいるとお伺いを立ててきた。僕はアン様にもお話したい事があるから丁度良いと伝えてそのまま案内してもらう事にする。
 喫茶室の扉近くまでやって来た時、奇妙な声が聞こえた。異変に思わず聞き耳を立ててしまった僕は多分悪くない。

 「『生まれついてのろくでなしィ~♪

 生まれついての豚野郎ォ~♪

 生まれついてのケダモノォ~♪

 生まれついての畜生道ォ~♪』」

 僕の背筋に冷や汗が流れた。
 若い女性だと思うけど、おどろおどろしい声。それにしても何つう歌詞だ。

 「さあ、アン姉もご一緒に! あのクジャク野郎を蹴り倒して唾吐きかける気持ちで叫ぶのよ!」

 「ええっ!?」

 予想はしてたけど、やっぱりマリーだった。しかもアン様に歌う事を強要している。
 あのクジャク野郎とはザイン様の事、マリーの台詞からして娼館通いの事でアン様を励まそうとしているに違いない……と思いたい。
 問うように侍女を見ると、彼女も固まっている。僕の視線にぎこちない笑みを浮かべ、「では私はこれで」と一礼して去っ……逃げて行った。
 酷いよ、一人取り残された僕にあの中へ入って行けと。

 「その調子よ! 恥もかなぐりすてて、もっと大きく叫んで! 『生まれついての獣ォ~♪』!」

 「『生まれついての獣ォ~♪』!」

 アン様がマリーの歌を復唱する。仕方なく扉のノブに手を回す僕。

 「『生まれついての畜生道ォ~♪』、はい!」

 「『生まれついての畜生道ォ~♪』!!」

 ち、畜生道……いや、僕は何も悪い事はしていない。勇気を出すんだ。
 意を決して、それでも気付かれないようにそっと扉を開ける。

 マリーの背中が見え、彼女と向かい合いになっているアン様と目が合った。アン様の目が驚きに見開かれ、歌が途切れる。僕を指さして陸に上げられた魚のように口を動かしている。
 「えっ、何!?」とマリーが振り向く。彼女の口が大きく開けられ、ショックを受けたような表情になった。僕はやはり入るべきじゃなかったと後悔する。

 「何か……ごめん」

 そうだ、見なかった事にしよう。暫く時間を置いて出直した方が良さそうだ。
 別室で待たせて貰おうと僕は踵を返して歩き出した。マリーが慌てて追ってきて捕まえるまで。


***


 「気が狂ったように見えたのはわかってる。でも悲しい時、辛い時、鬱屈した時。人は思い切り歌ったり踊ったりして感情を解放しないといけないものなのよグレイ。そう、心を守るために」

 喫茶室に連れ込まれた僕は、マリーが言い訳をするのを聞かされていた。
 というか、気が狂ったように見える自覚はあったんだね、マリー。
 そう思ったものの、深く突っ込んではいけないと僕の頼れる本能が告げていたので、そう言う事だと自分に納得させる。

 それよりも、とマリーが話し出す。やはりザイン様の事でアン様が気に病んでしまっていたらしい。僕は安心して貰う為にも知り得た事を話した。アン様は手紙をアルバート殿下に書いて訊いてみると喫茶室を出て行った。殿下ならザイン様と仲が良く、立場も上。その方が良いだろうと思う。

 二人きりになった僕達。先程の事を訊いてみたいという気持ちが一瞬湧き上がったけれど押し殺す。忘れるのが吉だ、うん。
 マリーは僕の来訪を喜んでくれた。僕の忙しさを心配してくれる彼女を、感謝祭のお忍びデートに誘う。僕の言葉に一瞬呆けたようになったマリーは、次第に顔を明るく輝かせていった。彼女の侍女のサリーナが心配そうにしているので、サイモン様の許可を取って護衛もちゃんとすると言葉を添える。
 きゃあ、と歓声を上げ喜ぶマリー。例年、商人を呼びつけての買い物で我慢させられていたという彼女は一度も市井を出歩いた事がなかったのだろう。このデートを計画して良かったと心から思う。

 「絶対ね、約束よ! グレイ、こんな風に小指を出して。約束のおまじないをしたいの!」

 「あ、うん」

 マリーの言う通りにすると、彼女は小指同士を絡ませておまじないの呪文を唱える。

 「ユビキリゲンマン、嘘ついたら針を千本飲ませるぞ!」

 ……針を千本飲ませるって、おっかないなぁ。それだけ楽しみにしてくれているんだろうけれど。
 これはサイモン様との交渉を頑張って、是が非でも許可をもぎ取らないと。
 僕は苦笑して、分かってると言いながらマリーの頭に手をやった。


***


 キャンディ伯爵家の訪問から数日後の午後。事件が起こった。

 仕事を一段落させた僕は、母レピーシェやアールと共に居間でおやつとお茶で一息ついていた。祖父エディアールは感謝祭の打ち合わせ、祖母パレディーテは趣味の詩作の会に出かけており、父ブルックは馬車の会合で留守だ。
 静かで平和な一時に、突如として上がる叫び声。何事かと思って耳を澄ませると、「良いからさっさと取り次ぎなさい」「いきなり何なのですか!」等とやりとりが聞こえる。どうも、来訪者は女性のようだ。
 母は眉を顰めて扉の方を見詰める。

 「何かしら。騒がしいわね」

 「ちょっと見てくるよ」

 気になったので僕は立ち上がった。この屋敷に用がある人は大抵父か僕に用事があるからだ。
 しかし玄関に向かった僕は思いもかけない人物を目にする事になる。

 「無礼者、離しなさい! アールに会わせて! 居るのでしょう?」

 リプトン伯爵夫人フレールだったのだ。ルフナー子爵家に突如やってきたのは。
 我が家に押し入らんばかりに暴れているのをうちの使用人達が必死に身を押しとどめている。彼女は僕の姿を目にするや否や、「ああ、グレイ!」と哀れっぽい声を出した。

 「お願い、あの人に――あなたのお兄様のアールに会わせて欲しいの! 私は、もう、もう……!」

 それだけを言って崩れ落ち、顔を覆って泣き出すフレール。しかしここはルフナー子爵家の玄関だ。そんな事をされれば無用な醜聞が立ちかねない。
 不本意だけど一度招き入れざるを得ないのかと思った時、背後から兄の声がした。

 「リプトン伯爵夫人、ひとまず落ち着いて下さい。お話なら中でお聞きしますから」

 「ああ、アール! 会いたかったわ!」

 フレールはアールの声に顔を上げて近づこうとした。しかし使用人達にそれを阻まれる。

 「何をするの!? 彼は私の前の夫、知らぬ仲ではないのよ? 邪魔をしないで!」

 フレールの言葉に、アールは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 「申し訳ありません。残念ながら、私と貴女様の婚姻は白紙に戻ったので、婚姻の事実そのものが消えたのですよ。ですから、私は前の夫ではございません、リプトン伯爵夫人。貴女様もまた、初婚でいらっしゃいます」

 「あ……。アール、まだ私の事を憎んでいるのね。本当にごめんなさい、私、貴方に本当に酷い事をしたわ。謝りたくて……」

 またぽろぽろと涙を流し始めるフレール。アールは「取りあえず落ち着ける場所にご案内致しましょう」と使用人に目配せをした。
しおりを挟む
感想 929

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

ここは私の邸です。そろそろ出て行ってくれます?

藍川みいな
恋愛
「マリッサ、すまないが婚約は破棄させてもらう。俺は、運命の人を見つけたんだ!」 9年間婚約していた、デリオル様に婚約を破棄されました。運命の人とは、私の義妹のロクサーヌのようです。 そもそもデリオル様に好意を持っていないので、婚約破棄はかまいませんが、あなたには莫大な慰謝料を請求させていただきますし、借金の全額返済もしていただきます。それに、あなたが選んだロクサーヌは、令嬢ではありません。 幼い頃に両親を亡くした私は、8歳で侯爵になった。この国では、爵位を継いだ者には18歳まで後見人が必要で、ロクサーヌの父で私の叔父ドナルドが後見人として侯爵代理になった。 叔父は私を冷遇し、自分が侯爵のように振る舞って来ましたが、もうすぐ私は18歳。全てを返していただきます! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。