上 下
29 / 57
第二章 ノア

29、子犬の取り持つ仲

しおりを挟む

 「クラウス、私を何処へ連れて行くつもりだ?」
 
 私を抱き上げたクラウスはそのまま、執務室を出て城内をどんどん進んで行く。すれ違う人々がこの様を見て、一瞬立ち止まるのがなんとも落ち着かない。
 
 「自分で歩けるから、下ろしてくれ。」
 「ダメ。ユリアンとは腕を組んで城内を歩いたんでしょ。僕には抱き上げるくらいさせてくれなきゃ。」
 
 頑として聞き入れてくれないクラウスに揺さぶりをかけてみる。
 
 「婚約のことはまだ公表しないのだろう?早く私を離さないと、このままではろくでもない噂になるぞ。」
 「別に構わないよ。どうせ僕が何処そこの令嬢を部屋に連れ込んだとかでしょ。事実になるから問題無い。それと、君との婚約を卒業まで公表はしないけど、隠すのはやめる。」
 
 うん?それは、どういうことだ?
 
 「つまり、公式に周知はしないけれど、公然の秘密として社交界で噂になるのは構わないってことじゃない?」
 
 頭を捻った私に、横を同じ速さでスタスタ歩いてついてきているユリアン王子が皮肉げに言って寄越した。
 
 「それは困る!隠し通すつもりだとばかり・・・」
 「もちろん、僕もそのつもりだったさ。でも、こんなに可愛らしい姿の君を見てしまったら、ねえ?いつ何処で誰に持っていかれるかと思ったら耐えられなくなっちゃった。こうやって君は僕の大事な人だって知らしめておかないと不安なんだ。」
 
 私が女装したのが原因だと?!か、可愛らしいとは何に対してだ?リボンか?ドレスか?
 
 私が絶句してグルグルと思考している間に、目的の部屋に着いたらしい。
 
 手が塞がっている兄のクラウスに代わって扉を開けたユリアン王子がじゃあね、と言ってさっさと立ち去る。
 
 まて、この状況で置いていくな!まだちょっと怒っているクラウスと二人は嫌だ。
 
 心の叫びは届かず、私はユリアン王子の背が小さくなるのを呆然と見送った。
 
 
 「まあ、そう怖がらないで。何もしないから安心してよ。」
 
 また表情を読まれたけれど、私はそれどころではなかった。ドレスを着たままでは何があっても逃げられないということに今、気がついたのだ。
 
 何もしないと言われても、何かあったらどうする私!
 
 
 キャンッキャンッ
 
 突然、部屋の中から聴こえたその鳴き声でそれまでの思考は吹っ飛んだ。同時に、私はクラウスの腕から身を乗り出す。
 
 「クーヘン!」
 「わっ、危ないよノア!下ろすからちょっと待って。」
 
 足が床につくかつかないかで、私の腕の中に昨夜別れた子犬が飛び込んできた。
 その毛玉をぎゅっと抱きしめる。小さな頭に顔を寄せると温かくていい匂いがした。
 
 「無事だったか!・・・おや、えらく毛艶が良くなって幸せそうだな?」
 「そりゃ風呂に入って念入りにブラッシングして美味しいご飯とおやつを食べたものね。」
 
 横からクラウスの手が伸びてきて子犬を撫でる。その手付きはとても優しくて私はホッとした。
 
 兄達の言った通り、うちにいたときより良い待遇を受けているらしい。
 
 「そうか。いい人に飼ってもらえて良かったな、クーヘン。ああ、名前も変わったかな。」
 
 何と付けたのか、とクラウスを見遣れば彼は首を振って否定した。
 
 「まだ名前を付けてないのか?!」
 「うん。君と相談してつけようと思っていたんだけど、名前付けてたんだね。」
 「・・・ベネディクト兄様には内緒にしてくれ。譲渡予定だったから付けるなと言われていたのだが、あまりにも懐っこかったから、つい名前を付けてしまったんだ。でも、クラウスが飼い主なのだから気にせず変えてくれたらいいのだが。」
 
 「僕は君が付けたい名前があるならその名にしようと思ってたからクーヘンがいいよ。そうか、お前はクーヘンって名だったのか。美味しそうないい名前だね。」
 
 あまりにも優しいその言葉に、私はクーヘンに埋めた顔を上げられなくなった。
 
 こんな扱いは受けたことがない・・・どう反応するのが正解なのだろう。とりあえず顔が熱くてたまらないのだが。
 
 またグルグルと考えていたら、クラウスがおずおずと尋ねてきた。
 
 「ところで、僕も抱きしめていいかな?」
 
 その言葉に私は目を瞬かせた。
 
 クラウスもクーヘンを抱っこしたかったのか。私が先に抱いてしまって悪いことをした、飼い主優先に決まっているのに気がつかなかった私の落ち度だ。
 
 私は赤くなっているだろう顔を隠しながら、急いでクーヘンを彼の方へ差し出した。
 
 「どうぞ。・・・え?・・・ええっ?」
 
 ありがとう、という声とともにふわっと空気が動いて、私はクラウスの広い胸の中にクーヘンごとぎゅっと抱きしめられていた。
 
 どうしてこうなってる?!
 
 「クラウス、貴方はクーヘンを抱きしめたいんじゃなかったのか?!」
 「昨夜からクーヘンを抱いて微笑む君を抱きしめたかったんだ。それが叶って僕は今、とてつもない幸せを噛み締めている。」
 
 私はとてつもなく動揺しているのだが!
 
 身体を強張らせていたらクラウスの気配が急に真面目なものになり、私の背に回された腕に籠もる力も強くなった。
 
 「今日は弟が君に酷いことを言ってごめんね。・・・なんで皆、君の格好のことばかり言うのだろう。僕は最初から君のことを女性としか見ていないのに。ノア、どんな格好をしていようと君は僕がただ一人、愛する女性だよ。」
 
 その真摯な彼の台詞に嬉しいと思う反面、ずっと抱き続けていた疑問が口から滑り落ちる。
 
 「何故、私なんかにそこまで?」
 「なんか、なんて言わないで。君は僕の大切な婚約者なのだから。そうだね、うーん、言葉で説明するのは難しいな。・・・例えば、ノアがクーヘンや飼っている犬に無償の愛を注いで大事にして可愛がるように、僕は君に愛を注ぎたい。」
 「私は愛玩動物?」
 「まさか、とんでもない!なんだろう、こう、どんなに嫌がられても構って愛したいというか・・・」
 
 それ、本当に嫌だったら大変迷惑なやつだ。
 ・・・今の私は嫌ではないが。
 
 クラウスは良い言葉が見つからないのか、うんうん唸っている。
 しばらくそのまま悩んでいたが、ようやく思いついたのか、顔を寄せてきて真剣な声でささやいた。
 
 「僕が君に言いたいのは、僕はどんな君でも愛するから、無理をしないで欲しいってことなんだ。ドレスを着たくなければ着なくてもいい。生き物を拾いたければ好きなだけ拾ってくればいい。君が僕の側にいてくれる、それだけでいいんだ。」
 
 あとは僕を好きになってくれたら最高、という呟きを聞いて私はパッと顔を上げた。
 
 『好きだ』と言わなければ。今しかない!
 
 驚いたような深緑の瞳をキュッと見つめる。
 
 「あの、私、も・・・「クーン」ひゃああ?!」
 
 チュッと頬に生温いものが触れてきて、そのままペロッと舐められた私は叫び声を上げてしまった。
 
 「あっ、クーヘン!今お前は確信犯的に僕達の邪魔をしたな!なんかいい雰囲気だったのに!」
 
 私の腕から飛び降りてキラキラの目で見上げてくる子犬に対して、本気で悔しがっているクラウスを見たら笑いがこみ上げてきた。
 
 「ははっダメだ笑えてくる。クーヘン、大丈夫。私はお前も大好きだよ。」
 「も?」
 
 うっかり溢れた私の言葉をしっかり聞き咎めたクラウスが私の手をとった。
 
 「ノア、君はクーヘンと誰が大好きなの?」
 
 深緑の目が期待に満ちている。その目と視線がぶつかった途端、急激に恥ずかしくなった。
 私はパッと目を逸らし、一言叫んで部屋を飛び出した。
 
 「うちのミルヒだ!もう時間だから帰る!」
 
 ・・・やってしまった・・・。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】竜騎士の私は竜の番になりました!

胡蝶花れん
ファンタジー
ここは、アルス・アーツ大陸。  主に5大国家から成り立つ大陸である。  この世界は、人間、亜人(獣に変身することができる。)、エルフ、ドワーフ、魔獣、魔女、魔人、竜などの、いろんな種族がおり、また魔法が当たり前のように使える世界でもあった。  この物語の舞台はその5大国家の内の一つ、竜騎士発祥の地となるフェリス王国から始まる、王国初の女竜騎士の物語となる。 かくして、竜に番(つがい)認定されてしまった『氷の人形』と呼ばれる初の女竜騎士と竜の恋模様はこれいかに?! 竜の番の意味とは?恋愛要素含むファンタジーモノです。 ※毎日更新(平日)しています!(年末年始はお休みです!) ※1話当たり、1200~2000文字前後です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...