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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(42)

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 「で、これからが本題なんだよなぁ」

 「ああ」

 頬杖をつくカレル様の言葉にトーマス様が頷く。「議題は他でもない、マリーの誓約書問題について」

 やっぱりそれか。
 気球の事も嘘じゃないだろうけど、男だけで集まっているから人目を憚る話をするんだと何となく思っていた。

 「メイソンの野郎、もうマリーの婿になった気分でいやがる。義兄上と呼ばれて鳥肌が立ったんだが」

 げっそりした表情のカレル様。イサーク様も「僕あの人嫌い……」と零している。
 トーマス様も渋面になりながら手帳を開いた。

 「……試算してみたが、金額的に恐らく今月二十日頃から焦り出す事になるだろう。払えなくなればマリーに会わせろと家に乗り込んでくるぞ、間違いなく」

 「それは追い返せば良いんだが、今度は忍び込もうとするだろうな。何と言ってもマリーは社交界には出ないから接点が出来ない」

 カレル様の言葉を聞いて、僕は嫌な想像が頭を過った。

 「最悪の場合、マリーを襲って無理やり既成事実を作りさえすればって考えるかも……」

 「あの男ならやりかねん」

 マリーの身を案じていると、「大丈夫だろう」とジャルダン様はからからと笑う。

 「あの子はラトゥに似ている。相手の大事な所を蹴り上げるぐらいの事は平気でするだろう」

 確かにするかも知れない。

 想像してしまい、何となく、股間を庇える位置に手を置く僕。
 サイモン様も頷いた。

 「侍女も庭師達もいるから大丈夫だろうが……念を入れて外出の際は警備を強化しておこう。マリーが家から出ぬまま、乗り込んで来たら来たで捕まえて、結納金の新たな借用書を突きつけるか。マリー宛の手紙によれば、爵位を今月前半には継ぐ事になるそうだからな。乗り込んでくるとしてもその後だろう」

 「父様。あまり急に追い詰め過ぎると実家に泣き付かれて……ドルトン侯爵家が出張ってくる懸念が」

 「ふむ、侯爵家の財で一気に借金を返されると困る。匙加減をどうするか……」

 トーマス様の指摘に、考え込むサイモン様。そこへ、「それに関してなのですが、私に策がございます」とアールが手を上げた。

 「現在、リプトン伯爵領の金貸しを次々に味方に引き入れております。彼らを迂回して銀行からメイソンに金を貸し、マリーへの金や借金返済に充てさせましょう。プライドを擽り、実家に頼らずとも大丈夫だと囁けば、きっと飛びつく事でしょう」

 「既に借金をしているのに金貸しの言葉に素直に頷くだろうか? 警戒されるのでは?」

 「いえ、マリーから『リボ払い』という言葉を聞きました。一定額ずつ返済すれば良いというものです。債務者に危機感を与え難く、しかし一方で金利を高くしてあり、借金そのものは何年経ってもなかなか減らない」

 マリーから。いつの間に。それにしても聞きなれない言葉だ。「何か嫌な予感が……」とカレル様が呟くのが聞こえる。僕も同感だ。
 アールは筆記用具をサイモン様から借り、借金額と利子、返済計画を仮定し、さらさらと書いていく。

 「このように、無理のない返済だと見せかけて、実質十年経っても二割未満しか借金を返せていない訳です。長期間借金を負わせ続けるという、上手いやり方ですよ。
 誓約書の件ですが、マリーへの金が払えなくなりそうな時を見計らって、『どうせ相手は社交界に出ないから醜聞も立たない』と手を引かせて手打ちにするのです。
 そして借用書につきましては、銀行から迂回して貸し付けた金から支払われて行き、銀行への返済にはリプトン伯爵領の税収から、一定額ずつ返済という形で契約をすれば、メイソンは危機感を覚えず、ドルトン侯爵家に泣き付く事は無いかと。
 サイモン様に借金を順調に返しているようで、その実銀行から更に借金を増やしているという構図になります。気が大きくなって借金を更に重ねるかも知れませんね」

 予感的中。何てことをアールに教えるんだ、マリー! 二人の兄君達は顔色を悪くしている。
 エグい内容を聞き終わったサイモン様はじっと紙を見詰めた。

 「囲い込んで『リボ払い』か。面白い。それなら上手く行きそうだな」

 「はい。お任せください」

 良い笑顔を浮かべて礼を取るアール。僕はほんの少しだけメイソンを気の毒に思う。
 ただ一人、ジャルダン様は寝てしまったイサーク様の頭を撫でながら、「頼もしい息子が増えて良かったなぁ、シム」とほっほっと笑っていた。


***


 「兄さん。メイソンを囲い込む勝算はあるの?」

 キャンディ伯爵家を辞した僕達は、同じ馬車にのって帰路に着いていた。後になって考えると、サイモン様に提示したアールの策は少し穴があるように思う。
 メイソンが他の金貸しに借りたり、思ったよりプライドが無く実家に泣き付いたりすればそこで終わってしまう。

 「あるさ。何と言っても奴の行きつけの娼館も調べ上げて買収済みだからな」

 ニヤリと父そっくりに悪い笑みを浮かべるアール。僕は愕然とした。

 「はぁ!?」

 何でそこまで。疑問を呈する僕に、アールは考えてもみろよと言う。

 「マリーに金を支払えなくなり、手を引く事は既に決まったも同然だ。では、その後は? キャンディ伯爵家に忍び込むのは失敗に終わるだろう。大損した上、何もかも上手く行かず気分は自暴自棄に近い。
 しかしその時手元にある程度まとまった金が残っていればどうなるかな。おまけに妻は爵位の為に落とした好きでも何でもないつまらない女――となると、奴は必ず女遊びを始める。そうだろう?」

 すっと目を細める。深い底なし沼のような目でアールはうっそりと笑った。

 「――睦言で零す言葉も、気に入りの娼婦に語った秘密も、全て俺に筒抜けになる。あの男が蔑んで、馬鹿にした赤毛の俺にな。娼婦に命じて、奴に何を囁かせるのも自由自在。見てろよ、グレイ。更に借金を重ねるように仕向けて、夫婦仲良く地獄へ落としてやる」

 執念を感じさせる凄みのある言葉に、僕はごくりと喉を鳴らす。
 兄さんは幸せになったけれど、決して恨みを忘れた訳じゃないのだと今更ながらに思った。
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