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最終章 イザベル 後編

52 綿花畑のお嬢様

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 見渡す限り続く綿花畑を眺めながら、私は作業で固まった腰を伸ばした。
 昨日の雨で柔らかくなった土から雑草を抜いていたのだ。
 
 今日はいい天気でよかった、と首に巻いたタオルで汗を拭く。私はフルダ村にいる間は領民たちと同じ洗い晒しの綿の服を着て一緒に働いている。
 私が作業内容を知っているのといないのとではまったく違うと思うから。というのは建前でこういう作業の方が性に合っている気がする。伯爵令嬢だけど豪華な絹のドレスはそんなに似合わないし。
 
 さて、夕方までもうひと仕事、と被っている麦わら帽子を直したところで呼ばれた。
 
 「イザベルお嬢様ー!お客様です。なんか眩しすぎる男の人で、お嬢様の婚約者だって仰ってますけど本当ですか?!」
 
 私は一瞬、遠くを見つめた。
 
 ああ、遠くに連なる山々の美しさよ・・・。
 
 ふう、とため息をついてから知らせてくれた村の女性に笑顔を向ける。
 
 「ええ、その人は多分、私の婚約者だわ。」
 
 呼んでないし、来るとも聞いていない、アポ無し訪問の人だけれどもね!
 
 
 「イザベル、会いたかった!・・・あ、ええといきなり訪ねてごめんなさい。」
 
 キラッキラの笑顔で飛びついてこようとしたパットは、私の顔を見てピタッと止まった。
 
 「パット。貴方が来るとは聞いてないわ。それに此処は日帰りできない場所よ、どうするつもり?」
 
 目をつり上げて厳しく問えば、彼はよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにポケットから手紙を出して私へ差し出してきた。
 
 私の父と、パットの母のエミィおば様からの二通を受け取り、開いて読んだ私は思わず叫び声をあげた。
 
 「なんですって、貴方、半月も此処に滞在するの?!こちらの準備がいるでしょ、先に連絡くらい寄越しなさいよ!」
 「フルダ村に泊りがけで行っていいってうちの両親とギュンターおじ様達から許可が出たのが昨日で。そうしたら俺、一秒でも早くイザベルに会いたくて。だから俺が連絡役も兼ねてきたんだ。」
 「パット、言ってる意味が分からないわよ?貴方の部屋の準備をするのに、貴方が連絡役でどうするの、もう。」
 「出発を朝まで我慢しただけ褒めてよ。」
 「そんな当たり前のことで褒めないわよ。夜中に来たって館に入れないからね。」
 
 私は怒っているのにパットはずっと笑顔のままだ。
 
 「パット、私は怒っているのよ?」
 「うん、ごめんなさい。でも、一週間振りにイザベルに会えて俺は嬉しくてたまらないんだよ。怒られてるって分かってるし反省してるのだけど、目の前に貴方がいて俺を見てるってだけで顔がニヤけちゃう。」
 
 へにゃっとした締まりの無い顔の彼にこれ以上何を言ってもムダだ、と悟った私は畑の方を振り返った。
 先程まで一緒に作業をしていた人達は皆、ぽかんと此方を見ている。私は笑顔を作って彼の背に手を当て叫んだ。
 
 「皆、この人は今のところ私の婚約者のパトリック・ハーフェルトよ。これからしょっちゅう顔を見せると思うからよろしくね。」
 
 その途端、パットの気配が激変した。
 
 「しょっちゅう来ていいの?!やった、イザベルの許可が出た!俺は二年後に必ずイザベルの夫になるから、いつも彼女と一緒に訪ねてくるよ。皆、よろしくね!」
 
 大はしゃぎした後、ニコニコと挨拶をしたパットへ帽子を取って礼を返す領民達の顔は一様に驚きに溢れている。
 
 「ハーフェルトって、あの?!」
 「じゃあ、次のご領主様はあの方か。イザベルお嬢様はまたとんでもない方を婿にされるもんだ。」
 「これからしょっちゅう、あの綺麗なお顔を拝めるなんて、生きててよかったわー。」
 「お嬢様は一向にご結婚されんと思っとったら、えらい若いの捕まえとったんじゃな。」
 「いや、どっちかというとお嬢様が捕まってるような気がするけど・・・?」
 
 「私、彼を館に連れて行くから、今日はこれで失礼するわ。」
 
 遠慮なく言い合う皆の声に居た堪れなくなった私は、そう言ってパットの背中を押して畑から逃げた。
 
 
 この村の端にある領主の館は王都の伯爵邸と違い、木造で白い漆喰に木組みを見せた可愛らしいデザインだ。
 
 「ここが領主館よ。小さいけれど過ごしやすいと思うわ。」
 
 丁寧な彫刻が施された扉を押し開け、私はパットを招き入れる。
 
 「今日はとりあえず客間を使って頂戴。明日には貴方の部屋を用意するから。」
 「ありがとう!イザベルの部屋の隣がいいな。」
 「私の隣はクラリッサの部屋よ。」
 「そうなんだ、残念。じゃ、来年クラリッサが結婚して空いたら俺の部屋にして貰えないかな。」
 「・・・それはまた考えましょ。」
 
 パットの護衛が先に館に行って伝えていたようで、館内では少ない使用人達が慌ただしそうに行き交っていた。
 だから先に連絡して欲しかったのに、と後ろをついてくる彼を振り返った私はふと壁に掛かっている大きな鏡を見た。
 
 そこには麦わら帽子を被って首からくたびれたタオルを下げ、雨上がりの泥であちこち汚れた洗い晒しの木綿のワンピースを着たすっぴんの女性がいた。
 
 そういえば畑仕事の格好のままだった!しかも、汗で落ちるからお化粧もせず。ちょっと待って、そばかすが増えてない?!
 
 サーッと顔から血の気が引く音がした。
 
 私はこんな姿で彼の隣にいたの?この騒がれるほどの美貌の持ち主を婚約者だと紹介したの?なんてこと!
 
 「あっ、の、私、ちょっと用事を思い出したから後は誰かに案内してもらって・・・」
 「イザベル、急にどうしたの?その態度はものすごく不審だよ。」
 
 眉を寄せた彼に指摘されてますます慌てた私は、被っていた麦わら帽子を頭からむしり取り、顔を隠した。
 
 「私、お化粧してないことを忘れてたの。しかも、そばかすが増えちゃってるし、こんな泥だらけで恥ずかしいから見ないで!」
 
 必死に訴えたところ、一拍おいてパットから爆笑された。
 
 「あっはっは!俺はそんなこと全く気にしないし、今更だよ。だって俺達、子供の頃はお化粧なんてせずに一緒に庭を走り回ってたじゃない。・・・え、待って。」
 
 お腹を抱えて笑っていた彼が急に何かに気がついて真面目な顔になった。そして、そのまま私に近づいてきて、盾にしている麦わら帽子をグイッと引っ張ると顔を覗き込んできた。
 
 「俺に見られたら恥ずかしいって、それって俺の前では綺麗でいたいってことだよね?!イザベルは俺のこと男として見てくれているんだ・・・?」
 
 「いや、そういうわけじゃ。この格好は誰の前でも恥ずかしいでしょ・・・?」
 
 麦わら帽子をとられないように握る手に力を込めつつ反論すれば、
 
 「さっきの人達の前ではそんなこと思わなかったでしょ?俺と二人になってそう思ったんだよね。それはもう恋だよ!やった、イザベルが俺を意識してくれてる!」
 
 例えそれが正解でも、そんなことを大声で叫ばれては絶対に認められない。私は熱くなる顔を取り返した帽子で再び覆って力の限り怒鳴った。
 
 「絶対違うから!もう、パットのデリカシー無し!誰か、この人を客間に案内して。私は着替えてくるから!!」
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