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第二章 ノア
29、子犬の取り持つ仲
しおりを挟む「クラウス、私を何処へ連れて行くつもりだ?」
私を抱き上げたクラウスはそのまま、執務室を出て城内をどんどん進んで行く。すれ違う人々がこの様を見て、一瞬立ち止まるのがなんとも落ち着かない。
「自分で歩けるから、下ろしてくれ。」
「ダメ。ユリアンとは腕を組んで城内を歩いたんでしょ。僕には抱き上げるくらいさせてくれなきゃ。」
頑として聞き入れてくれないクラウスに揺さぶりをかけてみる。
「婚約のことはまだ公表しないのだろう?早く私を離さないと、このままではろくでもない噂になるぞ。」
「別に構わないよ。どうせ僕が何処そこの令嬢を部屋に連れ込んだとかでしょ。事実になるから問題無い。それと、君との婚約を卒業まで公表はしないけど、隠すのはやめる。」
うん?それは、どういうことだ?
「つまり、公式に周知はしないけれど、公然の秘密として社交界で噂になるのは構わないってことじゃない?」
頭を捻った私に、横を同じ速さでスタスタ歩いてついてきているユリアン王子が皮肉げに言って寄越した。
「それは困る!隠し通すつもりだとばかり・・・」
「もちろん、僕もそのつもりだったさ。でも、こんなに可愛らしい姿の君を見てしまったら、ねえ?いつ何処で誰に持っていかれるかと思ったら耐えられなくなっちゃった。こうやって君は僕の大事な人だって知らしめておかないと不安なんだ。」
私が女装したのが原因だと?!か、可愛らしいとは何に対してだ?リボンか?ドレスか?
私が絶句してグルグルと思考している間に、目的の部屋に着いたらしい。
手が塞がっている兄のクラウスに代わって扉を開けたユリアン王子がじゃあね、と言ってさっさと立ち去る。
まて、この状況で置いていくな!まだちょっと怒っているクラウスと二人は嫌だ。
心の叫びは届かず、私はユリアン王子の背が小さくなるのを呆然と見送った。
「まあ、そう怖がらないで。何もしないから安心してよ。」
また表情を読まれたけれど、私はそれどころではなかった。ドレスを着たままでは何があっても逃げられないということに今、気がついたのだ。
何もしないと言われても、何かあったらどうする私!
キャンッキャンッ
突然、部屋の中から聴こえたその鳴き声でそれまでの思考は吹っ飛んだ。同時に、私はクラウスの腕から身を乗り出す。
「クーヘン!」
「わっ、危ないよノア!下ろすからちょっと待って。」
足が床につくかつかないかで、私の腕の中に昨夜別れた子犬が飛び込んできた。
その毛玉をぎゅっと抱きしめる。小さな頭に顔を寄せると温かくていい匂いがした。
「無事だったか!・・・おや、えらく毛艶が良くなって幸せそうだな?」
「そりゃ風呂に入って念入りにブラッシングして美味しいご飯とおやつを食べたものね。」
横からクラウスの手が伸びてきて子犬を撫でる。その手付きはとても優しくて私はホッとした。
兄達の言った通り、うちにいたときより良い待遇を受けているらしい。
「そうか。いい人に飼ってもらえて良かったな、クーヘン。ああ、名前も変わったかな。」
何と付けたのか、とクラウスを見遣れば彼は首を振って否定した。
「まだ名前を付けてないのか?!」
「うん。君と相談してつけようと思っていたんだけど、名前付けてたんだね。」
「・・・ベネディクト兄様には内緒にしてくれ。譲渡予定だったから付けるなと言われていたのだが、あまりにも懐っこかったから、つい名前を付けてしまったんだ。でも、クラウスが飼い主なのだから気にせず変えてくれたらいいのだが。」
「僕は君が付けたい名前があるならその名にしようと思ってたからクーヘンがいいよ。そうか、お前はクーヘンって名だったのか。美味しそうないい名前だね。」
あまりにも優しいその言葉に、私はクーヘンに埋めた顔を上げられなくなった。
こんな扱いは受けたことがない・・・どう反応するのが正解なのだろう。とりあえず顔が熱くてたまらないのだが。
またグルグルと考えていたら、クラウスがおずおずと尋ねてきた。
「ところで、僕も抱きしめていいかな?」
その言葉に私は目を瞬かせた。
クラウスもクーヘンを抱っこしたかったのか。私が先に抱いてしまって悪いことをした、飼い主優先に決まっているのに気がつかなかった私の落ち度だ。
私は赤くなっているだろう顔を隠しながら、急いでクーヘンを彼の方へ差し出した。
「どうぞ。・・・え?・・・ええっ?」
ありがとう、という声とともにふわっと空気が動いて、私はクラウスの広い胸の中にクーヘンごとぎゅっと抱きしめられていた。
どうしてこうなってる?!
「クラウス、貴方はクーヘンを抱きしめたいんじゃなかったのか?!」
「昨夜からクーヘンを抱いて微笑む君を抱きしめたかったんだ。それが叶って僕は今、とてつもない幸せを噛み締めている。」
私はとてつもなく動揺しているのだが!
身体を強張らせていたらクラウスの気配が急に真面目なものになり、私の背に回された腕に籠もる力も強くなった。
「今日は弟が君に酷いことを言ってごめんね。・・・なんで皆、君の格好のことばかり言うのだろう。僕は最初から君のことを女性としか見ていないのに。ノア、どんな格好をしていようと君は僕がただ一人、愛する女性だよ。」
その真摯な彼の台詞に嬉しいと思う反面、ずっと抱き続けていた疑問が口から滑り落ちる。
「何故、私なんかにそこまで?」
「なんか、なんて言わないで。君は僕の大切な婚約者なのだから。そうだね、うーん、言葉で説明するのは難しいな。・・・例えば、ノアがクーヘンや飼っている犬に無償の愛を注いで大事にして可愛がるように、僕は君に愛を注ぎたい。」
「私は愛玩動物?」
「まさか、とんでもない!なんだろう、こう、どんなに嫌がられても構って愛したいというか・・・」
それ、本当に嫌だったら大変迷惑なやつだ。
・・・今の私は嫌ではないが。
クラウスは良い言葉が見つからないのか、うんうん唸っている。
しばらくそのまま悩んでいたが、ようやく思いついたのか、顔を寄せてきて真剣な声でささやいた。
「僕が君に言いたいのは、僕はどんな君でも愛するから、無理をしないで欲しいってことなんだ。ドレスを着たくなければ着なくてもいい。生き物を拾いたければ好きなだけ拾ってくればいい。君が僕の側にいてくれる、それだけでいいんだ。」
あとは僕を好きになってくれたら最高、という呟きを聞いて私はパッと顔を上げた。
『好きだ』と言わなければ。今しかない!
驚いたような深緑の瞳をキュッと見つめる。
「あの、私、も・・・「クーン」ひゃああ?!」
チュッと頬に生温いものが触れてきて、そのままペロッと舐められた私は叫び声を上げてしまった。
「あっ、クーヘン!今お前は確信犯的に僕達の邪魔をしたな!なんかいい雰囲気だったのに!」
私の腕から飛び降りてキラキラの目で見上げてくる子犬に対して、本気で悔しがっているクラウスを見たら笑いがこみ上げてきた。
「ははっダメだ笑えてくる。クーヘン、大丈夫。私はお前も大好きだよ。」
「も?」
うっかり溢れた私の言葉をしっかり聞き咎めたクラウスが私の手をとった。
「ノア、君はクーヘンと誰が大好きなの?」
深緑の目が期待に満ちている。その目と視線がぶつかった途端、急激に恥ずかしくなった。
私はパッと目を逸らし、一言叫んで部屋を飛び出した。
「うちのミルヒだ!もう時間だから帰る!」
・・・やってしまった・・・。
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