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前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファン。

角馬達が翼を得るまで。【1】

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 夜の街道を、僅かな月の光を頼りに複数人の男達が走っていた。
 松明は持っていない。何故なら彼らにとってここは敵地であり、そんな物を持とうものなら、どうぞ見つけてくれと言っているようなものであるからだ。

 先頭を走る男は彼らを率いる頭目であり、所謂裏社会の人間だった。用心棒、詐欺、盗み、殺し、何でもやり、名を上げていた。腕にもかなり自信がある。

 ムーランス伯爵閣下にキャンディ伯爵家で銀山に関わる不正が行われているという噂が流れている。それを探って来いと言われた。成功すれば莫大な報酬を貰え、更には男爵に取り立ててやるとも。

 裏社会では手を出してはならないと噂になっていたが、命を懸ける価値はあった。

 キャンディ伯爵領には拍子抜けする程簡単に潜入できた。部下を使って情報を集めて旅の巡礼者集団を装い、領都で銀山で働いている鉱夫と接触。
 不正の証拠は領主館に保管してあるという。そこで働いているという庭師が酒場で待遇に対する愚痴を零していた所に取り入って買収、まんまとその証拠を持って来させて手に入れた。後は、ムーランス伯爵の元へこれを運ぶだけだ。
 もうすぐキャンディ伯爵領を抜ける。このまま突っ切れば成功したも同然。

 ――拍子抜けだな。それにしても後ろをついて来る足音がしなくなったような?

 そう思って後ろを振り返った頭目。しかしそれが命取りになった。
 何が起こったのか理解する事も、悲鳴を上げる暇も無く胸を貫かれて絶命した。

 鋭利な刃物が抜き取られると、頭目の身体が地に崩れ落ちた。頭目を手に掛けた影はその剣を一振りすると鞘に納める。
 そこへ、音もなく駆け寄って来たもう一つの影。

 「兄者、よくも良い所ばかり持って行ってくれたな!」

 ぜぇぜぇと肩で息をする相手に、兄者と呼ばれた影は肩を竦める。

 「何を言うシュテファン。お前が雑魚を半分以上引き受けて片付けてくれたからこそ本命を容易く仕留められたのだ。これは二人の功だぞ」

 そこへ、別の影が現れた。

 「ヨハン、シュテファン」

 「父者」

 「我が息子達よ。最後の試練、見事であった。見破られずに普通の鉱夫を装う事。怪しまれない噂をばら撒き、相手の行動を誘導する事。そして偽の証拠を掴ませた事。証拠が本物と想定した上で領内で処理出来た事」

 「では……」

 「合格だ。ただし、私から見れば満点とは言えぬ。まあ及第点だな」

 その言葉は予想外だったのだろう。ヨハンとシュテファンと呼ばれた彼らは愕然とした。

 「は?」

 「な、何故なのです父者!」

 父者と呼ばれた影は異議に溜息を吐いた。

 「お前達が優秀過ぎるのは知っている。相手を無事に始末する事が出来たのは上出来ではあるが、特にお前は少し先走り過ぎたのだ、ヨハン。殺さず生かして捕らえていたら文句なしの合格であったというのに」

 「しかし領境はすぐそこで――」

 「そうだ。越えていたら不合格だった。殺すのも一つの正解ではある。しかし私の言いたい事はそう言う事ではない。我ら隠密騎士は連携を取って戦うべしと教えたであろうが」

 「れっ、連携は取っていたではありませぬか! 弟が雑魚を引き受けて――」

 「それ故、シュテファンとの距離が開き過ぎていたぞ。各個撃破されたら何とするのだ」

 「……私の実力では足りないと?」

 「実力の問題ではない。単独で戦うのは最もやってはいけない事だ。たとえお前達の実力がどんなに高かろうがな。
 我らの任務に失敗は許されぬと心得よ。隠密騎士ならば尚更、予想外の事態に備えて慎重に慎重を重ねるものだ」

 「では、お屋敷に戻るぞ」と踵を返した彼らの父。

 ――父者は慎重に過ぎる。一人でも立派に任務をこなせるというのに。

 ヨハンは不満だった。
 それもその筈、ヨハンとシュテファン兄弟は優秀であり、これまで負け知らずだったからである。


***


 トラス王国、キャンディ伯爵領南方にある高地――そこには山の民からなる数多くの集落があり、その統治は代々そこに住まう騎士爵の一族が担っていた。
 その内の一つ、シーヨク庄――通称馬ノ庄と呼ばれる集落もまた、主家より騎士爵を賜ったヴァルカー・シーヨク卿が治めており、そのシーヨク卿には二人の息子がいた。
 一人は兄のヨハン、そしてもう一人は弟のシュテファンである。

 ヨハンとシュテファン兄弟は、小さな頃から厳しい騎士の修行に明け暮れ、その才能は素晴らしく将来を嘱望されていた。というのも、彼らが幼い時に領都へ来ていた流れの占い師が当たると評判になっていたので、気まぐれで占ってもらった所――ある予言をされたのである。

 「この兄弟は天馬が空へ駆けあがるが如く、この世のありとあらゆる騎士達の頂きに立つ事になるだろう。共に育てるべし。長じた後、尊き御方を守る双璧とならん」

 「天馬……我らは代々馬の名を冠してきた。何とめでたい事だ」

 その占い師の予言はシーヨク家を湧き立たせた。ヴァルカーは二人の息子を立派な騎士にするべく共に厳しく育てる事を決意する。
 思慮深かったヴァルカー卿は、その予言を息子達が旅立つその時まで秘した。というのも、そのような予言を真に受けた息子達が慢心し、真面目に修行に取り組まなくなるのを恐れたからである。
 騎士たる者、主を命に代えても守らねばならない。それ以上にシーヨク家はただの騎士爵家では無かった。

 キャンディ伯爵家に仕える騎士は表と裏に分かれる。北の平地の騎士爵は表を、そして南の高地の騎士爵は裏を担う。
 シーヨク家は、高地に住まう裏の騎士爵家の一つであり――所謂隠密騎士であった。

 故に、主に最も近い場所で仕える事となるが、騎士の恰好になる事は無い。表向きは庭師や使用人として仕え、ひたすら影に徹し、華々しい騎士の世界とは無縁の存在であった。

 ヴァルカーは常日頃から息子達に言い聞かせた。

 「我らは騎士であれども騎士道から外れた外道よ。影に潜み、時には主の身を守り、時には主の敵を排除する。
 どんな汚い手段を使ってでも、だ。それはすなわち敵対者もまた汚い手段で来るという事。
 まして、我らは主家の宝たる銀山の守り人でもある。平地の騎士よりも遥かにお役目や重要性が重い。修行において甘えは一切許されないと心得よ」

 「はっ、父者!」
 「はい!」

 そうして隠密騎士の跡取りの彼らは幼少期よりありとあらゆる隠密の武技を叩きこまれた。
 山道を昼夜問わず走らされたり、断崖絶壁を上ったり、下りたり。
 暗器の使い方を一通り覚えた頃には、最終的にはのこのこと主家の秘密を暴きにやって来た曲者を手に掛けたりもした。

 座学では王国の地理の外、毒薬やその解毒方法、人体の急所等を学んだ。
 そのような教育のかいあってか、兄のヨハンは長剣での刺突技を得意とし、弟のシュテファンは双剣の扱いに才を発揮する。他の集落の騎士爵の跡取り達との試合の時にも、負け知らずであった。
 そうして弟のシュテファンが齢二十歳を数える頃になると、最後の試練を終え旅立ちの時が訪れたのである。
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