上 下
91 / 674
貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

シスター服にはロマンがあるのです。

しおりを挟む
 あっさりと答えた私に部屋が静まり返った。

 「慣性の、法則……?」

 鸚鵡おうむ返しに訊き返すイエイツ修道士。私は頷いた。

 慣性の法則――それは、『物体に外部から力が働かない時、または、働いていてもいてもその合力が0である時。静止している物体は静止し続け、運動している物体はそのまま等速度運動を続ける』というものである。

 それを分かりやすく噛み砕いて説明するならば。

 「慣性とは、惰性とも申します。そうですわね……例えば、真っ直ぐでなだらかな道を一定速度で動いている馬車があるとします。この馬車がいきなり停止すれば中に乗っている人はどうなりますか?」

 「それは……前につんのめりますな」

 「ええ。つまり、前のめりになる力が働くでしょう? それは、馬車と共に中の人も動いていたからですわ。いきなり馬車が停止すれば、中の人は惰性……慣性で動き続けようとする。ですので前につんのめるのです。
 逆に、静止した馬車をいきなり急発進させるとするならば、きっと中の人は後ろに押し付けられるような感覚を味わうでしょう。それも、中の人は静止し続けようとする慣性の力が働くが故の事ですの」

 それを前提として、と続ける。

 「さて、ここで問題ですわ。中で人が飛んだり跳ねたりできる大きさの、揺れをほとんど感じる事のない特殊な馬車があるとします。
 これを一定速度でなだらかで真っ直ぐな道を走らせた状態で、中に立っている人がぴょんと垂直に飛んだとしましょう。この人は取り残されて馬車の後方の壁にぶつかるでしょうか?」

 「先程仰ったように中の人も運動しようとするならば……飛んだ場所に着地する……?」

 「正解。同じ場所に着地するはずですわ。もし、馬車が一定速度ではなく、加速もしくは減速していればそれこそ取り残される現象が起き、飛んだ場所とはずれて着地する事になるでしょう。
 同じように、もし、この時この瞬間、世界の動きがいきなり止まれば、私達は空の彼方にでも吹っ飛ばされてしまうでしょうね。
 結論としましては、私達が飛んだり跳ねたり、また鳥が飛んでも取り残されないのは、私達も同時に世界と動いているが故の事ですわ」

 「おおお、そのような事だったのですか! いや、しかしまだ疑問がある。世界は丸いとするならばこちらと世界の裏側と上下がおかしくなる事になる。これは一体どういう事なのか……」

 「ああ、それは……」

 私は重力と万有引力の話をした。メンデル修道院長とべリーチェ修道女が感極まったように祈りの所作をし、イエイツ修道士は「何と、そうだったのか!」と大袈裟なくらいに感動している。
 エヴァン修道士を窺うと、何故か愕然とした表情を浮かべてこちらを見ていた。何か? と微笑むと、顔を歪めて口を開く。

 「……大きな物であるほど強く別の物を引き付ける万有引力とやらが働いている、というお話が本当ならば、では何故月は空に浮かんでいて落ちて来ないのですか?」

 「ああ、それは落ち続けているんですわ」

 私は修道院長に筆記具を借り、ついでに公転の仕組みを図解して説明してあげた。同じ仕組みで、太陽神の周りを世界が回っている、つまり落ち続けているのだとも。
 前世、学生の頃に学んだ記憶が蘇る。四季がある理由を説明せよ、とか日食、月食の仕組みを説明せよ、とか。懐かしいなぁ。

 説明をし終えると、エヴァン修道士の瞳に明らかな畏怖が宿る。

 「あ…貴女様は……本当に?」

 問いかけられた声は、少し震えていた。


***



 「まさかこの時代にマリー様のようなお方が現れるとは思ってもおりませんでした。これも太陽神のお導きなのでしょう」

 「恐れ多い事ですわ」

 私は修道女の居住区に来ていた。男子禁制のラインで、グレイはイエイツ修道士の部屋で待っていると言って戻って行っている。

 最後に通された修道女専用の礼拝堂のベンチに座り、一通り案内してくれたべリーチェ修道女はほうっと溜息を吐いて祈りの所作をする。なんとなく私とサリーナもそれに倣って祈った。

 あの後。

 どう答えたものか困って首を傾げて誤魔化すように作り笑いをしていると、修道院長が「おお、もうこのような時間ですな。べリーチェ修道女、マリー様のご案内を」と助け船を出してくれた。

 これ幸いと彼女に連れられて部屋を辞す。私の説明書き(是非とも欲しいと言われたのであげた)を嬉しそうに手に取って眺めているイエイツ修道士や何かをじっと考え込むように床を見詰めているエヴァン修道士。
 多分、宇宙人からオーバーテクノロジーを聞かされた科学者状態なのだろう。実際私は宇宙人みたいなもんだしな。
 ただ、無邪気に喜ぶイエイツ修道士はともかく、ショックを受けていたようなエヴァン修道士の様子がちょっと気にかかる。大丈夫だろうか。

 そんな事を考えていると、

 「主だった者を紹介しましょう」とべリーチェ修道女に声を掛けられる。気が付くと、これから研修する上でお世話になるであろう修道女達がぞろぞろと集まってきていた。

 聖女――候補である事を知らされているのはべリーチェ修道女だけ。何て説明するのかと思っていると、「キャンディ伯爵家の三女のマリアージュ様です。信仰熱心で神学に興味をお持ちなので、暫くの間通いでこちらで学ばれる事になりました」と。
 そういう事になっているらしい。それに合わせて淑女の礼をして挨拶をすると、彼女達もめいめい挨拶と自己紹介をしてくれた。年齢にはばらつきがあるが、若い修道女達も多く、彼女らには親近感が湧いた。目に浮かぶ好奇心の色を隠そうともしていない。

 修道女は皆一律に同じ服を身にまとっている。前世でいう、カトリックのシスター服のようなやつ。皆同じ服というのも制服を思い出させ……何か、女子高みたいで楽しそうだなと思った。

 「こちらで学ぶ間は、私も同じ服を身に着けたいと思うのですが……構いませんか?」

 気が付けばそんな事を口走っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。