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最終章 イザベル 後編
53 イザベル、悩む
しおりを挟む着替えの前に汚れも落とそうと湯浴みすることにした。
バシャッと湯の中へ飛び込んで頭まで沈む。直ぐにザバッと顔だけ出した私は口をへの字に曲げた。
「・・・怒り過ぎたかしら。」
「どうでしょう、あまり気にされておられないご様子でしたが。クラリッサお嬢様からお話は伺っておりましたが、想像以上に真っ直ぐな方ですね。」
「ええまあ、思ったことを言葉にするのって難しいからそれができる所は尊敬するけれど、何でも言えばいいっていうわけではないと思うの。」
特に恋愛に関することは、と呟けば側にいたヴィルマがクスクス笑った。彼女は私より十歳年上で、身の回りのことを手伝ってくれている。
「イザベルお嬢様は、恥ずかしがりやですからね。」
「『好き』とか『愛してる』なんて、口に出して言えないわよ。大体、まだパットに恋しているかどうか、よく分からないのに。」
「あら。でも、私からもお嬢様は婚約者の方を好いておられるように見えましたけど。」
「ええ?ヴィルマまで・・・うーん、そりゃ、パットは恐ろしいくらい私の理想の男性になったし、好きか嫌いの二択なら好きよ。でもだからこそ、なんでまだ私に固執するのか不思議でたまらないのよ。だってあれだけ素敵でモテるのだから、もっと彼に相応しい女性がいるはずでしょ。」
お湯から両手を出して眺めながらぼやけば、ヴィルマがニッコリと笑う。
「あれだけ愛されているのですから、お嬢様はそんなことを気にしなくていいのです。グズグズ思い悩まず与えられる愛情を素直に受け入れたらいいだけなのでは?勿体ないですよ。」
真面目な顔で諭されてうっかり頷きそうになり私は大きく首を横に振った。
「だって私は彼よりうんと年上だし。」
「歳など関係ありません。七つなんて誤差ですよ。」
「取り立てて可愛くも綺麗でもないし。」
「それも特に問題ではありませんよ。パトリック様はそんな表面的なことよりもっと深い部分でお嬢様のことがお好きなのではないでしょうか。ですが、どうしても気になると仰るなら、私がお嬢様を可愛くでも綺麗にでもして差し上げます。大体、お嬢様は身なりを構わなさすぎるのです。さあ、どんな姿で今からパトリック様にお会いしますか?」
突然そんなことを言われて私は戸惑った。
夜会で着飾ってすら目立てず、その他大勢に埋没する私なんてどうにもしようがないと思うわ。
でも、方向性だけでも決めないとヴィルマは許してくれそうにない。
パットは可愛らしいのと綺麗なの、どちらが好きかしら。それとも素朴なのとか、奇抜なものが好み?いえ、私が好きだというのはもしかしてとんでもなく地味なのがいいとか?!
グルグル考えていたらなんだか頭がぼうっとしてきた。
「出てから考えるわ・・・。」
フラフラしながら湯から上がったところで、動けなくなった。
■■
客間に案内されたものの、持ってきたのはとりあえず必要な最低限の物だけ。他は後で届く。よって直ぐにすることがなくなった俺は館の中を覚えようと廊下へ出た。
俺が今日泊まる部屋は一階で、イザベルの部屋は二階らしい。使用人達が階段を早足で移動している様子を眺めて、突然訪ねて来たことを少し反省する。
だけど、彼女に会いに行ってもいいとなったら朝までしか自制がきかなかったんだよね。
・・・イザベル、まだかな。やっぱり母や妹みたいに彼女も着替えに時間が掛かるんだなあ。
イザベルならいくらでも待つけど、結婚したらその間、側で彼女を見ながら待ってたらダメかな。一人で待ってるの寂しいのだけど。
そう思いながらも我慢して二階には上がらず、階段を通り過ぎようとしたところで呼び止められた。
「パトリック様、申し訳ありません!お嬢様がのぼせて動けなくなってしまいまして・・・。移動させたいのですが手伝って頂けませんでしょうか。」
見上げれば手すりから叫んでいたのは、イザベルの世話をしているヴィルマだった。
彼女の台詞を半分も聞かないうちに俺は二階へ到達して叫び返していた。
「イザベルはどこ?!」
ヴィルマに案内されて飛び込んだ先にうずくまるイザベルを見つけた。
「イザベル、大丈夫?!」
駆け寄ればふわりと石鹸のいい香りが鼻先をくすぐる。抱きかかえようと背中に当てた手のひらからは少し湿った温かさが伝わってきて下ろされた髪の毛は濡れている。
「あ、のぼせたって入浴中だった・・・?」
ひと目でわかるその状況を口にした途端、腕の中のイザベルからドレスを着ている時とは違う、直接的な感触が伝わってきてドギマギする。
「部屋着はなんとかお着せしたのですが、歩けないご様子で。やむなくパトリック様をお呼びさせていただきました。申し訳ありません。」
「いや、俺はいつでも呼んでもらって大丈夫。イザベル、移動するよ?」
イザベルは口元を片手で覆ったまま青い顔で微かに頷く。そっと抱き上げて立ち上がれば、彼女がきゅ、と服を掴んできた。
その小さな行動が俺を頼ってくれているようで心が踊った。
「イザベル、俺がいるから大丈夫だよ。」
ささやけば、フッと彼女の身体から力が抜けて柔らかい重さが腕に加わる。たまらなく愛しくなって頬を寄せたままベッドに運んだ。
「パット、せっかく来てくれたのにごめんなさい。これから色々案内する予定だったのに。」
ヴィルマがイザベルの額に冷たいタオルを乗せて部屋を出ると同時に、イザベルが消え入りそうな声で詫びてきた。
彼女はいつも強気でお姉さん風を吹かせて俺やクラリッサを引っ張ってくれている。でもそれは一番年上だからそうしなきゃと思っているだけで、本当は自分に自信がなくて自分の行動を振り返っては、ため息をついているんじゃないかということに最近気がついた。
だから、俺はいつでもそんな彼女を励ましてそのままで大丈夫だよ、大好きだよ、と笑顔になるまで伝えたいと思っている。
イザベルは知らないだろうけれど、俺の周囲からの評価は背が伸びだしてから激変した。
それまでは、あのハーフェルト公爵家の次男は見た目と出自はいいのに長男に比べて凡庸な上に落ち着きがない性格だと陰で言われていた。それが、背が伸びてずっと鍛えてきた剣の腕も認められ始めたと思ったら、婚約の話が五倍に増えてお茶会や夜会の招待状が山のように届き始めた。
既にイザベルと婚約しているといって断れば、年上すぎるだの自分の娘の方が優秀だのと皆同じことを言って暗に破棄をほのめかしてくる。
全員、うちのやり方で丁重にお断りしたけれど、俺はずっと叫びたかった。
俺のことを表面でしか判断しないお前達にイザベルのことをとやかく言われたくない。彼女は俺が生まれたときからずっと同じ態度で接してくれたんだ。
いたずらした時もケガして泣いた時もクラリッサとケンカした時でさえ妹を贔屓せずに平等に怒ってくれた。
婚約してからはそれが少し不満に思える時もあったけれど、その変わらなさは俺を安心もさせた。
そして、今は成長した俺を見て喜んだり急に婚約者面してきたりせず、逆に戸惑うような彼女を愛してよかったと思い、俺が後悔するまでという条件付きで結婚を受け入れてくれたことに喜びを感じた。
最近、俺を男だと意識している反応をしてくれることがよくあってそれがまた嬉しい。
掛け布を鼻先まで被って泣きそうになっている彼女の頭をそっと撫でれば、潤んだ青い瞳がこちらに向いた。
こういう弱ったところを見せてもらえることにも幸せを感じる。
俺は彼女にしか向けない笑みを浮かべて視線を絡ませた。彼女の頬に赤みが増す。
「イザベル、謝らないで。俺は当分ここにいるからさ、しっかり休んで元気になったらこの土地のこと色々教えてよ。」
「ええ。ただののぼせだもの、直ぐ治るわ。」
ふわふわっと笑ってくれた彼女に我慢できなくなった。顔を近づけて最大限に彼女の心をくすぐる表情を作ってそっと尋ねる。
「イザベル、口付けていい?」
彼女の瞳が大きくなって動揺し、続いて顔全体が真っ赤になる。その後、一大決心をした表情でどうぞ、と彼女が言ったのを聞き終わらぬうちに俺は唇を重ねて六年ぶりにその柔らかさに触れた。
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