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第二章 ノア
30、王子がついてきた
しおりを挟む今日も言えなかった・・・。
あれから一ヶ月。毎日クラウスと会うのだが、時間が短すぎる上に誰か一緒にいることが多くて『好きだ』と言う機会がない。
今更後悔しても遅いのだが、こんなことなら恥ずかしがらずにあの時に伝えておけばよかったと思う今日この頃。
キューン
すっかり城暮らしに馴染んだ子犬のクーヘンが、キラッキラの黒目で私の足元に咥えてきた玩具を置いて遊べと強請ってきた。
「ああ、クーヘン。すまないが、今日はもう帰らねばならないんだ。」
「えっ?なんで?!いつもなら後一時間はいるよね?あと少しでこれ終わるから帰らないでよ。」
もちろん叫んだのは、クーヘンではなく、急ぎの仕事を片付けていたクラウスである。
私はクーヘンに玩具を投げてやり、この1ヶ月で随分と着慣れたドレスの裾を捌いて彼の方を向いた。
私を見つめるクラウスは罪悪感を覚えるほどに悲しげな表情をしている。そういうのに弱い私はうっかり絆されそうになった。
ダメだ、引きずられてはいけない。私は心を鬼にして彼へ宣言した。
「悪いが今日は私が夕食を作る番なんだ。買い物もして帰らないといけないし、着替える時間も考えたらもう出ないと。」
先日、私にドレスを着せたことが余程楽しかったのか王太子妃殿下は私が城に来るとまずドレスに着替えさせるようになった。
おかげで女装にも慣れ、誰に縋らずとも動けるようになった。その上、私が女装していると誰か分からないらしく、クラウス王子殿下に恋人が出来たと大いに噂になっているが未だにその素性はバレていない。
「え?ノアが夕食を作るの?」
「そうだ。うちの家事全般をやってくれているコリンナが今病気で誰も家事をする人がいないから、兄弟の当番制にしているんだ。それで今日は私が夕食の担当。ということで、急ぐのでまた明日。」
ポカンとした顔で突っ立っているクラウスへ、では、と片手を挙げて挨拶をし扉へ向かう。ところが直ぐに私のドレスの裾が引っ張られた。
クーン
無邪気な子犬にも引き止められて私は困り果てた。
「クーヘン・・・兄様が仕事を終えるまでに買い物に行かないと本当に不味いんだ。」
しゃがみこんで彼の前足を握って詫びていたら背後からクラウスに伸し掛かられた。最近、こんな接触が多くて、私の気持ちはもうバレているのではないかと気になって仕方がない。
・・・敏いクラウスのことだ、間違いなくバレているのだろうな。そうでないとここまで遠慮なく触れてこないはず。そうだとすると私はどうすればいいのだろう。
「よくやった、クーヘン!お前は僕の気持ちを汲んでくれるいい子だね。ノア、僕も一緒に行くよ。」
背後から聞こえたそのワクワクした台詞に私の思考はかっ飛んだ。
一緒に行くって何処へ?!
■■
「それで、アッサリ連れてきたのかよ?!ノア、王子に甘すぎだろ!」
「煩い、シュテファン。じゃあ馬車に乗る前にお前が追い返せばよかっただろう!」
「俺にそんな権限はない。」
「私にもない。」
そこで二人でため息をついて後ろのテーブルで兄と喋っているクラウスを眺めた。
「え、じゃあ夜はいつも三人なの?」
「ええ、雇い人は二人とも通いですし、両親は滅多に帰って来ませんからね。」
「ふーん。それならもうここを引き払って城の近くに住んでは?そうすれば僕がノアといられる時間が増えるから。」
「この土地屋敷は昔にご先祖が国から拝領したものなので勝手に売れませんし、売れたとしても城下は家賃が高くて住めませんよ。」
貧乏子爵家の台所が大変珍しいらしく、王子様はキョロキョロしながら我が家の事情を兄から聞き出している。
・・・ベネディクト兄様、ホイホイとうちの内情を喋らないでください。
「うちの台所に王子がいるって変な感じ。」
「同意する。」
「いやー、帰りの馬車の待ち合わせ場所で、ノアの横にじゃがいもやパンのぎっしり入った紙袋を抱えて王子殿下が立ってるのを見た時は心臓が止まるかと思ったぜ。兄上なんて実際に止まりかけてたもんな・・・」
「私は自分で持つと言ったのだが、クラウスが持つと言って聞かなかったんだ。」
「そこじゃないと思う。」
「ほら、シュテファン、サボらずかき混ぜてろ。喋っているだけならテーブルへ戻れ。」
クラウスの相手は緊張するからと、私を手伝うという名目で逃げてきている弟へ指示をだす。
「ハイハイ。でもさー、結局いつもと同じメニューなんだな。せっかくなんだからもっとご馳走にすりゃよかったのに。」
鍋のスープをグルグルかきまわしながら不満を言う弟へ低い声で返す。
「私はコリンナと違ってご馳走は作れない。それに我々が普段食べている物を一緒に食べたいというのが殿下のご希望だ。」
「・・・絶対に王子はノアが作ったものならどんなものでも食うと思う。」
「失礼な。私はそんな酷い物は作ったことないだろう?しかも今日は失敗しないメニューにしたんだ。そこそこ美味いはずだ。」
「王子は城で毎日ご馳走食べてんだろ。」
「これが私が一番作り慣れたご馳走だ。・・・文句を言わず出来たものから運べ。」
軽く焼いたパンを乗せた籠をドンとテーブル中央に置き、野菜と豆のスープにじゃがいもとベーコンの炒めものを並べる。
「わあ、美味しそうだね。ありがとう、ノア、シュテファン。」
目を輝かせたクラウスに礼を言われて、私は心が温かくなった。こうやって手放しで喜んでくれると嬉しくなる。
「本当にいつもの献立だが、どうぞ召し上がれ。」
「それがいいんだよ。しかもノアが作ってくれて一緒に食べるんだもの、最高だよ。いただきます!うん、とっても美味しい!僕が今まで食べた中で一番美味しい!」
スープを一口飲んで幸せそうな笑顔を浮かべたクラウスを見て、私も自然と口元が綻んだ。
「なあ兄上、コレいつもの味だよな。俺は城の料理の方が絶対に美味いと思う。」
「殿下はノアの手料理の方がいいんだよ。愛がある夫婦っていいものだな。」
「あの二人はまだ夫婦じゃないけど。しかしノアってば、あっという間に王子に落ちて恋する乙女になってるんだぜ、笑っちゃうよな。」
「それだけ殿下が良い人だってことだと思うが。二人とも僕達の存在を忘れて幸せそうだなあ。」
「最近、俺の服着ててもノアが女の子にしか見えないんだよな。・・・あの二人見てたら胸焼けしそう。おかわりしてこよっと。」
ウォンッ
食後、後片付けをしている兄とクラウスの背を眺めながらテーブルで白湯を飲んでいると、先に食事を終えて何処かへ消えていた犬のミルヒがやって来た。
「やあ、ミルヒ。何を持ってきたんだ?」
ミルヒが咥えてきた物を手にとって見れば、緑色の毛糸の帽子だった。
「あ、それ昨日俺のクローゼットの奥から見つかったんだけど、ノアのだろ。ミルヒは飼い主の匂いがするから持ってきてくれたんじゃね?」
隣にいた弟が残ったパンを齧りながら言ったが、私には見覚えがない。
「これ、私のか?随分と小さいが、子供の時使っていたものだろうか。」
試しに被ってみれば大変キツイ。そのまま首を傾げていたら、振り返った兄がふっと笑みをこぼした。
「ああ、それ。懐かしいね。僕のだったけどノアが気に入って欲しいというからあげたんだ。覚えてない?幼い頃は何処へ行くにも被っていたよ。」
「そういえば思い出してきました。暖かくて冬の必需品でした。」
「ベネディクトいいなあ。僕もノアにおねだりされたい。」
伸びないかなとギューッと引っ張って、なんとか頭を押し込んだところで手を拭きつつ振り返ったクラウスと目があった。その瞬間。
ガタンッ
という大きな音とともに彼は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか、クラウス殿下!」
「いきなりどうしたんだ?」
「油で滑ったんですか?」
兄と弟とともに助けに行けば、限界まで目を見開いたクラウスが呆然と私を見つめていた。
「どうした?大丈夫か?」
目の前でヒラヒラと手を振れば、目を瞬いた彼は兄と弟と私の顔を順番に見て呟いた。
「瞳が黒いのはノアだけ・・・?」
「そうだ。私だけ髪も目も母似なんだ。それがどうかしたか?」
クラウスは顔を真っ赤にして口の中でモゴモゴと何事か言っているがサッパリ分からない。
そうこうしているうちに城から迎えが来てクラウスは帰っていった。
「何だったんだろう?」
「さあ?変な物は食べさせてないよな。」
「当たり前だ。」
送り出した後で三人で顔を見合わせる。
・・・とりあえず明日元気だったらいいか。
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