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転生令嬢ですが、元夫が王太子殿下の婚約者になっていて、何故か逃げ回っていると専らの噂です。
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ここは、とある国の国立学園。誰にでも門戸を開いていて、13~20歳までの男女が様々な知識を学んでいる。
身分別なくという建前のもとに、現在、この国の王太子とその婚約者が在学中だ。
最近、学生達の間で囁かれているのは、専らその二人の噂ばかりだった。
曰く、王太子が婚約者を追いかけ回している。
曰く、完璧な令嬢だったはずの婚約者が、乱暴な口をきいて、走って逃げている。
噂には尾ビレ背ビレがつきもので、一週間経つうちに、婚約破棄が近い、いや、もうした後だ、にまで行き着いた。
昨日まで、そんな噂を面白おかしく喋っていた私が、その当事者と知り合い、巻き込まれることになろうとは、夢にも思っていなかった。
末端貴族の男爵令嬢であるこの私が。
「やっばい、まっずい。教室間違えたわ。」
昼休みが終わって、5限が始まろうという、その時間、私はうっかり科目の思い違いをして教室を間違え、慌てて正しい場所へ向かうべく、中庭を爆走していた。
あの植え込みを曲がって階段をかけ上がれば、時間ピッタリに教室に飛び込めるはず、とそこを飛び越えた所で、急に飛び出してきた人とぶつかった。
「いったーー!」
派手にぶつかり、すっ転んだ痛みを叫びつつ、相手を見れば、なんと、噂の王太子殿下の婚約者様ではないですか!
身分は関係ないと言いつつ、絶対にそうではないこの世界で、最高位に近いご令嬢に飛び蹴りを食らわせたと知られたら、マズイ!
授業開始の鐘が鳴り響く中、私は目を回している令嬢を担いで、人目につかない場所まで運んだ。
さて、この限りなく自分の身が危うい状況を、どうやって乗り切ろうか。口もきいたことがない、雲の上の存在であるこのご令嬢をどうやって丸めこめば良いのか。
「わからん…」
呟いて、とりあえず、ケガをしてないか確認をする。なんてこった!手を、手を擦りむいていらっしゃる!
保健室に運ばねば、と抱え起こしたところで、ご令嬢が目を開けてしまう。
さっさと逃げるか、埋めるかしておけばよかったと、今更ながらに気がついた。だが、もう遅い。
私は、飛びすさって彼女の前にがばりと伏せ、土下座した。
「申し訳ありません!決して故意ではないのです!どうか、命だけはお助けください!」
待てど暮らせど、返事がない。ここで、人生の終わりが確定したのか?
かくなる上は、と顔を起こしたら、私をまじまじと見つめる青い双眸が、すぐそこにあった。
さすが、王太子殿下の婚約者様、シミ一つない白い肌に、とろりとした蜂蜜のような金の髪と晴れた日の空のような青い瞳。この世の美を凝固した様な麗しさだ。
こんな美貌を間近に拝める機会など、二度と無いと、見詰め返したら、その可愛らしい唇が開いた。
「お前、ウメコか?」
「は…?」
私の頭がおかしくなったようで、この麗しのご令嬢の言葉が、理解できません。
無礼と承知しつつも、口から漏れた言葉はそれだけでした。
ぽかんと口を開けたままの私の肩を乱暴に掴んでガクガク揺さぶりながら、ご令嬢はその顔と一致しない口調で必死に話し続ける。
「ウメコ、ウメコだろう?ワシだ、ワシ。わからんか!?お前の夫のヨージローじゃないか!覚えておらんのか?!」
この人、今、何と言った?
私の夫?私は今17歳の未婚女性だよ。
え、ちょっと待って?この美人の顔と発せられる言葉のギャップが、もはや視覚の暴力なのですが、ヨージローさんとな?
「え、本当にヨージローさんなのですか?あの、プロポーズする場所に寒風吹きすさぶ防波堤を選んで、風の音に声がかき消され、喉が枯れるまで結婚して欲しいと叫び続ける羽目になった、あの?その時持っていた赤いバラの花束も花びら全部、風に飛ばされてなくなっちゃってましたよねえ。」
「お前、よくそんなことを覚えていたな!いかにも、ワシはそのヨージローだ。ウメコ、お前が先に死んでしまってから、ずっと会いたかった!」
ガバッと美女に抱きつかれたけれど、私は慌てて引き剥がし、顔をまじまじと見直した。
どこからどう見ても、王太子殿下の超絶美貌の婚約者にしか見えない。
「もしや、貴方も転生なさったのですか?」
ヨージローを名乗る令嬢はその言葉に、首を捻っている。
「ですから、今、貴方の外見は、王太子殿下の婚約者様ですよね?でも、中身はヨージローさんだと。」
ヨージローがぶんぶんと首を立てに振る。首、もげそうだよ?令嬢の身体、大事にしてあげて?
「あまりのギャップに、気づくのが遅れましたけど、貴方は前世の記憶を持ったまま生まれてきてしまった転生者なのだと思います。実は私も前世の記憶があります。まさか、こんなところで元夫に再会するとは思いませんでしたが。」
ぶっちゃけ、会いたくなかった。前世でこういう小説や漫画を読みまくっていたので、転生に気づいた時はめちゃくちゃ嬉しかった。
この生活をかなり楽しんでいるし、好みの婚約者もゲット済みだ。
生まれてこのかた、何も問題なかったのにここにきてこんな爆弾を落とされるとは。人生山あり谷ありか。
ヨージローの方を見れば、目を限界まで見開いてこちらを見ている。本当に令嬢とは、外見だけではなれないという好例だわね。中身が爺さんというだけでここまで崩れるか?
ヨージローはふらりとよろけ、そのまま芝生の上に倒れ伏した。おお、そこは、ご令嬢っぽいよ!
「元、夫…。死ぬまで夫婦だったろう?ワシら離婚しとらんじゃないか!」
ああ、そこに傷ついたのか。でもそんなこと言われても我々は既に別人として転生し、新人生を送っておるわけじゃないですか。
それより何より、
「私達、女同士になっちゃったじゃないですか…。」
ヨージローは激しい衝撃をうけたようで両手で顔を覆ってしまった。この場面を知らない人が見たら、私、牢獄行きかな?
ヨージローか私のどちらかが男になっていれば、話は違っていたかもしれないけど、それも泥沼になりそうなので、女同士なのは実際ありがたい。
「私達、この世では随分と身分は違いますが、お友達にはなれるのではないでしょうか?」
落ち込むヨージローを励まそうと、女同士のメリットを提案してみたところ、ヨージローはパッと顔を上げ、助け起こそうと差し出した手に縋ってきた。
美女に潤んだ瞳でとり縋られるというのを初めて体験したが、女同士でもいいかも、という考えを起こすくらいには破壊力のある色気だった。
「お願いじゃ、ワシを見捨てないでくれ!このまま置いていかないでくれ。一週間前、気がついたらこんな姿でわけ分からないところにいて、ほとほと困っているのだ。」
口を開くと台無しだけど。
って、え?一週間前に前世を思い出したの?!それって噂が出回り始めたのと一致する。
「その、前世のことを思い出す前の、ご令嬢の記憶はありますか?」
ヨージローは苦虫を噛み潰したような顔で、眉間に深いシワを刻んで返答する。
「ある。が、冗談じゃない。なんでワシがあんなド派手な男の婚約者なんだ。ビラビラのドレスを着て、笑顔を振りまかにゃならんのだ。絶対嫌だ!」
嫌だってアナタ、そりゃあないよ。だってアンタ、今紛れもなく侯爵令嬢だもん。ついでに婚約者に負けないくらいアンタもド派手な外見だよ。
しかし、困ったな。この状況、最悪じゃない?転生を受け入れられないって、どうなるんだろ?とりあえず私しかこの人を説得することができないよね?だって同じ転生者で、元妻なんだから。
腕組みをして、しばらく、考えた結果、この国で生きていくなら、この人をこのまま放置して置くわけにはいかないと結論付けた。
そうと決まれば、状況把握のための事情聴取からだ。
「ヨージローさん、侯爵家ではどう振る舞っているのですか?」
「最初、逃げ回っていたが、メイドが怖くてな…。今は言われるままにドレスを着て化粧をされたり髪を結ばれたりしておる。苦痛だが、仕方なく、記憶にある娘を演じているのだ。」
侯爵家のメイド凄いな!このヨージローに勝ったのか。
「なぜ、学園では演じられないのですか?その姿なのですから、ヨージローさんを前面に出してはおかしいことくらいわかるでしょ?」
ヨージローは、ムスッと口を尖らせて横を向いた。その顔は反則だわ、かわいいと思っちゃったじゃない!中身知ってるのに。
「…学園でもできる限りそうしとる。」
横を向いたまま、ボソボソと言うヨージローの顔を睨み、
「では何故、王太子殿下から逃げるのですか?」
「あの男の前ではどうしても、無理なんだ!前世の記憶が戻って最初の記憶が、頭から離れなくて。」
ん?もしや、王太子殿下が切っ掛けで前世を思い出したの?そこ、詳しく!
「具体的にどういう場面で思い出したのですか?」
ヨージローは顔を真っ赤にして目を合わせない。えええ…まさか。
「王太子殿下に何をされたんですか?まさか…」
じっと見つめれば、何処まで想像したのか、大慌てで両手を振って否定してきた。
「イヤ、キスだけだ!しかも、軽いファーストキスだけだ。」
まあ、王太子殿下ってば、いつの間に。政略結婚と聞いていたけど、意外とうまく行ってたのね。キスするまでは。
初めてキスした途端、愛する婚約者の中身がお爺さんになるとか、哀れすぎじゃない?
これは王太子殿下のためにも、ヨージローをなんとかしなければ。
「そう言えば、貴方と王太子殿下の噂が広まっているのをご存じです?」
「噂…ワシの?」
いや、正確にはご令嬢のね。誰もアンタのことは知らんがな。
「言葉遣いも態度も今までとガラリと変わった貴方が、王太子殿下から逃げ回って、婚約破棄されたとか…。実際のところ、どうなんです?」
ちょっとだけ好奇心に負けて聞いてしまった。気になるんだもの…。
「そんな噂が…相変わらずウメコはそういう情報が早いのう。おっ?…何だこれは?!」
驚くヨージローと共に私もびっくりした。ヨージローの目から涙がどんどん溢れて来ているのだ。驚くところを見ると、これはヨージローの意志ではない。となると、これは。
「その涙は、17年生きてきた侯爵令嬢の気持ちですよ。きっと、王太子殿下が好きなのに意に反して逃げ回り、婚約破棄されたと思うと悲しくなったのでは?」
ヨージローは初めてそのことに思い至ったらしく、目を見開いたまま固まった。私は溢れ続ける令嬢の涙を拭くために、ハンカチを差し出した。
「すまん…」
何に対してのすまんなのか、はっきりとしないままヨージローはハンカチを受け取って目にあてた。
そのたおやかな白く細い手を見て、私は慌てた。
ヤバい、擦り傷そのままにしてた!
「ヨージローさん、手の擦り傷を治療致しますので、こちらへ来てください。」
「傷?ああこんなの、ほっときゃ治るわい。」
「だめです!跡が残ったらご令嬢が困るのです。もう、ヨージローさんだけの身体じゃないんですよ?!気をつけてください。」
有無を言わせず近くの水場に引っ張って行くと、手を洗い、かばんから怪我用の塗り薬と包帯を取り出した。
ガーゼに薬を塗って傷口に当てる。
それを眺めていたヨージローが、申し訳なさそうにつぶやく。
「そう言えば、確かこの世界では薬も高いのでは?」
「大丈夫ですよ。これは家の庭で栽培している薬草で作ったものですから。」
「え、ウメコが草を育てておるのか?!」
「薬草です。ええ、育ててますよ。」
「あの、庭木を火炎放射器で燃やし尽くしたいと睨みつけ、暇さえあればワシに雑草を抜けと言っておった、ウメコが。」
アナタもいらん事覚えてますね?そんな昔のこと言われても、今と事情が違うっての。
「大体、前世では、私、家事と育児で毎日ヘトヘトで。庭の手入れをする余力もなく、それに自由時間を取られて他のやりたい事ができないのが嫌だったのですよ。そもそも、庭を欲しがったのも、草木を植えたのも、アナタじゃないですか!手入れは私ってどういうことですか!おかしいでしょ?!」
「う、すまんかった。だが、ワシ仕事が…」
「じゃあ、庭なんて作らなきゃよかったんですよ!コンクリートでうめりゃよかったんです!…おっと、今はこんな話をしている場合じゃなかった。」
私は烈火の如く文句を言いつつも、丁寧に包帯で令嬢の手を巻いていった。
「慣れているんだな。」
「ええ、今、弟が二人いますからね。ケガばっかりしてくるのですよ。こちらは医学が前世ほど発達していないようなので、身を守るためにも薬草学の基本は修めました。」
「なるほど。ウメコはもうしっかりここに生きておるのだな。」
その寂しそうな声に心が痛んだが、前世を思い出してからの時間が違いすぎる。
「ええ、私は生まれて直ぐに、前世を思い出しましたからね。アナタも17年も経てばそうなりますよ。」
「生まれてすぐ…」
その時、絶句するヨージローの向こうから王太子殿下がやってくるのが見えた。マズイ!
でも、私が軽々しく口をきける相手でもない。
アワアワとヨージローの袖を摘み、後ろを指差すと、振り返って飛び上がり、逃げ出そうとする。そりゃないよ、待たんかい。
逃げられないように手を掴み、その場で深く礼をして、王太子殿下を待つ。ヨージローは逃げられず、オロオロしている。
「今日は逃げないのだな。午後から姿が見えないので心配したぞ。」
顔も麗しければ、声も麗しい。王太子殿下の声を初めて聞いた。普段は遠巻きにしか見ていないから、声を聞くのは初めてだ。
ヨージローは逃げられず、かといって話すこともできないのか黙ったままだ。気まずい。
王太子殿下の気配も困っているように感じられる。ここは一つ私が、何とかするしかない。
「殿下、発言をしてもよろしいでしょうか?」
お辞儀したまま訊ねると、はじめて私の存在に気がついたように戸惑った声で許可がおりた。
「私、友人なのですが、この一週間、あることに悩んでおられまして、相談に乗らせていただいております。お悩みはもうすぐ解決すると思いますので、それまでそっとしておいていただけませんか?」
「悩みがあったのか、それで、あんな態度を?どうして私に言ってくれなかったのだ。」
「それはお察しください。殿方には言いにくいことがたくさんあるものです。近いうちに必ずもとのようになりますので、今しばらく、距離を保って頂きたく。」
当然だが、俄には信じられないのだろう。が、殿下が逡巡している間にヨージローが動いてしまった。
「殿下、私はこちらの大事な友人とまだ話がありますので、失礼致します!」
言い捨てて、私とつないだ腕をぐいっと引っ張り、そのまま駆け出した。
そして何故か、私はその流れで侯爵家につれてこられ、泊まることになってしまった。
「ワシになってからは、家族とも会わんようにしとるんで、気は使わんでええ。ウメコの家にも使いは出しておく。ゆっくりしていけ。」
着替えたヨージローは、のほほんとそう言うと嬉しそうにメイドにお茶と夕飯の指示を出していた。
「まさか、ウメコが生まれた時から前世の記憶があったとは思わんかった。大変じゃったろうが、その辺を詳しく教えてくれんだろうか。ワシもこの令嬢とうまくやらねばという気持ちになってきたのだ。」
それはいい変化だわね!喜んで協力しようじゃないの。
私は記憶が戻ってすぐの葛藤や、それからどう心の折り合いをつけていったかという事を思い出しながらゆっくり語っていった。
ヨージローは真剣に聞きながら、最後には納得したように頷いていた。
美味しい夕飯も部屋で頂き、寝間着に着替えてからは、前世の話をした。思い出話に花が咲いたが、私はどうしても聞いてみたいことがあった。
「あの、ヨージローさん。私が死んだあと、アナタと子供達はどうしていたのですか?」
ヨージローは、やっと聞いたか、という顔をして、頷くと、笑って言った。
「そりゃ、泣いた。でも、子供達もそれぞれ家族を持っとったし、ワシも一人じゃったけど孫達も時々来てくれとったし、なんとかお前が死んでから7年、生きぬいたよ。」
「そうですか、アナタは87歳まで生きたのですね。それを聞いて、安心しました。孫達は皆大きくなったのでしょうね。」
「おお、77歳で死んでしまったお前よりも10歳も長生きしたわ。お陰で孫の成人も見届けられた。生前、いつも身体にいい食事を作り、健康を気遣ってくれたからだな、ウメコ、ありがとう。感謝している。最後にこれを言いたかったのだが、言えずにいたのが心残りではあったのだ。今言えてよかった。」
「私だって、アナタに逢えてよかった、ずっと一緒にいてくれて感謝しています。」
涙腺はもう保たなかった。止めどなく流れ続ける涙をタオルで押さえる私をヨージローはずっと抱きしめてくれていた。
随分長い間泣いていたが、遂に私の涙は枯れ果てた。と同時にすごくスッキリした。
「ヨージローさん、ありがとうございました。よし、明日に備えて寝ましょう!」
「お、同じ布団に寝るのか?!部屋を、別に用意させたが。」
「もう動くのが面倒です。女同士なのですから、別に何も言われませんよ。一緒に寝ましょう。おやすみなさい。」
騒ぐヨージローをベッドに無理矢理連れ込み、並んで横になると、布団をかけてやった。
侯爵家の素晴らしく高級な布団のお陰で、私は直ぐに眠ってしまったらしい。
その間、ヨージローは眠れず、暗闇で考えていた。
「なるほど、一緒の布団で寝ても、何も思わんな。女同士だからか?確かに、もう別人になったということを認めて生きていかにゃならんようだ。侯爵令嬢にも申し訳ないことをした…。ヨージローよ、ウメコと会って言いたかったことも言えた。もう十分じゃないのか。」
そのつぶやきは誰に聞かれることもなく、暗闇に吸い込まれた。
翌朝、起きたときにはヨージローは薄くなり、侯爵令嬢になっていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?ウメコ?」
「え、は、はい。えっと、ヨージローさん?」
「はい、ヨージローは私の前世です。貴方のおかげで、なんとかお互い折り合いがつきました。感謝します。」
ヨージローの口調はすっかり鳴りを潜め、評判通りの完璧なご令嬢が目の前に居た。
私はその様子に安堵したし、任務完了!の文字が頭に点滅したけれども、寂しさも同じくらい感じていた。
とにかく、これで私のやるべきことは終わった。ヨージロー侯爵令嬢とも、もう、関わることがないだろう。挨拶して帰ろう。
寂しさを振り切って、令嬢を見れば、向こうも輝くような笑顔で、私を見つめていた。
「ヨージローの元奥様のウメコ…。そう言えば、こちらでの名前を聞いてなかったわね?私はレティシアといいます。貴方のお名前を教えてくださるかしら?」
「私はローズと申します。レティシア様。これから先、このようにお話させていただく機会はないでしょうけど。」
レティシア様は心底不思議そうに首を傾げて、手を頬にあてている。
「あら、どうして?私達お友達になったのでしょう?私聞いていたのよ?」
「それはヨージローさんが動揺していたから落ち着かせる為だけで、まさか、本気で侯爵令嬢様とお友達になろうなどと、そんな大それた野望は抱いていません。」
「私、やっと素の自分で話せるお友達ができたと思って嬉しく思っていたのに。ね、私を助けると思ってお友達でいてくださらない?ほら、いつ何時、ヨージローが出てくるかわからないし。」
侯爵令嬢、しかも未来の王妃様とお友達なんて畏れ多過ぎて無理!と思っていたのに、最後の一言を言われては、受けざるを得ません。
「分かりました。そう言われては断れないじゃないですか。でも、私が貴方と仲良くしていると嫉妬されますので、秘密のお友達というのはいかがでしょうか?」
レティシア様の笑顔はこの世のものとは思われぬ美しさでした。ヨージローの時と同じ顔のはずなのに、随分差がある。中身の違いでここまで違うとは!
「秘密のお友達、なんて楽しい響きかしら。ええ、今は、それでいいわ。でも、殿下にはきちんと紹介させてもらうわね?」
今は、というのも気にはかかったが、王太子殿下の了承の方は必要だろうと、頷いた。
朝食後、侯爵家の馬車で学園まで送ってもらった。
結局、滞在中、侯爵一家と会うことはなかった。気を使わずに済んだとはいえ、どうも落ち着かなかった。今度また行く機会があれば、挨拶させてもらいたい。
門の前で降りると、まだ早い時間だというのに、既に王太子殿下が待っていた。よほど心配だったのだろう、先に降りた私を不安気に見ているので、笑顔で挨拶をした。
「王太子殿下、おはようございます。レティシア様が降りてこられるので、エスコートをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「私が近くに行っても、大丈夫だろうか?」
「もう、大丈夫だと思います。ね、レティシア様?」
私の呼びかけに車内から顔を覗かせたレティシア様は、王太子殿下の姿を見て、顔を輝かせた。
「殿下!」
「レティシア!」
その笑顔を見て、側に駆け寄った王太子殿下が恐る恐る手を差し出すと、すぐさま、レティシア様が手を重ねた。その時の殿下の表情はハッピーエンドに相応しいものだった。
やれやれ、これでこの国は安泰だ。
「ローズ!」
仲良く寄り添うお二人を眺めながら、腕を組んで、うんうんと頷いていたら、後ろから私の名前が呼ばれた。
振り返ると、黒髪黒目のそこそこ格好いい青年が駆け寄ってきた。
「昨日、午後からいなかったから、心配してたんだ。大丈夫かい?」
「ええ、心配してくれてありがとう。私は大丈夫よ。」
レティシア様が、すすっと寄って来て、彼に挨拶すると、私にこっそり聞いてきた。
「彼は、その、もしや貴方の?」
「ええ、私の大事な婚約者です。」
にっこり笑って答えると、レティシア様の顔が崩れた。
「ワ、ワシの若い頃にそっくり!」
身分別なくという建前のもとに、現在、この国の王太子とその婚約者が在学中だ。
最近、学生達の間で囁かれているのは、専らその二人の噂ばかりだった。
曰く、王太子が婚約者を追いかけ回している。
曰く、完璧な令嬢だったはずの婚約者が、乱暴な口をきいて、走って逃げている。
噂には尾ビレ背ビレがつきもので、一週間経つうちに、婚約破棄が近い、いや、もうした後だ、にまで行き着いた。
昨日まで、そんな噂を面白おかしく喋っていた私が、その当事者と知り合い、巻き込まれることになろうとは、夢にも思っていなかった。
末端貴族の男爵令嬢であるこの私が。
「やっばい、まっずい。教室間違えたわ。」
昼休みが終わって、5限が始まろうという、その時間、私はうっかり科目の思い違いをして教室を間違え、慌てて正しい場所へ向かうべく、中庭を爆走していた。
あの植え込みを曲がって階段をかけ上がれば、時間ピッタリに教室に飛び込めるはず、とそこを飛び越えた所で、急に飛び出してきた人とぶつかった。
「いったーー!」
派手にぶつかり、すっ転んだ痛みを叫びつつ、相手を見れば、なんと、噂の王太子殿下の婚約者様ではないですか!
身分は関係ないと言いつつ、絶対にそうではないこの世界で、最高位に近いご令嬢に飛び蹴りを食らわせたと知られたら、マズイ!
授業開始の鐘が鳴り響く中、私は目を回している令嬢を担いで、人目につかない場所まで運んだ。
さて、この限りなく自分の身が危うい状況を、どうやって乗り切ろうか。口もきいたことがない、雲の上の存在であるこのご令嬢をどうやって丸めこめば良いのか。
「わからん…」
呟いて、とりあえず、ケガをしてないか確認をする。なんてこった!手を、手を擦りむいていらっしゃる!
保健室に運ばねば、と抱え起こしたところで、ご令嬢が目を開けてしまう。
さっさと逃げるか、埋めるかしておけばよかったと、今更ながらに気がついた。だが、もう遅い。
私は、飛びすさって彼女の前にがばりと伏せ、土下座した。
「申し訳ありません!決して故意ではないのです!どうか、命だけはお助けください!」
待てど暮らせど、返事がない。ここで、人生の終わりが確定したのか?
かくなる上は、と顔を起こしたら、私をまじまじと見つめる青い双眸が、すぐそこにあった。
さすが、王太子殿下の婚約者様、シミ一つない白い肌に、とろりとした蜂蜜のような金の髪と晴れた日の空のような青い瞳。この世の美を凝固した様な麗しさだ。
こんな美貌を間近に拝める機会など、二度と無いと、見詰め返したら、その可愛らしい唇が開いた。
「お前、ウメコか?」
「は…?」
私の頭がおかしくなったようで、この麗しのご令嬢の言葉が、理解できません。
無礼と承知しつつも、口から漏れた言葉はそれだけでした。
ぽかんと口を開けたままの私の肩を乱暴に掴んでガクガク揺さぶりながら、ご令嬢はその顔と一致しない口調で必死に話し続ける。
「ウメコ、ウメコだろう?ワシだ、ワシ。わからんか!?お前の夫のヨージローじゃないか!覚えておらんのか?!」
この人、今、何と言った?
私の夫?私は今17歳の未婚女性だよ。
え、ちょっと待って?この美人の顔と発せられる言葉のギャップが、もはや視覚の暴力なのですが、ヨージローさんとな?
「え、本当にヨージローさんなのですか?あの、プロポーズする場所に寒風吹きすさぶ防波堤を選んで、風の音に声がかき消され、喉が枯れるまで結婚して欲しいと叫び続ける羽目になった、あの?その時持っていた赤いバラの花束も花びら全部、風に飛ばされてなくなっちゃってましたよねえ。」
「お前、よくそんなことを覚えていたな!いかにも、ワシはそのヨージローだ。ウメコ、お前が先に死んでしまってから、ずっと会いたかった!」
ガバッと美女に抱きつかれたけれど、私は慌てて引き剥がし、顔をまじまじと見直した。
どこからどう見ても、王太子殿下の超絶美貌の婚約者にしか見えない。
「もしや、貴方も転生なさったのですか?」
ヨージローを名乗る令嬢はその言葉に、首を捻っている。
「ですから、今、貴方の外見は、王太子殿下の婚約者様ですよね?でも、中身はヨージローさんだと。」
ヨージローがぶんぶんと首を立てに振る。首、もげそうだよ?令嬢の身体、大事にしてあげて?
「あまりのギャップに、気づくのが遅れましたけど、貴方は前世の記憶を持ったまま生まれてきてしまった転生者なのだと思います。実は私も前世の記憶があります。まさか、こんなところで元夫に再会するとは思いませんでしたが。」
ぶっちゃけ、会いたくなかった。前世でこういう小説や漫画を読みまくっていたので、転生に気づいた時はめちゃくちゃ嬉しかった。
この生活をかなり楽しんでいるし、好みの婚約者もゲット済みだ。
生まれてこのかた、何も問題なかったのにここにきてこんな爆弾を落とされるとは。人生山あり谷ありか。
ヨージローの方を見れば、目を限界まで見開いてこちらを見ている。本当に令嬢とは、外見だけではなれないという好例だわね。中身が爺さんというだけでここまで崩れるか?
ヨージローはふらりとよろけ、そのまま芝生の上に倒れ伏した。おお、そこは、ご令嬢っぽいよ!
「元、夫…。死ぬまで夫婦だったろう?ワシら離婚しとらんじゃないか!」
ああ、そこに傷ついたのか。でもそんなこと言われても我々は既に別人として転生し、新人生を送っておるわけじゃないですか。
それより何より、
「私達、女同士になっちゃったじゃないですか…。」
ヨージローは激しい衝撃をうけたようで両手で顔を覆ってしまった。この場面を知らない人が見たら、私、牢獄行きかな?
ヨージローか私のどちらかが男になっていれば、話は違っていたかもしれないけど、それも泥沼になりそうなので、女同士なのは実際ありがたい。
「私達、この世では随分と身分は違いますが、お友達にはなれるのではないでしょうか?」
落ち込むヨージローを励まそうと、女同士のメリットを提案してみたところ、ヨージローはパッと顔を上げ、助け起こそうと差し出した手に縋ってきた。
美女に潤んだ瞳でとり縋られるというのを初めて体験したが、女同士でもいいかも、という考えを起こすくらいには破壊力のある色気だった。
「お願いじゃ、ワシを見捨てないでくれ!このまま置いていかないでくれ。一週間前、気がついたらこんな姿でわけ分からないところにいて、ほとほと困っているのだ。」
口を開くと台無しだけど。
って、え?一週間前に前世を思い出したの?!それって噂が出回り始めたのと一致する。
「その、前世のことを思い出す前の、ご令嬢の記憶はありますか?」
ヨージローは苦虫を噛み潰したような顔で、眉間に深いシワを刻んで返答する。
「ある。が、冗談じゃない。なんでワシがあんなド派手な男の婚約者なんだ。ビラビラのドレスを着て、笑顔を振りまかにゃならんのだ。絶対嫌だ!」
嫌だってアナタ、そりゃあないよ。だってアンタ、今紛れもなく侯爵令嬢だもん。ついでに婚約者に負けないくらいアンタもド派手な外見だよ。
しかし、困ったな。この状況、最悪じゃない?転生を受け入れられないって、どうなるんだろ?とりあえず私しかこの人を説得することができないよね?だって同じ転生者で、元妻なんだから。
腕組みをして、しばらく、考えた結果、この国で生きていくなら、この人をこのまま放置して置くわけにはいかないと結論付けた。
そうと決まれば、状況把握のための事情聴取からだ。
「ヨージローさん、侯爵家ではどう振る舞っているのですか?」
「最初、逃げ回っていたが、メイドが怖くてな…。今は言われるままにドレスを着て化粧をされたり髪を結ばれたりしておる。苦痛だが、仕方なく、記憶にある娘を演じているのだ。」
侯爵家のメイド凄いな!このヨージローに勝ったのか。
「なぜ、学園では演じられないのですか?その姿なのですから、ヨージローさんを前面に出してはおかしいことくらいわかるでしょ?」
ヨージローは、ムスッと口を尖らせて横を向いた。その顔は反則だわ、かわいいと思っちゃったじゃない!中身知ってるのに。
「…学園でもできる限りそうしとる。」
横を向いたまま、ボソボソと言うヨージローの顔を睨み、
「では何故、王太子殿下から逃げるのですか?」
「あの男の前ではどうしても、無理なんだ!前世の記憶が戻って最初の記憶が、頭から離れなくて。」
ん?もしや、王太子殿下が切っ掛けで前世を思い出したの?そこ、詳しく!
「具体的にどういう場面で思い出したのですか?」
ヨージローは顔を真っ赤にして目を合わせない。えええ…まさか。
「王太子殿下に何をされたんですか?まさか…」
じっと見つめれば、何処まで想像したのか、大慌てで両手を振って否定してきた。
「イヤ、キスだけだ!しかも、軽いファーストキスだけだ。」
まあ、王太子殿下ってば、いつの間に。政略結婚と聞いていたけど、意外とうまく行ってたのね。キスするまでは。
初めてキスした途端、愛する婚約者の中身がお爺さんになるとか、哀れすぎじゃない?
これは王太子殿下のためにも、ヨージローをなんとかしなければ。
「そう言えば、貴方と王太子殿下の噂が広まっているのをご存じです?」
「噂…ワシの?」
いや、正確にはご令嬢のね。誰もアンタのことは知らんがな。
「言葉遣いも態度も今までとガラリと変わった貴方が、王太子殿下から逃げ回って、婚約破棄されたとか…。実際のところ、どうなんです?」
ちょっとだけ好奇心に負けて聞いてしまった。気になるんだもの…。
「そんな噂が…相変わらずウメコはそういう情報が早いのう。おっ?…何だこれは?!」
驚くヨージローと共に私もびっくりした。ヨージローの目から涙がどんどん溢れて来ているのだ。驚くところを見ると、これはヨージローの意志ではない。となると、これは。
「その涙は、17年生きてきた侯爵令嬢の気持ちですよ。きっと、王太子殿下が好きなのに意に反して逃げ回り、婚約破棄されたと思うと悲しくなったのでは?」
ヨージローは初めてそのことに思い至ったらしく、目を見開いたまま固まった。私は溢れ続ける令嬢の涙を拭くために、ハンカチを差し出した。
「すまん…」
何に対してのすまんなのか、はっきりとしないままヨージローはハンカチを受け取って目にあてた。
そのたおやかな白く細い手を見て、私は慌てた。
ヤバい、擦り傷そのままにしてた!
「ヨージローさん、手の擦り傷を治療致しますので、こちらへ来てください。」
「傷?ああこんなの、ほっときゃ治るわい。」
「だめです!跡が残ったらご令嬢が困るのです。もう、ヨージローさんだけの身体じゃないんですよ?!気をつけてください。」
有無を言わせず近くの水場に引っ張って行くと、手を洗い、かばんから怪我用の塗り薬と包帯を取り出した。
ガーゼに薬を塗って傷口に当てる。
それを眺めていたヨージローが、申し訳なさそうにつぶやく。
「そう言えば、確かこの世界では薬も高いのでは?」
「大丈夫ですよ。これは家の庭で栽培している薬草で作ったものですから。」
「え、ウメコが草を育てておるのか?!」
「薬草です。ええ、育ててますよ。」
「あの、庭木を火炎放射器で燃やし尽くしたいと睨みつけ、暇さえあればワシに雑草を抜けと言っておった、ウメコが。」
アナタもいらん事覚えてますね?そんな昔のこと言われても、今と事情が違うっての。
「大体、前世では、私、家事と育児で毎日ヘトヘトで。庭の手入れをする余力もなく、それに自由時間を取られて他のやりたい事ができないのが嫌だったのですよ。そもそも、庭を欲しがったのも、草木を植えたのも、アナタじゃないですか!手入れは私ってどういうことですか!おかしいでしょ?!」
「う、すまんかった。だが、ワシ仕事が…」
「じゃあ、庭なんて作らなきゃよかったんですよ!コンクリートでうめりゃよかったんです!…おっと、今はこんな話をしている場合じゃなかった。」
私は烈火の如く文句を言いつつも、丁寧に包帯で令嬢の手を巻いていった。
「慣れているんだな。」
「ええ、今、弟が二人いますからね。ケガばっかりしてくるのですよ。こちらは医学が前世ほど発達していないようなので、身を守るためにも薬草学の基本は修めました。」
「なるほど。ウメコはもうしっかりここに生きておるのだな。」
その寂しそうな声に心が痛んだが、前世を思い出してからの時間が違いすぎる。
「ええ、私は生まれて直ぐに、前世を思い出しましたからね。アナタも17年も経てばそうなりますよ。」
「生まれてすぐ…」
その時、絶句するヨージローの向こうから王太子殿下がやってくるのが見えた。マズイ!
でも、私が軽々しく口をきける相手でもない。
アワアワとヨージローの袖を摘み、後ろを指差すと、振り返って飛び上がり、逃げ出そうとする。そりゃないよ、待たんかい。
逃げられないように手を掴み、その場で深く礼をして、王太子殿下を待つ。ヨージローは逃げられず、オロオロしている。
「今日は逃げないのだな。午後から姿が見えないので心配したぞ。」
顔も麗しければ、声も麗しい。王太子殿下の声を初めて聞いた。普段は遠巻きにしか見ていないから、声を聞くのは初めてだ。
ヨージローは逃げられず、かといって話すこともできないのか黙ったままだ。気まずい。
王太子殿下の気配も困っているように感じられる。ここは一つ私が、何とかするしかない。
「殿下、発言をしてもよろしいでしょうか?」
お辞儀したまま訊ねると、はじめて私の存在に気がついたように戸惑った声で許可がおりた。
「私、友人なのですが、この一週間、あることに悩んでおられまして、相談に乗らせていただいております。お悩みはもうすぐ解決すると思いますので、それまでそっとしておいていただけませんか?」
「悩みがあったのか、それで、あんな態度を?どうして私に言ってくれなかったのだ。」
「それはお察しください。殿方には言いにくいことがたくさんあるものです。近いうちに必ずもとのようになりますので、今しばらく、距離を保って頂きたく。」
当然だが、俄には信じられないのだろう。が、殿下が逡巡している間にヨージローが動いてしまった。
「殿下、私はこちらの大事な友人とまだ話がありますので、失礼致します!」
言い捨てて、私とつないだ腕をぐいっと引っ張り、そのまま駆け出した。
そして何故か、私はその流れで侯爵家につれてこられ、泊まることになってしまった。
「ワシになってからは、家族とも会わんようにしとるんで、気は使わんでええ。ウメコの家にも使いは出しておく。ゆっくりしていけ。」
着替えたヨージローは、のほほんとそう言うと嬉しそうにメイドにお茶と夕飯の指示を出していた。
「まさか、ウメコが生まれた時から前世の記憶があったとは思わんかった。大変じゃったろうが、その辺を詳しく教えてくれんだろうか。ワシもこの令嬢とうまくやらねばという気持ちになってきたのだ。」
それはいい変化だわね!喜んで協力しようじゃないの。
私は記憶が戻ってすぐの葛藤や、それからどう心の折り合いをつけていったかという事を思い出しながらゆっくり語っていった。
ヨージローは真剣に聞きながら、最後には納得したように頷いていた。
美味しい夕飯も部屋で頂き、寝間着に着替えてからは、前世の話をした。思い出話に花が咲いたが、私はどうしても聞いてみたいことがあった。
「あの、ヨージローさん。私が死んだあと、アナタと子供達はどうしていたのですか?」
ヨージローは、やっと聞いたか、という顔をして、頷くと、笑って言った。
「そりゃ、泣いた。でも、子供達もそれぞれ家族を持っとったし、ワシも一人じゃったけど孫達も時々来てくれとったし、なんとかお前が死んでから7年、生きぬいたよ。」
「そうですか、アナタは87歳まで生きたのですね。それを聞いて、安心しました。孫達は皆大きくなったのでしょうね。」
「おお、77歳で死んでしまったお前よりも10歳も長生きしたわ。お陰で孫の成人も見届けられた。生前、いつも身体にいい食事を作り、健康を気遣ってくれたからだな、ウメコ、ありがとう。感謝している。最後にこれを言いたかったのだが、言えずにいたのが心残りではあったのだ。今言えてよかった。」
「私だって、アナタに逢えてよかった、ずっと一緒にいてくれて感謝しています。」
涙腺はもう保たなかった。止めどなく流れ続ける涙をタオルで押さえる私をヨージローはずっと抱きしめてくれていた。
随分長い間泣いていたが、遂に私の涙は枯れ果てた。と同時にすごくスッキリした。
「ヨージローさん、ありがとうございました。よし、明日に備えて寝ましょう!」
「お、同じ布団に寝るのか?!部屋を、別に用意させたが。」
「もう動くのが面倒です。女同士なのですから、別に何も言われませんよ。一緒に寝ましょう。おやすみなさい。」
騒ぐヨージローをベッドに無理矢理連れ込み、並んで横になると、布団をかけてやった。
侯爵家の素晴らしく高級な布団のお陰で、私は直ぐに眠ってしまったらしい。
その間、ヨージローは眠れず、暗闇で考えていた。
「なるほど、一緒の布団で寝ても、何も思わんな。女同士だからか?確かに、もう別人になったということを認めて生きていかにゃならんようだ。侯爵令嬢にも申し訳ないことをした…。ヨージローよ、ウメコと会って言いたかったことも言えた。もう十分じゃないのか。」
そのつぶやきは誰に聞かれることもなく、暗闇に吸い込まれた。
翌朝、起きたときにはヨージローは薄くなり、侯爵令嬢になっていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?ウメコ?」
「え、は、はい。えっと、ヨージローさん?」
「はい、ヨージローは私の前世です。貴方のおかげで、なんとかお互い折り合いがつきました。感謝します。」
ヨージローの口調はすっかり鳴りを潜め、評判通りの完璧なご令嬢が目の前に居た。
私はその様子に安堵したし、任務完了!の文字が頭に点滅したけれども、寂しさも同じくらい感じていた。
とにかく、これで私のやるべきことは終わった。ヨージロー侯爵令嬢とも、もう、関わることがないだろう。挨拶して帰ろう。
寂しさを振り切って、令嬢を見れば、向こうも輝くような笑顔で、私を見つめていた。
「ヨージローの元奥様のウメコ…。そう言えば、こちらでの名前を聞いてなかったわね?私はレティシアといいます。貴方のお名前を教えてくださるかしら?」
「私はローズと申します。レティシア様。これから先、このようにお話させていただく機会はないでしょうけど。」
レティシア様は心底不思議そうに首を傾げて、手を頬にあてている。
「あら、どうして?私達お友達になったのでしょう?私聞いていたのよ?」
「それはヨージローさんが動揺していたから落ち着かせる為だけで、まさか、本気で侯爵令嬢様とお友達になろうなどと、そんな大それた野望は抱いていません。」
「私、やっと素の自分で話せるお友達ができたと思って嬉しく思っていたのに。ね、私を助けると思ってお友達でいてくださらない?ほら、いつ何時、ヨージローが出てくるかわからないし。」
侯爵令嬢、しかも未来の王妃様とお友達なんて畏れ多過ぎて無理!と思っていたのに、最後の一言を言われては、受けざるを得ません。
「分かりました。そう言われては断れないじゃないですか。でも、私が貴方と仲良くしていると嫉妬されますので、秘密のお友達というのはいかがでしょうか?」
レティシア様の笑顔はこの世のものとは思われぬ美しさでした。ヨージローの時と同じ顔のはずなのに、随分差がある。中身の違いでここまで違うとは!
「秘密のお友達、なんて楽しい響きかしら。ええ、今は、それでいいわ。でも、殿下にはきちんと紹介させてもらうわね?」
今は、というのも気にはかかったが、王太子殿下の了承の方は必要だろうと、頷いた。
朝食後、侯爵家の馬車で学園まで送ってもらった。
結局、滞在中、侯爵一家と会うことはなかった。気を使わずに済んだとはいえ、どうも落ち着かなかった。今度また行く機会があれば、挨拶させてもらいたい。
門の前で降りると、まだ早い時間だというのに、既に王太子殿下が待っていた。よほど心配だったのだろう、先に降りた私を不安気に見ているので、笑顔で挨拶をした。
「王太子殿下、おはようございます。レティシア様が降りてこられるので、エスコートをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「私が近くに行っても、大丈夫だろうか?」
「もう、大丈夫だと思います。ね、レティシア様?」
私の呼びかけに車内から顔を覗かせたレティシア様は、王太子殿下の姿を見て、顔を輝かせた。
「殿下!」
「レティシア!」
その笑顔を見て、側に駆け寄った王太子殿下が恐る恐る手を差し出すと、すぐさま、レティシア様が手を重ねた。その時の殿下の表情はハッピーエンドに相応しいものだった。
やれやれ、これでこの国は安泰だ。
「ローズ!」
仲良く寄り添うお二人を眺めながら、腕を組んで、うんうんと頷いていたら、後ろから私の名前が呼ばれた。
振り返ると、黒髪黒目のそこそこ格好いい青年が駆け寄ってきた。
「昨日、午後からいなかったから、心配してたんだ。大丈夫かい?」
「ええ、心配してくれてありがとう。私は大丈夫よ。」
レティシア様が、すすっと寄って来て、彼に挨拶すると、私にこっそり聞いてきた。
「彼は、その、もしや貴方の?」
「ええ、私の大事な婚約者です。」
にっこり笑って答えると、レティシア様の顔が崩れた。
「ワ、ワシの若い頃にそっくり!」
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