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第二章 ノア
42、ロサ家の夕食〜半年後〜
しおりを挟む扉の外まで元気な犬の声が響いている。俺は取っ手に伸ばした手を止めた。
ここは城から程近い植物園に面した集合住宅の最上階。この建物は他にも身分の高い人などが住んでおり、警備体制が整っている。それで最近一つ上の姉ノアの警護の為に、ここに引っ越してきた。この階全てが我が家だ。
二十四時間警護されているのって最初は窮屈そうだと思ったが、慣れれば気にならないし何より姉が一人の時でも安心していられる。
男装して口のきき方もアレだし腕っぷしもそこそこ強いけど一応女だし、とこれまではなるべく家に一人にならないように兄と調整していた。きっと彼女は気がついていなかっただろうけど。
両親が特に姉をどうでもいいと思っていたことは小さい頃から感じていた。彼等は自分達のことにばっかりかまけて子供達を放置していたけれど姉への関心は特に薄かった。
なのに彼女はそれを気にする風もなく親がしない分、俺の世話をよく焼いてくれた。貴族とはいえ金は親が湯水のように使ってしまうので使用人は最低限で、子供の世話をしてくれる大人は我が家にはいなかった。
だから俺達きょうだいは三人で生活してきた。コリンナはいたけど彼女一人じゃ手が回らなかったから、家の掃除から料理まで出来るようになった。
貴族らしくはないけど俺はその生活を割と気に入っていた。お小遣いはもう少し欲しかったけれど。
でも、青天の霹靂でノアに婚約者ができ、しかもその相手はいずれこの国の王になるという王子だった。
正直、全く思ってもみなかった展開で、俺の今までの人生で得た常識がどっかへ吹っ飛んでいく程驚いた。
さらにそのおかげで当主が兄に代わり、両親が自由に金を使えなくなって慌てふためいてこれまでのことを俺達に謝罪してきたのには溜飲が下がった。
まあ、兄はそれくらいでは許さなかったけれど。
結局、王都に住んでも新しい使用人を雇うのは防犯上気になるってことで、俺達は家事を当番制にして今まで通り三人でのんびり暮らしている。
で、今夜はノアが夕食当番で元気な犬の声がするということは・・・。
俺はそっと扉を開けて中を窺う。
ワンワン!キャンキャン!
あっという間に玄関で遊んでいた二匹の犬に見つかってしまった。
「あ、シュテファン、おかえり。丁度よかった、もうすぐできるところだ。」
「やあ、お邪魔してるよ。いいなあ、シュテファン。僕も早くノアに『おかえり』って言ってもらいたいな。」
「住居と職場が同じ場所なのにその挨拶は必要か?」
「もちろん。うちの家族は部屋を出る時に必ずしてるよ。」
「ふーん、そういうものか。」
台所からフライ返し片手に姿を見せた姉のノアと、くっつき虫のようにいつも彼女の側にいる婚約者のクラウス王子の会話にげんなりする。
ノア、そんな杜撰な説明で納得するなよ・・・。結婚したら絶対二人で『おかえり』『ただいま』って言いあって王子がふやけた顔をするんだろうな。
王太子殿下の迷惑な思いつきによって月一で王子がうちで夕食を摂って行くようになって早半年以上。その間にノアは学園を卒業し、今は朝から夕方まで城で王子妃教育とやらを受けているらしいが、その成果は俺には見えない。
逆に王子の方はどんどんうちに馴染んで物の置き場所や習慣を覚え、今ではノアの横に立ってフライパンを振るまでになってしまった。絶対にこの人に必要のないスキルを着々と身につけている。
同時にいつも王子が連れてくる若犬クーヘンもこの家でミルヒと全力で遊ぶことを覚えた。それで帰り際にいつも一人と一匹で此処に泊まりたそうな、いっそ住み着きたいという顔をする。
さすがに我が家としてはそれは出来ないので、気が付かないふりをして迎えの護衛達の方へ押しやっている。
俺は内心、あの哀れな視線に根負けした兄が「泊まっていきますか?」と言い出さないかいつもハラハラしているが。
仲良く台所で料理をする二人の後ろ姿を見ながら犬達を構っていたら、兄も帰宅した。彼は今日は事前に聞いていたのか、驚くことなく二人に挨拶をして席についた。
「ねえ、ベネディクト兄上、あの二人は一体いつになったら結婚して城で暮らすわけ?」
あれだけ仲が良くて何の障害もないはずなのにいつまで離れて暮らしているのか、不思議に思ってこっそり尋ねれば兄が苦笑した。
「まだこれは内緒なんだが、ノア達の結婚式は現国王陛下が譲位される際の行事のひとつでな、四年半後まで待たねばならないらしい。」
「え、そうなの?!それはお気の毒に・・・って、じゃあ当分これが続くわけ?そいや兄上は結婚しないの?」
もう一つの疑問をぶつけてみれば、兄が面倒そうな顔になった。
「あー、ノアのおかげでそういう話はいっぱいきてるんだけどな。二人を見ていると欲得尽くだけの結婚はなぁ。」
行儀悪く頬杖をついた兄がノア達を半眼で眺める。つられてそちらに目線を向ければ、王子がノアの頭にキスをしているところだった。
料理の仕上げに集中している彼女は全く気がついておらず、王子はそれをいいことにさらに頬にキスをして今度は気づかれて怒られている。
そんなことしてないでとっとと運べ!と大皿を渡されてこっちヘやってきた王子は、俺達が見ていたことに気がついて照れ笑いを浮かべた。
兄の一つ下の彼は笑うと少し幼く見える。昔は遊び人との噂があったが、ノアと婚約してから雰囲気が柔らかくなって優しい笑みを浮かべることが多くなったと令嬢達からの人気が高まっているそうで、ノアが面白くない顔をしていた。
あのノアが嫉妬する日が来るとは、と兄と驚いたものだ。
彼女は俺達の前では全く甘い雰囲気を出さないが、二人になったらどうしているのかこっそり覗いてみたいような、みたくないような。
「全く利がない結婚も貴族としてどうかと思うが、愛情を欠片も持てない相手も人生楽しくなさそうで迷っている。」
皿を受け取りながら、ぼそっと言う兄の言葉を拾った王子の顔が輝いた。
「ベネディクトもそう思う?!愛がある結婚って最高に幸せだよ。」
いや、貴方の場合『利』は何処にあるんですかね?仮にも王族ですよね。ノアとの結婚は国の為になってんの?
「僕はノア以外と結婚したいと思ったことがないから、彼女がいないと次代が生まれて来ないよね。」
え、俺ってば口に出してた?!
「クラウス、次代が生まれるかどうかはまだわからないぞ。シュテファン、クラウスはほぼ完璧に表情を読んでくるから・・・まあ気をつけろ。」
思わず両手で口を押さえた俺に次の皿を運んできたノアが同情の眼差しで忠告してきた。
・・・その情報、遅過ぎ!
「うーん、そうだね。では僕が王になった時に心穏やかに国を統べるためかな?ほら、王が不幸だと国も暗くなるよね、その逆で僕が皆に分けてあげたいと思うくらい幸せだったら、いい国になると思うんだよね。」
要はノアと結婚することが王子の最大の幸せってことですかね。
「そう、ノアがいないと僕はもう生きていけない。」
「そう思うなら煮込みの鍋を持ってきてくれ。」
鍋敷きをテーブル中央にセットしたノアの言葉にいそいそと従う王子を何処か羨ましそうに眺めていた兄がふと俺の方を向いた。
「そういえば、シュテファンにも縁談が大量にきているが後で見るか?」
「俺?!マジか!一応見るけど、俺は婿入りしたくないんだよな。」
「そうなのか?」
「うん、実は外交官になりたいんだ。」
ずっと心にあった望みを言葉にすれば、へえ、とその場の全員が俺を見つめた。
「そうなんだ。じゃあ今度他国へ行く時に一緒に連れて行ってあげるよ。外交官の仕事を間近で見てみればいい。」
「え、いいの?!殿下、是非お願いします!」
「邪魔ではありませんか?」
「王族になれば他国訪問が多いから弟が外交官だとノアが心強いでしょ。だからシュテファンは死にものぐるいで採用試験突破してね!」
それを聞いた兄と俺から乾いた笑いがこぼれる。
この人は何もかも全てノアの為なんだな!
姉がこれだけ愛されて幸せなら弟としては万々歳なんだけど、王子の愛情は濃すぎるような気がしてならない。
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